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第十五話
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さて翌日の朝、権座の渡し舟に乗ったのは桃太郎と猿と犬、そして足を縛られたままの雉でした。思えば妙な供連れとなったものです。
桃太郎は舟の中ほどに座り、巧みに棹を操る権座の褌締めの尻を見上げながら、生まれて初めての敗北感に打ちひしがれておりました。
不安定な舟底を踏みしめて立つ権座の足は、踵から尻まで筋肉の筋が浮き出し、いかにも壮健な様子です。特に尻の筋肉の発達はすさまじく、尻肉は大きく盛り上がって、食い込んだ褌が見えないほどです。どれだけでも腰を振れそうに思われて、桃太郎は口の中に涎が溜まっていくのを止められません。
――あぁ、まさか摩羅を目にすることもなく、このような筋肉質な美男と別れることになろうとは。
まさに一生の不覚です。けれどこの数日のやりとりで、餞別に子種をと言っても叶うことはないだろうと容易に想像がつきました。
……善人は悪党よりよほど怖い。
うっかり飢え死にしかけた桃太郎は、打ちひしがれながら人生の教訓を噛み締めておりました。
「三日後の、お天道様が真上に来る頃に様子を見に来ます。ご無事でしたら、どうかお顔をお見せください」
岸につけた舟の上で立ち上がった桃太郎に手を差し伸べながら、権座が祈るように言いました。桃太郎と三匹のお供が辿り着いたのは、木々がさほど多くなく、岩場が目立つ小さな島でした。
帰り道のことなど全く考えていなかった桃太郎ですが、鷹揚に頷くと、権座の差し出した手に手を重ね、遂に鬼ヶ島の浅瀬へと降り立ちました。
「ありがとうございました、権座さん。ここは危のうございます。見送りは結構ですので、早うお帰りください。それではさようなら」
口早に別れ口にすると、何の名残も見せず権座の手を離し、桃太郎は小さな旅荷物と雉だけを手に、振り返りもせず鬼ヶ島に踏み入りました。その後を猿と犬が追います。
権座は桃太郎のその背に漲る決意に、声をかけることもできませんでした。見えなくなるまでその背を目で追い、着物の胸元をぎゅっと握り締めます。その顔は切なげに歪み、目の端には涙が光っておりました。
そうして桃太郎が見えなくなってもしばらくその場で立ち尽くしておりましたが、悲しみに満ちた深いため息をつくと、誰もいない荒ら屋を目指してまた舟で去って行きました。
さて、一人の純朴な若者の心と暮らしを図らずも存分にかき乱し、またもや無賃で移動した桃太郎です。
権座から見えなくなると即座に岩陰にしゃがみこみ、ついてきていた犬を捕らえ、ものすごい勢いで摩羅にしゃぶりつきました。三日ぶりの摩羅に、技巧もなにもなく無心で吸い付きます。
しかし、焦れば焦るほど強く吸ってしまうばかりで、犬は痛がってきゃんきゃん鳴きました。優しく舐ってやらねばとは思うのですが、焦りが勝ってうまくいきません。
そのくらい、桃太郎は子種に飢えておりました。
「ええい、早う出せ! 弁当じゃろう!」
空腹で半泣きになりながら、犬の股間に顔を埋めます。その時、桃太郎の頭上にぬっと大きな影が差しました。
驚いて顔を上げると、そこには見たこともない巨大な男が立っております。肩までの長さの髪は薄い金色で陽に透け、胸元にも同じ色の毛が渦を巻いています。赤らんだ顔の中の薄茶の瞳は驚いたように見開かれ、手に持った鋭利な刃物は桃太郎に向けられておりました。着物はぼろぼろで、辛うじて腰にひっかかっているだけの有様であり、その布からこれまた同じ薄い金色の毛に覆われた太い足がにょきりと出ております。
さすがの桃太郎も、これまで目にしたことがないその姿に驚き、腰を抜かしてしまいました。猿も犬も鋭い唸り声を上げています。桃太郎は後ずさり、転がしておいた雉をむんずと引っつかむと、「く、くらえっ!」と大男に投げつけました。
大男は警戒したように桃太郎を見ておりましたが、投げ付けられ必死でばたばた暴れている雉を拾い上げました。そして何やら股の辺りを調べると、途端に喜色満面となり、刃物の切っ先を下げたのが見てとれました。
「オス デスネ。スバラシイ。アリガトウ」
妙な発音に、最初何を言っているのかわかりませんでしたが、よく聞けば桃太郎と同じ言葉で礼を言ったようです。
「メス イマス。オス イマスト フエマス。ワタシハ キリ×××××× デス。アナタノ オナマエハ?」
言っている意味はところどころよくわかりませんが、少なくとも友好的ではあるようです。頭から取って食おうとしている相手にわざわざ名を尋ねたりはしないでしょう。
全身薄金毛のこの大男は、いわゆる黄鬼というものだと思われました。言葉は拙いものの、その声は低く、大地を思わせるような落着いた響きがあります。毛の色や目の色や体の大きさは、桃太郎の知る人間とはまるで違いましたが、逆に言えばそれ以外の外見上の違いは見つかりません。
――散々犬や猿の摩羅をしゃぶってきた私にしてみれば、鬼の方がよほど人間に近いというもの。何を恐れることがあるものか。
やせ我慢でなく、桃太郎は芯から奮い立ちました。この極限の空腹を、この旅の究極の目的である鬼の子種で満たせるとは、これぞまさに本懐というもの。苦しみに苦しみを重ねた権座との日々も、鬼の摩羅に出会う歓喜をより高めるためだったと思えば、笑って許せるというものです。
桃太郎は目を爛々と光らせ、急にその場で袴を脱ぎだしました。
桃太郎は舟の中ほどに座り、巧みに棹を操る権座の褌締めの尻を見上げながら、生まれて初めての敗北感に打ちひしがれておりました。
不安定な舟底を踏みしめて立つ権座の足は、踵から尻まで筋肉の筋が浮き出し、いかにも壮健な様子です。特に尻の筋肉の発達はすさまじく、尻肉は大きく盛り上がって、食い込んだ褌が見えないほどです。どれだけでも腰を振れそうに思われて、桃太郎は口の中に涎が溜まっていくのを止められません。
――あぁ、まさか摩羅を目にすることもなく、このような筋肉質な美男と別れることになろうとは。
まさに一生の不覚です。けれどこの数日のやりとりで、餞別に子種をと言っても叶うことはないだろうと容易に想像がつきました。
……善人は悪党よりよほど怖い。
うっかり飢え死にしかけた桃太郎は、打ちひしがれながら人生の教訓を噛み締めておりました。
「三日後の、お天道様が真上に来る頃に様子を見に来ます。ご無事でしたら、どうかお顔をお見せください」
岸につけた舟の上で立ち上がった桃太郎に手を差し伸べながら、権座が祈るように言いました。桃太郎と三匹のお供が辿り着いたのは、木々がさほど多くなく、岩場が目立つ小さな島でした。
帰り道のことなど全く考えていなかった桃太郎ですが、鷹揚に頷くと、権座の差し出した手に手を重ね、遂に鬼ヶ島の浅瀬へと降り立ちました。
「ありがとうございました、権座さん。ここは危のうございます。見送りは結構ですので、早うお帰りください。それではさようなら」
口早に別れ口にすると、何の名残も見せず権座の手を離し、桃太郎は小さな旅荷物と雉だけを手に、振り返りもせず鬼ヶ島に踏み入りました。その後を猿と犬が追います。
権座は桃太郎のその背に漲る決意に、声をかけることもできませんでした。見えなくなるまでその背を目で追い、着物の胸元をぎゅっと握り締めます。その顔は切なげに歪み、目の端には涙が光っておりました。
そうして桃太郎が見えなくなってもしばらくその場で立ち尽くしておりましたが、悲しみに満ちた深いため息をつくと、誰もいない荒ら屋を目指してまた舟で去って行きました。
さて、一人の純朴な若者の心と暮らしを図らずも存分にかき乱し、またもや無賃で移動した桃太郎です。
権座から見えなくなると即座に岩陰にしゃがみこみ、ついてきていた犬を捕らえ、ものすごい勢いで摩羅にしゃぶりつきました。三日ぶりの摩羅に、技巧もなにもなく無心で吸い付きます。
しかし、焦れば焦るほど強く吸ってしまうばかりで、犬は痛がってきゃんきゃん鳴きました。優しく舐ってやらねばとは思うのですが、焦りが勝ってうまくいきません。
そのくらい、桃太郎は子種に飢えておりました。
「ええい、早う出せ! 弁当じゃろう!」
空腹で半泣きになりながら、犬の股間に顔を埋めます。その時、桃太郎の頭上にぬっと大きな影が差しました。
驚いて顔を上げると、そこには見たこともない巨大な男が立っております。肩までの長さの髪は薄い金色で陽に透け、胸元にも同じ色の毛が渦を巻いています。赤らんだ顔の中の薄茶の瞳は驚いたように見開かれ、手に持った鋭利な刃物は桃太郎に向けられておりました。着物はぼろぼろで、辛うじて腰にひっかかっているだけの有様であり、その布からこれまた同じ薄い金色の毛に覆われた太い足がにょきりと出ております。
さすがの桃太郎も、これまで目にしたことがないその姿に驚き、腰を抜かしてしまいました。猿も犬も鋭い唸り声を上げています。桃太郎は後ずさり、転がしておいた雉をむんずと引っつかむと、「く、くらえっ!」と大男に投げつけました。
大男は警戒したように桃太郎を見ておりましたが、投げ付けられ必死でばたばた暴れている雉を拾い上げました。そして何やら股の辺りを調べると、途端に喜色満面となり、刃物の切っ先を下げたのが見てとれました。
「オス デスネ。スバラシイ。アリガトウ」
妙な発音に、最初何を言っているのかわかりませんでしたが、よく聞けば桃太郎と同じ言葉で礼を言ったようです。
「メス イマス。オス イマスト フエマス。ワタシハ キリ×××××× デス。アナタノ オナマエハ?」
言っている意味はところどころよくわかりませんが、少なくとも友好的ではあるようです。頭から取って食おうとしている相手にわざわざ名を尋ねたりはしないでしょう。
全身薄金毛のこの大男は、いわゆる黄鬼というものだと思われました。言葉は拙いものの、その声は低く、大地を思わせるような落着いた響きがあります。毛の色や目の色や体の大きさは、桃太郎の知る人間とはまるで違いましたが、逆に言えばそれ以外の外見上の違いは見つかりません。
――散々犬や猿の摩羅をしゃぶってきた私にしてみれば、鬼の方がよほど人間に近いというもの。何を恐れることがあるものか。
やせ我慢でなく、桃太郎は芯から奮い立ちました。この極限の空腹を、この旅の究極の目的である鬼の子種で満たせるとは、これぞまさに本懐というもの。苦しみに苦しみを重ねた権座との日々も、鬼の摩羅に出会う歓喜をより高めるためだったと思えば、笑って許せるというものです。
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