呂布奉先という男

うたう

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189年

理想の姿

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并州へいしゅうの出であるとか?」
「ええ、そうです。十五のときに一念発起して都に出てきました。しかし、ここは田舎者に冷たいところですよ。下働きをしていた頃は、散々に虐められました」
「そうした日々を耐え忍んで、自分の店を持つまでになったのだな。たいしたものだ」
 店といっても都のはずれにある小さな店だ。それも金になりそうなものならば、死体でさえも扱う、人には誇れないような店だった。
「いえ、小さな店です。自慢にもなりません」
「謙遜なさるな。装いを見れば、店の構えは想像がつく」
 そう言って笑って、丁原ていげんは酒を飲み干した。
 服は、李儒りじゅという男が用意してくれた。大店の主人のような出で立ちであれば、丁原は直接会おうとするだろうと、きらびやかな刺繍の施された服を渡された。実際、部屋に通され、こうして丁原と酒席を共にしているのだから、李儒の見立ては正しかったのだろう。
 絹のなめらかな肌触りは心地よかったが、地に足がついていないような感覚にそわそわとしてしまう。きちんと採寸して仕立てられたものではないから、袖が少し長かった。しかし、それなりに着こなせてはいるのか、丁原には何の指摘もされなかった。
「都の酒の味は如何ですか?」
「美味いな。これほどの酒は飲んだことがない」
「ありがとうございます。持参した甲斐があったというものです。さあ、もう一献」
 酒壺の口にある印が上に向くように、注意深く傾けて、丁原の杯に注いだ。
 この酒も李儒に持たされたものだ。印を下に向けて、酒を注ぐとその内側に塗られた毒が杯に入る仕組みらしい。印自体は、知らなければ、刻まれた他の模様と区別がつかない。
 頃合いを見て、丁原を殺すように言われていた。見事に成し遂げられたなら、李儒はいくらでも報酬を出すと言ってきた。李儒が厄介な客であることは、店の敷居を跨いだ瞬間にわかった。そういう客ばかりを相手にしてきたから、見た瞬間にわかるのだ。
 目と鼻が小さく、口がやけに大きい男だった。訊いてもいないのに、李儒は董卓とうたくの配下なのだと嫌な笑みを浮かべて、教えてくれた。
 董卓と言えば、今や都の誰もが知る英雄だった。袁紹えんしょうの指揮する兵が宮中に流入したとき、数人の宦官が帝と帝の弟である陳留ちんりゅう王を人質にして、都を脱したらしい。城外でその一団を呼び止め、宦官から帝と王を救出したのが董卓だともっぱらの噂だった。
 英雄のその輝きの陰で配下が密かに暗殺を目論んでいる。企みを聞かされ、英雄の暗部を知ってしまったからには、断れば命はないだろうと思った。やるしかなかった。やる以上、報酬は最上のものをもらいたいと思った。それで、事を成し遂げた暁には、董卓の配下として兵団を指揮できるように取り計らって欲しいと頼んだ。李儒は大きな口を歪めて「面白い。よかろう」と笑った。
 子供の頃、馬上で勇ましく剣を振るうことに憧れた。土地柄、異民族との戦いが身近にあったせいだろう。戦いに赴く筋骨隆々とした武芸者の姿に目を輝かせていた。異民族を討ち払い、誇らしげに帰還する一団に、いずれ自分も加わるものだと信じて疑わなかった。
 しかし体格に恵まれなかった。幼馴染は十二歳を過ぎた頃に、大人と変わらぬ背丈を得たというのに、自分は十歳のときからずっと同じ視線の高さでものを見ている。見えるものは何も変わらないのに、武芸者になるという夢だけは遠ざかっていった。
 それが辛くて、故郷を捨てた。都で商売をして、一財産築いてやろうと思ったのだ。力自慢の幼馴染が羨むほどの大金を得る。都にやってくるまでは、できるような気がしていた。しかし、商売は未だ軌道に載らない。
 夢を取り戻す時機が来たのだと思った。兵を率いることができるのなら、きっと手柄は立てられる。敵を屠るのは、自分でなくていいのだ。腕の立つ者を雇い入れ、彼らが先頭に立って敵兵を突き倒していく。自分は一団の後方からそれを眺めているだけでいい。俸給のほとんどは、そうした者たちを雇うのに使うつもりだった。商売と同じだ。この投資は、きっと大きな利益となって還ってくる。
 李儒の去り際に、自分を選んだ理由はなんなのか、気になって訊いてみた。并州出身だからだという答えだった。その意味は、なんとなくわかった。丁原はしばらく并州の刺史を務めていた。見知った土地の人間には、自然と警戒心が和らいでしまうものなのだ。都に出てきて、そういうものなのだと知った。

「しかし、あのような立派な馬をもらってよいのか?」
「心ばかりのお礼です。郷里の両親が安穏と暮らせておるのも、丁原様が刺史として并州を治めてくださっておったからこそ。どうぞお納めください」
 献上品として引いてきた馬だ。これも李儒が用意した。黒毛の大きな馬で、引き締まった尻をしている。間違いなく名馬だ。兵の指揮は、こういう馬の背に跨ってしたいと思った。そのくらいの馬だった。暗殺遂行の条件を出すときにこの馬の存在を知っていたなら、確実にこの馬も李儒に強請ねだっていただろう。
「頂戴しておいてなんだが、部下にやってもよいかな?」
「お譲りしたものですから、それは構いませんが。お気に召しませんでしたか?」
「いやいや、さすがは都。すごい馬がいるものだと思った。だが、あの馬は儂が乗るよりもあやつにこそ相応しい」
「丁原様にそこまでお目を掛けていただける、そのお方は幸せでございますね」
「どうであろうか。先頃、少々行き違いがあってな。機嫌を取るわけではないのだが、晴れやかな表情で、あの馬を乗り回す呂布りょふが見たいのだ」
 思いがけず耳にした、幼馴染の名に動揺した。努めて記憶から消していた名前だった。
 少年期に思い描いた理想の姿を、自分の代わりに体現してきた存在だ。故郷を捨てたのも、呂布を見るのが嫌になったからだった。
李順りじゅん殿。ほれ、李順殿」
 何度か呼ばれて、自分のことだと思い出した。仕損じたときのことを考えて、偽名を使ったのだ。 
「酒が進んでおらぬではないか。遠慮いたすな」
「いえ、こうして丁原様にお近づきになれただけで感激しておるのです。酒を酌み交わすなど、そのような贅沢は致しかねます」
 酒に手を付けないのは毒が怖いからだが、丁原は慎み深いと受け取ったようだ。
 丁原はもう何杯も飲んでいる。そろそろだろうと思った。毒に倒れても、室内に控えている衛兵は、酒が原因だとは考えないだろう。
「どうか、今後ともよしなに」
 酒壺を手に取ると、丁原が杯を差し出した。
 酒壺の口にある印が下になるように注意深く傾けた。歯を食いしばって、手が震えそうになるのを堪える。杯に入った酒に、色や匂いの変化はなかった。
「もちろんだ」
 丁原が、くっと杯を傾けた。
 すぐに血を吐いて倒れるものだと思っていたが、丁原は平気な顔をしていた。
「李順殿は主に何を商っておられるのかな?」
「世にあるもののすべてを。ご要望とあらば、何であれ、揃えさせていただきます」
 小さくても店を持ったとき、そんな心構えでいたのだ。
「素晴らしい!」
 丁原は豪快に笑った。
 その笑い声が、不自然に止まった。見れば、丁原は充血した目を見開いて、喘いでいる。
 程なく、丁原が咳き込むと口から血飛沫が飛んだ。
「丁原様! 如何なさいました」
 崩れ落ちる丁原に、椅子を跳ね飛ばして駆け寄ったが、すぐに衛兵に突き飛ばされた。
「貴様! 何をした?」
 丁原はもう微動だにしなかった。
 衛兵がしきりに呼びかけていたが、丁原は反応を示さなかった。
「こいつは囚えておく。お前は、呂布様を呼んでこい」
 もう一人いた衛兵に伸し掛かられ、腹ばいにさせられた。
 身じろぎして抵抗しようとは思わなかった。ただ、抗弁はしておいた。
「私は何もしておりません。ずっと見ておられたではないですか!」
「黙れ! では、なぜ丁原様は血を吐いて倒れた?」
「私にはわかりかねます!」
 そうやって問答をしていると、「跪け」と言われて、引き起こされた。
 呂布が現れたのだ。
 呂布は床に倒れた丁原の首筋に手をやって、脈を見ていた。すぐに目を伏せて俯いたので、丁原はもう息がなかったのだろう。それでも呂布は引き連れてきた兵に、丁原を運び出すように命じるとき、医者に見せるよう言った。
 もう衛兵による拘束はなかった。呂布の脇をするりと抜けて逃げることなどできないと思っているからなのだろう。
「正直に白状すれば、楽に死なせてやる。殿に毒を盛ったのか?」
 郷里で最後に会ったときよりも呂布は精悍な顔つきになっていた。相変わらず、眩しい男だった。腹立たしいほどに。
「私ではありません。突然、血を吐いてお倒れになられたのです。お二方も見ておられたはずです」
 呂布の両脇に陣取っている衛兵、双方へ順に目線をやった。
「嘘を吐くな! 持参した酒に毒を仕込んでいたのだろう」
 衛兵の一人が言った。
「丁原様は何事もなく飲んでおられたではないですか」
「だが、お前は酒を一口も飲まなかった。毒が入っているのを知っていたからだ」
 そう言ったのは、もう一人の衛兵だ。
「私が口をつけなかったのは、丁原様に対してご無礼がないようにです。酒を飲むことで身の潔白を示すことができるのであれば、よろしい、何杯でも飲み干しましょう」
 立ち上がると、衛兵はまた跪かせようとしたが、呂布がそれを手で制した。
 杯を手にし、一気に飲み干した。いい酒らしいが、味はわからなかった。酒壺を取り、さらに注いだ。一度注げば、毒はすべて洗われ、杯に入って、酒壺には残らないと聞かされていたが、念のために印の向きには気をつけた。
 またあおって、さらに注ごうとすると、「もうよい」と呂布に止められた。
「丁原様はご病気を患っておられたのではありませんか」
 呂布は顎に手をやり、考える素振りを見せてから、「そうであったのかもしれんな」と唸った。
「ともあれ、疑ってすまなかった」
 呂布がそう言って、頭を下げてきた。衛兵も呂布の様子を見て、慌てて頭を下げた。
 ああ、呂布はこういう純朴な奴だったなと思い出して、また虫唾が走った。
「疑うのはごもっともなこと。私は気にしておりません。それよりも丁原様のお体が心配です」
 呂布の表情は暗かった。
 やはり事切れていたのだ。これで兵団が手に入ると思うと笑みがこぼれそうになって、慌てて俯いた。
「私はこれで失礼してよろしいでしょうか? また改めて、見舞いに参ります」
「ああ。今日の無礼を赦されよ」
 深々と頭を下げる呂布に、同じように頭を下げ返した。
 呂布は自分のことを覚えていなかった。そのことに少し落胆した。
 呂布とすれ違い、出口の前でまたお辞儀をしてから部屋を出た。
 退室した瞬間に、安堵からか溜息が出た。歩みだそうとしたとき、「待て!」と呂布に呼び止められた。
 心臓が止まる思いがした。すぐに振り返ることができなかった。
「お主。ひょっとして李粛りしゅくか?」
 今度は心臓が激しく高鳴った。
「俺のことなぞ、忘れてしまったのかと思ったよ」
「すまない。気が動転していたのだ。元気そうだな」
「君もな。あ、いや、ご主君が大変なときに言う言葉ではなかったな」
「病んでおられたのだろうか。息をしておられなかった。脈もなかった」
「……では」
「ああ。本当に勇猛な方であったのだが」
 呂布は過去を振り返るように目を伏せた。
「これからどうするのだ?」
「朝廷の指示を仰ごうと思う。用なしだと言われたら、そのときは并州に帰るさ」
「また会えるか?」
 心にもない、社交辞令を言った。会う気などなかった。
「ああ、もちろんだ」
 辞去しようとしたとき、不意に馬のことを思い出した。
「そうだ。丁原様に馬を献上したのだ。その馬を丁原様は君にやるつもりだとおっしゃっていたよ。黒嵐こくらんという名の馬だ。厩にいるはずだ。乗るといい」
「黒毛の馬なのか?」
「ああ、黒い。光さえも呑み込んでしまいそうなくらいに、黒い」
「面白いな」
 黒嵐は呂布に相応しいと、丁原が言っていた。その言葉を思い出して、どうしても見てみたくなったのだ。
 丁原は正しい。久々に会った呂布の姿に、そう確信した。
「またな」
 去り際に、思わずそう言ってしまった。
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