呂布奉先という男

うたう

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189年

運命とは

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 少年期、食べるために何でもやった。
 平気で人の物を盗んだし、脅してせしめたこともある。殺して奪ったことはなかったが、近いことはいくらでもやってきた。たまたま相手が死ななかっただけのことだ。同じように貧しい少年たちを束ねて、その日暮らしの日々だった。
 転機が訪れたのは、十七歳の頃だ。たちの悪いやくざ者の金品に手を出してしまったらしい。ある日、報復とばかりにねぐらを襲撃された。丁原ていげんはからくも逃げ出すことができたが、五人いた仲間は皆、殺されてしまった。帰るところを失って、隣の郡へ逃げるしかなくなった。逃れた先で兵を召募していたため、これ幸いと志願した。腕っぷしに自信があったこともあるが、一番の理由は不安だったからだ。兵舎暮らしであれば、やくざ者も安直には手を出せまいと踏んだのだ。
 戦には何度も駆り出された。正面にいる敵と顔を突き合わせて干戈を交えるのは怖くなかった。丁原を付け狙い続けているかもしれない、やくざ者の存在のほうがよっぽど恐ろしかった。偉くなりたいと思った。偉くなればなっただけ、やくざ者は遠ざかる。
 隊長、さらにその上を目指すとなれば、文字の習得は不可欠だった。それで同室の学のある人間に文字を習った。読み書きの基礎を学び終えたくらいの頃に、同室のこの人は戦死してしまった。そのせいか、丁原は白髪が目立ちはじめた今も読み書きがあまり得意ではなかった。読むのも書くのも人の倍は時間がかかる。
 しかし、それでも丁原は隊長になり、副将となって、気づけば、并州刺史へいしゅうししにまでなっていた。そして明日からは雒陽らくよう城下の警邏巡察を束ねる執金吾しつきんごだ。ならず者だった自分が、よくぞここまで成り上がったと感慨深かった。
 思うに、人には運命さだめというものがあるのだ。 
 運命は、広く大きな道のようなもので、人が運命に関与できることといえば、その道のどこを歩くかという程度だ。真ん中を堂々と歩くか、端をこそこそと歩くか、あるいは迷いながら蛇行するか。いずれにせよ、行き着く先は最初から決まっていて、道がどこで終わるのかも決まっている。
 兵舎暮らしで同室だったあの男の道は、あそこで途切れることが決まっていたし、同時に丁原が読み書きの師を失うことも決まっていた。それでも丁原には栄達の運命が待っていたし、もっと言えば、塒をやくざ者に襲われることも決まっていたことなのかもしれない。
 赴任していた并州という土地は、この上なく良かった。統治は、異民族の襲来に備えていれば務まったし、呂布りょふという武芸達者な若者を配下に引き込めたのは大いなる収穫だった。それもこれも運命なのだ。
 気がかりなのは、その呂布との間に溝ができかけていることだった。
 孟津もうしんを焼いた後、野営地に着くなり、丁原は帷幕に呂布らを呼び寄せた。呂布は姿を見せはしたものの、あからさまに顔を背け、丁原と目を合わせようとしなかった。成廉せいれんらも呂布に倣ってか、皆、俯いていた。結局、入城の件について、丁原が一方的に言い渡しただけで散会した。呂布らは、返事も挨拶もせずに帷幕を去っていった。
 この溝も運命なのだろうか。
 わからなかった。
 しかし、丁原が斬り捨てたあの親子については、はっきりと言える。運命だったのだ。孟津の他の住人も同様だ。
 孟津を焼けと大将軍何進かしんに命じられたのだ。密命だった。命令には不服だったが、それでも実行した。何か理由をつけて、丁原が服従しなかったとしても、何進は別の誰かに命じただろう。それならばと思い、丁原は自らやることにした。もう食うに困って盗みを働いていた頃とは違う。だから、略奪は固く禁じた。兵は誰一人として、孟津の人々の財貨を持ち出してはいない。
 何進は、宦官の排除を計画していた。近々、事を構えるつもりでいるらしい。そのために兵を欲したのだ。宦官であっても、兵馬の権を持つ役職に就いているものもいる。また蓄えのある宦官は、当然私兵を養っていた。
 大将軍直属の兵だけでは心許ないと何進は思ったのだろう。兵は多ければ多いほどいい。戦力差が大きくなれば、それだけ事はすみやかに結する。総じて、流す血も少なくなる。
 それ故に、何進は孟津を焼くように言ってきたのだ。都とは目と鼻の先の孟津が賊に襲われたなら、防備のために多数の兵を雒陽城内に入れて増員しても奇異には映らない。すでに何進は各地の軍へ集結の命令を下しているらしい。そうやって兵を集めて、一気に方を付けるつもりなのだろう。
 宦官を誅殺することに、丁原は異存がなかった。宦官がこの国を歪めているのだ。権限のある宦官が、官職を売っている。賄賂を渡せば、出世できるようになってしまっている。能力のない者、理想のない者がそうやって世に出たら何をするか。ひとつしかない。搾取だ。搾取した金でさらに上の官職を買う。そしてより多くの金を搾取する。歪さが増せば増すだけ、弱者へと皺寄せがいくのだ。
 そうした皺寄せがきた弱者はどうすればいいか。おとなしく餓死するか、盗人になるかだ。丁原自身がそうだったからわかる。盗人の大半は、盗みなど働きたくないのだ。今日を生きるために人の物に手を付ける。それは、かつて仲間だった五人の少年たちもそうだった。必要以上に搾り取られず、人々の暮らしが少しでも豊かになれば、間違いなく犯罪は減るのだ。そしたら、あの五人のような死に方をする子供もいなくなる。
 先の黄巾の乱も、皺寄せが極限に達したから起きたのだと考えられた。今のままでは、また乱は起きるだろう。そのとき討伐されるのは、困窮して乱に加わった弱者たちだ。
 やはり宦官が害悪なのだ。首尾よく悉くを誅殺することができたなら、世の中はきっと変わる。そのとき孟津の人々は報われることになるだろう。
 呂布らはまだ若い。丁原が孟津を襲ったことを表面的にしか捉えていない。その奥にある意味を理解するには、彼らはいささか潔癖すぎる。言葉で説明したところで、青臭い彼らには届かないだろう。しかし、世俗の垢に塗れ、世間の荒波に揉まれるうちに、いつか丁原のやったことの意味を理解するときが来るはずだ。その頃、世の中はずっと住みよくなっているに違いない。

「丁原様。大事にございます」
 寝台に横になり、寝入ろうかとしていたときに声をかけられた。
 丁原は寝台に腰掛け、報せに来たものを幕舎の中へ招き入れた。
 先程まで気にならなかった虫の声が、やけにうるさく感じた。
「何事か」
司隷しれい校尉袁紹えんしょう様よりの報せにございます。大将軍何進様が暗殺されたとの由。袁紹様は宮中に兵を進め、大将軍の仇討ちを始められました。宦官掃滅に丁原様の助力を仰ぎたく、急ぎ入城願いたいとのこと」
「わかった。全軍を叩き起こせ」
 丁原は、幕舎の外に出た。
 焼き尽くしてしまったのか、野営地から孟津の火はもう見えなかった。風が、微かに焼け焦げた臭いをはらんでいる。
 運命とは何なのか。丁原は天を仰いだ。
 丁原が孟津を焼き、人々を殺したその日に、皮肉にも事態は動いた。雒陽の城内に兵を集めるために渋々遂行した策略は、何の意味もなさなかったのだ。
 無辜むこの民を襲って、なにが世直しか。
 青臭いと感じた呂布の言葉が、今になって丁原の胸に突き刺さった。
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