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9.-40

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 なかなか、隣室からお呼びはかからなかった。

 元の世界の会社員の「辞令」とはわけが違うのだろうな、とは思ったが、それにしても半刻位は十分経過しているような。もしかしたらそこまでは時間が経っていないのかもしれないけれど、ようは何もせずにじっとしていられない程度の時間、ということだ。

 ……というわけで、今私はせっせと柔軟体操と武術の型のおさらいをしている。

 夜のアレコレによりからだじゅうが痛むが、怪我をしているのではないから、気を紛らわせるにはいいだろう。
 私はまず入念に前屈後屈、からだをほぐす準備にとりかかった。
(からだは凝ってはいないがへんに強張ったりはしているから痛かった)
 
 アルフはどうなる、いや、自分の希望を述べるのだとしたらどうするのだろう。

 アルバから辺境へ、というとどうしても左遷っぽいイメージがある、と私は言い、ユリアスも否定しなかったけれど、落ち着いて考えればあくまで「イメージ」だけだ。辺境とはいえ要衝の地、とのことだから、そこの軍事のトップとして仕事をするのはやりがいのある仕事なのではないか、と思い直したから。

 けれど、もしも砦の隊長を断るのなら。

 なんとなく、彼は私の傍にいる役職を求めるような気がする。私を守りたいと口にしていたのも聞いたことがあるし。もちろん傍にいてくれたら嬉しいのだけれど、彼にとって先が開けているとは到底思われない。こんなことを言うのは気が引けるが、もともと私のスタートラインのほうがはるかに上なのだから、ようは公都にいても彼の出世は頭打ち、たかが知れている、ということだ。今のところはまだ私のほうが体術、剣術ともに上だと思うけれど、彼は訓練すれば必ずまだまだ伸びる。私の傍で護衛なんかやらせるのはもったいないのではないか。

 しゅ!と足を上げようとして、優美なドレスのスカート部分が足に絡まって転びそうになってしまう。 私は誰もいないのをいいことに盛大に舌打ちをして、ひょいと裾をまくって膝あたりまで手繰り寄せ、軽く結んでやった。足が開きづらいけれど、長いままよりいい。靴はそんなに踵の高くないストラップ付のもので、多少の運動もさしつかえない。

 手をあげ腰を捻り、足を回す。呼吸を整えながら一連の動作を繰り返し、気持ちを落ち着かせようと試みるけれど思考はそちらにもっていかれたままだ。まるで身が入らない。面接か口頭試問を受ける家族を控室で待っているような。そんな感覚。

 守りたい、か。
 私はまだまだ身分の高い「貴人」としての自覚にもかけるし、自分を鍛え上げてあるから物理的にはそんなに守ってもらわなくっても、というのが正直な気持ちなのだけれど、何かにつけアルフはもちろん、オルギールも誰も彼も「守りたい、守る」と言ってくれる。

 そもそもそんなに守られなければならないほど危険な世界なのだろうか。
 暗殺だか拉致未遂だか知らないけれど、森にいた一味は確かに危険だったが。でも、あれはたまたまではないのだろうか。一連の「ウルブスフェル戦役」関連の。そこを整理したら私個人への危険などぐぐっと減ると思うのだけれど、甘いのかな。それとも、あの件はまだ整理しきれてないのだろうか。ユリアスは「根が深い」と言っていたし。

 しゅしゅ!と足技を連続して繰り出すかたちに切り替えた。
 衣裳もひざ丈くらいまでになっていれば、足がそれなりに動かせる。
 何かにつけ豪華な衣装ばかり着せられているけれど、私の平服を男装にしてしまえば護衛なんて半分でいいのではなかろうかと思う。

 とりとめもなく出口もなく考え事をしながら黙々と室内をひとり飛び回り、仮想敵を相手に戦い、思わずちいさく「はっ!」と声を上げて鋭く拳を突き出したのと内扉が開くのが同時になった。

 距離はあるけれど突き出した拳の先に、目を丸くしてまじまじとこちらを見つめるレオン様がいる。

 「……君、いったい何をしてる」
 「訓練ですわ!」

 ばつが悪いので返答くらいははきはきと元気よく、私は言った。勿論すぐに拳は下ろし、直立不動の体勢をとる。ついでに特大のスマイルもお見舞いした。

 レオン様は輝く笑みを返してくれたけれど、面白そうに光る金色の目が私の顔からだんだん下がってゆき、足元あたりで停止した。

 なぜ足元、と思っていると、

 「面白い恰好をしているな」

 と半笑いの声で言う。

 「っ、これは」

 まずい。
 すぐに結び目を解いて足を隠そうとしたけれど、飛んだり跳ねたりしている間に布が捩れて結び目が固くなってしまったらしい。なかなか解けない。

 「足が動かしにくくて、それで」
 「見ればわかるぞ」

 あせって解こうしていたら、爪に練り絹がひっかかってしまい、生地を傷めそうだ。

 「落ち着け、リーヴァ。俺がやってやる」

 レオン様はさっと歩み寄るとご辞退しようとする私の足元に膝をついた。
 あっと言う間に膝裏から手を回して両足を抱き込まれ、危うい体勢だ。
 これはまずい。色々な意味で。バランスを崩すと倒れそうだし、第一イヤらしい。

 私はレオン様の肩口に手を置いた。

 「レオン様、膝なんかつかずにお立ちになって」

 こんなの自分でできますからと声をかけたけれど、不意に踝から膝上にかけて大きな手で撫で上げられ、ひゅっと息を呑んでしまう。

 「レオン様、ちょっと」 
 「綺麗な足だ。……運動していたのか?汗かくほど……」

 ああいい香りだ、と大きく息を吸い込む音がする。抱え寄せた脚の間に高い鼻梁を寄せている気配。
 そして、柔らかい湿った感触。唇が膝小僧に膝裏に、その上に向かって押しあてられる。

 突然始まった変態行為に身震いがする。けれどそれは嫌悪ではなくからだが反応していて。

 懸命に肩口を叩いたけれど、レオン様にしてみれば引き寄せられたくらいにしか思わなかったかもしれない。中腰だし、痛くさせるつもりはないから本気の力などこめられるはずがない。

 「レオン様、だめ、ストップ」
 「すとっぷ?」
 
 君はたまにわからない言葉を使う、とレオン様は口の中で呟きながら、ぺろ、と大腿をひと舐めした。
 不埒な手が膝から大腿を這いあがり、総レースの下穿きに包まれた私のお尻に到達する。
 びくんと大きく自分のからだが震えてしまう。隣室にはシグルド様やユリアス、オルギールもアルフもいる。気持ちがいいと感じる本能が悔しくて、恥ずかしいと思う理性でまたからだの中心が疼いて。

 「……恥ずかしいのか、リーヴァ。可愛いな」

 くく、とレオン様含み笑いをして、なおも私の足に舌と唇を這わせ、鼻を擦りつけた。濡れてきたかもな、ととてもいやらしいことを言っている。下穿きが濡れるほどではないけれど、多少潤んできたかもしれない。人間離れした嗅覚のレオン様には悟られてしまう。

 「レオン様、変態!」

 こんなことで息を弾ませたくないから、私は必死で深呼吸をしつつ、きびしく糾弾した。
 レオン様の拘束から足を引き抜こうとからだを捩る。
 
 「今頃気づいたか?その通り」

 ただし君に対してだけだとレオン様は平然とうそぶきつつも、正気は保っていたらしい。
 まあ今はこの程度までだな、場所が悪いとぼやきながら、思わぬ堅結びになってしまっていた衣裳をたいへん手際よく解いて、裾を整えてくれた。

 自覚なく安堵のため息を漏らすと、レオン様は私の腰を引き寄せて、行こうか、リーヴァ、とご機嫌な様子で囁きかけた。さらに、我慢させて悪いな、続きは今晩だなと破廉恥なことを言う。

 勝手に煽っておいて余裕をかますレオン様が腹立たしくて、思わず「今夜は自分の寝室で寝ます!」と宣言していると、また内扉が開いて、今度は銀色の光のかたまりが入ってくる。

 もちろん、オルギールである。

 「遅いですね。何をしておられるのですか」

 氷のような視線が私とレオン様を上から下まで、下から上までいち往復した。
 無表情はいつものことだが、非好意的な気配を感じる。

 「別に何も、オルギール。待たせてごめんなさい」

 私はオルギールにも特大スマイルをお見舞いしたのだけれど、オルギールはまったくノってくることなく、とても居心地の悪い気分にさせる紫の瞳でしばらく私を眺めてから、

 「今夜、お邪魔しますね」

 とさらりと言った。

 え、何、今夜なに?と、いきなり言われてすぐにはついていけなかったのだけれど、来なくていい!とすかさずレオン様は反撃している。
 オルギールはまるで意に介さず、さあお入り下さい、と訳が分からず首を傾げたままの私の手をとった。



 ******

 

 明るい陽射しがたっぷりと差し込む大きな窓。部屋の広さはまあまあ、というところだけれど、床も天井も素晴らしい寄せ木細工になっていて、柱には凝った彫刻が、壁は大理石と飴色の木材の組み合わせで、職人技の粋を極めた素晴らしい出来栄えにため息が出る。
 広大なお城は当然まだまだ私が入ったことのない未知の領域があるから、こうした機会に初めて足を踏み入れると美術館へ来たよう。

 一瞬、部屋の造りに感動して口を開けていたら、お姫様、と、とてもかすかな声が聞こえた。

 声のする方に視線をずらせば、黒い軍服を纏った長い黒髪の男が跪いたまま食い入るようにこちらを見つめている。紅玉の瞳、薄く引き締まった唇。

 アルフだ!と脳が認識した途端、顔がほころぶのを止められなかった。
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