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世話焼き侍従と訳あり王子 第一章
3 悪夢の再生
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――あぁ、夢だな。
必死で走りながら、エリオットは冷静に自覚していた。
ぼろぼろとみっともなく涙をこぼしながら、今より細いもやしみたいな足で、建物全体が美術館とも言われる豪奢な装飾を施された廊下を走って行く十二歳の自分。
怖い、痛い、そんな思いが頭を埋め尽くすのに、どこか別のところで二十三歳のエリオットが「バカだな」と薄暗い廊下の先を眺めている。
ひとつの画面で、主音声と副音声を同時に流しているような感覚に、頭が痛くなってくる。この場合、痛い頭はどちらのエリオットのものだろう。
赤ん坊のころから、人見知りが激しかったらしい。両親と兄以外に抱かれると何時間でも泣き叫んで熱を出すから、乳母もつけられなかったと聞いた。サイラスが理想の王子さまのまま育ったように、怖がりで人見知りのエリオットは引っ込み思案であがり症に育った。
快活で聡明な兄と、おどおどしてどんくさい弟。家庭教師をはじめ、無責任な貴族たちはこぞって兄を誉めそやし、エリオットを嘲笑した。兄弟が並んでいると、決まってこう言うのだ。
「さすがはサイラスさま。けど、エリオットさまはちょっとねぇ……」
みんなが自分を値踏みしていると思うと体が震え、頭が真っ白になって話もできない。心配して顔をのぞき込まれようものならパニックだ。ろくに息ができずにひっくり返ったのも両手の指じゃとうてい足りなくて、次もまたひどい失敗をするんじゃないかと、ますます人前に出られなくなる見事なまでの悪循環。
二十四時間、侍従やメイドが控えていて、頻繁に貴族連中や議員たちとすれ違う王宮は、エリオットにとって心の休まらない場所だった。
だれとでも普通に話ができ、王宮前の広場を埋め尽くす群衆に笑顔で手を振る両親と兄は、絶対に自分とは血がつながっていない。きっとエリオットはどこか別の星からやってきた宇宙人で、たまたま第二王子とよく似ていたから、なにかの間違いで取り違えられてしまったのだと子どものころは本気で信じていた。
どうしようもない臆病が、最悪の出来事を招いたのが、十二歳のまさにこの夜。
――バカだなお前、いくら取り返しのつかないことを引き起こしたって、こんなところへ逃げるなんて。
吐いた息が熱くて、視界がぼやける。したたかに打ち付けた左腕が痛い。でも、サイラスはもっと痛かったはずだ。『怖いなら、手をつないであげるよ』なんて、バカな弟をかばわなければ、そしてエリオットが甘えなければ、こんなことにならなかったのに。
震える手が真鍮のドアノブを掴む。金で縁取られた白い扉。ノブは象の姿がかたどられていた。
体当たりする勢いでドアを開け、エリオットは中に飛び込んだ。物置か、使用人の待機場所だったと思う。小窓がひとつあるきりで、照明もない小さな部屋。これからどうしたらいいのか、なにも分からなかった。ただ、大変なことをしてしまったと言う焦りと恐怖から逃げたくて、部屋の隅で声を殺して泣いていた。そうしたら――。
――いやだ。この先は見たくない。自分の夢だろ。主音声も副音声もいらない。電源を切らせてくれ。
小部屋に逃げ込んでからどれくらい経ったか。ぎぎっと金具を軋ませて、象のドアノブが回る。エリオットが開けたとき、そんな不吉な音はしなかったのに。
スローモーションのようにドアが開き、黒い影が膝を抱えたエリオットに覆いかぶさった。
「あぁ、見つけた――リオ」
必死で走りながら、エリオットは冷静に自覚していた。
ぼろぼろとみっともなく涙をこぼしながら、今より細いもやしみたいな足で、建物全体が美術館とも言われる豪奢な装飾を施された廊下を走って行く十二歳の自分。
怖い、痛い、そんな思いが頭を埋め尽くすのに、どこか別のところで二十三歳のエリオットが「バカだな」と薄暗い廊下の先を眺めている。
ひとつの画面で、主音声と副音声を同時に流しているような感覚に、頭が痛くなってくる。この場合、痛い頭はどちらのエリオットのものだろう。
赤ん坊のころから、人見知りが激しかったらしい。両親と兄以外に抱かれると何時間でも泣き叫んで熱を出すから、乳母もつけられなかったと聞いた。サイラスが理想の王子さまのまま育ったように、怖がりで人見知りのエリオットは引っ込み思案であがり症に育った。
快活で聡明な兄と、おどおどしてどんくさい弟。家庭教師をはじめ、無責任な貴族たちはこぞって兄を誉めそやし、エリオットを嘲笑した。兄弟が並んでいると、決まってこう言うのだ。
「さすがはサイラスさま。けど、エリオットさまはちょっとねぇ……」
みんなが自分を値踏みしていると思うと体が震え、頭が真っ白になって話もできない。心配して顔をのぞき込まれようものならパニックだ。ろくに息ができずにひっくり返ったのも両手の指じゃとうてい足りなくて、次もまたひどい失敗をするんじゃないかと、ますます人前に出られなくなる見事なまでの悪循環。
二十四時間、侍従やメイドが控えていて、頻繁に貴族連中や議員たちとすれ違う王宮は、エリオットにとって心の休まらない場所だった。
だれとでも普通に話ができ、王宮前の広場を埋め尽くす群衆に笑顔で手を振る両親と兄は、絶対に自分とは血がつながっていない。きっとエリオットはどこか別の星からやってきた宇宙人で、たまたま第二王子とよく似ていたから、なにかの間違いで取り違えられてしまったのだと子どものころは本気で信じていた。
どうしようもない臆病が、最悪の出来事を招いたのが、十二歳のまさにこの夜。
――バカだなお前、いくら取り返しのつかないことを引き起こしたって、こんなところへ逃げるなんて。
吐いた息が熱くて、視界がぼやける。したたかに打ち付けた左腕が痛い。でも、サイラスはもっと痛かったはずだ。『怖いなら、手をつないであげるよ』なんて、バカな弟をかばわなければ、そしてエリオットが甘えなければ、こんなことにならなかったのに。
震える手が真鍮のドアノブを掴む。金で縁取られた白い扉。ノブは象の姿がかたどられていた。
体当たりする勢いでドアを開け、エリオットは中に飛び込んだ。物置か、使用人の待機場所だったと思う。小窓がひとつあるきりで、照明もない小さな部屋。これからどうしたらいいのか、なにも分からなかった。ただ、大変なことをしてしまったと言う焦りと恐怖から逃げたくて、部屋の隅で声を殺して泣いていた。そうしたら――。
――いやだ。この先は見たくない。自分の夢だろ。主音声も副音声もいらない。電源を切らせてくれ。
小部屋に逃げ込んでからどれくらい経ったか。ぎぎっと金具を軋ませて、象のドアノブが回る。エリオットが開けたとき、そんな不吉な音はしなかったのに。
スローモーションのようにドアが開き、黒い影が膝を抱えたエリオットに覆いかぶさった。
「あぁ、見つけた――リオ」
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