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世話焼き侍従と訳あり王子 第一章

2-1 秘密の花園

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 ようやくエリオットが肘掛け椅子から足を下ろしたのは、正午を回ってからだった。

 バッシュが訪ねてきたのが十時すぎ。滞在時間は三十分もなかったはずだから、ひとりになってから一時間半も合皮のクッションに引きこもっていたことになる。
 予告なしで初対面の人間を相手にしたことを思えば上出来だ。二か月前、設備点検の業者が数人で上がり込んできたときには半日寝込んだ。

 冷凍パスタを電子レンジに入れる気力もなく、エリオットは冷蔵庫を開けて買い置きしてあるゼリータイプの栄養食をひとつ掴むと、キーボックスから小さい鍵束を外して玄関を出る。

 五階建てのフラットは、各階に四部屋の計二十世帯が入っている。オーナーの部屋は最上階の角。古い建物でエレベーターがないのがつらいと上層階の住人が愚痴をこぼしているらしいけど、エリオットは週に一度くらいしか一階まで下りないのでさほど不便は感じない。食料品や水、土などを頻繁に運び上げる配送業者には恨まれているかもしれないが、彼らはそれが仕事なので頑張ってもらっている。

 向かったのは下界へ続く階段とは逆方向、エリオットの部屋の前を通り過ぎた突き当りにある、鉄製の扉だ。ところどころねずみ色のペンキが浮いた扉には、味気ない『立ち入り禁止』のプレートが張り付けてある。
 見るまでもなく、手触りだけで束から選び出した一本を鍵穴に差し込み半回転。
 かちりと歓迎の音が鳴った。

 体重をかけて重い扉を開け、外壁から突き出すように生える階段をのぼると、一気に視界が開ける。市街は景観保護のために建造物の高さが規制されているから、太陽の光を遮る隣家も不躾に見下ろす者もいない、外周をぐるりとフェンスに囲まれた屋上がエリオットの庭だ。

 バーベキュー用の芝生なんてはなから敷くつもりはなく、わざわざ専門の業者に頼んで排水や耐荷重の問題を片付け、土を入れて作ったのはイングリッシュガーデンと育苗用のハウスと作業小屋。

 階段からゆったりとラウンドする遊歩道をはさむ花壇には、大きくなりすぎない木を背景にして一年中開花が途切れないように気を付けている。今の時期は春から初夏にかけての橋渡しシーズンだから、地植え(屋上だが)はグリーンが多い印象だ。地上を歩く人たちは、都心のフラットにこんな場所があるなんて思いもしないだろう。
 ドローンでも飛ばさない限り見つからない、秘密の花園だ。世間一般ではニートでも、エリオットはこの花園を管理する王さまで、植物たちに気を配る召使でもあった。

 もう少ししたら花壇に移すラベンダー、デルフィニウム、ラナンキュラスが待機しているコンテナの間を歩き、エリオットはやっと深呼吸した。太陽に温められた土と、葉を茂らせる緑の匂い。たった一階分違うだけなのに、ここの空気は部屋で吸うものよりずっと酸素が多い。眠気さえ誘うような陽気で鼻腔を満たしながら、そう言えばあの男はクローゼットの匂いがしたな、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。

 遊歩道を外れて、エリオットは鉄くさいフェンスにもたれかかった。
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