呂布奉先という男

うたう

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189年

預かりもの

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 宦官の手から帝を取り戻し、名声は得た。
 しかし発言力は高まらなかった。結局のところ、重視されるのは血筋なのだ。朝臣は、董卓とうたくの具体的な意見よりも家柄の良い人間のよくわからない一言に頷く。
 人の価値というのは、どれだけのものを修めてきたかだ。血筋ではない。家名を高めようとしてきた、代々の努力があってこその血筋ではあるが、名門と呼ばれ、名門と呼ばれることが当たり前になったとき、その血筋の堕落は始まる。
 約束された将来があると、人は努力をしなくなるのだ。修めたものが何もないのに、名門という冠があれば、人々はそれにかしずく。その結果、無能者は自身をたいそうな人間だと勘違いして胸を張る。そうしてあるのがこの乱れた世だ。
 董卓の父は、小役人の出だった。それからいくらか出世はしたが、名門と比べたら、馬糞のような家柄だ。董卓の意見を通すには、血筋の代わりになる、何かしらの後ろ盾が必要だった。手っ取り早いのは、軍事力か。都に駐留する軍団のほとんどを董卓と紐付いた存在にして、軍閥を築く。董卓が都を去れば、都の兵もほとんどが消える。そうした状況を作り出せば、朝廷も董卓を無視できなくなるはずだ。
 しかし、董卓の兵は三千しかいなかった。長年連れ添ってきた、すこぶる強い三千だ。転任の命が下るたびに手放すように言われてきた兵だが、董卓は何かと理由をつけて、抱え続けた。だから手足のように動かせる三千だ。強さは万の兵に匹敵するだろう。
 だが、三千は三千だった。人々の目には、数しか映らない。もっともっと兵が必要だった。弟のびん何進かしんの配下だったこともあり、その伝手で何進の残党兵をかき集めた。それでなんとか兵は一万を超えた。
 発言力を得るには、まだ足りなかった。そこで目をつけたのが、丁原ていげんの軍だ。八千人規模の精兵で、連ねることができれば、必ず分水嶺になると思った。人々の目にとまる数に届くのだ。利に聡い兵団の長は、少しでも良い立場を得ようとして、我先にと董卓の元に集まってくるだろう。そうやって膨れ上がれば、遅れてはならないとさらに群がってくる。そして軍閥ができあがるのだ。
 丁原だって、同じように歯痒い思いをしているに違いないかった。丁原は、身一つで立身出世を遂げた人物だ。満足な数の支持者を得られるような血筋ではなかった。きっと董卓に賛同するだろう。
 挨拶代わりに何を贈るかは、李儒りじゅに意見を求めた。馬がよいとの答えに、董卓は驚いた。李儒は、常識にとらわれない突飛な発想をする人間だ。それが面白くて、董卓は傍に置いていた。馬という答えは、誰にでも思いつく、あまりにも普通の答えだった。
黒嵐こくらんを頂ければ、それを餌に丁原軍を釣り上げてみせましょう」
 自信たっぷりにそう言うので、董卓は李儒に任せてみた。そして、本当に李儒は丁原軍を掌握した。予想外だったのは、丁原自身が欠けていたことだ。李儒は、やっぱり李儒だった。董卓はそう思った。

 丁原の軍を吸収すると、董卓が見越した通り、兵の数は膨らんだ。今や、五万近い兵が董卓の指揮下にある。朝廷にも董卓の意見に耳を傾ける者が増えてきた。だが、まだ足りなかった。まず董卓に意見を求める。そのような形にしなければ、この国を変えることはできない。
 近日中に、董卓は、自身に連なるすべての兵を城外に出して演習を行うつもりでいた。どれほどの兵が董卓の元にいるか、それを知らしめるためだ。城内がもぬけに近い状態となれば、不安にもなるだろう。それで、朝廷は董卓の言葉を重く捉えるようになるはずだ。
 だが、その前にやっておかなければならないことがあった。丁原が率いていた軍団との繋がりを強くすることだ。五万を超える兵の中で、八千を占める旧丁原軍は要のひとつだった。失えば、挙って集まってきた兵団が霧散することも考えられる。なんとしても繋ぎ止めておかねばならない軍団だった。
 旧丁原軍は、部将であった呂布りょふが束ねている。
 丁原に贈った黒嵐は、呂布が乗り回しているらしい。うかつな男だなと董卓は思った。主君を弑し、軍を乗っ取り、馬までをも自分のものにしたと受け取られるとは考えなかったのだろうか。しかし、このことは使えるなと董卓は思った。
 丁原殺害の嫌疑があるとして、呂布を捕らえるよう李儒に命じた。抵抗するようであれば、無理に縛める必要はないと伝えておいた。が、呂布はおとなしく拘束されたようだ。董卓の前に引き立てられた呂布は後ろ手に縛られていた。
「丁原殿を毒殺したと聞いているが」
「私ではありません! そもそも殿は毒殺されたのですか?」
「白々しいことを。丁原殿を診た医者は、毒による痕跡があったと言っていたぞ」
「私にはそう申しませんでした」
「それは、そなたがやったと気づいたからであろう」
 跪き、董卓を見上げる、呂布の顔には、悔しさが滲んでいた。目が潤んでいるのは、丁原を慕っていたからなのかもしれない。
「丁原殿との関係が悪化していたことも耳にしている」
「殿の指示や行動に疑問を持ったことはあります。しかし、殿をころそうなどと考えたことは一度もありません。反抗的な態度を取ったのは、私の未熟さ故です」
李粛りしゅくという者を知っているな」
 言うと、呂布の背後にいる李儒が顔をにやつかせた。
「故郷の幼馴染です。先日、久方ぶりに再会しました」
「その幼馴染と謀ったのであろう? 李粛は酒を献じた。酒の中に毒を仕込んでいたのだ。違うか?」
「私は最初、李粛を疑ったのです。しかし、彼は杯の酒を平気で飲みました。酒壺からさらに注いで、それも飲み干しました。このことは、殿の護衛についていた者からも同じ証言を得られるかと思います」
 そうした経緯は、李粛から李儒へ、そして李儒を通して董卓も知り得ていた。が、董卓は初めて聞いたことのように振る舞って、件の衛兵を呼びに行かせた。
 やってくるまでの間、さらに尋問を重ねた。
「では、毒はいつ仕込まれたと思う?」
「わかりません。しかし、少なくとも李粛は関与しておりません。盛られたのであれば、もっと前の時点であるかと」
「なるほど。しかし、それでは李粛の嫌疑は晴れても、そなたは疑われたままだぞ」
「私は私の知る事実だけを述べております。それで疑いが晴れぬのは、致し方なきこと」
「ふむ。ならば、馬についてはどうだ。新しい馬を手に入れたようだな。黒嵐という。もともとは儂の馬であった。丁原殿とよしみを通ずるために、李粛を橋渡しにして贈ったものだ。なぜか、そなたが乗り回しておる」
「李粛から聞いたのです。殿が黒嵐を私に下さろうとしていたと。ですから、形見のように思って乗っておりました。しかし、そうした経緯いきさつであらば、黒嵐は、董卓様にお返しいたします」
 ちょうどそこに衛兵が連れてこられた。形ばかりに仔細を訊ねてみたら、当然、呂布が語っていたことを裏付ける証言をした。
 董卓は、顎にやった手を頬に添え、今度は頬から額にと動かして、さも考えているかのように見える素振りをしてみせた。
 それから、跪く呂布の傍まで歩いていって、剣を抜いた。
 呂布は唇を噛んでいたが、怯えた様子は見せなかった。董卓と目が合うと、「無念です」と言って、目を伏せた。
 呂布の背後に周り、董卓が縛めの縄を断ち切ろうとすると、李儒が声をあげた。
「殿! まだ疑いは晴れておりませんぞ。危のうございます!」
 しかし、董卓は構わずに縄を切った。
「呂布はやっておらんよ。もしも誰かを殺める必要が生じたとしても、この者は毒は使わん。己が手でやる。きっと、そういう男だ」
 呂布の肩を掴んで、立たせてやった。
 呂布の二の腕の感触に、董卓は痺れた。どれほど純粋に武というものに向き合ってきたのかがわかるほど、鍛え抜かれた固さだった。毒を用いたと疑うことは、冒涜でしかない。
 呂布は死を覚悟していたのだろう。事態を飲み込めないのか、きょとんとして、目を大きく開いている。
「わかっておる。そなたではない」
 董卓は呂布に頷いてみせた。
「しかし丁原殿が毒殺されたのは、紛れもない事実。そして、その犯人はまだ見つかっておらん。そなたを疑う者もおろう。故にそなたの身は儂が預かる。なに、獄に繋ぐわけではない。これまで通り、精勤してもらいたい。ただし、勝手に都を離れることは許さん」
「仰せのままに」
 呂布は恭しく頭を下げた。
 これで、旧丁原軍が董卓の元を離れることはないだろう。
「黒嵐のことだが、悪いが返してもらうことにする。丁原殿から奪ったような印象を与えかねんのでな。代わりに、そなたには赤兎せきとをやろう。これも黒嵐に負けず劣らず、いい馬だ。そして、黒嵐よりも若い。きっと気に入る」
「私のことを信じてくださったのみならず、かようなお心遣いまで。なんと申してよいのやら」
「そなたはやってないのだ。気にすることはなかろう。誹謗中傷する者もおるかもしれんが、儂はそなたのことを我が子同然と思うて、守るつもりだ。そなたも儂のことは父と思って、困ったことがあれば、何でも言ってくれ」
 呂布を下がらせると、李儒に感心された。
「惚れ惚れするような籠絡術にございました」
 普段なら悪い気はしなかったのだろうが、このときばかりは新雪を踏み荒らしてしまったような気分で落ち着かなかった。
「一度も喜ばなかったな」
 董卓が信じると言っても、赤兎をやると言っても、我が子と思って接すると言っても、呂布はちっとも頬を緩ますことはなかった。
「死を覚悟したのです。気持ちが追いつかなかったのでございましょう。それに主君を亡くしたばかり。憚りもあったのでしょう」
「そういうものか」
 董卓は少し丁原を羨ましく思った。
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