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16 アンドレ・ヘルグレーンという男。 9

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「イルヴァ、どうした?」
「アンドレ様・・・お帰りなさいませ。」

久しぶりに見るイルヴァは、夜の女神の様だ……が、何かが違う。
こちらを見る表情の無い瞳か、ギュッと引き結ばれた口許か。

「あ、ああ・・・イルヴァ、ただいま。」

イルヴァをソファに促し、自分も隣に座る。

大雪な話しというのは、何だろうか。
バートが先程話していた事も気になる・・・

「イルヴァ、大切な話というのは?」
やはり、イルヴァはあの不快な噂を知っているのではないか…?
イルヴァの隣に座り見つめる私の方を一度も見ること無く、その伏せた睫毛が頬に影落としている。

イルヴァは俯き、沈黙したままだった。

部屋がシーンとした静寂に包まれ、世界から音が消えた様に物音ひとつしない。


「はい、大切な話というのは・・・アンドレ様、離縁致しましょう。」
長い沈黙の後、イルヴァは突然そう言った。

離縁・・・?
頭が真っ白になる。

「なっ・・・・何を言っているのか、分かっているの?イルヴァ。」
混乱したまま絞り出した言葉は、みっともなく掠れた声。

「重々承知しております。アンドレ様が証明書まで作って下さった、私との婚姻条件を破棄された事も。相手が元婚約者候補筆頭の方だということも。他にもありますが、口にしたくありませんわ。」

「・・そこまで分かっているのか。でも、何故そこで離縁になるのだ?証明書を破棄する事ということは、私が浮気をしたと言うことだろう?」

「まさかアンドレ様、浮気では無く本気だからとおっしゃりたいのですか?」

「そんな訳ないだろう。本気ではない。絶対にないよ、イルヴァ。」

イルヴァはやはり噂を知っていて、それを真実だと信じている。
想定した中で一番最悪の話だ。それでも全部自分が招いた事だ。イルヴァ説明もしないまま、何もしてこなかった。

どうすればいい?何といえば納得して貰えるのか信じて貰える?
今ここで真実を全て話すべきだ。しかし…皇太子命令の話だ。勝手に話せない…
先程バートに話した内容を今説明するべきか?今話して信じて貰えるのか?

頭の中が話すか話さないかでぐるぐる回り混乱する。
今までの経緯を話したとして、そんな状況下とはいえどイルヴァを放っといたのは事実だ。
愛想を尽かされていてもおかしくはない。
イルヴァは贅沢な暮らしを享受出来れば文句のない女とは違う。
彼女は男女の情は夫婦だけだといった。愛し愛される関係を望むと。
第二王子とあの女に振り回されて居たとはいえ、出来た事はあった。
気不味かろうが、隠し事をしている罪悪感があろうが、夫婦の寝室で共に寝るべきだったのだ。
まだ何の絆も信頼も築いてない二人だったのだから。

押し寄せてくる後悔で頭がいっぱいになり、愚かにもただ時間稼ぎのような質問をしてしまう。

「イルヴァ、そもそも、どこからが浮気になるんだ?」
「接吻か?抱擁か?手を繋いだ事と言うのか?それとも供も連れず逢うだけで浮気なのか?」

取り留めもなく話し続ける。
――――ダメだ上手く話せる自信がない。

時間稼ぎをしている自覚はある、そしてイルヴァはそれに気付いてる。
くだらない言い訳に思われてる気がする…ああ今、舌がもつれそうになった。

「それら全てをされたということですか?」
冷たい目でイルヴァが問う。

「違う!どこからが浮気になるのか明確には分からないから聞いている。」
――――こんな事が言いたい訳じゃないのに。

「可愛らしい事をおっしゃったりしないで下さいませ。接吻でも抱擁でも手を繋ぐでもありませんわ。かつて婚約を結ばれる直前まで行かれた令嬢。あの頃の話を聞くにアンドレ様はとても気に入っていらしたとか。そんな方と・・・二人っきりで、男女の休憩場と呼ばれる宿の一室に入室されたとか。そう・・・それだけのことです。」

そこまで調べられている中、一階の飲食店の個室で女を引き留めていたなどと、信じて貰えないだろう。
そういう逢瀬に使われる部屋が二階にあるのだ。
焦った男の言い訳に受け取られるだけな気がした。

殿下の許可を取り全てを話しても信頼して貰えない時は、殿下をイルヴァの前に引きずり出してでも、証人になって貰おう。
信じて貰えるまでどんな証拠でも揃えてみせる。


「・・・・離縁を了承する。とは、言いたくない。私達の間に証明書はある事は分かっている。が、縋らせてくれ。償いはする・・と、言ったら?」

イルヴァの瞳が傷ついた様に揺れた。
ああ…イルヴァ、違うよ。傷つけたい訳じゃない。
――――何て言えばいいのだ。
第二王子と隣国王女の話とあの女の話し、それから女に言い寄られていて…
ダメだ。結局、殿下の話し抜きにして語れない。

「今の私には聞く気もございませんが・・・聞くとしたらこう返すでしょう。婚姻後すぐのあの日々に居た私は、今朝亡くなったのです。妻とは死別されたのですから、アンドレ様も時を待ち再婚なさいませ。と。」

「何を言っている・・・生きて今私の目の前に居るではないか。取り乱している…のか?」
こんな会話を続けるだけ離縁が近付く。
イルヴァは話す度に離縁への意志を固めていくように感じた。

今、ここで、このまま話し続けるのは、絶対に悪手だ。間違いない。

「イルヴァ、夜も深い時間に大事な話をすると朝の光で後悔すると言う。また明日、昼間に時間を作ることにする。その時に、これからの事を話し合おう。いいね?」

尤もらしい風に話しはしたが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
イルヴァは何も言ってくれなかったが、否定はされなかった事に安堵した。

手取り扉前までイルヴァを連れていった。
「イルヴァ、寝室まで送るよ。」

「いえ、大丈夫ですわ。プリメラが近くで待機してると思うので。」

「そうか。ならここで‥イルヴァ、おやすみ、いい夢を」
イルヴァの手を引き寄せ、手の甲にそっと唇を寄せた。

「はい、おやすみなさいませ。」

去って行くイルヴァを見送りながら、拗れた関係は全てを明かすまで元に戻りそうにないと痛感した。

翌日、早朝に王城に向かい、殿下に話す許可を求めた。
あっさり許可が下りて肩透かしをくらった。

許可を取る際のアンドレの恐ろしい雰囲気に、身の危険を感じた皇太子は今日だけはアンドレをすぐ帰した。
逸る気持ちのまま急いで屋敷に戻れば、イルヴァは二人の侍女と共に居なくなっていた。
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