EVIL EYES

日向まひる

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Day1/胡乱の日々

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 ――ぼうっとしている間に、午前の授業は終わっていた。
 終了のチャイムと共に、クラスメイトたちが一斉に立ち上がる。
「きりーつ、れーい」
 バタバタバタ。弁当を取り出す者、学食に向かう者、購買に走る者……様々いた。
「おい牡司。学食行く――って、いねえ」
 声をかけようとして固まる。あんの不良、またサボりか!
 こんな時は、だいたい保健室にいるか屋上にいるか、どっちかなのだが。

「……いや、違うな」
 中学からの付き合いだ。ヤツの習性は手に取るように解る。
 ああ見えて牡司は約束を破らない。だとすれば、すでに学食に向かっている。ともすれば、俺の席も確保している、ハズ。
「いや、何か癪だな」
 おかしい。そんな仲良くないと思っていたのに。これじゃまるで親友みたいではないか。

 だが背に腹は――いや、背に空きっ腹は代えられないとはこの事。
 俺は約束通り、いざ山盛りカツ、と勇んで学食に走った。

 学食に入ると、もうかなりの生徒が集まっていた。
 やはり食べ盛りの高校生にとって安くてウマい、というのは抗えない魅力があるようだ。
 それでいて白米はおかわり自由。ここは楽園か?
 とは言え、毎日学食というのも出費が痛い。
 だが今日は、とことん奢られてやろうではないか――!

 さて、アイツはどこだろう。
 目立つツンツン頭を探す。その姿はすぐに見つかった。
 牡司は学食の奥の端に座っている。向こうもこっちに気がついたようで、立ち上がると周囲を気にすることもなく手を振ってきた。
「おーい、こっちだー!」
 非常に恥ずかしいのでやめていただきたい。俺はうんざりしながら、周りの視線を避けるようにして席へと向かった。

 どうやら、予想通り牡司は席を確保してくれていた。
「よく来たな友よ! 今日は予想外の収入があってな、気分がいいし、天気もいいし、共に食卓を囲もうではないか!」
「よしわかった。注文しに行こう」
「ちょ、せっかちだなあ」
 こんなヤツの戯言は流しておいて、ともかく、早く注文しに行かなければ。

 この学食の唯一と言っていい難点は、すぐにメニューが売り切れてしまうことだった。
 特に日替わりランチ――さらには幻のランチともなれば絶大な人気を誇る。
 飢えた若人、恐るべし。
 中には二食頼む猛者もいると聞く。いや、他の人の事考えようよ。
 何はともあれ。俺たちはカウンター前の列に並んで、今か今かと機会を待つ。

 と。
「あれ、おすし先輩じゃないですか!」
 後ろから、快活そうな声がかけられた。
 振り向くと、そこには見慣れない女子が立っている。
 長めの髪を後ろでポニテに纏めた、ハツラツそうな見た目の少女だ。
 胸のバッジが一年生であることを示している。少女はどうやら、牡司の知り合いのようだが――

「……!?」
 不意に、頭痛がした。
 こめかみにわずかだが痺れるような痛みが走る。
 くらり、と少し乗り物に酔ったような、そんな感覚。
 だがそれもすぐに収まった。
 ……なんだったのだろう。
 そうしている間にも、牡司と少女は親しげな様子で、

「おお、瑠奈ちゃんじゃんか!」
「いやー、見知った髪型でしたから、つい。先輩たちも学食ですか?
 あ、もしや、日替わりランチを狙って!?」
「そうそう、俺たちの獲物もヤツなんだよ。こんな機会、逃すわけにはいかねえだろ!?」
 ……お互い、気が合うようだった。
 確かに、底抜けに明るい――バカとも言うが――牡司とこの少女、瑠奈はシンパシーを感じるのかもしれない。

 いまいち状況が掴めない俺を置いてけぼりに、二人してやいやいと盛り上がっている。
「おっと、忘れてた。コイツが俺の親友、文月彩世だ。気軽にアヤちゃん、って呼んでやってくれ。喜ぶぞー」
「あ、突然すみません!
 初めまして、宝生瑠奈ほうしょうるなです。よろしくです、えっと、アヤちゃん……先輩」
 ――ズッコケた。ホントに呼ぶのかそれ。

「いや、彩世でいいよ。頼むからアヤちゃんは勘弁してくれ」
「ご、ごめんなさい! 彩世先輩、ですね」
 ぺこぺことお辞儀をする瑠奈。
 そこには明るさと愛嬌が溢れていて微笑ましい。
 なるほど、牡司が気に入っているのもわかる気がする。
 何というか、人を傷つけない、小動物的な雰囲気があるなこの子。

「ところで。お前、おすし先輩って呼ばれてるのか」
「おうよ、おすに、でお・す・し。イカしてんだろ?」
 ああ、絶妙にトチ狂っているさ。
「いいんじゃないか、バカそうで」
 似合ってると思うぞ、すごく。

「あテメエ、今バカって言っただろ!」
「すまん、本音と建前が逆だった」
「やめろよな、本当の事言うの!?」
 あ、自覚はあったのか。

 そんな風にアレコレ言い合う俺たちの様子を、瑠奈はクスクス笑いながら見つめていた。
「ふたりとも、とっても仲良しなんですね!」

「その通り!」
「なワケあるか!」

 ……つい。
 大きな声を出してしまった。

 そんなこんなで、ようやく俺たちの番が来た。
 さて。いざ決戦の時。
「おばちゃーん、日替わりランチひとつ!」
「あ、俺も同じのお願いします」
「はいよー。おっと、ランチはこれで売り切れだね。
 あんたたち、運がいいわねえ」
 どうやらラスト二食を引き当てたらしい。
 それは幸運なことだが、そうなると……

「おい牡司」
「ああわかってる」
 恐る恐る、俺たちは背後を見る。
 そこには。
 まるで石化してしまったかのように動かない、瑠奈の姿があるワケで――

「おーい、だいしょぶかー?」
「あ、はい。ぜんぜんへいきです」
「いや、明らかに平気じゃないだろ」
 何というか、瑠奈の瞳は光彩を失っていた。
 そんなにランチが楽しみだったのか。
 何度も何度も大丈夫です、大丈夫です、とうわ言のように呟いている。

 見かねて、
「あー、その、何だ。カツ何枚かあげるよ。俺も全部食えるかわからないし」
 もちろん嘘だ。
 正直学生の胃袋は基本何でも入る。
 脂っこいとかそんなの全然気にしない。
 だけど後輩のこんな姿を見るのも忍びない。

「ほ、ホントですか?」
「うん。遠慮しなくていいよ」
 潤んだ瞳で見つめられて少しドギマギした。
 そんな目で俺を見るな。ついたくさんあげたくなってしまうだろ。
「よし、そういうことなら解決だな! あ、俺も一枚もらっていいか」
「やるわけないだろバカたれ」
 ……当然、コイツには衣すらやる気はないが。

 永遠にも思える待ち時間を経て、遂に日替わりランチの乗ったプレートを受け取る。
 見よ、この山盛りカツの威容を。
 まるでチョモランマのようだ。
 高く聳える肉と衣の山。
 たっぷりとかけられた特製ソースが森林限界の積雪を描いている。
 これはもはや一種の芸術だろう。

 ……ちなみに。
 チョモランマのチョイスは間違ってないと思う。
 何だか語感が好きだ。

「うひょー! これこれ、こーゆうのでいいんだよ!」
「……どこかで聞いたことのあるセリフだな」
 どこぞの貿易商みたいだ。
 そんな牡司の顔はこれ以上ないくらいに輝いていた。
 俺も興奮を抑えきれていない。
 早く食べないと、このカツが冷める前に。

「うわぁ~……おいしそうですねぇ」
 そんな俺たちの様子を、指を加えながら見つめる瑠奈。
 彼女は渋々ラーメンを注文していた。
 確かに、ラーメンも悪くない。
 だがこのランチの魅力には到底敵わないだろう。

「よし、食うか!」
「そうしよう。えっと、瑠奈、さん。これあげるよ」
 数枚、皿にカツを取り分けて瑠奈に渡す。
「ありがとうございます! この御恩、生涯忘れません!!
 ……あ、あと瑠奈でいいですよ」
 なんて大げさに喜びながらも、すかさず皿を自分のプレートに持っていく。
 まあ、なんだ。喜んでくれたのならよかった。

「そんじゃ、いただきまーす」
「「いただきます」」
 こうして、俺たちの贅沢なランチが始まった。

 昼休み。残された時間はそう長くない。
 目の前の何キロカロリーに達するか想像もつかないカツの山を制覇することは叶うのか。
 ……なんて心配は不要だった。

「うま、これうまッ!?」
「ソースがいいな。いくらでも入る」
「う~っ、羨ましいです!」
 口々に言い合いながらも胃袋へと消えていくカツ。
 付け合せのキャベツもさっぱりするし、ご飯でマイルドな味になってますます箸が進む。
 詰まりかけたら味噌汁で流し込む。あまりにも完璧な無限ループだ。

 まさに一心不乱。
 みるみるうちに山は崩れていき、あっという間になくなってしまった。
「うーわ、これは満足感ヤベぇわ」
「月イチでしかメニューにないのも納得だ。こんなの犯罪だろ……」
「羨ましいです……」
 ……相変わらず泣きそうな顔の瑠奈は置いといて。
 俺も牡司も、圧倒的なボリュームを食べ尽くした反動でしばらく動けそうにない。

 ――そうだ。ゆっくりするついでに、気になったことでも聞いてみるか。
「なあ、気になってたんだけど聞いていいかな。
 ふたりはどこで知り合ったんだ? 俺、瑠奈みたいな後輩がいるって話、聞いてなかったけど」
「そりゃもう、アレよ? 俺の犯罪級コミュニケーション能力で、どーんとだな。
 ……って、むむ? そういや、そこんトコロ覚えてねーなァ」
 自信満々だったのも束の間、尻すぼみになっていく牡司。すると瑠奈が、
「ええ! 忘れちゃったんですかおすし先輩!? この間の体育祭で知り合ったんじゃないですかー」
 と少し拗ねるように言った。
「あ、ああ! そういやそうだった気が」
「お前、歳でも取ったのか?」
 そんな大事なことを忘れてるなんて、失礼なやつだな。

「わたし覚えてますよー。おすし先輩ってば、一発目から『どこ住み?』でしたから!
 あんまりにもあんまりで、びっくりしちゃいました!」
「ぅわキモ」
 ついポロリと本音が溢れてしまった。
 いやそれにしても、つくづくキモいヤツだな失望したぞ。
 それはもう犯罪級コミュニケーションというか、犯罪そのものだろ。

 というか。そんなヤバい男のヤバいエピソードを笑って流せる胆力、凄まじいなこの子。
 普通なら気持ち悪すぎて近づきたいなんて思いもしないものだけど……
「そういえばそんなコト言ったな! そういう瑠奈ちゃんも『あ、ウチ、来ちゃいます?』なんて言ってくるんだから、まったく最高のノリだったぜ!」
 ……なるほど。同族だったというわけか。
 お前らなあ、と呆れてしまって半眼になる。
 そのノリの良さをもっと違う方向に向ければ大成するだろうに、もったいないことだ。

 それからしばらく、他愛もない話題に花を咲かせていると。
「そうそう、お前ら今朝のニュース見たかよ」
 お冷で喉を潤しながら牡司が訪ねてくる。
「今朝のって……ああ、例の事件のことか」
「そうそれ。アレ、そこの噴水公園で起きたんだろ?」
「あ、それわたしも見ましたよー。朝来るとき公園の近く通るんですけど、刑事ドラマに出てくる、ほら、あの立ち入り禁止のテープ貼ってありましたもん」
「うへー怖い怖い。犯人も捕まってねえみたいだし、物騒なこった」
 ヤンキーもどきはわざとらしく身震いして見せる。
「そういえば知ってますか? なんだかその事件、不気味な噂があるんですよ」
「不気味な噂?」
 そんな話は知らないな。
 お前は、と牡司を見るが、同じように怪訝な顔をしていた。

「どうやらですね、事件の現場に、奇妙な血の跡が残っていたらしいいんですよ。
 オカルト系の、ほら、魔法陣みたいな……」
「へェ、そんな噂があんのか。確かに気味悪いなそれ」
 その手のオカルト話は好かないのか、牡司は顔をしかめている。
 それにしても、魔法陣か。
 犯人がやったのだろうから、かなり猟奇的なヤツだな。
 まあ噂は噂だ、本当かどうかはかなり怪しいが……滅多にない事件なのだし、様々な憶測が流れるもの無理はない。

「瑠奈ちゃんも気をつけろよ? こんな事件があったばっかなんだし、なんなら俺と一緒に帰らね?」
 おいどさくさに紛れてなに言ってんだバカ。
「あ大丈夫です家近いんで」
 しかもあっさり撃沈してるし。
「バカだなやっぱ」
「なにおう! これでも紳士な対応を心がけてだな」
 それは変態紳士と言うのだろう。
「心配してくれるのはありがたいんですけど、ホントに大丈夫ですよ。
 すぐなんです学校から。駅の西口近くにマンション借りてるので」
「めちゃくちゃ近いじゃんか。――今度遊びに行っていい?」
「あ無理です。結構無理寄りの無理です」
 瑠奈の冷ややかな視線が牡司を射抜く。
 そりゃそうだ。というか、こんな牡司バカは一人暮らしだろうがなんだろうが、招かないほうがいいに決まってる。

「彩世先輩はどうですか? おうち近いんですか?」
「まあそうだね。歩いて二十分くらいだから近いほうかな」
「一人暮らし……じゃないですよね」
「普通の四人家族。今は両親が出張だから妹とふたり。どこにでもあるような家庭だよ」
「彩世の妹な、めっちゃ可愛いのよ。何回か遊びに行ってるから会うんだけど、全然コイツと似てねーの」
「……どうでもいいだろ、そんなの」
 似てないという自覚はある。見た目とかそういうアレじゃなくて、雰囲気というか。紫苑は底なしに明るいから誰からも好かれる質だ。
 対して、俺はというと……人付き合いはあまり得意じゃないし、正直その辺りはあまり重要だと思っていない。

「いーなァ、俺の家にも可愛い妹がいたらなー。
 姉貴は大雑把を絵に描いたようなヤツだから、それこそ可愛さのかの字もないって言うか、姉弟という隔たりすらも飛び越えて、もはや宇宙人と交信している気分になってくるゼ……」
 はあああ、と悲痛な顔でため息をつく牡司。
 ……いや、あまりにもヒドイ言い草なのだが、想像に難くないのがなんとも言えないな。
 反応に困る俺を他所に、瑠奈はと言うと、
「えっ、おすし先輩は弟さんだったんですね! なんか意外です!
 いいじゃないですかお姉さん、年上の姉弟って憧れますよね! 大人って感じがして」
 なんて、朗らかに話している。

 ……うん、確かにね。あのお姉さんは不思議キャラまっしぐらな方だから、包容力という言葉とはかけ離れている気がする。
 童心を忘れないというより、童心のまま成長してしまった超生物だ。
 さすがの牡司もツッコミ役に回ってしまうぐらい、それはもう、ハチャメチャなキャラクターをしているのだ。

「っと、もうこんな時間か……ほら、早く片付けねえと時間ねえぞ?」
 チラリ、と時計を見て牡司が言う。
 驚いた。コイツにも授業に間に合わせようという立派な気概があったのか。
「わわ、ホントだ! すっかり話し込んじゃって、時間を忘れてました。すみませんふたりとも、お邪魔しちゃって……」
「いいってことよ! ひとりでメシ食うのも味気ないし、それに俺らも楽しかったから」
 珍しくいいことを言う。俺もうんうん、と頷くと、瑠奈は安心したように笑顔になった。
「それじゃ、また今度! 次はわたしからお誘いしますね!」
 そう言い残し、プレートを持って席を立つ。それを見送って、
「俺らも行きますかー。――あー、ヤベ。メシ食ったら眠くなってきた」
「単純な生き物だなお前。で? 午後の授業は受けるのか」
「もちろん――と、言いたいが。生憎午後の学校ほどかったるいモノはないんでね、まあ適当に保健室とかで休んでるさ」
 前言撤回。コイツはどこまでいっても自堕落な不良生徒だった。
「ま、いいか。じゃあ俺は教室に戻るから」
「おうよ、楽しい学校生活を満喫するんだなー」
 牡司はそう言うとひらひらと手を振りながら去っていった。
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