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第四章 クラウディアを得んと暗躍する者達。
視察前準備。
しおりを挟む「ねっ! 見て見てアンナ!」
クラウディアの鈴の鳴るように明るい声が室内に響く。
「はい、姫様、アンナは見ておりますよ。」
それに嬉しそうに応えるアンナの声。
降り注ぐ昼間の陽光を室内へと巧く取り入れられるよう設計され造られている室内はとても明るい。
人工的な照明ではなく、自然の光の中で作業出来る事を気に入ったクラウディアがこの部屋に入り浸って刺繍をするようになったので、この部屋は昼間にクラウディアが作業する刺繍専用部屋となっていた。
壁一面に天井まで届く棚が備え付けてあり、定番色の糸は勿論の事、あまり見かける事のない特別な色の刺繍糸までもが取り揃えてあり、その上刺繍用に様々な質感の布、レース、フリル、可愛い飾りボタン等々がびっしりと棚に収納されてあった。他にも大量の素材が収納されてクラウディアに選ばれるのを待つ状態であり、裁縫を嗜む者の夢の空間である。
シュヴァリエがクラウディアがどのような物を作ろうか飽きの来ないように選び抜かれた物たち。いつものことながら少々行き過ぎ感は否めないが、クラウディア自身は兄の愛を感じ、飛び上がって感謝したのだった。
…だが、今の所クラウディアは針と糸と布の三点しか使用したことはないが。
「ほら、こうやってね、針よ早くなれーって思いながら縫うとね? ほら! 早く終わるでしょう?」
「そうでございますね。姫様の腕前が上がったからという事では?」
アンナがクラウディアの手元を眺めた後、完成した刺繍を見つめ、ん? っといった表情になる。
「うーん、そうかな…? でも、今までは一時間に一枚すら無理そうだったのに、今回は三枚出来たよ!? 三倍だよ!」
アンナが吃驚してくれると期待して話したのに、思ったより冷静な対応をされてクラウディアは頬を膨らませる。
「ふふっ、それは凄いですね。では、きっと姫様の言う通りなのでしょう。」
ふくれっ面になるクラウディアのあどけなさが愛おしく可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
「そうよ! 視察前までに二十枚は作ろうと思ってせっせとチクチク頑張った甲斐があったわ!」
結構な枚数に、アンナが驚く。
「姫様、あまりお無理は……」
「ううん、全然疲れてないの。前は一枚チクチクするでも凄く疲れてたのに。
馴れて来たのもあるのだろうけれど、私、コツを掴んだの。
ほら、こうやって、こうするでしょ…?」
一生懸命針を動かしながら、クラウディアはアンナに作業を見せる。
手慣れた様子で布へ凄い速さで刺されていく、中々堂に入ったものである。
「色彩が目に鮮やかで素晴らしい刺繍ばかりですね。こちらは……ネズミですか?」
「ネズミではないわ…猫よ。」
クラウディアが訂正する。
その刺繍は真っ白な猫を立体的に見せたくて、灰色の糸で影を入れたのだ。
「んんっ? あ、猫でした、よく見たら猫に見えますね。
少し歯が前にあるような気がしたような…? いいえ、気のせいでしたわ。
こちらは…なんでしょう、青い蝶でしょうか?」
綺麗な青の羽を広げた蝶が今にもひらりと飛び立ちそうである。
「……鳥よ、アンナ。……私、上達なんてしてないわ。だって鳥が蝶に見えるのだもの。きっと慣れてきて速さにばかりかまけて、早く仕上げられるようになったのだって、きっと雑になっただけなのだわ……。」
シュンと落ち込むクラウディア。
大きな瞳にジワリと涙が滲む。
「なのに祈ったら針が早くなっただなんて…恥ずかしい」
ジワリジワリと涙の量が増していく。
アンナは内心で己の失態に大慌てだ。
断言などせず誘導で上手く情報を訊きだしてから、何かを発言するべきだった。
「姫様、私が昔からセンスがないのです。
姫様が持つ新鋭的な独特のセンスは、それを手にする者の心を鷲掴みする事でしょう。そして、何よりアンナは姫様が手ずから刺すどの刺繍も大好きですよ。」
独特のセンスで乗り切るアンナ。
嘘を吐きその場を誤魔化す事はクラウディア相手にはしたくない。
かといって直球など以ての外である。
とするなら、少し難しい言い回しを使いクラウディアが「よく分からないけれど褒められた?」と思ってくれれば御の字なのである。
(何か良く分からないけど、アンナに凄く褒められてる?)
クラウディアは難しい言葉の意味を考えつつ、きょとんとする。
溢れそうになった涙も止まってしまった。
「有り難うアンナ、優しいのね。良く分からないけれど私の刺繍を喜んでくれる人がいるなら嬉しい。ほぼ全部シュヴァリエお兄様に回収されていくのが納得できないのだけれど…約束だから仕方ないわ。」
それからクラウディアは、あっ!と声を出すと、アンナに刺繍が施されたハンカチを三枚程手に持ち差し出した。
「これは、アンナの分。またプレゼントするからちゃんと使ってね?」
アンナへ渡すハンカチはいつも花を刺繍している。
花が似合うアンナ。花も大好きなようだし、仕事の合間に刺繍された花を見て癒されて欲しいと思い、思いを込めて刺している。
アンナへ渡す分は速さを重視せず、いつも一針一針心込めて刺していた。
クラウディアを大切にしてくれるアンナへのせめてものお礼だ。
「綺麗な花ですね、私はこの紫色の花が一番好きです。」
「それはラベンダーかな? あ、また今度香り袋作るね! 枕の隣に置いて欲しいの。リラックスして良く眠れるから。」
物よりもこうしてアンナへ向けられるクラウディアの気持ちが嬉しい。
「はい、楽しみにしておりますね。」
アンナも嬉しそうにはにかんだ。
影の者に一枚あげてしまい、自分で言いだした事とはいえ惜しい思いをしていたアンナは、それからすぐに三枚手に入れて、大変満足である。
◇◆◇◆◇◆◇
「シュヴァリエお兄様って…どうやって私が刺繍をしているのだと知ってるのかしら。何も言ってないのに、刺繍したものを仕上げた時は必ず来て回収されていくのだけれど。」
三人娘と、アンナがピシリと固まる。
クラウディアに教える事はないが、護衛騎士とは他にクラウディアには影が通常の二倍ついている。
その影が逐一シュヴァリエに報告している為、全てが筒抜けである。
おまけにアンナがクラウディアにおやすみの挨拶を済ませた後に書き足して仕上げる『クラウディア姫の一日』という報告書を提出している。
クラウディアの全てはシュヴァリエに把握されているのだ。
可愛らしい姫様はこの事を知ったらどう思うだろう。
常時護衛が張り付いているような生活は皇族に生まれたからには、当然ある事なのだけれど、ここまで事細かに報告されるのは監視のようでお労しい。
殆どこの月の宮に篭りっぱなしで、宮の庭なら散策できるが、規模の大きい皇宮庭園となると陛下の許可が無ければ無理であるし。
姫様は今の生活をどのように思われているのかしら…と、枢機卿の件を知らない三人娘は憂うのだった。
クラウディア本人は前世から引きこもり体質で、外に出かけるより家でゆっくりゴロゴロしていたいタイプなので、今の生活に何の不満もなかった。
公の人の視線がたくさん集まる場で周囲をガッチガチに固められ移動させられるのは、酷く辛いが。
人の目さえなくて、その上、大分慣れてきた今の護衛騎士たちがずっと護衛している分には、起きてから寝る直前まで居座られても、然程ストレスも感じていない。
一度懐に入れると身内扱いでパーソナルスペースも近くなる。
護衛騎士達に関しては、ときめき要員でもあるので、身内扱いにはなっておらず、然程ストレスを感じないのはイケメンが鑑賞し放題ヒャッホー! な為であるが。
「姫様の事を何でも知っておきたい、陛下の兄心なのでしょう。姫様を大切にしているが故の事。妹思いの優しいお兄様であられますね。」
微塵もそんな事を思った事はないが、物はいいようである。
刺繍の話に乗った所で、回収が無くなる訳ではないのでスルーさせて頂いたアンナである。
クラウディアが三人娘の方を見て小首をコテンと傾げた。
「皆もそう思う?」
三人娘に否の選択肢はない。
「ええ、羨ましい事ですわ。」
「姫様はこんなに可愛しくお美しいのですもの、陛下が心配されるのも分かりますわ!」
「うちにも兄が居ますが、妹に過保護なのは何処も一緒でございますわ。」
ニコニコと微笑みながら肯定しておく。
「そっかぁ。正直病的な過保護さを感じちゃって。皆こんな感じなんだねお兄様が居る所は。じゃあ、気にし過ぎかー」
超絶過保護である。四人はそう内心で思った。
ウフフ、っと女性たちの軽やかな笑い声が月の宮内に響く。
クラウディアがこれからもっと年齢を重ねた時、今よりもっともっと過保護になっているだろう事は誰も口にはしなかった。
「さぁ、準備の最終チェックをしましょう。」
アンナの呼びかけに三人娘もおのおのの作業に戻る。
「私はしなくていいの?」
クラウディアは、皆がバタバタしているのに自分だけ優雅にお茶を飲むとか出来ないと思った。
「姫様、姫様はお茶飲み刺繍を刺しおとなしく穏やかにお過ごしになることが、お仕事です。」
アンナの「余計なことしたら準備に時間がかかりますから」的な圧を感じ、クラウディアはおとなしく「はぁい」と返事をするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
アンナが「姫様、おやすみなさいませ。いい夢を」と去っていった後、クラウディアはむくりと起き上る。
ベッド横のミニチェストの引き出しを開けると、両手サイズの籠があり、そこには数種類のクッキーが。
引き出しから籠を持ち上げると、窓辺へと近づく。
窓の下に籠をおくと独り言を呟いた。
「こんな夜まで護衛有り難う。朝に誰かと交代するまでは寝ずに見守り続ける大変なお仕事お疲れ様です。これ、クッキーなんです。
甘いものは疲れた体を癒してくれるので、良かったらどうぞ。」
そう一息に言い終えると、ベッドに戻りまた横になる。
そしてすぐにスゥスゥとした寝息が聞こえた。
窓際でゆらりと何かが揺れる。
現れたのは真っ黒な姿の長身の男。
戦闘の百戦錬磨のような強者の空気が立ち姿から伝わる。
隙がなく背筋がスッと伸びた姿は美しくも見えた。
そのゆらゆらと揺れる影は、窓下にある籠を見つめフルフルと小刻みに震える。
籠に手を伸ばすが慌てて引っ込める。いや、でも、と躊躇うように何度も。
やがて壊れ物に触るようにそっと籠を持ち上げ、大切そうに腕に抱えた。
ベッドの方へ視線を見遣ると、男の持つ雰囲気がふにゃふにゃ和らぐ。
そしてまたゆらりと暗い闇の中に溶け込んで消えた。
翌朝、窓下に昨夜の籠がそのまま置いてあった。
「持っていって貰えなかったのかな…」
と、少しシュンとしたが、籠を持ち上げてカサカサという音に気付く。
あれ…? と籠の蓋を開けてみれば、中にはクラウディアの大好きなマカロンが可愛くラッピングされて置いてある。
クラウディアがニッコリ笑い、窓際に向かって「ありがとう! これ大好きなの」と小声で囁いた。
クラウディアのお礼に、部屋の隅の影が一瞬ユラリと揺れた。
「また何か差し入れするね。」
クラウディアは嬉しくてニコニコしながら、籠の中身を手にしたのだった。
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