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10.初めてのバイト

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 集合場所は最寄りの駅になった。田舎だから最寄りの駅と言っても駅自体が数えるほどもない。
 ターミナル駅とはいえ、ホームは五個もないような小さな駅だ。駅前にはシンボルになるような商業ビルもない。せいぜい図書館や学習塾、ビジネスホテルやコンビニ、大衆居酒屋がある程度。学生たちが遊びに行く場合は電車を乗り継いで都市部まで出ていくしかない。とはいえ、そんなお金も時間もない学生たちは行き場がなかった。

「タカちゃんとカラオケ行ったなー……」

 それこそ高校入学前の春休み、孝晃と駅近くのカラオケには行った。駅から随分と離れたカフェにも行った。注文の仕方が分からず、レジ前でもたついていたところを孝晃に助けてもらったことを思い出す。
 そのときから友人と出かけるということをしていないから、こうして誰かと待ち合わせすること自体が久しぶりだった。
 今更、格好や前髪の乱れを気にしたところで無意味だと分かっているのに、落ち着きなく指で髪を撫で付ける。少し癖がある髪は、寝癖だけは治してきたものの、ほぼそのままだ。
 一方の三島くんは癖もなければダメージも少ない。金髪だから髪質が悪くなりそうなものなのに、綺麗だった。美容師をしている先輩のところへ通っていると言っていたから、定期的にケアをしてもらっているのかもしれない。

「夜鷹くん、まだかなー……」

 そうひとりごちていると、交差点の向こう側からやってくる三島くんを見つけた。

「うわっ……」

 まだ遠くにいるのに、感嘆の声を上げてしまう。髪型こそいつもと変わらないし、ピアスも相変わらずだったが、私服がお洒落だった。
 お洒落というかシンプルというか。元々、背が高いからこそ、素材が生きていると言えばいいのか。デニムとTシャツだけのシンプルな格好なのに、この片田舎では浮いて見えた。

「悪い、待たせた」
「そんな待ってないから大丈夫……。なんだけど、なんか大人っぽい格好だね……」
「そうか……? 姉貴にダセェから柄シャツと変な英字が入った服は着んな! って昔から言われてて……」
「うっ……」

 英字こそ入ってないものの、こちとらシャツの上にチェックのシャツだ。思わぬ方向から刺されて恥ずかしい。三島くんを見習って今度からはシンプルにしてこようと反省していると、俺の反応を見た三島くんが急に焦り始めた。

「姉貴の言葉だから! むしろ、お前のは似合ってるから気にすんな!」
「フォローありがとね……」

 わざわざフォローを入れてくれるあたり、やっぱり三島くんは優しい。

「早速、行こうぜ」
「うん」

 服に関する反省はそこそにして、先輩がやっている車屋があるという駅裏を目指す。
 駅の横をぐるりと周り裏手に出ると、逆側はさっきよりもさらに何もなかった。スーパーやコンビニがある程度で、他は何もない。
 路地をいくつか進み、何度か曲がった先で大通りとぶつかった。大通りを出てすぐ、交差点を渡った先には分かりやすく車屋の看板が掲げられている。

「あそこ?」
「あぁ、アレ。分かりやすいだろ」

 看板には車の塗装・修理ならお任せください! とひと目で何の店か分かるような看板が掲げられていた。
 何台か整備中の車が並ぶその横に併設のカフェがあるから、きっとそこで働くのだろう。

「話は通してあっけど、まずは俺が先に挨拶しに行くわ」

 交差点を渡り、三島くんは臆することなく奥の事務所に入っていった。それから数分後、事務所から出てきた三島くんに手招きされた。

「紘、早く」
「は、はい!」

 急いで中に入ると、期待通りと言うべきか中々に派手な女性が出てきた。

「あんたがタカの友だち?」
「鷲宮紘……です。よろしくお願いします」
「うん、よろしく。タカ、素朴でいい子そうなヤツつれてくんじゃん。あんたとは系統違いだけど」
「うっせぇ」
「ごめんね。コイツ、ガサツだし、口悪いし、疲れるでしょ」
「そんなことはないですよ?」
「そう?」
「割と話も合いますし……」

 実は後に知ったことだが、三島くんとは推しアーティストが一緒だった。てっきりロックバンドばかり聴いていると思っていたのだが、割とミーハーらしく、最近流行りの曲もよく聴いていた。そのうちのいくつかは二人共推していて、時々その話をする。属性は真逆であるものの、好きだと思うものは似通っていた。

「へぇ……そうなんだ」
「ンだよ、ユキさん。ニヤニヤしすぎだって」
「いや~。うち、車がメインだっつってんのに、たまに北高行った奴等がバイクの整備してくれって来てさ。そのとき、タカちゃんが構ってくれない~って話して帰っていくのよね。新しいダチができたらそりゃそっちに構うわな。しかも、めっちゃいい子そうだし」
「別に構ってねぇし、ちゃんとアイツ等からの連絡も返してるわ!!」

 ヤンキーコミュニティに詳しくないため、俺はもっぱら聞き役だ。
 二人はひとしきり会話に花を咲かせたあと、仕事をするかとこちらに向き直った。

「挨拶がまだだったけど、私は桃瀬由紀。ユキって呼んでね。夜鷹というよりは、夜鷹の姉の知り合いだ。まぁ、その姉よりもさらに先輩なんだけど。で、ここはうちの店。両親の店を引き継いで、そのまま私が店長にやってるって感じ。よろしくね、ヒロ」
「よろしくお願いします」
「タカとヒロにはカフェに入ってもらう。今日、ひとりバイト飛んでさぁ。私が合間に入る予定だったから助かったよ。基本はカフェエリアの掃除と飲み物の補充とレジ。飲み物は機械で入れるからボタン押すだけ。簡単っしょ?」
「は、はぁ……」

 店長の桃瀬に気圧されつつ、任せたいという隣のカフェに案内される。
 カフェは整備を待つ客のために用意されたスペースで、一般的なカフェよりも広くなかった。

「制服はこれね。って言ってもエプロンだけ付ければオーケーだから。で、掃除道具はこのロッカー、ドリンクはここ。レジも教えるから見てて」

 店長は口調こそ粗雑であるものの、教え方は丁寧だった。
 俺も見様見真似で試しにレジを打ってみる。だけど、慣れてないせいか打つ場所を覚えきれない。

「あれ、どこ押すんだっけ……?」
「紘、ここ」

 後ろからにゅっと手が伸びてきて、三島くんにアシストされる形でなんとかレジを打つ。それを見ていた店長が、ニヤァと笑った。

「タカ~。あんた、ヒロには優しいんだ?」
「はぁ!? 別に普通だろ!」
「他のヤツが相手だったら、そもそも助けたりしねぇだろ」
「助けるぐらいするっての」
「どうだか」

 お前はドライなところが結構あるから、と店長が三島くんに向かって言う。
 だけど俺が知る限り、三島くんはドライではなかった。愛想はないけれど、面倒見がよくて優しい。
 そのことを店長に伝えたら、大きな口を開けて笑われた。

「そりゃ、タカが猫かぶってんのよ」
「マジ、先輩じゃなかったら殴ってますよ……」
「それか、ヒロにはタカがいい意味で良く映っているかだね」

 店長が、よかったなぁ~と三島くんを肘で小突く。小突くと言えば可愛いが、ほぼ暴力に近いエルボーをかましていた。ヤンキーコミュニケーションは恐ろしい。

「あとはもう俺等でやるんで!」
「なに? 私はお邪魔ってか?」
「違う!」

 店長と三島くんのやり取りはなんだか姉弟みたいだ。三島くんのお姉さんを見たことがないけれど、容易に想像ができる。

「じゃあ、私は行くからしっかりやってね」

 店長は隣の整備場へ戻っていった。カフェの中にはまだ客がおらず、俺と三島くんだけが残される。
 やることもないため、客が来るまでの間、掃除をすることにした。有線から聞こえてくる流行りの曲を聞きながら、テーブルを拭いたり、床をモップ掛けしたりする。
 暫く掃除に徹していた俺たちだったが、昼を前にやっとポツポツと客が来た。

「カフェオレひとつ」
「かしこまりました。五百円です」

 三島くんがレジを打ち、俺がオーダーを聞いて飲み物を用意する。ひとりの客を皮切りに、以降は途切れることなく注文が入った。小さなカフェがすぐいっぱいになる。
 俺は机を片付けてはドリンクを作り、忙しなく動いた。

「なぁ、タカ。あんた、ちょっと整備も手伝える? っつても、洗車なんだけど」

 汗だくかつ煤だらけになった店長がカフェの入り口で手招きする。呼ばれた三島くんはまだレジ中だ。代わりに俺が向かうと、店長にヒロでもいいやと引っ張られた。

「整備し終わった車を水で流してタオルで拭いててさ。それ、お願いできる?」
「分かりました」

 一度、見本を見せてもらい、ホースで車に水をかけて汚れを落とす。水滴が残らないよう、丁寧にボディやガラスまで拭いていたら、汗だくになっていた。

「アンタ、案外手慣れてんね」
「父親によく手伝わされてて……」
「だからか。ちゃんとワイパー上げたり、細かいところまで拭いたりしててえらいわー。このまま、もう何台かお願いできる?」
「分かりました」

 店長にお願いされて黙々と手を動かす。その間、カフェの方が気になったが、三島くんならきっと一人でも大丈夫だろう。
 そうして何台か頼まれるままに掃除をし、カフェに戻ったら三島くんは何やら客に捕まっていた。

「連絡先とかはちょっと……」
「どうしてもダメ?」
「俺、高校生っスよ」

 お姉さんたちはヤンキーに物怖じしないのか、三島くんにグイグイ迫っている。助けるべきか否か迷いつつ見ていたら、三島くんと目が合った。

「紘! どこ行ってたんだよ」
「ごめん。ちょっと洗車の手伝いしてて……」
「急に居なくなるから心配しただろ」

 お姉さんたちを置いて、三島くんがカウンターの中に戻ってくる。お姉さんたちは寂しそうな表情を浮かべていた。

「いいの? あのままで」
「興味ねぇし」
「そっか」

 なんだろう。何故かちょっとホッとしている。
 三島くんが急に大人びて見えたからだろうか。今までの人生、ナンパをされたこともなければ、まともに恋愛をしたこともない。だから、さっきのように女性たちに言い寄られる三島くんを見て、胸の内がざわついた。

「てか、お前、顔汚れてる」
「どこ?」
「違う、右側」

 三島くんの手が伸びる。目の下をゴシゴシと強めに拭かれた。

「……ちょっと、イチャつくのは他所でやれー」
「ハァ!? イチャついてねぇ! ってか、こっちに来ていいのかよ?」
「うん。他の子に任せてるから。あと、ごめんね。昼休憩も取らせず、ぶっ通しで作業させちゃって。遅くなったけど今日のバイト代渡すから事務所に取りに来て」

 整備場とカフェの間、奥まったところに小さな事務所がある。人が二人も入ればいっぱいになるような場所で、三島くんと俺は代わる代わるバイト代を受け取った。朝十時から二時まで働いて四千円。あともう二回働けば、一万をゆうに超える。

「それじゃあまた、次も人いないとき呼ぶわ」
「分かりました」

 最後に一杯だけドリンクをサービスでもらって、バイト先を後にする。
 初めてもらったバイト代に俺は浮かれていた。

「お前、浮かれすぎて落とすなよ」
「大丈夫。鞄、しっかり握っておくから」

 むしろ三島くんのほうが落としそうで怖い。財布はデニムの尻ポケットに、スマホは前のポケットに。かなりの軽装だった。バイト代も財布にねじ込んでいたし、逆に見ているこっちが心配である。

「お腹空いたね」
「だな。今から昼メシ食うには遅すぎだけど、なんか食ってく?」
「うーん……。でも、合宿のために貯めたいし……」
「じゃあ、コンビニ行こうぜ」

 話をするとなんとやら。目の前にはコンビニがある。三島くんと一緒にコンビニに入り、ホットスナックを買った。
 コンビニの外、端っこの方に躊躇なくしゃがみ込む三島くんはどこからどう見てもテンプレート的なヤンキーだ。
 俺は立っているべきか同じようにしゃがむべきか悩んで、結局三島くんを真似てしゃがむことにした。

「やっぱチキンが上手いよな」
「分かる。でも俺、フランクフルトも捨てがたいんだよね」

 長いフランクフルトにケチャップをかけて齧り付く。
 なんの変哲もないフランクフルトなのに、とても美味しく感じた。何回も食べているのに。

「なぁ、ヒロ。ちょっとくれ」
「えっ」

 横から手を握られて、あっという間にフランクフルトの先を齧られる。お返しとばかりに今度はチキンを押し付けられた。

「ほら」
「……ありがとう」

 控えめにチキンに齧り付く。誰かと一緒にコンビニの前に座って買い食いするのも初めてだが、食べ物を分け合うのも初めてだ。
 三島くんはガードが堅そうでいて、気を許した人や強引に迫ってくる人には弱いと思う。
 人が近付いてこないよう毛並みを立たせて威嚇し、薄いバリアを張るくせに、気を許した相手には自ら迎え入れる節がある。あと、さっきの女性たちみたいにグイグイ来るタイプにも弱かった。六堂なんかはそのタイプだ。

「夜鷹くんって、誰にでもそういうことするの……?」
「は……?」

 三島くんが口をポカンと開けて固まる。その反応を見て、今の言い回しはいろいろとまずいことに気が付いた。

「ご、ごめん! 変な言い方した! ただ、ちょっと距離が近いときがあるなーって思って……。友だちとかにはみんなそうなのかなって思った、だけで……」

 なにを一生懸命弁解しているんだろう。三島くんに呆れられようが、誤解されようが、大してダメージなど受けないはずなのに。

「あんま意識してねぇ、けど。なんか、お前見てると構いたくなるっつーか……なんでだろうな?」

 三島くんがくしゃりと相好を崩す。

 ――あっ、ダメなものを見たかもしれない。

 ふと、開いちゃいけないドアを開いたような気がした。
 慌てて残りのフランクフルトを口に突っ込み、炭酸飲料で喉の奥まで流す。俺は立ち上がると、三島くんの方を見ないまま背中を向けた。

「紘?」
「ごめん。もう帰らなくちゃ。親に用事を言いつけられてて」

 じゃあ、また! と三島くんが何か言い出す前に走り出す。

 心臓が痛い。息が切れる。足が縺れる。

 きっと、全力で走っているからだ。だから、心臓がドキドキと脈を打つし、苦しいと感じる。

「夜鷹くん、置いてったこと、怒ってないかな……」

 落ち着き出した頭が、やっと冷静に物事を捉え始める。
 三島くんを置いていくような形になったことを今更ながら申し訳なく思って、俺はゆるゆると長い息を吐き出した。


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