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世話焼き侍従と訳あり王子 第三章

1-1 気づき

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 明け方から降り出した雨は、昼になっても弱まりを見せずに窓を叩いて落ちていく。
 こう降られては屋上へ行く気など早々に失せて、エリオットはリビングの肘掛け椅子でテレビを見ていた。

 秘密のうちの一つを打ち明けてから、互いに余計な力が抜けたと思う。

 嫌がることはしないと言った言葉通り、バッシュはどうやって見極めたのかエリオットが緊張しない距離を保って立つようになり、足音を殺して歩くのをやめた。

 エリオットも、バッシュが動くたびに神経をとがらせる必要がなくなったからか、玄関の扉を開けて自分じゃない人の気配がしても、いまは逃げ出したいと思わない。

 こんなことなら、さっさと話しておけばよかった、なんてことまで考えるくらいだ。とか言って、あんな事故みたいなことがなければ、ずっと黙っていたに違いないのだけど。

「どうぞ」

 キッチンで昼食の片づけを終えたバッシュが、ローテーブルにマグを置く。すっかりおなじみになったシュナイゼルのオリジナルブレンド。氷を二つ入れるのも忘れない。

 あのあと、バッシュは何事もなかったように侍従の顔に戻った。エリオットのきわめて個人的な事情を、彼も職務ではない私的な部分で受け止めてくれたのだと思う。

「ねぇ、あんたの実家って清掃業者かなにか?」

 抱えた膝でマグを支えて、エリオットは尋ねた。

「いいえ、父はただの公務員で母は主婦です。……何か、気になることでも?」
「持ってきた大量の清掃道具。明らかに家庭用じゃなかっただろ」

 カートに満載された洗剤は、ちらりと見ただけでも十種類以上はあったし、ほかにもモップやブラシが形状違いで何本もささっていた。それらがいかんなく力を発揮した結果、フラットの床と言う床はぴかぴかのつやつやで、バッシュがいないときを狙い、エリオットは裸足で木の質感を楽しんでいる。

「おっしゃる通り、一般の住居向けではございません。ですが、王宮にはさまざまな床材がございます。大理石、ペルシャじゅうたん、フローリング。すべてをたわしで磨くわけにはまいりません。また汚れの質によって当然使用する洗剤や道具は異なってまいります」
「で、ぜんぶ自分で買って試してるのか? コーヒーこぼしたりして?」
「ときにはガムなども。自身で掃除を行うときはもちろんですが、知識がなければメイドに間違った指示を与えかねません」

 真剣な顔でガムを張り付け、コテと洗剤を手に床に這いつくばるバッシュを想像し、がぜん愉快な気分になって来る。

「じゃあ、新しいクリーナー買ったら家に呼べ。気合を入れて汚してやる」
「汚部屋の住人の言葉は怖いですね」
「そこまで汚くなかっただろ!」
「わたしがこの部屋のために持ち込んだ清掃道具、家庭用ではないとご自分でおっしゃったのをお忘れですか」
「経年劣化だから!」

 こんな風に、冗談を言い合うことも増えた。だいたいが、エリオットが噛みついてバッシュが適当に受け流すのがお決まりだ。いちいち動じないところは、なんとなく大型犬みたいだなと思った。人懐っこいわけじゃなく、一匹でゆったり寝そべってくつろいでいる感じの。

 でも、デカい口でガッて来るときはオオカミっぽいな。

 人は誰しも、さまざまな顔を使い分けて生活している。バッシュの場合は礼節が服を着ているような侍従の顔と、上昇志向を隠さず人並みに口が悪い素の顔とのギャップが大きすぎるが、エリオットだってマイルズやゴードン相手にはそれなりに殊勝な態度で接する。

 ラスにも、そう言うのがあるのかな。

 サイラスは、いつも誰にでも鷹揚な理想の王子さま、理想の兄の顔をしていた。訪問先で握手しすぎて腕がだるいなとか、パパラッチのカメラがウザいなとか、そう言うことを思ったりすることがあるのだろうか。

 エリオットがうつむいてばかりいなければ、もしかしたらもっと別の顔が見られたのかもな、と思う。「さっきの子爵夫人見た? 爪が尖りすぎて刺さるかと思った」とか「あの市長のスピーチが何分続くか賭けようか」とか、そんな内緒話もできたかもしれない。

 卑屈になって人目を避けていたエリオットは、他人だけでなく家族の顔すらちゃんと見てこなかったのだ。

 いまさらだけどな。
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