33 / 332
世話焼き侍従と訳あり王子 第三章
1-1 気づき
しおりを挟む
明け方から降り出した雨は、昼になっても弱まりを見せずに窓を叩いて落ちていく。
こう降られては屋上へ行く気など早々に失せて、エリオットはリビングの肘掛け椅子でテレビを見ていた。
秘密のうちの一つを打ち明けてから、互いに余計な力が抜けたと思う。
嫌がることはしないと言った言葉通り、バッシュはどうやって見極めたのかエリオットが緊張しない距離を保って立つようになり、足音を殺して歩くのをやめた。
エリオットも、バッシュが動くたびに神経をとがらせる必要がなくなったからか、玄関の扉を開けて自分じゃない人の気配がしても、いまは逃げ出したいと思わない。
こんなことなら、さっさと話しておけばよかった、なんてことまで考えるくらいだ。とか言って、あんな事故みたいなことがなければ、ずっと黙っていたに違いないのだけど。
「どうぞ」
キッチンで昼食の片づけを終えたバッシュが、ローテーブルにマグを置く。すっかりおなじみになったシュナイゼルのオリジナルブレンド。氷を二つ入れるのも忘れない。
あのあと、バッシュは何事もなかったように侍従の顔に戻った。エリオットのきわめて個人的な事情を、彼も職務ではない私的な部分で受け止めてくれたのだと思う。
「ねぇ、あんたの実家って清掃業者かなにか?」
抱えた膝でマグを支えて、エリオットは尋ねた。
「いいえ、父はただの公務員で母は主婦です。……何か、気になることでも?」
「持ってきた大量の清掃道具。明らかに家庭用じゃなかっただろ」
カートに満載された洗剤は、ちらりと見ただけでも十種類以上はあったし、ほかにもモップやブラシが形状違いで何本もささっていた。それらがいかんなく力を発揮した結果、フラットの床と言う床はぴかぴかのつやつやで、バッシュがいないときを狙い、エリオットは裸足で木の質感を楽しんでいる。
「おっしゃる通り、一般の住居向けではございません。ですが、王宮にはさまざまな床材がございます。大理石、ペルシャじゅうたん、フローリング。すべてをたわしで磨くわけにはまいりません。また汚れの質によって当然使用する洗剤や道具は異なってまいります」
「で、ぜんぶ自分で買って試してるのか? コーヒーこぼしたりして?」
「ときにはガムなども。自身で掃除を行うときはもちろんですが、知識がなければメイドに間違った指示を与えかねません」
真剣な顔でガムを張り付け、コテと洗剤を手に床に這いつくばるバッシュを想像し、がぜん愉快な気分になって来る。
「じゃあ、新しいクリーナー買ったら家に呼べ。気合を入れて汚してやる」
「汚部屋の住人の言葉は怖いですね」
「そこまで汚くなかっただろ!」
「わたしがこの部屋のために持ち込んだ清掃道具、家庭用ではないとご自分でおっしゃったのをお忘れですか」
「経年劣化だから!」
こんな風に、冗談を言い合うことも増えた。だいたいが、エリオットが噛みついてバッシュが適当に受け流すのがお決まりだ。いちいち動じないところは、なんとなく大型犬みたいだなと思った。人懐っこいわけじゃなく、一匹でゆったり寝そべってくつろいでいる感じの。
でも、デカい口でガッて来るときはオオカミっぽいな。
人は誰しも、さまざまな顔を使い分けて生活している。バッシュの場合は礼節が服を着ているような侍従の顔と、上昇志向を隠さず人並みに口が悪い素の顔とのギャップが大きすぎるが、エリオットだってマイルズやゴードン相手にはそれなりに殊勝な態度で接する。
ラスにも、そう言うのがあるのかな。
サイラスは、いつも誰にでも鷹揚な理想の王子さま、理想の兄の顔をしていた。訪問先で握手しすぎて腕がだるいなとか、パパラッチのカメラがウザいなとか、そう言うことを思ったりすることがあるのだろうか。
エリオットがうつむいてばかりいなければ、もしかしたらもっと別の顔が見られたのかもな、と思う。「さっきの子爵夫人見た? 爪が尖りすぎて刺さるかと思った」とか「あの市長のスピーチが何分続くか賭けようか」とか、そんな内緒話もできたかもしれない。
卑屈になって人目を避けていたエリオットは、他人だけでなく家族の顔すらちゃんと見てこなかったのだ。
いまさらだけどな。
こう降られては屋上へ行く気など早々に失せて、エリオットはリビングの肘掛け椅子でテレビを見ていた。
秘密のうちの一つを打ち明けてから、互いに余計な力が抜けたと思う。
嫌がることはしないと言った言葉通り、バッシュはどうやって見極めたのかエリオットが緊張しない距離を保って立つようになり、足音を殺して歩くのをやめた。
エリオットも、バッシュが動くたびに神経をとがらせる必要がなくなったからか、玄関の扉を開けて自分じゃない人の気配がしても、いまは逃げ出したいと思わない。
こんなことなら、さっさと話しておけばよかった、なんてことまで考えるくらいだ。とか言って、あんな事故みたいなことがなければ、ずっと黙っていたに違いないのだけど。
「どうぞ」
キッチンで昼食の片づけを終えたバッシュが、ローテーブルにマグを置く。すっかりおなじみになったシュナイゼルのオリジナルブレンド。氷を二つ入れるのも忘れない。
あのあと、バッシュは何事もなかったように侍従の顔に戻った。エリオットのきわめて個人的な事情を、彼も職務ではない私的な部分で受け止めてくれたのだと思う。
「ねぇ、あんたの実家って清掃業者かなにか?」
抱えた膝でマグを支えて、エリオットは尋ねた。
「いいえ、父はただの公務員で母は主婦です。……何か、気になることでも?」
「持ってきた大量の清掃道具。明らかに家庭用じゃなかっただろ」
カートに満載された洗剤は、ちらりと見ただけでも十種類以上はあったし、ほかにもモップやブラシが形状違いで何本もささっていた。それらがいかんなく力を発揮した結果、フラットの床と言う床はぴかぴかのつやつやで、バッシュがいないときを狙い、エリオットは裸足で木の質感を楽しんでいる。
「おっしゃる通り、一般の住居向けではございません。ですが、王宮にはさまざまな床材がございます。大理石、ペルシャじゅうたん、フローリング。すべてをたわしで磨くわけにはまいりません。また汚れの質によって当然使用する洗剤や道具は異なってまいります」
「で、ぜんぶ自分で買って試してるのか? コーヒーこぼしたりして?」
「ときにはガムなども。自身で掃除を行うときはもちろんですが、知識がなければメイドに間違った指示を与えかねません」
真剣な顔でガムを張り付け、コテと洗剤を手に床に這いつくばるバッシュを想像し、がぜん愉快な気分になって来る。
「じゃあ、新しいクリーナー買ったら家に呼べ。気合を入れて汚してやる」
「汚部屋の住人の言葉は怖いですね」
「そこまで汚くなかっただろ!」
「わたしがこの部屋のために持ち込んだ清掃道具、家庭用ではないとご自分でおっしゃったのをお忘れですか」
「経年劣化だから!」
こんな風に、冗談を言い合うことも増えた。だいたいが、エリオットが噛みついてバッシュが適当に受け流すのがお決まりだ。いちいち動じないところは、なんとなく大型犬みたいだなと思った。人懐っこいわけじゃなく、一匹でゆったり寝そべってくつろいでいる感じの。
でも、デカい口でガッて来るときはオオカミっぽいな。
人は誰しも、さまざまな顔を使い分けて生活している。バッシュの場合は礼節が服を着ているような侍従の顔と、上昇志向を隠さず人並みに口が悪い素の顔とのギャップが大きすぎるが、エリオットだってマイルズやゴードン相手にはそれなりに殊勝な態度で接する。
ラスにも、そう言うのがあるのかな。
サイラスは、いつも誰にでも鷹揚な理想の王子さま、理想の兄の顔をしていた。訪問先で握手しすぎて腕がだるいなとか、パパラッチのカメラがウザいなとか、そう言うことを思ったりすることがあるのだろうか。
エリオットがうつむいてばかりいなければ、もしかしたらもっと別の顔が見られたのかもな、と思う。「さっきの子爵夫人見た? 爪が尖りすぎて刺さるかと思った」とか「あの市長のスピーチが何分続くか賭けようか」とか、そんな内緒話もできたかもしれない。
卑屈になって人目を避けていたエリオットは、他人だけでなく家族の顔すらちゃんと見てこなかったのだ。
いまさらだけどな。
48
お気に入りに追加
437
あなたにおすすめの小説
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
愛玩人形
誠奈
BL
そろそろ季節も春を迎えようとしていたある夜、僕の前に突然天使が現れた。
父様はその子を僕の妹だと言った。
僕は妹を……智子をとても可愛がり、智子も僕に懐いてくれた。
僕は智子に「兄ちゃま」と呼ばれることが、むず痒くもあり、また嬉しくもあった。
智子は僕の宝物だった。
でも思春期を迎える頃、智子に対する僕の感情は変化を始め……
やがて智子の身体と、そして両親の秘密を知ることになる。
※この作品は、過去に他サイトにて公開したものを、加筆修正及び、作者名を変更して公開しております。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
迷子の僕の異世界生活
クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。
通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。
その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。
冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。
神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。
2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる