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 思ったよりも強力に、昏倒させられたのか、または「カルナック医師」処方による怪しげな薬でも使われたのか。

 私が目を覚ましたのは、不気味な「狂兵」と対峙してから数刻も経過してからのことだった。
 なぜ、数刻も経過しているとわかったかと言うと、戦いは日の高い時間だったはずなのに、今は篝火が焚かれているからだ。そして、篝火を焚くと、油脂特有の匂いがするからだ。

 野営の時には、城内とは異なり香を一緒に焚くほど手の込んだことをしないから、天幕の中にいても独特の香りがする。それに、そもそも天幕の中にもいくつかちいさな灯火が焚かれている。私の寝かされている寝台、折り畳み式の小卓、椅子、衝立。それらの影が、天幕をスクリーンのように見立ててぼわっと浮かびあがり、わずかな風の動きに揺れる灯火にあわせて、影も一緒にゆらゆらとしている。

 「……」

 私はむっくりと起き上がった。

 からだが軽い。
 甲冑の類は外されていて、よく見れば寝台の足元にかためて置かれている。剣は、枕元だ。
 やわらかい肌掛けが、胸元からするんと落ちた。

 ──よかった。マッパではない。
 黒ずくめの、ぴったりとした鎧下を身に着けたままだ。

 こんなことで安堵するなどどうかと思うが、本当のことだ。異世界転移後とか、気絶するほどヤられた後とか、何かにつけ「目覚めたらマッパ」状態にお馴染み感があるのが昨今なのだから、致し方ない。

 天幕の外は、兵の往来する音が聞こえてはくるけれど、わりと静かだ。
 最低限の音しかたてない、というか。洗練、と言ってもよいほど鍛えられ、選び抜かれた兵士達でないと、こんなに音をたてず動き回ることは難しいだろう。残念ながら、私の手勢はまだまだそこまでのレベルではない。はずだった。……違和感。

 「ここ、どこ」

 よく見ると、私の天幕ではない。
 重厚かつ豪奢なもの。それに、寝台はとても大きい。大人用、というより、大人複数利用可、とでも言えるほど。
 ここまでの天幕を利用できるのは、それに、素晴らしく訓練された兵士達を連れているのは、公爵様レベルだ。

 ……そういえば、アルバから援軍が到着したのだった。
 誰が率いているのだろう?
 レオン様は動けないはずだから、もしかするとラムズフェルド公?
 けれど、援軍ごときを公爵様が率いるなんて。バターを切るのに出刃包丁を使うようなものだ。

 そもそも、圧倒的勝利目前で離脱させられたけれど、皆は無事だろうか。

 私の別動隊、レオン様から預かっている、エヴァンジェリスタ公軍の兵士達。肩に矢がささったまま必死で役目を果たしてくれた伝令、全身返り血で真っ赤のアルフ。それに、私を問答無用で昏倒させた、オルギール。

 「オルギール、どこ?」

 私は、急に不安に駆られて立ち上がった。

 奇襲攻撃が終わったあとの淫らなあれこれ。
 そして、葡萄の首飾りを咎められ、責められたのに、翌日、ウルブスフェルを出立する日の、甘い朝。

 頭をよぎるのは悶絶するほど恥ずかしい記憶ばかりだ。

 ……けれど、レオン様と離れていても、オルギールが傍にいてくれることで、この戦場で、どんなに安心できていたのか。
 ちょっと落ち着いて考えれば、すぐにそう思い至る。 
 
 オルギールを探しに行こう。
 誰が援軍を率いているのか、気になるし。

 私は具足をつけ、胸甲を装着し、剣を吊るし、天幕を飛び出そうとした、その時。

 静かに入り口の天幕をからげて、入ってくるひとと危うくぶつかりそうになった。
 互いの胸甲が触れ合って、がしゃん!と派手な音を立てる。

 「!?」
 「おっと。……起きたのか」
 「オルギール?」

 に、しては、ちょっとぞんざいな言葉遣いだな、と思いつつ声のする方を見上げると。

 「つれないな、リヴェア。あいつのほうがよかったのか?」

 苦笑気味に、けれど、どこかしら本気の混じる、微妙な声。
 ──薄明りにも輝く、純金の髪。同じ色の瞳。

 「……れおん、さま」

 呆然と立ち尽くしてしまう。
 大好きなのに、来られないひと。ここに来るはずのないひと。そう思い込んでいたから、会えて嬉しいはずなのに、視覚と思考が一致しない。

 「……」
 「迎えに来た」

 レオン様はそう言って、床に根が生えたようになって、まだ自失から立ち直れないでいる私を、ぎゅうううっ、と抱き締めた。

 がしゃん、と、またも派手な、無粋な音がする。

 「せっかく脱がせたのに。また着たのか」

 舌打ちとともに身を離すと、留め金を外し、さっさと胸甲を取ってしまう。具足も、小手あても。たった今身につけたばかりの、全ての武具を。

 あっと言う間に再び鎧下ひとつにされ、さらにそれにも手をかけられて初めて、私は我に返った。

 「ダメです!レオン様!!」
 「なぜだ」

 口元は笑んでいるのに、灯火に浮かびあがるレオン様の金色の瞳は、鷹のように鋭い。

 「オルギールに骨抜きにされたか」
 「違います!!」

 レオン様の手をはたきながら、私は全力、全身で否定した。
 私がどれほど武術の達人といったって、こんなふうに組まれてしまってはレオン様を振りほどくことはできない。
 わかってはいても必死に抵抗をする。でなければ、私は瞬く間にマッパにされる。

 「野営(ここ)では、イヤなのです!それに」
 「……それに?」

 着衣にかかる手はなかなか緩まない。

 「俺を納得させてみろ、リーヴァ」

 すこし掠れた、色っぽいテノール。
 出た、こんなときに、久しぶりに聞く「リーヴァ」呼び。
 不覚にも、ひとには言えないところが、ずくん、と痺れる。

 ──いかん、これでは!!
 
 私は頭をぶんぶん振った。自分の髪が顔に当たって、痛いくらいの勢いで。
 なぜ、天幕でいちゃいちゃしたくないのか。
 いや、そもそも、まだ、行軍中。戦争は、終わっていない。

 ……急速に、からだも脳も冷えてくる。必然的に、声のトーンも落ちた。

 「戦争の、後始末」
 「あとしまつ、は、今している。それがどうした?」
 「‘あの子’のこと。お話したでしょう?」

 そうだ。
 二度と、同じことを繰り返してはいけない。
 この平原の周辺には、人里はないはずだけれど、アルバへ帰るまで気を抜いてはいけないのだ。
 兵士達の安全を確保するためにも。そして、全軍の秩序を保つためにも。

 「それなら、わかる」

 やっと、不埒な手の動きが止まった。
 代わりに、柔らかく抱き寄せられ、背中を撫でられた。

 「悪かったな、リーヴァ」

 優しい、甘い声。オルギールほどではなくても、私よりもずっと背の高いレオン様が、少し屈んで、私の耳元に唇を寄せてくる。
 
 「君に会いたくて。……君を前にすると、俺はただの愚か者だ」
 「そんなこと仰らないで」

 レオン様の声、手の感触。
 耳元の囁きを、陶然と目を閉じて受け止める。
 たった、十日足らずの間、離れ離れだっただけなのに、こんなにも懐かしく感じるなんて。
 オルギールが私にくれる「安心感」とはやはり何かが違う。オルギールは、もともとは私の教師役、今は副官。だから、どうしても、「安心感」は日々の実績の積み上げによる「信頼」から発生したものだ。
 けれど、レオン様は。
 無条件の慕わしさ。理由なしに、甘えたくなる。抱き締めてほしいと思う。レオン様への「安心感」は、たぶん、初めて会った時の好意が発端だ。刷り込み、というのか。理屈がつかない。ひたすら、好き。
 
 ──‘あの子’のことは、忘れない。
 だから、行軍中の行為は禁止だ。当然のことだ。

 けれど、このくらいは、許されると思うのだ。……いや、許してほしい、と思う。

 「‘援軍’ではない。グラディウスに大勝利をもたらした恋人を、‘迎え’に来ただけだ」

 耳朶にくちづけ、耳殻に舌を這わせながらレオン様は言った。
 高い鼻梁を押し付けてすんすんする、お馴染みの気配もする。

 「アルバからたかだか一日ちょっとの距離。無理すれば日帰りだって可能だ。アルバの郊外まで筆頭公爵が恋人を迎えに来たんだ」
 「なんてまあ」
 
 うっとりと目を閉じたまま、それでも私は言わずにはいられなかった。

 「ご都合主義。……」
 「なんら、理論の破綻はない。ユリアスも同意して、議会を黙らせた」

 ラムズフェルド公が。
 やっぱり、認識は改めるべきらしい。
 割と、いや、けっこういいひとかもしれない。彼にもお土産を買っておいてよかった。

 でも、その前に。一番に、レオン様に渡したい。

 「ね、レオン様」
 「ん?」
 「お土産があります」
 「君自身、以外に?」

 ……こういう甘い言葉を、こちらの世界のひとは本当に素面で平気で言う。
 でも、いつもはこっぱずかしくなって挙動不審になるのだけれど、今は大丈夫。
 私だってたまにはお砂糖の海に溺れたい。この雰囲気を、壊したくない。
 
 私は、耳をべたべたにされながら、レオン様にいっそう擦り寄った。

 「私、以外に。……ウルブスフェルで、私が選んだお土産」
 「それは楽しみだな」

 楽し気な声。
 レオン様の顔がいったん離れて、そしてまた近づいてきて。濃い金色の瞳に吸い込まれそうだ。
 いったん開けた目を、また閉じて、この先のことを期待する。
 
 「リヴェア。……とりあえず今は、君のその唇を」

 私の返事を待つ素振りもなく。私自身、否というはずもなく。
 ……レオン様の唇が、私のそれにぴったりと重ねられた。
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