54 / 334
世話焼き侍従と訳あり王子 第四章
1-5 久しぶりと初めまして
しおりを挟む
十年、息子に会えなかった母親のパワーを甘く見ていた。
エリオットは長椅子に横たわり、長いため息をつく。
小さめの応接間と寝室にバスルームがついたゲストルームは、エリオットのほかにだれもいない。天井まである窓には分厚いカーテンが引かれ、糊のきいた白いシーツがまぶしいベッドには着替えまで用意されていた。
「なだめるって言ったのに、ラスの嘘つき」
いや、一応なだめてはくれたのだ。
リビングでエリオットに突進しようとした母フェリシアを、体を張って止めてくれたし、すぐに元の部屋を用意させよう言うのを「エリオットはヘインズ公爵として来てくれたから」と、はっきり断ってくれた。
しかしフェリシアはなかなか落ち着いてくれず、結局は隣の席に押し込められたディナーで、きょうだけゲストとして泊まっていくことを了承させられた。
おれは寄宿学校から帰省した子どもか。
まぁ、それだって一年に何度も顔を見る。十年も無沙汰をしたのはエリオットだから、さすがにそれ以上、母を説得してくれとは言えなかった。
「疲れた……」
この一ヵ月、バッシュと言う他人と長時間すごしていたとは言え、侍従モードの彼は努めて平静に振る舞っている。ナサニエルも落ち着いたタイプだから、いきなりミシェルも含む三対一の状況で好意百パーセントの熱量は完全に容量オーバーである。
額をぐりぐりと座面にこすりつけていると、ドアがノックされた。
「はい」
「ベイカーでございます」
扉越しに聞こえた声に、エリオットは慌てて起き上がって乱れた髪を直す。
「どうぞ」
「失礼いたします」
入室してきたベイカーは、長椅子から立ち上がったエリオットに歩み寄り、深々と頭を下げる。適切とされるそれより広く取られた間合いに、こちらの事情が伝わっているのが分かった。
バッシュのように、コンマ数センチまできっちり測ったような堅苦しさがない代わりに、ベイカーからは丁寧で安心感のある印象を受ける。
年の功ってやつ?
「久しぶり、ベイカー」
「はい、殿下」
エリオットの側にいたころは五十代だったはずだが、小びんに少し白いものがあったくらいの髪は、全体的に白髪へと変わっていた。目線も若干だけどエリオットの方が高くなり、目じりのしわがよく見える。記憶よりずいぶん老けた。
顔を上げたベイカーは、外見の大きく変わったかつての主人を見ても、驚くことなく目元を和ませる。
「ご立派になられました」
「背が伸びただけだよ」
自嘲しながら、エリオットは少し驚いていた。
世話係にベイカーを指名したのはエリオットだが、時間も時間だったから呼び寄せられるのは数日後だと思っていた。気が変わると困ると思ったのか、サイラスの手配は迅速なことこの上ない。そして、招へいにすぐさまベイカーが応じてくれたことは、素直にうれしかった。
「ラスから聞いた?」
「はい。ひとまずご成婚の儀が終わるまで、殿下のお世話を、とうかがっております」
「うん、急で悪いけど」
「お側にお呼びいただき、たいへん光栄に存じます、殿下」
「あ、待って。王子として戻るかは、まだ決めたわけじゃないんだ。殿下はやめてほしい」
「では、ヘインズさまとお呼びいたします。さっそくでございますが、わたくしの補佐を一人、ご紹介申し上げてよろしゅうございますか」
「うん」
ベイカーが声をかけると、扉が開いて廊下に待機していたらしい青年が折り目正しく一礼した。
「イオリ・オオツキと申します」
「フットマンですが、特別に侍従を兼ねることとなりました。わたくしが不在のときも、常にこの者をお側に置いてくださいますよう、お願い申し上げます」
紹介されてお辞儀をしたのは、東洋系の青年だった。フットマンと言うだけあって、洗練された外見だ。艶のある純度の高い黒髪と、インクを垂らしたような黒い瞳。年齢はたぶん同じくらいだと思うが、ちょっとよく分からない。凛としたたたずまいは、水仙を連想させた。
「オヅキ……ウォヅキ? 違うな。ごめん、練習する」
「この者はイェオリとお呼びください。みな正確な発音が怪しいので、そのほうが通りがようございます」
「いいのか?」
「もちろんです、ヘインズさま」
イェオリはすかさず会釈する。彼もまだ分度器だ。
エリオットは長椅子に横たわり、長いため息をつく。
小さめの応接間と寝室にバスルームがついたゲストルームは、エリオットのほかにだれもいない。天井まである窓には分厚いカーテンが引かれ、糊のきいた白いシーツがまぶしいベッドには着替えまで用意されていた。
「なだめるって言ったのに、ラスの嘘つき」
いや、一応なだめてはくれたのだ。
リビングでエリオットに突進しようとした母フェリシアを、体を張って止めてくれたし、すぐに元の部屋を用意させよう言うのを「エリオットはヘインズ公爵として来てくれたから」と、はっきり断ってくれた。
しかしフェリシアはなかなか落ち着いてくれず、結局は隣の席に押し込められたディナーで、きょうだけゲストとして泊まっていくことを了承させられた。
おれは寄宿学校から帰省した子どもか。
まぁ、それだって一年に何度も顔を見る。十年も無沙汰をしたのはエリオットだから、さすがにそれ以上、母を説得してくれとは言えなかった。
「疲れた……」
この一ヵ月、バッシュと言う他人と長時間すごしていたとは言え、侍従モードの彼は努めて平静に振る舞っている。ナサニエルも落ち着いたタイプだから、いきなりミシェルも含む三対一の状況で好意百パーセントの熱量は完全に容量オーバーである。
額をぐりぐりと座面にこすりつけていると、ドアがノックされた。
「はい」
「ベイカーでございます」
扉越しに聞こえた声に、エリオットは慌てて起き上がって乱れた髪を直す。
「どうぞ」
「失礼いたします」
入室してきたベイカーは、長椅子から立ち上がったエリオットに歩み寄り、深々と頭を下げる。適切とされるそれより広く取られた間合いに、こちらの事情が伝わっているのが分かった。
バッシュのように、コンマ数センチまできっちり測ったような堅苦しさがない代わりに、ベイカーからは丁寧で安心感のある印象を受ける。
年の功ってやつ?
「久しぶり、ベイカー」
「はい、殿下」
エリオットの側にいたころは五十代だったはずだが、小びんに少し白いものがあったくらいの髪は、全体的に白髪へと変わっていた。目線も若干だけどエリオットの方が高くなり、目じりのしわがよく見える。記憶よりずいぶん老けた。
顔を上げたベイカーは、外見の大きく変わったかつての主人を見ても、驚くことなく目元を和ませる。
「ご立派になられました」
「背が伸びただけだよ」
自嘲しながら、エリオットは少し驚いていた。
世話係にベイカーを指名したのはエリオットだが、時間も時間だったから呼び寄せられるのは数日後だと思っていた。気が変わると困ると思ったのか、サイラスの手配は迅速なことこの上ない。そして、招へいにすぐさまベイカーが応じてくれたことは、素直にうれしかった。
「ラスから聞いた?」
「はい。ひとまずご成婚の儀が終わるまで、殿下のお世話を、とうかがっております」
「うん、急で悪いけど」
「お側にお呼びいただき、たいへん光栄に存じます、殿下」
「あ、待って。王子として戻るかは、まだ決めたわけじゃないんだ。殿下はやめてほしい」
「では、ヘインズさまとお呼びいたします。さっそくでございますが、わたくしの補佐を一人、ご紹介申し上げてよろしゅうございますか」
「うん」
ベイカーが声をかけると、扉が開いて廊下に待機していたらしい青年が折り目正しく一礼した。
「イオリ・オオツキと申します」
「フットマンですが、特別に侍従を兼ねることとなりました。わたくしが不在のときも、常にこの者をお側に置いてくださいますよう、お願い申し上げます」
紹介されてお辞儀をしたのは、東洋系の青年だった。フットマンと言うだけあって、洗練された外見だ。艶のある純度の高い黒髪と、インクを垂らしたような黒い瞳。年齢はたぶん同じくらいだと思うが、ちょっとよく分からない。凛としたたたずまいは、水仙を連想させた。
「オヅキ……ウォヅキ? 違うな。ごめん、練習する」
「この者はイェオリとお呼びください。みな正確な発音が怪しいので、そのほうが通りがようございます」
「いいのか?」
「もちろんです、ヘインズさま」
イェオリはすかさず会釈する。彼もまだ分度器だ。
57
お気に入りに追加
447
あなたにおすすめの小説
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。


【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
髪の色は愛の証 〜白髪少年愛される〜
あめ
ファンタジー
髪の色がとてもカラフルな世界。
そんな世界に唯一現れた白髪の少年。
その少年とは神様に転生させられた日本人だった。
その少年が“髪の色=愛の証”とされる世界で愛を知らぬ者として、可愛がられ愛される話。
⚠第1章の主人公は、2歳なのでめっちゃ拙い発音です。滑舌死んでます。
⚠愛されるだけではなく、ちょっと可哀想なお話もあります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる