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18話 お義母様は最強です?
しおりを挟むクリスティアン様が帰宅した。
相変わらずいつ見ても麗しいお姿だ。
表情のない目元もほんのり赤みを帯びた唇も、濡羽色の黒髪の先まで色気成分で艶々している気がする。
外出用の外套を脱ぎながら、チラリと向けられた流し目にドキッとする。
「クリス、お帰りなさい。」
「お帰りなさいませ、クリスティアン様。」
お義母様と共にクリスティアン様の帰宅を玄関でお出迎え。
お茶をご一緒していた際にお義母様が浮かべたイイ笑顔を思い出すと、正直なところクリスティアン様のこの後がとっても心配である。
私が余計な事を言ったばかりに―――
まさかクリスティアン様が考案していたお仕事なんて思わないですよ……。
それ以外の仕事内容を教えて貰ってないから、それしか話せなかったのだし仕方ない、よね?
かすかな罪悪感に蓋をして、開き直ることにした。
ライアンさんがクリスティアン様の外套を受け取って自分の左腕に掛け持つ。
「君の元へ帰ってきたよ、美しい人。」
プルメリアの傍に音も立てずに近づき、その丸く柔らかな頬に素早く頬にキスをする。
「っ!?」
その一連の動作があっという間過ぎて予想もしていなかったので身構える暇もなかった。
顔に熱が集まったのが分かる。
プルメリアは全身が真っ赤で大変みっともない状態になったような気がした。
その姿をお義母様やライアンさんや使用人の方々に見られてしまったと思うと、プルメリアは恥ずかしさに居た堪れなくなる。
流れるような自然な動きで頬にキスをされたプルメリアはクリスティアンが相当に色恋に慣れた人なのだと実感した。
(クリスティアン様は見られることに慣れてるかもしれないけれど、私はそうじゃないんですからね!)
プルメリアは先ほどの出来事を隠すように、キスされた頬を手で覆った。
「私の美しい人は初心で大変愛らしいな。……さて、父も居ないのに母上がこの場にいるということは、ただのお出迎えではないですよね。私に何かお話でも?」
「まぁ、貴方の美しいお母様にも帰宅の挨拶もキスもないのかしらぁ?」
皮肉たっぷりな言葉の後、お義母様は優美な仕草で自分の右頬をトントンと叩いてみせる。
「ご冗談を。ただいま帰りました。それで、何か?」
クリスティアン様は肩を竦めてお義母様の皮肉を躱すと、せっつくように問いかける。
それを面白くなさそうな表情をして眺めた後「面白味のない男はモテないわよ」と終わらせた。
「そうね、今はプルちゃんとのラブシーンをもう少し見ていたいから、私のことは後回しでいいわ。」
えっ!?
親子二人の会話を呑気に訊いていたプルメリアに流れ弾が当たる。
「いえいえいえ! もう限界です。お腹いっぱいですお義母様!」
「あら、残念。クリスと触れ合う耐性をもう少し付けておかないと、初心過ぎて婚姻後の色々が心配になるわね。クリスはね旦那様に色々似てるの。だから、きっと手加減とマテを知らないタイプだと思うのよね。それには、今から少しずつ慣れておくのがいいと思うのだけど」
マテと手加減を知らないとは、何に対してだろうか。
お義母様が不穏な話をしていらっしゃる。
しかし――
それは、この婚約がこのまま続行されたらの話である。
どう答えても色々と墓穴を掘らされそうなので、プルメリアは「ふふふ」と、笑っておくだけにした。
「ラブシーンはプルちゃんがお腹いっぱいらしいから、今日のところはいいわ。クリス、ここでしたい話でもないの。貴方の執務室でたっぷりお話しましょうね。お母様ね、貴方はもう少し賢い子だと思っていたのよ、本当にいろいろと。勿論、ライアンも一緒よ。さぁ、行きましょう?」
お義母様の顔が一瞬悪魔に見えた気がしたけれど、幻覚だったのだろう。
クリスティアン様のお顔の色が青い気がするけれど……幻覚よね。
あれ、ライアンさんの額に汗が……?
「お、お義母様!」
「なあに? 私の可愛いプルちゃん」
「お手柔らかにお願いします! 元はといえば私の失言からいろいろと……」
お二人が何だか可哀想になってしまって、歩き出したお義母様を失礼ながら呼びかけてまでお願いしてしまった。
「まぁ! プルちゃんは優しいのね……私、ますます貴女の事が大好きになっちゃったわ。」
女神様のような顔で大輪の華のような笑顔を浮かべるお義母様は、顔色の悪いクリスティアン様とライアン様を引きつれて行ってしまった。
ドナドナドーナドーナー……。
有名なメロディが頭の中で再生される。
(クリスティアン様にライアンさん……私のこと恨まないでくださいね……)
お義母様に説教なり叱られるなりした後のクリスティアン様に、今度は私が怒られるとか勘弁して欲しいのである。
♦♢♦♢♦♢
報復か何かを心配していたがそれはプルメリアのただの杞憂に終わり、その後の晩餐も何事もなく終わったのだった。
心配していたクリスティアン様の顔色はすっかり元通りになっており、食欲が減退する事もなく静かにお食事をされていた。
ただ時々考え事に耽っているのか、時折カトラリーを持つ手が止まったりしていて口数も前回よりも極端に少なかったように思う。
大人になってから親にされた説教の後って何か色々考えたくなるものなのだろう。
うん、そういうものだと思う、たぶん。
クリスティアン様とは反対にお義母様がやけに機嫌が良く饒舌で、晩餐の席がお通夜状態にならなくて済んだのだけが救いである。
湯浴みを済ませた私は、毎日徹底するように厳命されていた髪の手入れとお肌の手入れをメイドたちにしてもらった後、指導された軽めのストレッチをいくつかこなす。
淑女の道も一歩から。美は一日にしてならず。地道にコツコツと毎日続けることが大切だときつく指導されていたので、伯爵家にいた時のように己を疎かにしないと誓っている。(だってサボったらすぐわかるらしいし、コワイので)
そして、あっという間に就寝時間になった。
就寝時間すら今までのプルメリアからすれば少し早めなのだが、この時間から睡眠を取る事が美容にいいらしい。
レイチェルに寝支度を手伝って貰った後、ベッドに寝転ぶとお義母様に渡された本を手に取る。
「しっかり目を通しておくのよ」と言われて渡されたこの本……まだ眠気も無い事だし、眠たくなるまでもう少し起きて読む事にした。
「何てタイトルなのかしら……」
「男を堕とす千の手練手管」というタイトルはお義母様に渡された本である。
渡された時にはタイトルをよく見ておらず、すぐにレイチェルが私から受け取ったので気づいてなかった。
男を堕とすって、落じゃなくて堕とすというところが普通じゃない内容な気がして、開くことに躊躇いが生じる。
……嫡男と婚約関係にいる義娘に読むように言う本のタイトルじゃない気が。
やっぱり公爵家だからかしら――――
ライアンさんに語られた歴史はとっても刺激的だった。色んな意味で。
「正直、お義母様は私をどうしようとしているのか分からないわ……」
広い寝室のベッドの上、プルメリアの声だけがポツンと響く。
開かないことには読めないので、気合いを入れて最初のページを捲り、読み始めることにした。
なになに―――
老いも若きもどんな男性に共通していること。それは、さり気ないボディータッチが大変に効果的であるということ。
男性というものは女性にさり気なく触れられる事で「気があるかもしれない」と、触れてきた相手を無意識にでも意識するようになる。
一度の接触では慎重な男性ならば勘違いかもしれないと考えてしまうかもしれないが、それが何度も続いていくうちに、それらが積み重なって男性の確信へと変わっていくはずだ。
男という性を持つ限りお相手の女性が性的にいけそうだと思った瞬間、しっかりと張っていたはずの様々なガードが緩くなるだろう。
その緩んだ所を決して見逃すことなく、さまざまな技巧で刺激し続け最終的には完全に貴女に堕とす方法をお教えするのがこの指南書の目的である。
ん、んんー?……な、なるほど?
冒頭で本の中身の八割が察せられた。
これは私が読んでるのがバレてしまったら、とっても恥ずかしい類の本に違いない。
お義母様、もしかしてコレを私がクリスティアン様に実践するようにって事で渡してきたの!?
万が一私がこの本の内容を実践出来たとして、初歩の段階で肉食獣化したクリスティアン様に、見事に骨の髄までしゃぶられる未来しか浮かばないんですけど……。
あの、サインさせられた部屋での爛々と輝いた瞳で見下ろされた時のように、知識だけしか持たない私はやりたい放題されると思います。
「…………。」
次のページを捲るまえに、プルメリアはパタンと本を閉じた。
お義母様には大変申し訳ないけれど、これは読むだけの本ね。
クリスティアン様に実践するのはナシのナシナシだわ。
万が一いつか実行する機会に恵まれたとするなら、クリスティアン様みたいな百戦錬磨の肉食な方にではなく、草食系の初心な殿方とかならば、私でもアリだと思う。
主導権を握って冷静に進められそうだもの。
この破廉恥極まりない本は、誰も居ない就寝時間前にひっそりと読むだけ読んで色々学ぶことにしよう。
それを実践するのはこの婚約がダメにならない限りはすることはないと思うのだった。
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