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同僚の秘密 2/3

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 雛木の秘密を知った翌日、馬越は社内でことあるごとに体調が悪いのかと尋ねられる破目になった。二日酔いでも顔には出ないが、昔から寝不足には滅法弱い。普段は寝つきがよく睡眠も深いので、眠れず悶々と夜を過ごすなど滅多にないことだった。
 一晩中頭を占めていたのは、もちろん雛木のことだ。元女性に下半身を見せろなどと酷いセクハラ発言をしたことを悔やみ、今後どのように接するのが正解かと悩み、秘密を知る自分が力になってやらねばと使命感に燃えもした。
 しかし、そんな考え事の合間合間に、雛木の胸の残像が思考へ割って入ってくるのだ。
 打ち消しても打ち消しても、目に焼き付いたあの胸が頭から離れない。貧乳から巨乳まで、それなりに相手をした経験のある馬越だったが、無乳と言えるほど胸のない女性とはこれまで出会ったことがなかった。どちらかと言うと巨乳好みだと思っていたが、無乳というのも考えれば考えるほど新鮮だ。
 それに、胸は小さければ小さいほど敏感だという説も聞いたことがある。その証拠に、雛木の胸もしょっちゅう弄られているような、とてもいやらしい質感をしていた。
 ――いや待てよ、女から男になったってことは、恋愛対象は女なのか? もしかして、年上のお姉さまに可愛がられたりしてるんだろうか。それはそれで、女教師ものAVみたいでなんかイイ……。
 妄想が妄想を呼ぶ上に、雛木の胸が脳裏にフラッシュバックし続けて、全く眠気が襲ってこない。ベッドの上で悶々とし続けた馬越は、長い夜に耐えきれず、ついついネットで無乳もののAVを漁ってしまった。

 それまで見ようと思ったこともない無乳モノは、やはりというべきか幼い少女を思わせる容姿の女優が多かった。だが稀に、スレンダーで大人っぽい女優の映像も存在した。
 男優が掴めるような膨らみのない女優たちは、平らな胸に後付けしたかのようなころりとした乳首を弄られ、画面の中で気持ちよさそうに喘いでいた。脂肪が少なく、下手をすると筋が浮く程スレンダーな女優達は、馬越の知る女性とはまた違った生き物に見える。
 普段であれば主に挿入シーンを楽しむ馬越だが、この夜は平らな胸を責めるシーンばかりをつまみ食いし続けた。そして最終的には、雛木と少しだけ面差しが似たショートカットの女優の映像でフィニッシュし、空が白々とした頃ようやく眠りについたのだ。
 興奮の頂きに駆け上がる脳内では、画面の中の女優は、いつのまにか雛木の顔になっていた。



 同僚の女性をオカズにするのも大概気まずいとは思うが、それどころではない多大なる罪悪感があるのはどういう理屈だろうか。
 こんな時に限って、雛木の席付近での用事が頻繁にあって、朝から何度も雛木の近くに行くことになってしまった。雛木は気にした風もなく、むしろどこか機嫌が良さそうにPCに向かっているが、馬越はその胸に目がいってしまってどうしようもない。
 ジャケットを着て仕事をしている雛木の胸は、特に目立つところはないようだ。しかし、肩が凝ったのかふと伸びをして胸を突き出した時に、ジャケット越しにすらぽちりと突起が浮き出たのが見えてしまった。
 ――エ、エロすぎる。
 AVの後遺症もあってか興奮すると同時に、そんなに無防備で他の奴に見られたらどうするんだと心配にもなる。
 女がノーブラで職場にいれば目がいってしまうのは当然だが、雛木は馬越が思う女とはやはりかなり違うように思える。それでも、男物のスーツの下にあのぷりっとした大きな乳首が隠されているのだと思うと、どうしても視線が吸い寄せられてしまうのだ。
 実際のところ、馬越はまだ自分の中で雛木の性別をうまく消化しきれずにいた。元々納得がいくまで物事を分析するタイプではない。だから雛木を目の前にすると、性別に対するもやもやより、「エロい」という下半身直結の短絡的思考に支配されてしまうのだった。
 ――同僚相手にこんな風になるなんて不味いよなぁ。どうすっかなぁ。
 ちらちらと雛木を盗み見ていると、ふと、バチッと音がしたかと思うくらいはっきりと雛木と目が合った。
 その瞬間、忘れていた雛木の声が脳内に木霊した。
「そんなに俺のペニスが見たいの?」
 ――ま、まずいっ。
 馬越は雛木の反応を確認する余裕もなく踵を返し、ほぼ走り去る勢いでバタバタと執務室のドアへと逃げ出した。周囲の社員が何事かと目を丸くしているのがわかるが、とてもではないが普通の表情が取り繕えない。
 これまで何とも思っていなかった同僚が、人の皮を被った『エロ』そのもののような気がしてきたのだ。自分には理解できない、男を堕落させる悪魔のような、不可思議で抗えない魅力を内側から放つ存在。思春期の頃に頭を締めていた女性の裸への純粋な興味とも欲望とも異なる、引きずり込まれそうな猥褻な謎。
 暴きたい気持ちと見てはいけない気持ちが馬越の中でせめぎ合い、雛木を前にどんな顔をしていいのかわからない。それでもやはり、もう一度自分の目で雛木の裸体を見たいという想いが、嵐のように吹き荒れていた。

 逃げ込んだトイレの洗面台で思い切り顔を洗えば、ぬるま湯とはいえ多少は頭がはっきりする。水滴に濡れたままの顔を上げると、鏡にははっきりした隈の上に爛々と光る眼を乗せた、荒んだ印象の男が映っていた。
 営業マンとしてこれはよろしくない。これからどうしたものかと嘆息していると、気配もなく鏡の左端に雛木が映り込んでギクリとした。いよいよ幻覚が見えたかと思って恐る恐る振り返ると、幸か不幸か、そこには実体をもった雛木が腕を組んで立っていた。
「顔拭けよ。スーツ濡れるぞ」
 指摘され、ジャケットのポケットに入れっぱなしにしていたくしゃくしゃのハンカチで慌てて顔を拭う。だが、まだ水滴を拭い切らない内から、雛木が口を開いた。
「あのさ、昨日のことだけど……」
 咄嗟に、馬越は強い口調で遮る。
「俺、誰にも言わないから。安心しろよ」
 改めて念を押されるまでもない。エロさやその他諸々に戸惑ってはいるものの、雛木を笑い者にしたり陰口を叩いたりしたいなどとは決して考えていない。
「え、マジか……」
 ぽかんと拍子抜けしたような雛木の反応に腹が立つ。俺が同僚の、しかも女の秘密を言い触らすような男だと思っていたのだろうか。
「言うわけないだろ。当たり前に男だと思ってたから、ちんこ見せろとかふざけてたんであって、お前がその……そんなにでかい秘密を抱えてたなんて知ってたら、初めから揶揄からかったりしねーよ。俺が女相手に、そんなイジメみたいなマネするわけないだろ」
 馬越の憤慨は真剣なものだったのに、雛木はなぜか、奇妙なものを見るような顔をしている。
「いや、そりゃありがたい気遣いだし、納得してくれたならそれでいいんだけど……。まさか信じるとは、いや、信じてくれるなんて思わなかったからさ」

 雛木にしてみれば、複雑な気分である。コックリングを見せないための咄嗟の方便だったが、まさか馬越が信じるとは思ってもみなかった。
 昨夜は素面だったらもう少し上手く躱せたのだろうが、翌日が工藤との逢瀬だと思うと気持ちがハイになってしまい、ついつい飲みすぎて下手な嘘をついてしまったのだ。
 女と言って信じてもらえるような変態乳首になっていることは嬉しいが、女になりたいわけではもちろんない。今後も馬越の前では元女として振舞わなければいけないのは、自分が言い出したこととはいえ、かなり面倒くさかった。
 ――どうすっかなぁ。かと言って、本当は男だって言ったら、またちんこ見せろって言われるだろうし。調教済みの乳首を見せた今となっては、コックリングつけてるなんて変態の上塗りになるしなぁ。
 変態なのは事実だが、工藤に贈られたリングを笑われるのだけは我慢ならなかった。どれほど大切で、尊いものなのか、馬越のような脳筋男に理解できるはずがない。
 ――とりあえず、このまま流そう。
 雛木がそう決意したのも無理はなかった。

 もちろん、そんな雛木の考えなど、馬越は知りようもないのである。
「じゃあ、これからも普通に男の同僚として扱ってくれよな」
 雛木の言葉に、うーんと腕を組む。
 言われてみれば確かに、男になろうと努力している女に対して、いつまでも女扱いするというのはかえって失礼な話だ。だが、だからといって本当に男のように扱うというのも難しいし……。
 男と女の二元論だけで生きてきた馬越にとって、性別を曖昧にしたまま相手を受け入れるのは、酷く頭が混乱する難しい作業だった。
 明らかにぐるぐると埒のあかないことを悩んでいるとわかる馬越に対して、雛木が打って変わって詰問する調子で言い募る。
「大体、さっきの態度はなんだよ。お前が言い触らす気がなくたって、あんな変な態度とったら他の人達に不審に思われるだろ」
 正論である。そして、馬越自身、確かに不自然だったとは思う。
 だが、そりゃ誰のせいだと反発心が沸き上がった。こっちはお前のせいで寝不足だっていうのに。
「だってしょうがないだろ! あんなエロいもん見せられて、普通にしてられるかよ。ずっとお前の……胸……がちらついて、眠れもしないし仕事も手につかないし。俺の身にもなれよ」
 胸という単語に言い淀む馬越を前に、雛木が心底呆れたといった表情を見せた。悶々としているこっちの気持ちも知らずに、腹の立つやつだ。
「童貞でもあるまいし。男だろうが女だろうが、胸なんて見慣れてるだろ。ちょっと乳首が大きい男の同僚ってことで、納得しといてくれよ」
 雛木は簡単に片づけようとするが、それができたら苦労はしない。
「お前のは男とも女とも違ったじゃないか。そんな風に言うなら、俺が見慣れるまでじっくり見せろよ!」
 勢いでとっさに言い放った言葉だったが、雛木が途端にうっと詰まった。女に対するセクハラ発言に自分でも一瞬焦ったが、男扱いしろというのなら見せろと言っても構わないはずだと思い直す。
 雛木もそう思っているのか、即答で断りはせず、目をうろうろと泳がせた。
「あー……まぁそうなんだけど……さすがに素面だと恥ずかしいっていうか……俺の一存では許可できないというか……」
 歯切れ悪くごにょごにょと言う様子に、形勢逆転だと更に畳み掛ける。
「お前を男扱いするのは構わんさ。今までだってそうだったんだからな。女だからっていうんじゃなくて、同僚に対する敬意をもって、今後はトイレの個室に入ってることも指摘しないし、もちろん無理矢理ズボンを下ろしたりもしない。周りにばれないようにできるだけ普通に振る舞うし、何か困ったら力になってやる。だけど、俺のこの悶々とした気持ちは、あんなエロいもんを見せたお前に責任があるだろ」
 冷静に考えれば、自分の無体のせいで雛木が胸を見せる羽目になったという因果関係は明白だが、そこは営業マン。理屈を捻じ曲げ、勢いで相手を説得するのはお手の物だ。
 ――男か女かよくわからん感じに腹が立つし、エロ乳首のお前が悪い。
 身勝手な馬越に怒鳴り返す権利は十分にあるはずの雛木だったが、次第に大きくなってきた馬越の声に慌てた様子を見せた。
「わかった! わかったから」
と、トイレの入り口のドアを気にしながら、両手で制するように宥めにかかる。
「お前の言い分はわかったから。でもやっぱり今ここでっていうのは抵抗あるし、ちょっと待ってくれないか。また飲みに行くのでもいいし、とにかく週明けまでに連絡するから」
 明らかにこの場をやりすごそうとしているのには腹が立つが、妙に具体的に期限を切ってきたのでまぁよしとする。
「よし。連絡、絶対だぞ。俺もできるだけ普通にするように努力するから、お前も俺が普通に過ごせるように協力しろよな」
 偉そうに言い捨てて、雛木を残してトイレを後にする。昨夜もこうやって先にトイレを出たなと思い出すと、また雛木の胸が頭を埋め尽くし、馬越は顔をしかめて盛大に舌打ちした。



≪夜中な上に突然で悪い。もし出られるようなら、新宿に飲みに来ないか≫
 馬越の携帯電話に雛木からのメッセージが届いたのは、日付が土曜日に変わろうとする深夜だった。まさか当日中に連絡があるとは思わなかったし、いきなり呼び出されるとも思っておらず、酔いが半分吹っ飛んだ。
 金曜の夜を男女比五対五の合コンで楽しく過ごしていた馬越は、太腿に置かれた女の手を振り払うように立ち上がった。
「悪い! 急用が入った!」
 邪険にされ、瞳に一瞬怒りの炎を燃え上がらせた女だったが、取り繕うように笑顔を作る。
「えー、馬越クン、帰っちゃうのぉ? せっかく楽しかったのにぃ」
 女は甘ったるく言い、二の腕で自分の胸を内側に押して、さりげなく谷間を深くする。
 胸元のざっくり空いたセーターから覗く谷間は、さっきまで確かに魅力的に見えていた。だがその柔らかそうな胸は、雛木からのメッセージを見た途端に、脂肪の塊に思えて不快になった。
「ごめんな、マジで急いでるから次の機会に。寺山がまた幹事やってくれるだろうから、あいつと連絡とっといてよ」
 中座の非礼への詫びも込めて、巨乳好きの同僚に女を押し付け、地下鉄の駅へとひた走る。自分こそがこの夜の主役だと言わんばかりの男女で溢れる夜の六本木を駆け抜け、地下深くのホームへと続く階段を駆け下りた。
 なぜそんなに急いでいるのか、自分でもわからない。ただ、このもやもやに何らかの答えが出せるはずだという確信と、言いようのない期待が、馬越を新宿へと急がせていた。


 雛木に待ち合わせ場所として指定されたのは、新宿三丁目の外れの店だった。小さな飲み屋がひしめくエリアは、路地と言うには道幅が広いのに、雑然としていてディープな雰囲気がある。馴染みのない馬越は気づいていなかったが、そこはかの有名な新宿二丁目のすぐ側の区画だった。
 大同小異の雑居ビルの一つに、雛木が目印だと知らせてきた、アンティーク調の赤いランプで照らされた地下への階段があった。等間隔で並ぶ、光量の少ない小さな赤いランプに足元を照らされながら、階段を下りていく。
 地下一階にはバーや占い屋の他、看板の出ていない扉もいくつかあった。いかにもアングラな雰囲気だ。そして、突き当りには雛木のメール通り、重厚な木製の扉があった。
 ――うん、読めん。
 英語ではなさそうな単語が彫られた小さな看板をちらりと確認し、気負わずに重い扉を引く。
『物怖じしないのがお前の長所だけれど、それは無鉄砲にも通じるから、時々は立ち止まってちゃんと考えなさい』
 唐突に、子供の頃に繰り返された母の声が聞こえた気がした。

「こんばんは」
 長い黒髪を後ろで一つに束ねたマスターが、にこりと笑って挨拶をしてくれる。カウンターが六席にテーブルが二つのごく小さな店だが、マスターが黒ベストを着こみ、クロスタイを付けているところを見ると、それなりにきちんとしたバーらしい。
 音楽には疎いが、ジャズっぽい洒落たピアノ曲が小さなボリュームで流れている。どんな酒を置いているのだろうかと、マスターの背にずらりと並んだ酒瓶をちらりと確認してみた。だが、なぜか中身が空の瓶が多く、見た目だけかと拍子抜けする。
 そんな店の一番奥まったカウンター席に、目的の人物は身を潜めるように座っていた。
「馬越」
 呼びかける雛木の声は、遠慮がちで小さい。
 雛木の他に、客は一人だけだ。出入口に一番近いカウンター席に座った客は、コートも脱がずにハットを目深に被り、ロックグラスを目の高さに持ち上げて茶色い酒をじっと眺めている。
 なんて気障な野郎だと思うが、妙に雰囲気がある。雛木がこの客に遠慮するのもわかる気がした。
「悪い、待たせたか」
 香水まで気障ったらしい香りだと思いながらハットの客の後ろを通り抜け、雛木の隣の席に腰を下ろす。雛木の手元には昨夜美味そうに飲んでいたビールではなく、ハットの客と同じくロックグラスに入った茶色い酒が置かれていた。
「ごめんな、突然」
 店内の暗めの照明でもわかるほど、雛木の顔は赤らみ、目が潤んでいる。唇は軽く開いて、挨拶程度の少ない言葉を口に出すのも辛そうに見えた。
 どきりとしながらも、昨夜の飲み屋とはあまりにも違う様子に心配になる。
「酔ってるのか? 外で風に当たるか?」
 覗き込むように近づこうとすると、雛木がびくりと体を引いた。
「いや、大丈夫。とにかく早く、今日の話の続き、な」
 誤魔化すように笑い、「マスター」と長髪の男に声をかける。
「クォーターで」
 彼に、と手の平を上に向けて馬越を示した雛木の指先が、震えていた。
 聞いたことがないクォーターという注文に、酒の種類か何かかと訝しく思っていると、マスターと呼ばれた男が薄く微笑んだまま手ぶらで近づいてきた。彼が何気ない風でベストの内ポケットを探り、取り出したのは、古びたリボンがついたアンティーク調の鍵だった。
「どうぞ」
 馬越の前に鍵をすっと置いたマスターは、まったく表情を変えずに薄く微笑んでいる。
 その時初めて、この男がぞっとするような美形だと気づいた。
「ありがとうございます。馬越、こっち」
 鍵をぱっと手にし、スツールを立った雛木は、言葉少なに馬越を店の奥へと誘う。行き止まりに見えた、たっぷりとしたドレープの黒いカーテンを開けると、その後ろには暗い通路が覗いていた。踏み込むと、そこは店内の倍はありそうな長い廊下で、左右には重そうな鉄の扉がいくつも並んでいるのがわかる。
 雛木はその扉の一つに先ほどの鍵を差し込み、ぐるりと回した。ガチリと重い錠の音がし、ドアのレバーを押し下げながら開けた扉は、ギッと一つ不穏な軋みを上げる。
 途端に、部屋の中から大きなボリュームのトランスミュージックが溢れ出した。
「早く、入って」

 三畳ほどの狭い室内には、ど真ん中にテカテカと光る真っ黒なビニール張りの二人掛けソファと、同じ生地を貼られたサイドチェストがあるだけで、他には何も置かれていない。コンクリート打ちっぱなしといった質感の壁と床には、腰より低い位置にいくつもの照明が埋め込まれていた。それらは全てオレンジとピンクの毒々しい光を放ち、部屋を下品で非現実的な空間に演出している。
 明らかに怪しい個室に度肝を抜かれていると、背後で再び、音楽に紛れても消えないガチリという金属音がした。
 驚いて振り返ると、しっかりと閉ざされた扉の前で、雛木が切なそうに眉根を寄せて、軽く呼吸を弾ませていた。
「なんだよここ、どうなって……」
 BGMは大声を張り上げなければいけない程の音量ではないはずだが、馬越の問いは無機質な電子音に飲み込まれてしまう。
「早く座って。クォーター……十五分しか借りてないから」
 雛木がくいっと顎をしゃくって示したのは、一つしかない黒いビニールのソファだ。表のバーとはあまりにも異なる趣向の部屋だが、ここは一種のVIPルームということだろうか。しかし、店の奥に隠されるように並ぶ個室たちは、酷く秘密めいている。
 戸惑いつつも、促されるまま腰を下ろす。ソファの安っぽいビニール生地に触れた時に、さっき通り抜けた店内に並んだ空の酒瓶と、直感的に繋がった。
 この店はそもそも、酒を飲ませるのが目的の店ではないのかもしれない。
 特殊な注文方法でマスターから受け取る鍵、音が漏れない隠された個室、けばけばしい照明に時間の感覚を失わせる音楽、そして汚れても手入れのしやすそうなビニールのソファとサイドチェスト。
 セックスか、薬物か、密談か。いずれにしろ碌な目的で使われる部屋ではないだろう。こんないかがわしい店が行きつけらしい雛木を、改めて別世界の生き物を恐れるように見上げた。
 ソファの前に立つ雛木は、オレンジとピンクの間接照明に照らされ、もうその頬が紅潮しているのかどうかわからなかった。
「十五分、好きなだけ見て、見慣れて」
 言葉少なに告げ、雛木はためらいもなくジャケットのボタンに手をかけた。手早く脱いだジャケットを馬越の座るソファの背もたれに放り投げ、ワイシャツ姿になる。
 雛木は、ワイシャツの下には、何も身に着けていなかった。
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