52 / 334
世話焼き侍従と訳あり王子 第四章
1-3 ミシェル
しおりを挟む
ミシェルは子どものころ以来のエリオットに喜びはしたものの、連絡もなしに訪ねてきた理由については問わなかった。それどころか、せっかくだからサイラスを驚かせようと言い、裏口からエリオットを招き入れる。
「エリオット、きょうはディナーを食べて行くの?」
「いや、別に招待された訳じゃなくて……なにも考えてなかった」
「わたしはドレスの調整で呼ばれたんだけど、あなたが食べて行くならわたしもそうしようかしらって」
「あぁ、何十万だかするドレス?」
「母がはりきってるのよ。念のために言っておくけど、税金は一ユーロだって使わないわよ」
「知ってる。『資産のタウンゼント』だし」
「あら、『伝統のヘインズ』にはかなわないわ」
同じ公爵位を持つ家同士に対し社交界でささやかれる嫌味の応酬も、ミシェルは面白がっている。紐を引かれる風船のように、ふわふわと運ばれて行く不思議な心地だ。
こんなに明るかったっけ。
幾何学模様のじゅうたんが敷かれた廊下を歩きながら、エリオットは高い天井を見上げる。
王宮の一部ではあるものの、夏場のごく短い期間を除き観光客には公開されていない、王族の私的な屋敷。便宜上「ハウス」と呼びならわされている一角は、熟知しているはずの記憶よりずいぶん彩度と明度が高い気がした。モノクロで見た映画を、リマスター版でカラーにしたような、知っているけど知らない風景。
すれ違うたびに会釈する使用人たちの顔ぶれも、記憶とは重ならない。ミシェルが泣き虫から押しの強い女性へと変わったように、王宮もまた十年分の月日を更新しているのだ。ここを去ったエリオットの影などおかまいなしに。
「ここで待っていて」
三階にある家族のリビングまで来ると、ミシェルはエリオットを振り返り唇の前に人差し指を立ててから扉を開けた。
室内は、あまりエリオットの記憶と齟齬がなかった。模様替えや調度の入れ替えはしているのだろうが、全体的な雰囲気は変わらない。そしてミシェルが言った通り、キャビネットやサイドテーブル、テレビ台の上など、至るとこに写真立てがあった。
暖炉の前に置かれた応接セットに、サイラスが背を向けて座っている。本でも読んでいるのか、少しうつむき加減で。
「ラス、とっても素敵なお客さまよ」
「お客さま? そんな予定は……」
振り返ったサイラスが、ミシェルと、半分扉に隠れたエリオットを見て瞬きをした。
「……エリオット?」
幻でも見たような顔でソファから立ち上がると、ばさりと足元に落ちた雑誌にも構わず両腕を広げる。
「エリオットか? 本当に?」
待て、これ抱擁の流れか? 無理なんですけど!
喜色満面でハグしそうになったサイラスだったが、エリオットがひるんだのは見逃さなかった。はっとして数歩手前で踏みとどまり腕をおろすと、それでもそわそわと手を結んでは開く。
「あぁ、すまない、驚いてしまって」
「いや、大丈夫……」
悲鳴を上げて卒倒する事態は回避できて、エリオットはほっとする。
目の前に立ったサイラスは、テレビで見るよりゴージャスだった。
少し癖のある赤みがかったブロンド。二重まぶたに縁取られた、吸い込まれそうな空色の瞳。なめらかにカーブを描く鼻梁と、世の女性を虜にする子どものように赤い唇。
「久しぶりだね。元気にしていたか? ずいぶん背が伸びた」
最後に会ったときはこれくらいだった、と腰のあたりで手を振るので、ミシェルと一緒に噴き出した。
「さすがにそこまでじゃない」
「そうかな」
肩をすくめたサイラスは、兄弟の再開をほほえましく見守っていたミシェルを抱き寄せる。
「驚いたよ。どんな魔法を使って連れてきてくれたのかな」
「通用口のセキュリティに止められてたのを、運よく捕まえたの」
「さすがだ」
ミシェルは婚約者の頬にキスをすると、「フェリシアさまにお知らせしてくるわね」と言って席を外した。
「エリオット、きょうはディナーを食べて行くの?」
「いや、別に招待された訳じゃなくて……なにも考えてなかった」
「わたしはドレスの調整で呼ばれたんだけど、あなたが食べて行くならわたしもそうしようかしらって」
「あぁ、何十万だかするドレス?」
「母がはりきってるのよ。念のために言っておくけど、税金は一ユーロだって使わないわよ」
「知ってる。『資産のタウンゼント』だし」
「あら、『伝統のヘインズ』にはかなわないわ」
同じ公爵位を持つ家同士に対し社交界でささやかれる嫌味の応酬も、ミシェルは面白がっている。紐を引かれる風船のように、ふわふわと運ばれて行く不思議な心地だ。
こんなに明るかったっけ。
幾何学模様のじゅうたんが敷かれた廊下を歩きながら、エリオットは高い天井を見上げる。
王宮の一部ではあるものの、夏場のごく短い期間を除き観光客には公開されていない、王族の私的な屋敷。便宜上「ハウス」と呼びならわされている一角は、熟知しているはずの記憶よりずいぶん彩度と明度が高い気がした。モノクロで見た映画を、リマスター版でカラーにしたような、知っているけど知らない風景。
すれ違うたびに会釈する使用人たちの顔ぶれも、記憶とは重ならない。ミシェルが泣き虫から押しの強い女性へと変わったように、王宮もまた十年分の月日を更新しているのだ。ここを去ったエリオットの影などおかまいなしに。
「ここで待っていて」
三階にある家族のリビングまで来ると、ミシェルはエリオットを振り返り唇の前に人差し指を立ててから扉を開けた。
室内は、あまりエリオットの記憶と齟齬がなかった。模様替えや調度の入れ替えはしているのだろうが、全体的な雰囲気は変わらない。そしてミシェルが言った通り、キャビネットやサイドテーブル、テレビ台の上など、至るとこに写真立てがあった。
暖炉の前に置かれた応接セットに、サイラスが背を向けて座っている。本でも読んでいるのか、少しうつむき加減で。
「ラス、とっても素敵なお客さまよ」
「お客さま? そんな予定は……」
振り返ったサイラスが、ミシェルと、半分扉に隠れたエリオットを見て瞬きをした。
「……エリオット?」
幻でも見たような顔でソファから立ち上がると、ばさりと足元に落ちた雑誌にも構わず両腕を広げる。
「エリオットか? 本当に?」
待て、これ抱擁の流れか? 無理なんですけど!
喜色満面でハグしそうになったサイラスだったが、エリオットがひるんだのは見逃さなかった。はっとして数歩手前で踏みとどまり腕をおろすと、それでもそわそわと手を結んでは開く。
「あぁ、すまない、驚いてしまって」
「いや、大丈夫……」
悲鳴を上げて卒倒する事態は回避できて、エリオットはほっとする。
目の前に立ったサイラスは、テレビで見るよりゴージャスだった。
少し癖のある赤みがかったブロンド。二重まぶたに縁取られた、吸い込まれそうな空色の瞳。なめらかにカーブを描く鼻梁と、世の女性を虜にする子どものように赤い唇。
「久しぶりだね。元気にしていたか? ずいぶん背が伸びた」
最後に会ったときはこれくらいだった、と腰のあたりで手を振るので、ミシェルと一緒に噴き出した。
「さすがにそこまでじゃない」
「そうかな」
肩をすくめたサイラスは、兄弟の再開をほほえましく見守っていたミシェルを抱き寄せる。
「驚いたよ。どんな魔法を使って連れてきてくれたのかな」
「通用口のセキュリティに止められてたのを、運よく捕まえたの」
「さすがだ」
ミシェルは婚約者の頬にキスをすると、「フェリシアさまにお知らせしてくるわね」と言って席を外した。
56
お気に入りに追加
444
あなたにおすすめの小説


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。


婚約破棄された僕は過保護な王太子殿下とドS級冒険者に溺愛されながら召喚士としての新しい人生を歩みます
八神紫音
BL
「嫌ですわ、こんななよなよした男が夫になるなんて。お父様、わたくしこの男とは婚約破棄致しますわ」
ハプソン男爵家の養子である僕、ルカは、エトワール伯爵家のアンネリーゼお嬢様から婚約破棄を言い渡される。更に自分の屋敷に戻った僕に待っていたのは、ハプソン家からの追放だった。
でも、何もかもから捨てられてしまったと言う事は、自由になったと言うこと。僕、解放されたんだ!
一旦かつて育った孤児院に戻ってゆっくり考える事にするのだけれど、その孤児院で王太子殿下から僕の本当の出生を聞かされて、ドSなS級冒険者を護衛に付けて、僕は城下町を旅立った。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる