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第一部

10:鈍色の空

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「――もう時間か……」

 鈴真との通話が切れてしまったことを確認した空楽は、耳元から端末を離しながらそうつぶやいた。

 西洋風に見えるが、日本にあると言われても納得できる風貌の建物は、すっかり風化していて内壁までボロボロになっている。ところどころに見たこともない形状の草が生えており、蔦のようなものも壁を覆っていた。

 窓枠のような形状はあれど、ガラスなどはめ込まれているはずもなく、通気性は抜群だ。外は薄暗く、どんよりとした厚い曇り空のような天気だからなのか、風景も色あせて見える。

 そんな空模様が続いているせいで、本来ならば外を見ただけでは昼夜を判別できないけれど、この世界に身体が慣れてきたのか、彼自身は体感で分かるようになっていた。

 もっとも、以前なら異形の活動状況で昼夜を推測していたのだけれども。

「早くこの世界の出口を見つけて、元の世界へ帰ろう」

 背後で通話を眺めていた人物へ向き直り、空楽は意志の強さを表すかのように、はっきりとそう告げる。

「ボクもそうしたいのはやまやま。でも、焦って無鉄砲に突き進むと、ボクたちは高確率で死ぬ。だから――今はまだ、休息を交えながら索敵するべき」

 白い髪に赤い瞳、そして白を基調とした大胆な衣服――大まかな特徴だけを描くと銀花そのままとなる少女は、空楽に対して友好的だった。

「……ごめん、緒澄オスミはまだ回復しきってないんだよね」

 空楽の言葉に対して、緒澄オスミと呼ばれた少女はこくりとうなずく。

「わずかに残っていた、キミの魂の軌跡を辿っただけで力尽きた。そもそも、ボクたち死神は異世界だと能力の制限がかかって、まともに動けない。それに……この世界は、ヴェラッハがあまりにも強すぎる」

「ヴェラッハって……たしか、ヨーロッパにあるどこかの国で伝わってる、妖怪だっけ? それがどうしてここに……」

「……よく知ってるね。ボクの言うヴェラッハはそれとはまた違うものだけど」

「まあ、物語を創作する過程で、色々調べたから……。それで、その違いっていうのは?」

「ヴェラッハは崩壊した世界で湧いてくるもの。そして徘徊しながら、世界を喰らう。特に、生者が大好物でね」

 それで異形たちは執拗に追ってきたのか、と空楽は納得しながらも、行動の裏付けとなって恐怖がよみがえり、緒澄から少し目を逸らしてわずかに身体を震わせた。

「……ボクがいるから安心してくれとは言えない。さっきも言った通り、異世界では弱体化するから、キミも引き続き気を付けてくれ」

 それでも一人よりは二人だ。こうしてある程度事情を知っていて、話せる相手がいるだけでも、空楽の心持ちはだいぶ違っていた。

 もちろんそれは元の世界にいる鈴真にも当てはまるのだが、連絡手段が限られているせいで、ろくに会話ができない。最初の通話でいきなり切れてしまったときには、まさか時間や回数が限られているとは思わず、どうにかもう一度鈴真にかけられないのかと、空楽は四苦八苦していた。

 ――書き換えられている小説で、鈴真の行動を知ってからは余計に。

 それでも端末は、鈴真へ繋がらないことに対して何のメッセージも出さずに、無機質な画面を映し続けるだけだった。

 そんな中で異世界に放り出された空楽を見つけ出し、合流が叶った緒澄からようやく制限について聞き出せたのだ。仕様さえ知ってしまえば、それに倣えばいいだけなのだから、気が楽になった。

 それでもこちらから事情を説明しない限りは、鈴真から見れば急に通話が切れてしまったままだから、制限が解除されるのを心待ちにしていた。しかし、通話に出た鈴真の声の沈み具合から、もしかしてタイミングが悪いときにかけてしまったのかと、空楽は内心で不安に思うのと同時に、心配もしている。

(俺が最後に本文を確認してから、何かがあった……?)

 鈴真がもう小説にコメントを残せないことも、空楽はもちろん知っている。でも、そのことを伝えて、ただでさえ不安定になっている鈴真に刺激を与えてしまうのは――空楽としては、避けたいことだった。

 だから空楽は、鈴真の現状をすでに確知しているという事実を、隠すしかない。

「――もう一度確認しよう」

 新しく書き換わっていた小説を読み進めて、鈴真が失敗してもう一度過去へ遡ったことを知った空楽は、決意新たにそう口にした。

「この世界のほころびを探し出して、俺たちはそこから元の世界へ帰る」

 空楽の言葉に、少女はうなずく。その様子を確認してから、空楽は言葉を続けた。

「そして――鈴真の元にいる死神、銀花の目的を阻止する」

「死神はある程度、死を操れる――でも、それには限度があるよ。これ以上悪化させないために、そして未来のためにも……ボクたちは、必ず銀花を止める必要がある」

 言い換えれば、今の銀花は「やり過ぎている」のだ。本来なら、時間遡行という所業すら避けて通るべき道。それを二度も行うなんて、同じ死神である緒澄からしたら、言語道断だ。それ以外にも、銀花を糾弾する理由はあるのだが……。

「最大の問題は、柊鈴真がどれほど持つかということ……」
「…………」

 鈴真が心に傷を負うたびに、魂が削れてタイムリミットが迫る。彼の気がかりである空楽の動向に関して、情報共有ができればある程度軽減はできるはずなのだが、空楽たちにはそれができない。

 小説に死神たちは登場せず、別の何かに置き換えられたりして、不自然にならないよう修正が加えられている。鈴真も小説内の描写だけ見れば、死んだあとに謎の声が聞こえてきて、過去へ強制的に飛ばされたことになっていた。

 だから空楽は、異世界で緒澄と出会ったときの衝撃が大きかった。何よりも空楽は、自分が元の世界で死亡する前後を覚えてない。死神の存在すら、彼の中にはなかったのだ。

 それでも意思疎通を経て、空楽は緒澄を信じることにした。そもそもこの異世界には、これまで異形――ヴェラッハしかおらず、空楽は逃げまどっていたのだ。そんな中で唯一話せる相手が登場すれば、信じたくもなるだろう。

 閑話休題。銀花を止めるためにも、空楽と緒澄の行動を向こうに知られてはいけない。それゆえに、空楽は本当のことを鈴真に伝えられないのだ。

「世界のほころび――キミならきっと、ボクよりも先に見つけられる」

「――え? それは、どういう……」

「この世界においては、ボクよりもキミのほうが適性は高いということ。――さあ、行こう。近くに小さなヴェラッハがいるようだ」

 緒澄は空楽の腕をつかみ、建物から飛び出す。少し離れたところから聞こえてくる咆哮には目もくれず、廃墟と化した街を走り抜けた。

「…………?」

 移りゆく景色の中で、空楽は奇妙な既視感を覚えたが、この場所に来たのは初めてのはずだ。気のせいだと思い直し、移動に集中する。

 異世界転移したとはいえ、空楽の身体能力は元の世界とさほど変わりはない。緒澄のサポートがあるから素早く移動できているのだが、やはり人間と死神では限界値に差がありすぎた。ついていくのがやっとの状態で、周囲へ意識を配る隙がない。

 それでもどうにか二人で行動できているのは、緒澄が「能力の制限」を理由に、適度な休憩や索敵と称した小休止が挟まれるからだ。

「もうすぐ夜になる……」

 太陽という概念がこの異世界にはないが、日が沈めば異形であるヴェラッハたちが特に活動的になり、探索は無謀といえる状況になる。

「ほころびも大きくなるかもしれない。違和感があったらすぐに教えて欲しい」

 空楽はうなずいて同意を示しながらも、内心ではあまり納得がいっていなかった。能力が落ちているという死神のほうが、自分よりも遥かに優れているのだから、世界のほころびだって自分よりも先に見つけられるはず。そう信じていたからだ。

 二人は本格的な夜に備えて身体を休めたあと、闇が蔓延る森の中へ消えて行った。
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