上 下
54 / 332
世話焼き侍従と訳あり王子 第四章

1-5 久しぶりと初めまして

しおりを挟む
 十年、息子に会えなかった母親のパワーを甘く見ていた。

 エリオットは長椅子に横たわり、長いため息をつく。

 小さめの応接間と寝室にバスルームがついたゲストルームは、エリオットのほかにだれもいない。天井まである窓には分厚いカーテンが引かれ、糊のきいた白いシーツがまぶしいベッドには着替えまで用意されていた。

「なだめるって言ったのに、ラスの嘘つき」

 いや、一応なだめてはくれたのだ。

 リビングでエリオットに突進しようとした母フェリシアを、体を張って止めてくれたし、すぐに元の部屋を用意させよう言うのを「エリオットはヘインズ公爵として来てくれたから」と、はっきり断ってくれた。

 しかしフェリシアはなかなか落ち着いてくれず、結局は隣の席に押し込められたディナーで、きょうだけゲストとして泊まっていくことを了承させられた。

 おれは寄宿学校から帰省した子どもか。

 まぁ、それだって一年に何度も顔を見る。十年も無沙汰をしたのはエリオットだから、さすがにそれ以上、母を説得してくれとは言えなかった。

「疲れた……」

 この一ヵ月、バッシュと言う他人と長時間すごしていたとは言え、侍従モードの彼は努めて平静に振る舞っている。ナサニエルも落ち着いたタイプだから、いきなりミシェルも含む三対一の状況で好意百パーセントの熱量は完全に容量オーバーである。

 額をぐりぐりと座面にこすりつけていると、ドアがノックされた。

「はい」
「ベイカーでございます」

 扉越しに聞こえた声に、エリオットは慌てて起き上がって乱れた髪を直す。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 入室してきたベイカーは、長椅子から立ち上がったエリオットに歩み寄り、深々と頭を下げる。適切とされるそれより広く取られた間合いに、こちらの事情が伝わっているのが分かった。

 バッシュのように、コンマ数センチまできっちり測ったような堅苦しさがない代わりに、ベイカーからは丁寧で安心感のある印象を受ける。

 年の功ってやつ?

「久しぶり、ベイカー」
「はい、殿下」

 エリオットの側にいたころは五十代だったはずだが、小びんに少し白いものがあったくらいの髪は、全体的に白髪へと変わっていた。目線も若干だけどエリオットの方が高くなり、目じりのしわがよく見える。記憶よりずいぶん老けた。

 顔を上げたベイカーは、外見の大きく変わったかつての主人を見ても、驚くことなく目元を和ませる。

「ご立派になられました」
「背が伸びただけだよ」

 自嘲しながら、エリオットは少し驚いていた。

 世話係にベイカーを指名したのはエリオットだが、時間も時間だったから呼び寄せられるのは数日後だと思っていた。気が変わると困ると思ったのか、サイラスの手配は迅速なことこの上ない。そして、招へいにすぐさまベイカーが応じてくれたことは、素直にうれしかった。

「ラスから聞いた?」
「はい。ひとまずご成婚の儀が終わるまで、殿下のお世話を、とうかがっております」
「うん、急で悪いけど」
「お側にお呼びいただき、たいへん光栄に存じます、殿下」
「あ、待って。王子として戻るかは、まだ決めたわけじゃないんだ。殿下はやめてほしい」
「では、ヘインズさまとお呼びいたします。さっそくでございますが、わたくしの補佐を一人、ご紹介申し上げてよろしゅうございますか」
「うん」

 ベイカーが声をかけると、扉が開いて廊下に待機していたらしい青年が折り目正しく一礼した。

「イオリ・オオツキと申します」
「フットマンですが、特別に侍従を兼ねることとなりました。わたくしが不在のときも、常にこの者をお側に置いてくださいますよう、お願い申し上げます」

 紹介されてお辞儀をしたのは、東洋系の青年だった。フットマンと言うだけあって、洗練された外見だ。艶のある純度の高い黒髪と、インクを垂らしたような黒い瞳。年齢はたぶん同じくらいだと思うが、ちょっとよく分からない。凛としたたたずまいは、水仙を連想させた。

「オヅキ……ウォヅキ? 違うな。ごめん、練習する」
「この者はイェオリとお呼びください。みな正確な発音が怪しいので、そのほうが通りがようございます」
「いいのか?」
「もちろんです、ヘインズさま」

 イェオリはすかさず会釈する。彼もまだ分度器だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

Candle

音和うみ
BL
虐待を受け人に頼って来れなかった子と、それに寄り添おうとする子のお話

男だけど女性Vtuberを演じていたら現実で、メス堕ちしてしまったお話

ボッチなお地蔵さん
BL
中村るいは、今勢いがあるVTuber事務所が2期生を募集しているというツイートを見てすぐに応募をする。無事、合格して気分が上がっている最中に送られてきた自分が使うアバターのイラストを見ると女性のアバターだった。自分は男なのに… 結局、その女性アバターでVTuberを始めるのだが、女性VTuberを演じていたら現実でも影響が出始めて…!?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

【完結】お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません

八神紫音
BL
 やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。  そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

俺と親父とお仕置きと

ぶんぶんごま
BL
親父×息子のアホエロコメディ 天然な父親と苦労性の息子(特殊な趣味あり) 悪いことをすると高校生になってまで親父に尻を叩かれお仕置きされる そして尻を叩かれお仕置きされてる俺は情けないことにそれで感じてしまうのだ… 親父に尻を叩かれて俺がドMだって知るなんて…そんなの知りたくなかった…!! 親父のバカーーーー!!!! 他サイトにも掲載しています

処理中です...