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世話焼き侍従と訳あり王子 第四章
1-7 プライドのありか
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先に言っておくが、待っていたわけではない。できればこのまま顔を合わせたくはなかったし、頭のてっぺんからつま先まで侍従としての振る舞いを求められる王宮において、私的な理由でゲストルームの客を訪ねるのは完全な越権行為だ。それでも、バッシュは来るだろうと言う妙な確信がエリオットにはあった。
一瞬だけ、ベイカーが示した非常ベルに目が行く。戸口の脇に設置された、呼び鈴のような押しボタンだ。それには触れずに鍵を開けてドアノブを回すと、切羽詰まった眼差しにぶつかった。
そう言えば初めて会った時も、こんなシチュだったな。
「お時間を、いただけますでしょうか」
「入れば。警備が来ると困るんだろ」
エリオットは長椅子に戻って腰を下ろしたが、扉を閉めたバッシュは途方に暮れたようにその場に立ち尽くしている。
「侍従長から、ヘインズ公爵がディナーに招かれたと聞いて……。そんなバカなと。あなたが、王宮へ来るはずがないと。なのに、なぜかここにいらっしゃる」
らしくない、ぼそぼそ歯切れの悪い物言いだ。いつだって明朗で、語尾を濁すようなしゃべり方はしなかったのに。
「わたしが追い詰めたのでしょうか」
「ちがう」
「でしたらなぜ」
てっきり怒鳴られるかと思ったのに、自分のほうが追い詰められているような青ざめた顔。いつも通りネクタイまでゆるみのない正装が痛々しいほどで、エリオットはセンターテーブルへ目を落とした。ガラスの天板には先ほどニュースを見ていたスマートフォン。沈黙した画面には天井の照明が暗闇に浮かぶ満月みたいに映っている。そう言えば、バッシュの番号を聞く機会もなかった。
失敗したなと思う。本当なら、エリオットはここまでの決着をつけて王宮へ来るべきだったのだ。思いもよらない「アニー」との再会でかなり動転したせいで、急にはねつけられて混乱するバッシュの心情を慮る余裕がなかった。
詫びになるかは分からないが、エリオットは少しだけ本音を明かす。
「正直、面倒なことはやりたくない。でも、ちょっとくらい頑張ってもいいかと思ったんだよ」
無理かもしれないし、結果はだめかもしれないけど。
「あなたの補佐もさせてもらえるよう、殿下に申し出ます。付きっきりは難しいかもしれませんが、ご成婚の儀が終わるまで、そのはずだったのですから」
嫌になるくらい、バッシュは真剣だった。たしかに最初はそうだったかもしれないが、エリオットが一人でここへ来たことから、状況が変わったことくらい分かっているはずだ。
聞き分けのない子どもかよ。
しばらく面倒見ただけで、情が移ったのか?
「専任の侍従が二人も付くんだから、掛け持ちなんていらない」
「でしたらわたしも――」
テーブルの脚を蹴飛ばして、バッシュの言葉を遮った。
「ふざけるなよ、アレクシア・バッシュ」
いま何を言いかけた?
「あんたが仕えてるのはどこぞの貴族じゃない。王太子だろ。たかだか二ヶ月、おれの世話を焼くために、これまで積み上げてきたもんを棒に振る気か」
そんなこと許さない。たとえそれが、エリオット自身のためだと言われようと。
一瞬だけ、ベイカーが示した非常ベルに目が行く。戸口の脇に設置された、呼び鈴のような押しボタンだ。それには触れずに鍵を開けてドアノブを回すと、切羽詰まった眼差しにぶつかった。
そう言えば初めて会った時も、こんなシチュだったな。
「お時間を、いただけますでしょうか」
「入れば。警備が来ると困るんだろ」
エリオットは長椅子に戻って腰を下ろしたが、扉を閉めたバッシュは途方に暮れたようにその場に立ち尽くしている。
「侍従長から、ヘインズ公爵がディナーに招かれたと聞いて……。そんなバカなと。あなたが、王宮へ来るはずがないと。なのに、なぜかここにいらっしゃる」
らしくない、ぼそぼそ歯切れの悪い物言いだ。いつだって明朗で、語尾を濁すようなしゃべり方はしなかったのに。
「わたしが追い詰めたのでしょうか」
「ちがう」
「でしたらなぜ」
てっきり怒鳴られるかと思ったのに、自分のほうが追い詰められているような青ざめた顔。いつも通りネクタイまでゆるみのない正装が痛々しいほどで、エリオットはセンターテーブルへ目を落とした。ガラスの天板には先ほどニュースを見ていたスマートフォン。沈黙した画面には天井の照明が暗闇に浮かぶ満月みたいに映っている。そう言えば、バッシュの番号を聞く機会もなかった。
失敗したなと思う。本当なら、エリオットはここまでの決着をつけて王宮へ来るべきだったのだ。思いもよらない「アニー」との再会でかなり動転したせいで、急にはねつけられて混乱するバッシュの心情を慮る余裕がなかった。
詫びになるかは分からないが、エリオットは少しだけ本音を明かす。
「正直、面倒なことはやりたくない。でも、ちょっとくらい頑張ってもいいかと思ったんだよ」
無理かもしれないし、結果はだめかもしれないけど。
「あなたの補佐もさせてもらえるよう、殿下に申し出ます。付きっきりは難しいかもしれませんが、ご成婚の儀が終わるまで、そのはずだったのですから」
嫌になるくらい、バッシュは真剣だった。たしかに最初はそうだったかもしれないが、エリオットが一人でここへ来たことから、状況が変わったことくらい分かっているはずだ。
聞き分けのない子どもかよ。
しばらく面倒見ただけで、情が移ったのか?
「専任の侍従が二人も付くんだから、掛け持ちなんていらない」
「でしたらわたしも――」
テーブルの脚を蹴飛ばして、バッシュの言葉を遮った。
「ふざけるなよ、アレクシア・バッシュ」
いま何を言いかけた?
「あんたが仕えてるのはどこぞの貴族じゃない。王太子だろ。たかだか二ヶ月、おれの世話を焼くために、これまで積み上げてきたもんを棒に振る気か」
そんなこと許さない。たとえそれが、エリオット自身のためだと言われようと。
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