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世話焼き侍従と訳あり王子 第五章
2-6 真夜中コール(第五章 終)
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真夜中に、自分の叫び声で目が覚める。
それがどんな気分かって?
「最悪だよちくしょう」
毛布から這い出して、エリオットはひんやりとした床に足を下ろした。
薄手の上着を羽織り、懐中電灯の代わりにスマートフォンで足元を照らしながら屋上に上がる。
見下ろすシルヴァーナの夜は、霞がかったようなオレンジ色の海に沈んでいた。通りの街灯も、教会を照らすライトも、石造りの街に映える暖色と決められている。景観を守るための、観光地らしい規制の一つだ。
雨は降っていないが、深呼吸に最適とは言えない湿気を含んだ夜風にウィンドブレーカーのすそを遊ばせながら、エリオットは小屋の扉を開けて照明をつけた。こちらは制限のない屋内照明の白い灯りが、雑然とした作業台とデファイリア・グレイを照らし出す。
毎日手をかけているのに、なかなか望む姿になってくれない薄情な花たち。大事にされているのに、望む姿になれない自分。
「なにが駄目なんだろうな――うわっ」
しおれかけた小さな花びらを一枚、指でつまんでちぎったとたん、抗議するように電子音が鳴り響き、エリオットは飛び上がった。片手に持ったままだった、スマートフォンの着信音だ。
表示された見覚えのない番号を不審に思いながら応答する。
「はい」
『エリオット?』
耳をくすぐる羽毛のような声に名前を呼ばれて、思わず端末を遠ざけた。
「なんであんたがこの番号知ってんだよ!」
『ベイカーに聞いた』
個人情報!
「うちの侍従を脅してないだろうな」
『安心しろ、ちょっとベイカーに恩を売っただけだ』
電波になって機械でろ過されても、バッシュの声は明朗だった。
『パパラッチに絡まれたと、イェオリから報告が上がって来た。大丈夫か?』
「それな、あんた知ってたか? イェオリって侍なんだぞ。日本の実家に刀があるらしい」
『言い直す。お前の頭は大丈夫か?』
「深夜とは思えないほどなめらかに回ってるよ、なめらかプリンだよ。なめらかすぎて固まらないくらいだよ」
『大丈夫そうだな』
むしろどのへんで安心してるのか分かんねーよ。
「それでわざわざ電話してきたのか、こんな時間に」
『エールでハイになった学生どもが、二件目になだれ込む程度の時間だろう』
「そんなの知らない」
エリオットは学生でもないし、安いエールを溺れるほど浴びせるようなバルにだって行ったことがないのだ。
気だるく言い返した。
「残念ながらお育ちのいいお子さまなんで、いい子にねんねしてたよ」
『そりゃ、安眠妨害して悪かったな』
ちっとも悪いと思っていない声。そして、エリオットの嘘を見抜いている声だ。
『こっちは午後出勤の夜勤シフトで、たいくつな休憩中なんだ。ほんの数分、付き合ってくれ』
「……しょうがねーな」
『で、なんだった? イェオリの話しか。腕が立つのは知ってる。本格的に武術をやってたらしいな。模擬試合で警護官に勝ったってうわさがあるくらいだ』
「本職に? すげー」
『武器なしのフルコンタクトだったらしい』
「おれとたいして体格変わらないのにな」
マジで人は見かけによらないな。
早めに素性を明かしておいてよかったかもしれない。イェオリが本気で暴力に訴えたら、助走をつけて殴るレベルではすまなさそうだ。
『とりあえずぶん殴るくらいしか能のないおれよりは、よっぽど安心だろ』
「……なんかすねてる?」
『は?』
「え?」
怪訝そうな声は思いのほか深刻な沈黙に変わったので、なんの気なく尋ねたエリオットは焦った。
「いや、そんな風に聞こえただけ」
『……とにかく、しばらく周囲には気を付けろよ。電話を切ったらおれの番号を登録して、なにかあったらかけろ。いいな?』
「イエッサー、忠告に従うよ。サンクス、管制塔」
『グッドラック、よい夜を』
本当に数分であっさり切れた通話は、夜風よりも確実に気分を変えてくれた。
エリオットはラックのトレーを引き出すと、デファイリアのポットをひとつ、部屋に持って帰った。お守りがわりに、寝室に置いておこう。
それがどんな気分かって?
「最悪だよちくしょう」
毛布から這い出して、エリオットはひんやりとした床に足を下ろした。
薄手の上着を羽織り、懐中電灯の代わりにスマートフォンで足元を照らしながら屋上に上がる。
見下ろすシルヴァーナの夜は、霞がかったようなオレンジ色の海に沈んでいた。通りの街灯も、教会を照らすライトも、石造りの街に映える暖色と決められている。景観を守るための、観光地らしい規制の一つだ。
雨は降っていないが、深呼吸に最適とは言えない湿気を含んだ夜風にウィンドブレーカーのすそを遊ばせながら、エリオットは小屋の扉を開けて照明をつけた。こちらは制限のない屋内照明の白い灯りが、雑然とした作業台とデファイリア・グレイを照らし出す。
毎日手をかけているのに、なかなか望む姿になってくれない薄情な花たち。大事にされているのに、望む姿になれない自分。
「なにが駄目なんだろうな――うわっ」
しおれかけた小さな花びらを一枚、指でつまんでちぎったとたん、抗議するように電子音が鳴り響き、エリオットは飛び上がった。片手に持ったままだった、スマートフォンの着信音だ。
表示された見覚えのない番号を不審に思いながら応答する。
「はい」
『エリオット?』
耳をくすぐる羽毛のような声に名前を呼ばれて、思わず端末を遠ざけた。
「なんであんたがこの番号知ってんだよ!」
『ベイカーに聞いた』
個人情報!
「うちの侍従を脅してないだろうな」
『安心しろ、ちょっとベイカーに恩を売っただけだ』
電波になって機械でろ過されても、バッシュの声は明朗だった。
『パパラッチに絡まれたと、イェオリから報告が上がって来た。大丈夫か?』
「それな、あんた知ってたか? イェオリって侍なんだぞ。日本の実家に刀があるらしい」
『言い直す。お前の頭は大丈夫か?』
「深夜とは思えないほどなめらかに回ってるよ、なめらかプリンだよ。なめらかすぎて固まらないくらいだよ」
『大丈夫そうだな』
むしろどのへんで安心してるのか分かんねーよ。
「それでわざわざ電話してきたのか、こんな時間に」
『エールでハイになった学生どもが、二件目になだれ込む程度の時間だろう』
「そんなの知らない」
エリオットは学生でもないし、安いエールを溺れるほど浴びせるようなバルにだって行ったことがないのだ。
気だるく言い返した。
「残念ながらお育ちのいいお子さまなんで、いい子にねんねしてたよ」
『そりゃ、安眠妨害して悪かったな』
ちっとも悪いと思っていない声。そして、エリオットの嘘を見抜いている声だ。
『こっちは午後出勤の夜勤シフトで、たいくつな休憩中なんだ。ほんの数分、付き合ってくれ』
「……しょうがねーな」
『で、なんだった? イェオリの話しか。腕が立つのは知ってる。本格的に武術をやってたらしいな。模擬試合で警護官に勝ったってうわさがあるくらいだ』
「本職に? すげー」
『武器なしのフルコンタクトだったらしい』
「おれとたいして体格変わらないのにな」
マジで人は見かけによらないな。
早めに素性を明かしておいてよかったかもしれない。イェオリが本気で暴力に訴えたら、助走をつけて殴るレベルではすまなさそうだ。
『とりあえずぶん殴るくらいしか能のないおれよりは、よっぽど安心だろ』
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「いや、そんな風に聞こえただけ」
『……とにかく、しばらく周囲には気を付けろよ。電話を切ったらおれの番号を登録して、なにかあったらかけろ。いいな?』
「イエッサー、忠告に従うよ。サンクス、管制塔」
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本当に数分であっさり切れた通話は、夜風よりも確実に気分を変えてくれた。
エリオットはラックのトレーを引き出すと、デファイリアのポットをひとつ、部屋に持って帰った。お守りがわりに、寝室に置いておこう。
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