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世話焼き侍従と訳あり王子 第三章
3-4 雨花
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パタパタと雨が布地を叩く音が近づいて来る。
傘を片手に現れたバッシュが、ベンチに座っているエリオットを見て肩の力を抜く。そしてすぐに目を吊り上げた。
「体調が優れないならそう仰ってください!」
どこかで見た傘だなと思ったら、一本だけ持っていたけど玄関に立てかけたまま、そこに置いたことも忘れていたものだ。
長いこと使われずに置いてあったからか、運動不足の体みたいに可動部の硬そうなモスグリーンの傘を閉じてガゼボに入り、バッシュは抱えてきたブランケットを差し出した。
「吐き気や、どこかに痛みは?」
起き抜けに一喝したくせに、エリオットがぼんやりしているものだから、急に心配になったらしい。片膝をついて、どんな変化も見逃さないように見つめてくる。
頼れる年上の保護者か。
エリオットはブランケットを受け取り、背中からすっぽり体を覆う。ジャージは湿気を吸って重くなっていたけど、寒いわけではない。気休めでも、バッシュとの間に壁が欲しかった。
「悪かったよ。大事な出世の道具だもんな」
「エリオット?」
「おれ、ラスの招待受けるから。あんたもう明日から来なくていい」
「急になんですか」
「別に逃げたりしないから安心しろよ。あぁ、ちゃんとあんたのことはラスに伝えておく。ご主人さまの言いつけを守るいい侍従だって」
「エリオット!」
ヒスイカズラ色の瞳から、すっと温度が消え失せる。
「あなたを出世の道具とかそんな風に思ってると、本気でお考えで?」
「毎日かいがいしく世話焼いて、懐柔して心変わりさせようとしてたじゃないか」
「あんまりにダメ人間だからでしょう。たしかに降格かもしれない。だからと言って縄でくくって担いで行こうなんてもう思っておりません。人前に出たがらない理由も分かったつもりです。だからこそ殿下に理解を得ろと申し上げたでしょう」
「ガキのときにレイプされかけて、人が怖いから行けませんって? 冗談だろう」
鼻で笑うエリオットに、バッシュは乱暴に髪をかき回す。前にも一回見た、もどかしさを持て余したときのくせなんだろう。
「……なにがお気に召さないのです」
「こっちのセリフだ。おれがやるって言っているのに、お前が止めるほうがおかしいだろう。さっさと王宮に帰って侍従長に褒めてもらえよ」
「笑えない冗談ですね」
「冗談じゃない」
立てた膝の上で握りしめられたバッシュの手は、白くなるほど力がこもって震えている。
約束なんてどうでもいい。いっそ殴ってくれないかと、陶酔すらともなう渇望が背骨を這いあがり、うなじのあたりでくすぶった。
どんな形でも、あの手に触れてみたい。
「……分かりました」
やがて、振り切るような声がした。
硬く握りしめられていた手がゆっくり開き、膝を押して立ち上がる。
「わたしもあなたも、いまは冷静ではない。あす、もう一度お話を」
ブランケットに閉じこもるエリオットを残し、バッシュは傘を持たず屋上を後にする。
けぶる空気に溶けるように輪郭が淡くなる背中から目を落とすと、雨粒に打たれて落ちたデファイリア・グレイの白い花弁が、水たまりの中で行き場をなくしてくるくる回っていた。
傘を片手に現れたバッシュが、ベンチに座っているエリオットを見て肩の力を抜く。そしてすぐに目を吊り上げた。
「体調が優れないならそう仰ってください!」
どこかで見た傘だなと思ったら、一本だけ持っていたけど玄関に立てかけたまま、そこに置いたことも忘れていたものだ。
長いこと使われずに置いてあったからか、運動不足の体みたいに可動部の硬そうなモスグリーンの傘を閉じてガゼボに入り、バッシュは抱えてきたブランケットを差し出した。
「吐き気や、どこかに痛みは?」
起き抜けに一喝したくせに、エリオットがぼんやりしているものだから、急に心配になったらしい。片膝をついて、どんな変化も見逃さないように見つめてくる。
頼れる年上の保護者か。
エリオットはブランケットを受け取り、背中からすっぽり体を覆う。ジャージは湿気を吸って重くなっていたけど、寒いわけではない。気休めでも、バッシュとの間に壁が欲しかった。
「悪かったよ。大事な出世の道具だもんな」
「エリオット?」
「おれ、ラスの招待受けるから。あんたもう明日から来なくていい」
「急になんですか」
「別に逃げたりしないから安心しろよ。あぁ、ちゃんとあんたのことはラスに伝えておく。ご主人さまの言いつけを守るいい侍従だって」
「エリオット!」
ヒスイカズラ色の瞳から、すっと温度が消え失せる。
「あなたを出世の道具とかそんな風に思ってると、本気でお考えで?」
「毎日かいがいしく世話焼いて、懐柔して心変わりさせようとしてたじゃないか」
「あんまりにダメ人間だからでしょう。たしかに降格かもしれない。だからと言って縄でくくって担いで行こうなんてもう思っておりません。人前に出たがらない理由も分かったつもりです。だからこそ殿下に理解を得ろと申し上げたでしょう」
「ガキのときにレイプされかけて、人が怖いから行けませんって? 冗談だろう」
鼻で笑うエリオットに、バッシュは乱暴に髪をかき回す。前にも一回見た、もどかしさを持て余したときのくせなんだろう。
「……なにがお気に召さないのです」
「こっちのセリフだ。おれがやるって言っているのに、お前が止めるほうがおかしいだろう。さっさと王宮に帰って侍従長に褒めてもらえよ」
「笑えない冗談ですね」
「冗談じゃない」
立てた膝の上で握りしめられたバッシュの手は、白くなるほど力がこもって震えている。
約束なんてどうでもいい。いっそ殴ってくれないかと、陶酔すらともなう渇望が背骨を這いあがり、うなじのあたりでくすぶった。
どんな形でも、あの手に触れてみたい。
「……分かりました」
やがて、振り切るような声がした。
硬く握りしめられていた手がゆっくり開き、膝を押して立ち上がる。
「わたしもあなたも、いまは冷静ではない。あす、もう一度お話を」
ブランケットに閉じこもるエリオットを残し、バッシュは傘を持たず屋上を後にする。
けぶる空気に溶けるように輪郭が淡くなる背中から目を落とすと、雨粒に打たれて落ちたデファイリア・グレイの白い花弁が、水たまりの中で行き場をなくしてくるくる回っていた。
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