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192年
賭すべきは
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若い頃の王允は、直情的だった。
目に入った悪行は、片っ端から訴えてきた。あるいは取り締まってもきた。そのせいで逆恨みされ、誣告によって獄に繋がれたことがある。そうした流れで、王允の身代わりとなって処断された上司もいた。
突っ走らなくなったのは、歳のせいだろうか。齢は五十を過ぎて、だいぶ経つ。腰が重くなったのを王允は自覚している。いや、慎重になったのだ。
士孫瑞とは、もう何度も密談を重ねていた。董卓暗殺の謀議は、煮詰まってきている。董卓をおびき出すために使う偽勅の作成は、もう算段がついていた。印影から複製した印璽は、まずまずの出来だ。ちょっと見比べたくらいでは、真贋を見極めることはできない。文字は、筆跡を真似るのが達者な王允の食客が書きつけることになっている。それで見事な勅書ができあがる。
問題は、いつ実行するかだった。王允が日取りを決めたら、暗殺遂行に向けて様々な人間が動き出す。そうなったらもう計画を止めることはできない。暗殺という正攻法ではない手段で、董卓を排そうとしているから、殊更慎重になっているのだろうか。王允は、ここに至って決断を下せずにいた。
長安に移ってからの董卓は、明らかに人が変わってしまった。それまでの董卓は、親類縁者を優遇するようなことはなかった。それが今や年端のいかない董卓の孫娘までもに便宜を図って、領地を与えている。董卓に繋がりの深い者を要職につけて、身の回りを固めはじめていた。
王允が上訴ではなく、暗殺という手段を選ぼうとしているのも、それが理由だった。上訴したところで、訴えは帝に届く前に握りつぶされてしまうだろう。それだけで済めば、次の手を考えることもできるが、董卓が自身の放逐を企んだ者を放っておくはずがない。そうやって消された人間を王允は何人か知っている。
董卓が私欲を捨てて、改革に打ち込んできたことは王允も認めていたのだ。だから司徒就任を打診されたとき、王允は迷わず引き受けた。名誉ある三公のひとつであったから就いたというより、董卓の政治に賭けた気持ちのほうが強かった。
おそらく、董卓は乱が起きるほどの反発を予想していなかったのだろう。それで拗ねてしまったようなところがあった。武芸者はどこか素直で純真だ。ひょっとしたら、自身の政治が万人にもて囃されることを夢見ていたのかもしれない。しかし、政治はそんなに甘いものではない。辛抱が必要なのだ。簡単に変えられるのなら、董卓がやるまでもなく、とうの昔に変わっている。
帝が長安に移ったとき、住民は笑顔で向かえたが、そうした笑顔はもう見られない。長安はすっかりと荒れてしまっていた。董卓の出身地である涼州から兵団がやってきては、董卓の傘下に入るのだが、そうした兵団には長安防衛の意識はなかった。彼らは強権をかざして商家に押し入ったり、欲望の赴くままに婦女を暴行したり、ほとんど野盗と変わらないような振る舞いをしている。董卓は知ってか知らずか、そうした兵団の行為を放置していた。そのため、そうした輩は増える一方で、また日々大胆になっていっている。
董卓は改革を諦めてしまったのだ。雒陽を焼いたとき、董卓は一緒に信念も燃やしてしまったのだと王允は思っている。
もう董卓には、この国のことは頭にないのだろう。長安よりも西の郿の地に城を築き、董卓はそこに籠もっている。郿は、長安の西にあたる。反董卓を掲げる東の勢力に備えるのならば、長安を盾にするかのような、その位置に自身の城を築いたりはしない。
本来の董卓は、強欲な人間だったのだろうか。以前はそうした欲望を律して、政に打ち込んできたのかもしれない。今はたがが外れたように、郿塢と呼ばれる、その城に金品や糧食をため込み、権勢を振るうことのみに執心している。
王允が賭けた董卓は、もう見る陰もなかった。それは容姿にも顕れていて、武芸者然とした、引き締まった身体つきであった董卓は、肥え太り、醜い脂肪の塊と化してしまっていた。
董卓は、相国の地位を得ただけでは飽き足らず、相国同様に永らく用いられていなかった太師を僭称した。太師とは元来、帝の教育と政の補佐を務める役職だが、董卓にその自覚はないようだ。畏れ多くも帝のものを模した、青い車蓋の馬車を乗り回し、政を省みようともしない。
向こう見ずであった若い頃の勢いが、王允は懐かしいと思った。慎重になったのではない。若さを失ったのだと思った。宴席の余興と称して、董卓は、王允ら客人たちの前で捕虜を虐待し、最後は大釜で煮殺してみせたことがある。そのときの董卓のくぐもった嗤い声と捕虜の悲鳴が、耳の奥について離れない。
日が落ちて間もなく、呂布は王允の邸宅にやってきた。
同じ并州出身ということもあって、呂布とは時折酒席を共にする間柄だった。王允は、十数年近く郷里には帰っていない。同じ并州であっても、呂布の郷里の五原郡は、王允のそれである太原郡と違って、もっと北に位置していたが、それでも呂布が語る故郷の話はどこか懐かしく思えた。呂布の語り口は淡々としていて、変に飾り立てようとはしない。およそ詩的ではないが、王允はそこが気に入っていた。并州の夏は草いきれが立ち込める。そして冬は豪雪に見舞われる。并州は、華美な修飾が不似合いな土地なのだ。
郷愁にかられる度、王允は呂布を邸宅に招いてきた。いつも呂布は嫌な顔をせずに王允を訪ってくれた。父と子ほどの歳の差があるせいか、呂布は自分を慕ってくれている。王允はそう思っている。
だから、挨拶を交わして席に着いた呂布が、杯に口を付けた瞬間に王允は言ったのだ。
「近々、董卓を襲う」
王允は侍女に箏曲を奏でるように命じていた。声が外に漏れることを防ぐためであるから、激しい曲調のものを弾かせている。
箏の音に混じって、王允の言葉は確かに呂布に届いたようだ。驚きからか、呂布の肩がわずかにひくついた反応を見せた。
自分を慕ってくれている呂布は、王允の計画を密告するはずがない。それを確信した上で王允は呂布に明かしていた。姑息なことをしている。王允は自覚しながらも、そうした苦味を酒で呑み下した。
暗殺の決行を先延ばしにする理由を求めてしまっている。
董卓の護衛に付くことの多い呂布は、董卓を襲撃することが如何に難しいか知っているはずだ。董卓は刺客に何度か襲われているが、そのうちの数人は呂布が斬り捨てている。呂布は、王允に考えを改めるように説くだろう。王允はそれを待っていた。
呂布は杯を置き、そのまま俯いた。
呂布の右頬が蝋灯りに照らされ、王允は呂布が怪我をしていることに気づいた。
右頬から右耳にかけて、うっすらと切ったような傷がある。
王允は思わず訊いた。
「頬に傷があるようだが、如何したのだ?」
呂布は頬の傷に手をやった。
「董太師をお諌めしたところ、逆鱗に触れ、手戟を投げつけられたのです」
「かすり傷ですんで良かった」
幸い、呂布は咄嗟にかわして、大怪我には至らずに済んだようだ。
王允は、董卓の行動にどこかほっとしていた。
董卓が立ち直るのを待ってみてもいいかもしれない。そんな考えが王允の頭に過ぎっていた。
「決行は、私が護衛につくときが良いでしょう」
「は?」
素っ頓狂な返事をしてしまい、王允は咳払いをして繕った。
「私にも手伝わせてください」
「しかし、そなたは董卓からは息子のように可愛がられてきたではないか」
董卓が呂布を厚遇していたことは、誰もが知っている。董卓自身が呂布のことを「わが息子」と称したこともある。董卓のそうした扱いを呂布はどう思っているのか、訊いたことはなかったが、王允の目には、呂布は董卓に深い忠誠を誓っているように映っていた。
「王允殿は、ご子息に武器を投げつけたことはございますか?」
「ないな」
「本当に息子のように思っていたならば、手戟を投げつけたりはしないものです」
呂布は、その一件を根にもって、暗殺に手を貸すと言っているのか。下手をすれば、大怪我どころか命を落とす可能性すらあったことだ。動機としてはなくもない。しかし王允は少なからず、呂布に失望した。呂布は、もっと大きく悠然と構えた人間であると王允は思っていたのだ。
それに呂布は勘違いをしている。董卓は、呂布に危害を加えるつもりはなかっただろう。手元が狂ったに違いない。王允が思うに、手戟が呂布の頬をかすめたことに驚いたのは、おそらく董卓のほうなのだ。
「そなたに手戟を投げつけたのは――」
呂布に対して怒りを露わにしたように見えるが、本当の矛先は董卓自身に向いていたはずだ。改革を進めなければいけないという思いが、董卓の心のどこかにまだ燻っている証だ。
時を与えれば、董卓は立ち直るかもしれない。もう一度董卓に賭けてみようか。そう王允は思い始めている。先延ばしにするだけに終わる可能性が高いことは理解している。だが、案外待ってみたら、以前の董卓に戻ったりするのではないか、そう期待しかけていた。
王允は、慎重になったのではないと思った。若さを失ったのでもない。ただ臆病になっただけだ。うるさく鳴っている箏曲が耳障りで苛立たしかった。傍に手戟があったら、きっと王允も投げ放っただろう。投げつける相手が呂布なのか、侍女なのかはわからない。しかし、怒りの矛先は王允自身に向いている。
王允が逡巡の末に、董卓が本当は誰に手戟を投げつけたかったのか、呂布に聞かせようとしたとき、先に呂布が口を開いた。
「私はむしろ良かったと思っているのです。董太師は、手戟で柵を取り除いてくださいました。私の言葉にまったく耳を貸してくださらないのです。もう躊躇うところはありません。私はある者と約束をしたのです。長安を元の住みよい街に戻す、と。今日、王允殿に計画を持ちかけられたのも、約束が天意に適っているからなのでしょう」
呂布の瞳に、蝋燭の火が映り込んで揺れていた。報復ではなく、約束のために董卓を討つと言っている。強く澄んだ眼差しは、かつて王允も持っていたものだ。また董卓も持っていたものだろう。賭けるべきは、そうした眼差しを今持っている若者だ。王允はそう思った。
王允は、若さを失った。そして臆病になった。しかし、その分、老獪になったのだと思った。
「将軍ならば、必ずや力になってくれると思っていた」
箏曲は、今も激しく鳴っている。しかし、もう耳障りに感じなくなっていた。
目に入った悪行は、片っ端から訴えてきた。あるいは取り締まってもきた。そのせいで逆恨みされ、誣告によって獄に繋がれたことがある。そうした流れで、王允の身代わりとなって処断された上司もいた。
突っ走らなくなったのは、歳のせいだろうか。齢は五十を過ぎて、だいぶ経つ。腰が重くなったのを王允は自覚している。いや、慎重になったのだ。
士孫瑞とは、もう何度も密談を重ねていた。董卓暗殺の謀議は、煮詰まってきている。董卓をおびき出すために使う偽勅の作成は、もう算段がついていた。印影から複製した印璽は、まずまずの出来だ。ちょっと見比べたくらいでは、真贋を見極めることはできない。文字は、筆跡を真似るのが達者な王允の食客が書きつけることになっている。それで見事な勅書ができあがる。
問題は、いつ実行するかだった。王允が日取りを決めたら、暗殺遂行に向けて様々な人間が動き出す。そうなったらもう計画を止めることはできない。暗殺という正攻法ではない手段で、董卓を排そうとしているから、殊更慎重になっているのだろうか。王允は、ここに至って決断を下せずにいた。
長安に移ってからの董卓は、明らかに人が変わってしまった。それまでの董卓は、親類縁者を優遇するようなことはなかった。それが今や年端のいかない董卓の孫娘までもに便宜を図って、領地を与えている。董卓に繋がりの深い者を要職につけて、身の回りを固めはじめていた。
王允が上訴ではなく、暗殺という手段を選ぼうとしているのも、それが理由だった。上訴したところで、訴えは帝に届く前に握りつぶされてしまうだろう。それだけで済めば、次の手を考えることもできるが、董卓が自身の放逐を企んだ者を放っておくはずがない。そうやって消された人間を王允は何人か知っている。
董卓が私欲を捨てて、改革に打ち込んできたことは王允も認めていたのだ。だから司徒就任を打診されたとき、王允は迷わず引き受けた。名誉ある三公のひとつであったから就いたというより、董卓の政治に賭けた気持ちのほうが強かった。
おそらく、董卓は乱が起きるほどの反発を予想していなかったのだろう。それで拗ねてしまったようなところがあった。武芸者はどこか素直で純真だ。ひょっとしたら、自身の政治が万人にもて囃されることを夢見ていたのかもしれない。しかし、政治はそんなに甘いものではない。辛抱が必要なのだ。簡単に変えられるのなら、董卓がやるまでもなく、とうの昔に変わっている。
帝が長安に移ったとき、住民は笑顔で向かえたが、そうした笑顔はもう見られない。長安はすっかりと荒れてしまっていた。董卓の出身地である涼州から兵団がやってきては、董卓の傘下に入るのだが、そうした兵団には長安防衛の意識はなかった。彼らは強権をかざして商家に押し入ったり、欲望の赴くままに婦女を暴行したり、ほとんど野盗と変わらないような振る舞いをしている。董卓は知ってか知らずか、そうした兵団の行為を放置していた。そのため、そうした輩は増える一方で、また日々大胆になっていっている。
董卓は改革を諦めてしまったのだ。雒陽を焼いたとき、董卓は一緒に信念も燃やしてしまったのだと王允は思っている。
もう董卓には、この国のことは頭にないのだろう。長安よりも西の郿の地に城を築き、董卓はそこに籠もっている。郿は、長安の西にあたる。反董卓を掲げる東の勢力に備えるのならば、長安を盾にするかのような、その位置に自身の城を築いたりはしない。
本来の董卓は、強欲な人間だったのだろうか。以前はそうした欲望を律して、政に打ち込んできたのかもしれない。今はたがが外れたように、郿塢と呼ばれる、その城に金品や糧食をため込み、権勢を振るうことのみに執心している。
王允が賭けた董卓は、もう見る陰もなかった。それは容姿にも顕れていて、武芸者然とした、引き締まった身体つきであった董卓は、肥え太り、醜い脂肪の塊と化してしまっていた。
董卓は、相国の地位を得ただけでは飽き足らず、相国同様に永らく用いられていなかった太師を僭称した。太師とは元来、帝の教育と政の補佐を務める役職だが、董卓にその自覚はないようだ。畏れ多くも帝のものを模した、青い車蓋の馬車を乗り回し、政を省みようともしない。
向こう見ずであった若い頃の勢いが、王允は懐かしいと思った。慎重になったのではない。若さを失ったのだと思った。宴席の余興と称して、董卓は、王允ら客人たちの前で捕虜を虐待し、最後は大釜で煮殺してみせたことがある。そのときの董卓のくぐもった嗤い声と捕虜の悲鳴が、耳の奥について離れない。
日が落ちて間もなく、呂布は王允の邸宅にやってきた。
同じ并州出身ということもあって、呂布とは時折酒席を共にする間柄だった。王允は、十数年近く郷里には帰っていない。同じ并州であっても、呂布の郷里の五原郡は、王允のそれである太原郡と違って、もっと北に位置していたが、それでも呂布が語る故郷の話はどこか懐かしく思えた。呂布の語り口は淡々としていて、変に飾り立てようとはしない。およそ詩的ではないが、王允はそこが気に入っていた。并州の夏は草いきれが立ち込める。そして冬は豪雪に見舞われる。并州は、華美な修飾が不似合いな土地なのだ。
郷愁にかられる度、王允は呂布を邸宅に招いてきた。いつも呂布は嫌な顔をせずに王允を訪ってくれた。父と子ほどの歳の差があるせいか、呂布は自分を慕ってくれている。王允はそう思っている。
だから、挨拶を交わして席に着いた呂布が、杯に口を付けた瞬間に王允は言ったのだ。
「近々、董卓を襲う」
王允は侍女に箏曲を奏でるように命じていた。声が外に漏れることを防ぐためであるから、激しい曲調のものを弾かせている。
箏の音に混じって、王允の言葉は確かに呂布に届いたようだ。驚きからか、呂布の肩がわずかにひくついた反応を見せた。
自分を慕ってくれている呂布は、王允の計画を密告するはずがない。それを確信した上で王允は呂布に明かしていた。姑息なことをしている。王允は自覚しながらも、そうした苦味を酒で呑み下した。
暗殺の決行を先延ばしにする理由を求めてしまっている。
董卓の護衛に付くことの多い呂布は、董卓を襲撃することが如何に難しいか知っているはずだ。董卓は刺客に何度か襲われているが、そのうちの数人は呂布が斬り捨てている。呂布は、王允に考えを改めるように説くだろう。王允はそれを待っていた。
呂布は杯を置き、そのまま俯いた。
呂布の右頬が蝋灯りに照らされ、王允は呂布が怪我をしていることに気づいた。
右頬から右耳にかけて、うっすらと切ったような傷がある。
王允は思わず訊いた。
「頬に傷があるようだが、如何したのだ?」
呂布は頬の傷に手をやった。
「董太師をお諌めしたところ、逆鱗に触れ、手戟を投げつけられたのです」
「かすり傷ですんで良かった」
幸い、呂布は咄嗟にかわして、大怪我には至らずに済んだようだ。
王允は、董卓の行動にどこかほっとしていた。
董卓が立ち直るのを待ってみてもいいかもしれない。そんな考えが王允の頭に過ぎっていた。
「決行は、私が護衛につくときが良いでしょう」
「は?」
素っ頓狂な返事をしてしまい、王允は咳払いをして繕った。
「私にも手伝わせてください」
「しかし、そなたは董卓からは息子のように可愛がられてきたではないか」
董卓が呂布を厚遇していたことは、誰もが知っている。董卓自身が呂布のことを「わが息子」と称したこともある。董卓のそうした扱いを呂布はどう思っているのか、訊いたことはなかったが、王允の目には、呂布は董卓に深い忠誠を誓っているように映っていた。
「王允殿は、ご子息に武器を投げつけたことはございますか?」
「ないな」
「本当に息子のように思っていたならば、手戟を投げつけたりはしないものです」
呂布は、その一件を根にもって、暗殺に手を貸すと言っているのか。下手をすれば、大怪我どころか命を落とす可能性すらあったことだ。動機としてはなくもない。しかし王允は少なからず、呂布に失望した。呂布は、もっと大きく悠然と構えた人間であると王允は思っていたのだ。
それに呂布は勘違いをしている。董卓は、呂布に危害を加えるつもりはなかっただろう。手元が狂ったに違いない。王允が思うに、手戟が呂布の頬をかすめたことに驚いたのは、おそらく董卓のほうなのだ。
「そなたに手戟を投げつけたのは――」
呂布に対して怒りを露わにしたように見えるが、本当の矛先は董卓自身に向いていたはずだ。改革を進めなければいけないという思いが、董卓の心のどこかにまだ燻っている証だ。
時を与えれば、董卓は立ち直るかもしれない。もう一度董卓に賭けてみようか。そう王允は思い始めている。先延ばしにするだけに終わる可能性が高いことは理解している。だが、案外待ってみたら、以前の董卓に戻ったりするのではないか、そう期待しかけていた。
王允は、慎重になったのではないと思った。若さを失ったのでもない。ただ臆病になっただけだ。うるさく鳴っている箏曲が耳障りで苛立たしかった。傍に手戟があったら、きっと王允も投げ放っただろう。投げつける相手が呂布なのか、侍女なのかはわからない。しかし、怒りの矛先は王允自身に向いている。
王允が逡巡の末に、董卓が本当は誰に手戟を投げつけたかったのか、呂布に聞かせようとしたとき、先に呂布が口を開いた。
「私はむしろ良かったと思っているのです。董太師は、手戟で柵を取り除いてくださいました。私の言葉にまったく耳を貸してくださらないのです。もう躊躇うところはありません。私はある者と約束をしたのです。長安を元の住みよい街に戻す、と。今日、王允殿に計画を持ちかけられたのも、約束が天意に適っているからなのでしょう」
呂布の瞳に、蝋燭の火が映り込んで揺れていた。報復ではなく、約束のために董卓を討つと言っている。強く澄んだ眼差しは、かつて王允も持っていたものだ。また董卓も持っていたものだろう。賭けるべきは、そうした眼差しを今持っている若者だ。王允はそう思った。
王允は、若さを失った。そして臆病になった。しかし、その分、老獪になったのだと思った。
「将軍ならば、必ずや力になってくれると思っていた」
箏曲は、今も激しく鳴っている。しかし、もう耳障りに感じなくなっていた。
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(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
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