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世話焼き侍従と訳あり王子 第五章
1-5 性能テストのつもりか
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ノックの音がして、「時間切れだ」とサイラスが両手を上げる。
一礼して入室したのは、また絶妙なタイミングと言うべきか、バッシュだった。エリオットが呼ばれていることは知っていたのか、軽く目礼する。
あいかわらず堂々とした立ち姿だ。少しくらい、イェオリみたいな可愛げがあってもいいのに。
「失礼いたします。殿下、次のご予定が」
「ああ」
「じゃあ、おれはこれで」
腰を上げ、扉を押さえて待つバッシュのほうへ足を向ける。
すれ違う程度でも、顔が見られてよかった。
「ヘインズ公、ちょっと待ってくれるか」
「なんですか?」
まだなにかあるのかと向き直ったエリオットに、サイラスがソファを回り込んで歩み寄って来る。なぜか足を止める様子がないのでとっさに後ずさると、壁に背が当たった。
「ラス?」
「そのまま」
「待って!」
それ以上さがることもできずに、エリオットは身を竦ませる。
あと数歩で手が届く距離だ。
目の前にいるのは兄だとか、危害を加えられるはずがないだとかは関係なく、至近距離にだれかがいることに怯えた心臓が早鐘を打つ。
「ラス、いやだ……」
「もう少し」
遮るもののない空色の瞳が、エリオットを見下ろす。その表情からは、なんの感情も読み取れなかった。
ひくりと喉が震える。息を吸ったきり、首を絞め上げられたように声も出なかった。
落ち着け、こんなところで発作を起こしたらシャレにならない。なにか、とにかくほかに気を向けないと。
さまよわせた視線が、ふと白いものに吸い寄せられた。
バッシュの手だ。
白手袋に包まれた指の長いバッシュの右手が、腿のあたりを叩いている。たん、たん、と繰り返し、屋上の庭園でエリオットに呼吸を教えたリズムで。
どんな顔をしているのか見る余裕はない。でも大丈夫。どうしたらいいかは、もう知っている。
息を吐く。ゆっくり。
エリオットがバッシュの手だけに集中していると、かつっと靴底を鳴らしてサイラスがもう一歩踏み込んだ。同時に片手を上げるのが見え、とうとう顔を背けて強く目をつぶる。
「殿下、そこまでです」
バッシュの低く抑えた声がして、ふっと気配が遠ざかった。
おそるおそる目を開けると、サイラスはすでに二メートルほど離れてバッシュのほうを見ていた。
どっと背中に汗が出て、足が震える。
「そう怖い顔をしないでくれ。彼の限界を知っておきたかったんだ」
アレクのほうが詳しいようだな、と言う軽口も、エリオットの耳を素通りした。
「すまなかった。大丈夫か?」
「っ……失礼します」
会釈もせず書斎を飛び出す。
「ヘインズさま!」
外で控えていたイェオリの驚いた顔も、サイラスへの儀礼も知ったことか。
数メートル先の自分の書斎へ逃げ込むと、膝から力が抜けてソファまでたどり着けず、床にへたり込む。慌てて追いかけてきたイェオリがおろおろしているが、とても説明できる状態ではない。
肩を揺らしながら呼吸を繰り返していると、ぴかぴかに磨かれた革靴が視界に入って来た。
「エ……ヘインズ公」
バッシュが、膝をついてエリオットをのぞき込む。
「大事ありませんか」
ないように見えるか。
「……聞いて、なかったのか」
エリオットが咳き込むと、バッシュはイェオリに水を持ってくるよう指示した。
自分にできることが見つかってほっとしたように駆け出すイェオリの背を、扉が閉まるまでしっかり見届けたバッシュが、「友人」の顔で声を落とした。
「もっと早く制止すべきだった。すまない」
「あんなこと、する人だったか?」
「いや……殿下らしくないとは思うが」
よくある、「なにかお考えが」などと言う言葉は続かなかった。本当に、バッシュも戸惑っているようだ。
少しずつ感じていた厳しさとは違う。さきほどのサイラスには、なにか得体の知れないものを見たような、正体のつかめない怖さがあった。
エリオットは顔をこすって深呼吸すると、しびれる手で膝を押し立ち上がる。
「横になったほうがいい。真っ青だぞ」
「あんたの主人のせいだよ」
言われた通りソファに転がり、指先の感覚を取り戻そうとこすり合わせた。
「悪かった。殿下はあとからお諫めする」
「王太子にたてつくのか? 再就職先は用意してあるんだろうな?」
「主人が間違ったことをしたら、諫めるのも仕事だ。侍従は行儀がいいだけのイエスマンじゃない」
暗に、それだけの信頼関係があると言われた気がして、少し傷ついた。いや、正しくは嫉妬だ。そして、こんな状況でも小さなことが気になる自分にうんざりする。
「ベイカーとイェオリにはおれが事情を話しておくから、しばらく休んでろ」
「うん。……あのさ」
「なんだ?」
「ありがとう。さっき」
「……お前の助けになったならよかった」
座面に頬を付けて目だけで窺うと、バッシュはすぐに「さっき」が何を指しているか気づいたように、ようやく表情をゆるめた。
「やっぱさ、猫かぶってないほうがあんたっぽい」
「殿下に見つかったらと思うと、冷や汗ものなんだがな」
対等でいること。それが「友人宣言」をしたバッシュにエリオットが求めたことだ。
ぶっきらぼうな口調が、フラットの玄関先でエリオットを罵ったときを思い出させる。
いや、マゾじゃないんだけどな。
「衣装係への降格で勘弁してくれるように、口添えくらいしてやるよ」
「心強いな」
エリオットは肩から力を抜いた。サイラスとの信頼関係はうらやましい。でも自分はべつに、バッシュに跪いてほしいわけでもないのだ。
一礼して入室したのは、また絶妙なタイミングと言うべきか、バッシュだった。エリオットが呼ばれていることは知っていたのか、軽く目礼する。
あいかわらず堂々とした立ち姿だ。少しくらい、イェオリみたいな可愛げがあってもいいのに。
「失礼いたします。殿下、次のご予定が」
「ああ」
「じゃあ、おれはこれで」
腰を上げ、扉を押さえて待つバッシュのほうへ足を向ける。
すれ違う程度でも、顔が見られてよかった。
「ヘインズ公、ちょっと待ってくれるか」
「なんですか?」
まだなにかあるのかと向き直ったエリオットに、サイラスがソファを回り込んで歩み寄って来る。なぜか足を止める様子がないのでとっさに後ずさると、壁に背が当たった。
「ラス?」
「そのまま」
「待って!」
それ以上さがることもできずに、エリオットは身を竦ませる。
あと数歩で手が届く距離だ。
目の前にいるのは兄だとか、危害を加えられるはずがないだとかは関係なく、至近距離にだれかがいることに怯えた心臓が早鐘を打つ。
「ラス、いやだ……」
「もう少し」
遮るもののない空色の瞳が、エリオットを見下ろす。その表情からは、なんの感情も読み取れなかった。
ひくりと喉が震える。息を吸ったきり、首を絞め上げられたように声も出なかった。
落ち着け、こんなところで発作を起こしたらシャレにならない。なにか、とにかくほかに気を向けないと。
さまよわせた視線が、ふと白いものに吸い寄せられた。
バッシュの手だ。
白手袋に包まれた指の長いバッシュの右手が、腿のあたりを叩いている。たん、たん、と繰り返し、屋上の庭園でエリオットに呼吸を教えたリズムで。
どんな顔をしているのか見る余裕はない。でも大丈夫。どうしたらいいかは、もう知っている。
息を吐く。ゆっくり。
エリオットがバッシュの手だけに集中していると、かつっと靴底を鳴らしてサイラスがもう一歩踏み込んだ。同時に片手を上げるのが見え、とうとう顔を背けて強く目をつぶる。
「殿下、そこまでです」
バッシュの低く抑えた声がして、ふっと気配が遠ざかった。
おそるおそる目を開けると、サイラスはすでに二メートルほど離れてバッシュのほうを見ていた。
どっと背中に汗が出て、足が震える。
「そう怖い顔をしないでくれ。彼の限界を知っておきたかったんだ」
アレクのほうが詳しいようだな、と言う軽口も、エリオットの耳を素通りした。
「すまなかった。大丈夫か?」
「っ……失礼します」
会釈もせず書斎を飛び出す。
「ヘインズさま!」
外で控えていたイェオリの驚いた顔も、サイラスへの儀礼も知ったことか。
数メートル先の自分の書斎へ逃げ込むと、膝から力が抜けてソファまでたどり着けず、床にへたり込む。慌てて追いかけてきたイェオリがおろおろしているが、とても説明できる状態ではない。
肩を揺らしながら呼吸を繰り返していると、ぴかぴかに磨かれた革靴が視界に入って来た。
「エ……ヘインズ公」
バッシュが、膝をついてエリオットをのぞき込む。
「大事ありませんか」
ないように見えるか。
「……聞いて、なかったのか」
エリオットが咳き込むと、バッシュはイェオリに水を持ってくるよう指示した。
自分にできることが見つかってほっとしたように駆け出すイェオリの背を、扉が閉まるまでしっかり見届けたバッシュが、「友人」の顔で声を落とした。
「もっと早く制止すべきだった。すまない」
「あんなこと、する人だったか?」
「いや……殿下らしくないとは思うが」
よくある、「なにかお考えが」などと言う言葉は続かなかった。本当に、バッシュも戸惑っているようだ。
少しずつ感じていた厳しさとは違う。さきほどのサイラスには、なにか得体の知れないものを見たような、正体のつかめない怖さがあった。
エリオットは顔をこすって深呼吸すると、しびれる手で膝を押し立ち上がる。
「横になったほうがいい。真っ青だぞ」
「あんたの主人のせいだよ」
言われた通りソファに転がり、指先の感覚を取り戻そうとこすり合わせた。
「悪かった。殿下はあとからお諫めする」
「王太子にたてつくのか? 再就職先は用意してあるんだろうな?」
「主人が間違ったことをしたら、諫めるのも仕事だ。侍従は行儀がいいだけのイエスマンじゃない」
暗に、それだけの信頼関係があると言われた気がして、少し傷ついた。いや、正しくは嫉妬だ。そして、こんな状況でも小さなことが気になる自分にうんざりする。
「ベイカーとイェオリにはおれが事情を話しておくから、しばらく休んでろ」
「うん。……あのさ」
「なんだ?」
「ありがとう。さっき」
「……お前の助けになったならよかった」
座面に頬を付けて目だけで窺うと、バッシュはすぐに「さっき」が何を指しているか気づいたように、ようやく表情をゆるめた。
「やっぱさ、猫かぶってないほうがあんたっぽい」
「殿下に見つかったらと思うと、冷や汗ものなんだがな」
対等でいること。それが「友人宣言」をしたバッシュにエリオットが求めたことだ。
ぶっきらぼうな口調が、フラットの玄関先でエリオットを罵ったときを思い出させる。
いや、マゾじゃないんだけどな。
「衣装係への降格で勘弁してくれるように、口添えくらいしてやるよ」
「心強いな」
エリオットは肩から力を抜いた。サイラスとの信頼関係はうらやましい。でも自分はべつに、バッシュに跪いてほしいわけでもないのだ。
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