104 / 334
世話焼き侍従と訳あり王子 第七章
4-1 尻に敷かれた方が上手くいく
しおりを挟む
衣装の調整には二時間もかかった。
ブランシェールがマントのひだを数えたり、床にへばりついてガウンの丈をチェックしたりするあいだ、ずっとマネキンにされていたエリオットは、本当にこの衣装で大聖堂に入っても大丈夫なのかと、三度もベイカーに尋ねた。
いずれにも「大丈夫です」「許可は取ってあります」と答えたベイカーは、最後に「オールグレン大主教も、ブランシェールさまのデザイン画をとても気に入っておられます」と太鼓判を押した。
そう言えば、宗教家にしては話の分かるじいさんだったな。
教会の責任者がいいと言っているなら、周りが問題にして騒ぎ立てようがエリオットが弁明する必要もない。ただ、天使を想起させる衣装と、残念な中身のギャップに自分が耐えるだけだ。
それが一番キツい……。
ため息をつくと、前を歩いていたサイラスが振り返った。
「どうかしたか?」
「いや、ちょっと」
「あまり顔色がよくないようだが、調子が悪いのか?」
「大丈夫だから!」
足を止めて寄ってこようとするのを、両手を振って押しとどめる。
「二時間も仮縫いの衣装着せられて、前向け後ろ向け、上見ろ下見ろ、歩け座れってやられたら、げっそりもするだろ」
しかも、もう何日もまともに寝ていないときてる。きょうはさすがに眠れるだろう。ーー気絶と言うべきかもしれないが。
ただし、なにも考えなくていい体を動かすだけの作業は、気分転換にはなった。
「あぁ、衣装合わせだったか」
サイラスが得心したように首を振る。
「ラスはなに着るの?」
「空軍の礼装の予定だ。一応、従軍経験者だからね」
昔、王族の男子には兵役義務があったらしいが、近代はそうでもない。エドゥアルドもヘクターも従軍していないし、もちろんエリオットも未経験だ。けれどサイラスは大学を卒業したあと三年、空軍で兵役に就いていた。それも後方支援ではなく、最後の一年はヘリのパイロット。国内で特にサイラスの人気が高いのも、そのへんが関係している。
「あの黒くて地味なやつ?」
「ガウンを着れば、少しは上等に見えるさ。それに、結婚式の主役は花嫁だろう。わたしは添え物くらいでちょうどいい」
よく言うよ。どこにいたって話題をさらっていくくせに。
エリオットは二度目のため息をついて、窓の外へ視線を投げた。高い生垣の向こうに、緑輝くガーデンがちらちらと見える。
侍従もつけず、ふたりだけで歩いているのは宮殿の北館だった。マーガレットのサロンが開かれた談話室と同じ棟の三階。ここには王が公務で使用する執務室がある。
一階に残して来たサイラスの侍従がバッシュでなかったことに、エリオットは少しほっとしていた。
電話で八つ当たりしたことを、まだ謝れていない。イェオリを寄越してくれた礼も。
なにも難しいことはない。スマートフォンに登録してある番号にかけて、一言「悪かった」と言えば済むことだ。なのに、それができない。
バッシュに偉そうなことを言って突き放しておきなから、結局はぐすぐすと愚痴っている。呆れられただろうか。
めんどくさい奴って思われてるよな。
自信にあふれたサイラスの背中を見ながら、エリオットはそっと肩を落とす。
人払いがされた廊下はだれともすれ違わなかったけれど、なんとなくそわそわしている人の気配が残っていた。活気があると言うのとは少し違う、宮殿自体が浮足立っていると言うか。
「やはり、父さんがいると空気が変わるね」
「……ラスもそう思う?」
「憲法に縛られていようとも、宮殿の主は王なんだと感じるよ」
我らが父は偉大だな、とサイラスが肩をすくめる。
次の王はあんただろうに。
突っ込もうとしたエリオットだったが、たどり着いた執務室の前に立つ警護官を見て口を閉じた。
頑強な肉体で扉を守っていた警護官が、王太子を見て頷くように会釈する。サイラスが面会の予定を伝えると先客がいると言うので、秘書のデスクがある前室で待つことになった。
人払いはここにまで及んでいるようで、国王執務室の前室に常駐する秘書官も、デスクにめがねを残して席を外していた。
「彼女をどうやってここから追い出したのか、興味があるな」
きれいに整頓された机に置かれたガラスのペーパーウエイトを指先で転がし、サイラスが言う。
「そんな厄介な秘書なの?」
「ランディハム女史は、国王執務室の守護者と言われている。ゲリラが機関銃を手に突入してきても、彼女なら『ノックをなさい!』と叱り飛ばすだろうね」
「うそだ」
「うそじゃないさ。父さんでさえ、彼女には頭が上がらない」
「王室の周りって、やたら強烈な女性が多くない?」
「女性が強いと社会は上手く回るものさ」
他愛ないやり取りをしていると、王の居室にしてはシンプルな扉が開き、壮年の男が出て来た。
ブランシェールがマントのひだを数えたり、床にへばりついてガウンの丈をチェックしたりするあいだ、ずっとマネキンにされていたエリオットは、本当にこの衣装で大聖堂に入っても大丈夫なのかと、三度もベイカーに尋ねた。
いずれにも「大丈夫です」「許可は取ってあります」と答えたベイカーは、最後に「オールグレン大主教も、ブランシェールさまのデザイン画をとても気に入っておられます」と太鼓判を押した。
そう言えば、宗教家にしては話の分かるじいさんだったな。
教会の責任者がいいと言っているなら、周りが問題にして騒ぎ立てようがエリオットが弁明する必要もない。ただ、天使を想起させる衣装と、残念な中身のギャップに自分が耐えるだけだ。
それが一番キツい……。
ため息をつくと、前を歩いていたサイラスが振り返った。
「どうかしたか?」
「いや、ちょっと」
「あまり顔色がよくないようだが、調子が悪いのか?」
「大丈夫だから!」
足を止めて寄ってこようとするのを、両手を振って押しとどめる。
「二時間も仮縫いの衣装着せられて、前向け後ろ向け、上見ろ下見ろ、歩け座れってやられたら、げっそりもするだろ」
しかも、もう何日もまともに寝ていないときてる。きょうはさすがに眠れるだろう。ーー気絶と言うべきかもしれないが。
ただし、なにも考えなくていい体を動かすだけの作業は、気分転換にはなった。
「あぁ、衣装合わせだったか」
サイラスが得心したように首を振る。
「ラスはなに着るの?」
「空軍の礼装の予定だ。一応、従軍経験者だからね」
昔、王族の男子には兵役義務があったらしいが、近代はそうでもない。エドゥアルドもヘクターも従軍していないし、もちろんエリオットも未経験だ。けれどサイラスは大学を卒業したあと三年、空軍で兵役に就いていた。それも後方支援ではなく、最後の一年はヘリのパイロット。国内で特にサイラスの人気が高いのも、そのへんが関係している。
「あの黒くて地味なやつ?」
「ガウンを着れば、少しは上等に見えるさ。それに、結婚式の主役は花嫁だろう。わたしは添え物くらいでちょうどいい」
よく言うよ。どこにいたって話題をさらっていくくせに。
エリオットは二度目のため息をついて、窓の外へ視線を投げた。高い生垣の向こうに、緑輝くガーデンがちらちらと見える。
侍従もつけず、ふたりだけで歩いているのは宮殿の北館だった。マーガレットのサロンが開かれた談話室と同じ棟の三階。ここには王が公務で使用する執務室がある。
一階に残して来たサイラスの侍従がバッシュでなかったことに、エリオットは少しほっとしていた。
電話で八つ当たりしたことを、まだ謝れていない。イェオリを寄越してくれた礼も。
なにも難しいことはない。スマートフォンに登録してある番号にかけて、一言「悪かった」と言えば済むことだ。なのに、それができない。
バッシュに偉そうなことを言って突き放しておきなから、結局はぐすぐすと愚痴っている。呆れられただろうか。
めんどくさい奴って思われてるよな。
自信にあふれたサイラスの背中を見ながら、エリオットはそっと肩を落とす。
人払いがされた廊下はだれともすれ違わなかったけれど、なんとなくそわそわしている人の気配が残っていた。活気があると言うのとは少し違う、宮殿自体が浮足立っていると言うか。
「やはり、父さんがいると空気が変わるね」
「……ラスもそう思う?」
「憲法に縛られていようとも、宮殿の主は王なんだと感じるよ」
我らが父は偉大だな、とサイラスが肩をすくめる。
次の王はあんただろうに。
突っ込もうとしたエリオットだったが、たどり着いた執務室の前に立つ警護官を見て口を閉じた。
頑強な肉体で扉を守っていた警護官が、王太子を見て頷くように会釈する。サイラスが面会の予定を伝えると先客がいると言うので、秘書のデスクがある前室で待つことになった。
人払いはここにまで及んでいるようで、国王執務室の前室に常駐する秘書官も、デスクにめがねを残して席を外していた。
「彼女をどうやってここから追い出したのか、興味があるな」
きれいに整頓された机に置かれたガラスのペーパーウエイトを指先で転がし、サイラスが言う。
「そんな厄介な秘書なの?」
「ランディハム女史は、国王執務室の守護者と言われている。ゲリラが機関銃を手に突入してきても、彼女なら『ノックをなさい!』と叱り飛ばすだろうね」
「うそだ」
「うそじゃないさ。父さんでさえ、彼女には頭が上がらない」
「王室の周りって、やたら強烈な女性が多くない?」
「女性が強いと社会は上手く回るものさ」
他愛ないやり取りをしていると、王の居室にしてはシンプルな扉が開き、壮年の男が出て来た。
46
お気に入りに追加
447
あなたにおすすめの小説
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。


【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
髪の色は愛の証 〜白髪少年愛される〜
あめ
ファンタジー
髪の色がとてもカラフルな世界。
そんな世界に唯一現れた白髪の少年。
その少年とは神様に転生させられた日本人だった。
その少年が“髪の色=愛の証”とされる世界で愛を知らぬ者として、可愛がられ愛される話。
⚠第1章の主人公は、2歳なのでめっちゃ拙い発音です。滑舌死んでます。
⚠愛されるだけではなく、ちょっと可哀想なお話もあります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる