【完結】君とは友だちになれない

夏目みよ

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06.雨宿りと鼓動

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「ヤバかったなー。さっきの雨」

 三島くんの家にたどり着く頃には、土砂降りの雨に変わっていた。
 夏になるとバケツをひっくり返したような雨が突然降ることがあるけれど、この時期にしては珍しい。俗に言うゲリラ豪雨を通り越して、ゲリラ雷雨に見舞われた俺たちは、文字通り頭から爪先までずぶ濡れだった。そのおかげもあって、ジュースやコーヒーのシミも薄くなっている。

「ちょっと待ってろ。すぐタオル持って来るから」
「うん。お願いします……」

 すぐに三島くんが廊下の奥に消え、俺だけが玄関に残された。手持ち無沙汰に、ぐるりと玄関やその奥に続く廊下を見渡す。

 三島くんの家は大きかった。勝手なイメージで集合住宅で育ち、古びた駐輪場には錆びついた自転車や乗り潰したバイクがたくさん並んでいると想像していたのだが、現実は違った。
 立派な門構えと広い庭。そして、大きな邸宅。
 さっき通ってきた庭は、バーベキューが出来そうなほどの広さがあった。失礼ながら、このご家庭から総長のお姉さんやヤンキーっぽい見た目の三島くんが生まれたとは到底思えない。

「ほれ、タオル」
「ありがとう」

 三島くんから渡されたタオルを受け取り、顔や髪の毛を拭く。生憎、ブレザーは暑かったため着ていなかったのが幸いした。丸めてスクールバッグの中だ。
 俺は雨を吸って重くなったスラックスの裾を、雑に絞った。

「ありがとうね、三島くん。雷と雨が落ち着いたらすぐ帰るから」
「ンな急がなくていーっての。親、帰り遅いし。つーか、早く上がれ」
「いいの……?」
「当たり前だろ。風呂行け。その間にワイシャツとかは洗濯すっから」
「さすがにそこまでは……」
「乾燥機あるからすぐ乾く」
「でも……」
「あ? 素直に言うこと聞け」

 強めに咎められて、叱られた子どもみたいに肩を丸める。
 そうだよね、せっかくの行為を無下にするのはよくないことだよな……と反省していると、軽く頭を小突かれた。

「このままだと風邪、引いちまうだろ」
「か、ぜ……?」
「お前に風邪引かれるのは嫌なんだよ。ただでさえ、付き合わせちまったし」

 真っ直ぐ帰ってたら濡れずに済んだだろ、と言われて思わず笑ってしまう。
 急に笑い出した俺に、三島くんは訝しむような目を向けた。

「ンで笑うんだよ」
「いや、やっぱり三島くんは優しいなって思って」

 俺のタオルを持ってくることを優先したのか、自分が使うためのタオルを三島くんは持ってきていない。
 そういうところが、とても優しいと思う。

「三島くんもちゃんと拭かないと風邪引くよ」

 手渡されたタオルの、まだ乾いているところを使って、三島くんの髪から垂れた水滴を拭う。
 触れられるとは思っていなかったのか、三島くんは目を丸くしたあと、まるで猫みたいに後ろに飛び跳ねた。

「お、俺は大丈夫だから、早く風呂行け!!」
「うん」

 三島くんに案内され、洗面所に押し込まれる。
 いきなり人の家に来て、シャワーを借りるのも不思議な感じだと思いつつも、三島くんに言われた通りシャワーを済ます。その間にタオルや着替えも用意してくれていたのか、必要なものが一式揃っていた。

「……シャワーありがとう。三島くん」
「おう」

 俺とバトンタッチする形で、三島くんがシャワーを浴びに行く。
 待ってる間、ソファー前のローテーブルにはお茶やお菓子が用意されていた。温かいお茶にクッキーやお煎餅。あの三島くんがもてなしてくれているとクラスメイトたちが知ったら驚きそうだ。
 おまけに、三島くんの家は自分の家よりも大きい。広いリビングは掃除や整理整頓が行き届いており、白を基調としたインテリアは洗練されていて居心地がよかった。

「ふふっ、変な感じ」
「……なに笑ってんだよ」

 ソファーに腰掛け、温かなお茶を飲みながら独り言を零したら、カラスの行水だと言わんばかりに一瞬でシャワーを浴びて戻ってきた三島くんに睨まれた。

「ごめん。なんか、誰かの家に来ること自体が久しぶりで……」
「俺も人呼んだの久々だわ」

 三島くんもお茶を飲みながらソファーに腰掛ける。ラフな格好をした三島くんはいつもより少し幼く見えた。髪をセットしていないからなのか、ぺたんと毛が寝ているのもあり、子どもっぽく見える。

「さっきの先輩たちが来たりしないの?」
「姉貴が進学してからは全然。そもそも、集会は別の場所でやってたっぽいし」
「……そうなんだ」
「言っとくけど、俺は行ってねぇからな?」

 じろりと三島くんに睨まれる。勝手な想像ばかりしていたけれど、三島くんは案外普通に暮らしていたようだ。
 話を聞くと、総長だったのはお姉さんで、三島くん自身はそこに関わらず、だったらしい。ただ、たまに家に仲間が来ることもあり、そのときに絡まれていたとのこと。北高に行った三島くんの友人たちも元はお姉さん繋がりで知り合ったらしい。

「じゃあ、噂は全部嘘なんだ……」
「当たり前だろ。総長でもねぇし、不良をシメたりしてねーわ」

 三島くんの耳がピアスだらけになったのも、先輩たちによるものらしい。人の耳を穴だらけにしやがって、と三島くんが文句を言っていた。でも、ピアスを取らないあたり、三島くん的には気に入ってるのかもしれない。

「髪の毛も先輩たちの練習台にされてよー」
「でも綺麗に染まってるよね?」
「美容師見習いの先輩のとこに行ってるからな」

 三島くんが自身の前髪をツンと引っ張った。嫌そうな口調の割に、金髪も気に入っているのかもしれない。
 というより、人に頼られたりお願いされたりすると断れないタイプなのかもしれない。見かけによらず苦労人なのかもなぁ、と思うと少し情が湧いてきた。

「三島くんもいろいろ大変だったんだね……」
「もう慣れた」
「そっか」

 出されたお菓子をパリパリと食べながら他愛もない話をする。すると、脱衣場の方からピーと音がした。

「あ、ワイシャツ乾いたかも」

 三島くんがパタパタと脱衣場の方へ向かう。
 話すことに夢中で気付いていなかったが、窓の外から見える空は晴れ間が見えていた。厚く垂れ込めた雲から西日が差し、光の梯子がかかっているようにも見える。
 脱衣場から戻ってきた三島くんの手にはシミまで取れた俺のワイシャツがあった。

「シミも取れてる……!」

 スラックスはクリーニングに出さなければならないが、元々黒なのでシミがあってもほとんど分からない。ただ、乾かしきれていないため、履くとほんのりと冷たさを感じだ。

「洗濯までしてくれてありがとうね」
「別に。元はと言えば、俺が零したのが悪かったんだし」
「それでもだよ。シャワーもタオルも、いろいろ貸してくれてありがとう」

 借りていたパーカーやスウェットを丁寧に畳んで返し、何度も何度もお礼を言う。三島くんはちょっと恥ずかしそうに、もういいからと言った。

「じゃあ、俺、そろそろ帰るね」
「ん」

 名残惜しさを感じながら靴を履く。靴下も洗濯してくたのだが、ローファーだけは乾き切っておらず、足を滑らせるとやっぱり湿っていた。だけど、あまり不快感はない。彼の家でのんびり過ごせたのが大きいかもしれない。
 一抹の寂しさすら感じて振り返ったら、三島くんと目が合った。

「あ、……えっと、また明日」
「またな」
「……」
「…………」

 どうしてだろう。ただ数歩進めば外へ出られるはずなのに踏み出す足が重い。まだもう少しだけ此処に居たい気持ちが湧いてきた。
 思いの外、彼の家が居心地よかったからだろうか。それとも、彼ともっと話したいと思うからだろうか。
 僅かな寂しさと心残りで、足が動かない。

「どうした? なんか忘れ物でもあったか?」
「ううん。えっと……さ、またお家に来てもいいかな?」
「……は?」

 三島くんの素っ気ない聞き返しに、やってしまったと心の中で反省する。
 また来てもいいか、など図々しい。そもそも彼とは友だちでもなんでもないのだ。ただ隣の席だっただけ。今日だって成り行きで一緒に帰ってきただけだ。ファミレスへ行くことになったのも、先輩たちに引っ張られたからにすぎない。三島くんから一緒に行こうと誘われたわけでもない。
 それなのに、またお家へ来たいなどと図々しいにも程がある。

「ごめん。今の忘れて……!」
「いいぜ、また来いよ」
「へ?」
「その代わり、今度はお前んちにも呼べよ」
「いい、の?」
「あ? また来たいって言ったの、お前だろ」
「そうだけど……。うん、そうだね。次は俺んちに来てよ」

 三島くんからのまさかの申し出に、だらしなく頬が緩む。三島くんは照れ隠しなのかなんなのか、さっさと帰れ! と犬を追い払うみたいにシッシッと手を振った。

「長居してごめんね。お邪魔しました」
「気ィつけて帰れよ」

 三島くんに見送られ、俺は軽やかな気持ちで玄関を出る。
 空を見上げると、やっぱり空から光の梯子が降りていた。天使の梯子と言って、見ると幸せが訪れるという逸話がある。

「なんか、胸がドキドキする……」

 高揚、だろうか。暫く人の家に上がったり、約束をしたりすることがなかったから、自分でも軽く引いてしまうぐらいに胸がドクドクと高鳴っていた。

「三島くんを呼ぶなら、部屋、綺麗にしなくちゃ……」

 自分の部屋の荒れ具合を思い出し、深く息を吐く。そのため息に、楽しみに思う気持ちも混じっていたことに俺は気付かなかった。


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