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13話 これが公爵家の婚約者教育です。

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 淑女失格の姿だと私でも分かっているの。

 でも、も、もう、無理…………

 公爵家から与えられた私室のソファーで、私はぐったりと横になっていた。
 領地で子供の頃からお手伝いとは名ばかりの菜園の土いじりから始め、後に畑で鍬振るっていた自分の筋力を、私は何処か過信していたのかもしれない……



 ♦♢♦♢♦♢



 おひとり様での美味しい朝食を堪能した後に向かった図書室で待っていたのは、何となく予想はしていたけれど、ライアンさんだった。

 公爵家の歴史を掻い摘んでとはいえ話してくれた彼はとても誇らしそうだった。
 何なら、熱弁を奮っているライアンさんの近くで気怠そうに足を組み座っている次期当主のクリスティアン様よりも、公爵家に対して並々ならぬ思い入れがあるように思う。
 だからと予想出来たというか、きっと喜んで私への講師役を引き受けそうだったというか。
 ライアンさんが次期公爵夫人になる人の教育を取り仕切りそうだなという気がした。

 既に図書室で待っていたライアンさん。

「お待たせしてしまいましたか?」

 ライアンさんの姿を見て慌てた私はさらに足早に近づく。

「私が楽しみで早く来てしまっただけですので、お気遣いなく。」

 とライアンさんは上機嫌な様子で微笑んだ。

 楽しみだったんだ……公爵家に本当に思い入れがあるんだな。
 勤め先とはいえここまでの思いを持つには何かあるんだろうけど、それは何だろう? ライアンさんはクリスティアン様の専属従者だし、公爵家の歴史の表も裏も知る存在ということは、もしかしたらライアンさん一族総出で公爵家に勤めてるとかいう強い関わりがあるのかも。

 図書室の中、朝というよりは昼近いこの時間に和やかな雰囲気の中で語られる公爵家の歴史。
 内容に和やかさは一切ない物だったが。
 諜報活動・影の護衛・他国の間者を捕縛し拷問や暗殺、奸計を企む貴族の粛清など――――
 血生臭くない物を見つける方が難しい内容。
 中央に接点もなく国の政治との関わりも一切ない我が家は王国の暗い部分とは無縁の世界を生きてたんだな。

 こ、こわー…
 私、ちゃんと真剣な顔を保持出来ていただろうか。
 嬉々として語っているライアンさんも薄ら寒く感じるが語られる内容が一番怖く、終始表情筋が引き攣らないようにと必死だった。
 実際には一時間半程で解放されたのだが、私の体感では六時間くらい拘束されて伝えられていたように精神的に疲労している。

 少しの休憩を挟み、次に向かったのは小ホール。
 淑女教育が中途半端な私は初歩からの再教育ということで、まず歩く所作や立ち姿のレッスン、クリスティアン様とどんな曲でも華麗に踊れるようにダンスレッスン等をする場所になるらしい。
 小規模な夜会でも開く為の場所なのかなと考えながらその場所に到着した。

「・・・・・」

 昨日、公爵家に到着する前に馬車で通った森にも驚いたし、想像の十倍は大きな屋敷にも驚愕したので、もう何があっても驚かないなと考えていたが、小ホールと言われて案内された場所が大よりの中ホールって知ってその広さに驚いた。
 桁違いの財力が背景にあると、内装も規模も私基準では全て桁違いになるんだなと実感した。
 ちょっとした夜会でも開けそうな広さ、頭上には燦然と光輝く美しいシャンデリアが入口手前と中央と、それから奥にと三つも設置されている。
 今はライトアップされていない為、等間隔で配置された縦長の窓側から自然な陽の光が射し込んでいる。美しくカットされたクリスタルが連なったシャンデリアは、高位貴族でもせいぜいひとつ設置出来ればいいような高価な代物そうだ。

「・・・・・」

 私はもう公爵家の贅が凝らされる全てにもう何も言うまいと口を噤んだ。

 そこで紹介されたのは、ダンスとウォーキングの講師のランデス伯爵夫人と、所作と立ち姿や食事中やお茶会中のマナーレッスン講師のヨミクス侯爵夫人のお二人。
 包容力と優しさを持った面倒見がよく、私と少々年齢差が高めのお姉さまって感じだった第一印象。
 その印象はレッスンが始まりガラリと雰囲気を変えた二人のイメージは鬼と悪魔に変わった。
 畑を耕す毎日を年単位で行っていた私は体力と筋力だけはあると自負していた。
 そんな私のプライドはお二人の前ではバッキバキのボッキボキだ。

 使う筋肉が根本から違っているのか、美しい姿勢をキープするだけでも体の色んな所がプルップルするのだ。
 ただ足を交互に出して歩けばいいという訳ではなく、自分の頭に数冊の本を乗せ落とさないように気をつけながら体幹を意識して歩く。
 どこかで見た様な既視感のあるレッスン。
 出来ないのは当然でこれから学ぶぞとやる気に満ち溢れていたので、私も本をバサバサ落としてランデス伯爵夫人の眉間に皺がいくつも刻まれようとも頑張れた。

「プルメリア様は、体幹だけでなく筋力も足りないようね」

 ランデス伯爵夫人の一言で、そこから筋トレの嵐。
 これが本気で死ぬほど相当キツイ。
 衝立の向こうでわざわざ着替えさせられたのは、男性のラフな服装に似たシャツとズボン。
 私が着替えて衝立から出てくると、いつの間にかランデス伯爵夫人も同じ服装に着替えていて「さぁ! 良質な筋肉を作るわよ! 私の真似をするように」と、これまたどこかで見たようなテンションになり腕立てを始めた。

 腕立て、腹筋、スクワット、うつ伏せになり上半身だけを起こすポーズをしてキープなど( ちょっとヨガのポーズに似ていた )、次々とランデス伯爵夫人考案の筋トレメニューやらされる。
 勿論、休憩などという甘ったれな人間の逃げ道時間などありはしない。

 貧弱な貴族令嬢とはレベルが違う筋肉量と体力だと思い上がっていたプライドをボキボキ折られた私はすでに息が上がる。精神が体に影響でも及ぼしているのか、それともランデス伯爵夫人の考案した筋トレがヤバいのか……。
 も、もう無理…と上半身が沈み起き上れない私。
 しかしそこで「初回ですし仕方ありませんね。それでは今日はここまでに」とはならないのがランデス伯爵夫人らしい。
 私がやり遂げるまで終わらないし終われない。ここは軍隊か。
 妙な錯覚すら覚えつつ、筋トレ地獄を終わらせて休みたい一心で何とかやり遂げた。

 その後に待っていたのは―――
 マナーレッスンの講師、ヨミクス侯爵夫人である。

 もう全身ぷるっぷるで足腰はガックガクで、まともにティーカップすら持ち上げられそうにない状態。
 ティーカップの中身全部零しそうですよ……。
 そんな私の状態を眺めているヨミクス公爵夫人。
 それを分かったうえで「今日は止めておきましょう」にはならない鬼っぷり。

 案の定ぷるっぷるに震える私の腕と手。
 その状態を鑑みて零さないようにと配慮されたお茶の量になったティーカップ。
 何とか指を柄に通して持ち上げるが、零すことはなくともティーカップ内のお茶は嵐の海の波のようにザブンザブンと揺れている。

 ソーサーから持ち上げる時、不躾にもカチャカチャと音を立ててしまうし、その音にヨミクス侯爵夫人の眉がピクリと跳ねたのも見てしまった……。
 高位貴族夫人が不快を感じる時の能面のような表情が今夜の悪夢に出てきそう。

 どうしても所作が雑になってしまうのを見てヨミクス侯爵夫人が「お茶は今日はもういいでしょう」と諦めて下さった。

 ああ、これでやっと解放されると思った私、甘すぎた。
 勿論解放なんてされるわけがない。

 その後は、背筋を綺麗に伸ばした優雅で美しい立ち姿の維持や、淑女の鉄壁な微笑みの浮かべ方、物を取るときのそれぞれの指先の角度まで、様々な事をダメだしされながら所作レッスンを受けたのだった。

 もはやぎこちない微笑みを浮かべたままの屍へと私がなったころ、お二人は「また明後日お会いしましょう」と言ってお帰りなった。

 明後日までという短い時間であるが、やっと解放されたのだった。

 私が今まで伯爵家で学んできたレッスンって何だったんだろうか。
 お母様が用意して下さった講師から学んだ淑女教育は、今日のレッスンの後では子供のままごとみたいなレベルだったと思わされる。
 学んでいた期間はお母様が亡くなってしまうまでだったから、子供だった私への教育レベルなんてそんなものだったのかもしれないとは思うが、それにしても指先まで徹底しなければならないのにはとても驚いた。もしかしたら高位貴族令嬢だけかもしれないが。
 世の貴族令嬢は本当に苦労してるんだな……と深い溜息をついた。

 それから淑女にあるまじき姿でソファーでぐったりと寝そべってしまった訳です。

「プルメリアさま、お疲れになられた時はレモンを薄く切った輪切りを入れたハーブティーが良く効きますよ。お飲みになられますか?」

 メイドのレイチェルは気遣うような視線を向け、ソファーに寝そべるプルメリアに尋ねる。

「ありがとう。頂くわ」

 ソファーから重たい体を起こし、レイチェルの問いに答えた。

「レイチェル、ごめんなさいね。私、実家の伯爵家では淑女らしからぬ土いじりをしていてね。だから一般的な貴族令嬢よりは体力には自信があったの。過信していたのね。淑女教育も母が亡くなるまでは厳しく学ばされていたのだけど、十歳くらいまでだったからまだ生易しかったのね。この年齢の淑女教育って、とっても厳しいのを今日理解したわ。これを令嬢の皆さんは頑張って学んできたのよね……令嬢の方々のこと尊敬するわ。私も精進しないと……」

 レイチェルはハーブティーをティーカップに注ぎながら「お嬢様が受けているのは、他のご令嬢方とは違う教育…どちらかと言うなら国の王女が受ける姫教育に近いものです。気落ちすることはありません」と言ってあげるべきかどうか迷う。

 余計な事は口にしないようにと言われているのだけれど、これは余計な事に該当するのだろうか……レイチェルは悩ましげに眉を下げた。

 ハーブティーを注いだカップにレモンを一切れ浮かべテーブルにそっと置く。
 そして意を決したように「お嬢様が受けているのは…」と話し出したその時、コンコンと扉をノックする音に会話が止められる。

「プルメリア様、宜しいですか?」
 扉前に立って居たのはライアンだった。

「どうぞ」と許可を与えるとレイチェルが扉を近づき開く。
 室内に「失礼します」と入ってきたライアンは、酷く疲れたような顔のプルメリアを見る。
「プルメリア様、体調を崩されましたか…?」と、心配されてしまった。

 レイチェルに説明したのと同じような事をライアンにも説明するプルメリア。

「ああ……」と合点がいったような表情のライアン。
 先程レイチェルが言いかけた言葉は、ライアンから出る事はない。

「ノヴァーク公爵家に嫁入りするという事は、社交界を牽引していくような令嬢だという事。そして、公爵夫人となればもっと高い能力を要求されます。弛まぬ努力はプルメリア様を裏切りません。初日は辛いかもしれませんが、今日より明日、明日より明後日と積み重なっていく日々が一か月後、今日のレッスンでは物足りないとなっている貴女が居るかもしれませんよ。頑張って下さいね。」

「は、はい……」

 励ましてくれたのかな……? 頑張ろう。
 プルメリアは心の中でひっそりと決意する。

 レイチェルはただ事実を語るよりもやる気を上げさせる言葉をかけるライアンの手腕を見て「これが専属従者にまで登りつめた人のテクニックなんだ」と感動していた。
 ろ
 自分もライアンのように同調だけでなく鼓舞させるような専属メイドになろうと思ったのだった。

「それでは明日のスケジュールを少し報告します。本日のように図書館で歴史を勉強された後、数回を予定している特別授業があります。プルメリア様には是非頑張って頂きたい。本日の晩餐は、皆さんお揃いです。皆さんで食事をとられるそうです。」

 あ、晩餐は一緒に……う、緊張する。

「わかりました。」

「それでは、失礼致します」

 ライアンさんは優雅な仕草で一礼すると、きびきびした足取りで退室した。

「晩餐、緊張していますか?」
 レイチェルが心配そうに訊いてくる。

「ええ……ちょっとね。」
「そうですよね。では、せめて装いだけでも自信が持てるように、腕によりをかけてご準備させて頂きますね!」
 にっこり笑って、無い力こぶを作ってプルメリアに見せるレイチェル。

「うふふ、宜しくお願いするわ」
 プルメリアも少し気が抜けて、思わず笑い気分転換をさせて貰うのだった。
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