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ウルブスフェルまでは馬で五日の距離である。
作戦では、四日目から、私たちの別動隊だけが離脱する。整備された街道をはずれて、町の裏手を目指すのだ。
本隊到着の時期、別動隊の夜襲開始と総攻撃のタイミングは今回の戦の最重要項目であり、何度も何度も打ち合わせを繰り返すことによって、出発前日あたりにようやく愁眉を開いた感があったけれど、その件さえ協議しつくしてしまうと、目的地までの行軍はいたって平穏なものだった。戦争に行くのに平穏、という表現は気がひけるが、本当にそうなのだ。私の知っている戦争は、もっと殺伐としたものだった。軍用ヘリとか殺風景な輸送機で目的地近くの駐屯地に送られる。下手をすると向かっている最中に地上から迎撃されたりする。こんなふうに、のどかな穀倉地帯や森や湖水をみながら行軍することは記憶にない。
兵士達には大声では言えないけれど、私にとっては初陣イコール初めての外出である。正直、出立直後はかなりテンションが高かった。レオン様と離れ離れになるのは寂しいけれど、オルギールがいつもに増して朝から晩まで一緒にいるので心細くはない。市街地を通過すれば朝だというのに旗を振って見送ってくれる人々、城門を抜ければ牧歌的と言える光景。今は、春、その名も「花月」と言われる時期で、あちこちに花が咲き乱れ、見た目にも本当に楽しい。珍しい花もあるし、宝石のような蝶が飛んでいたり、牧場と思しきところにはあり得ない風貌の動物がいたり(ザ・異世界、という感じである)、かなり我慢してはいるものの、たぶん子供のように興奮しているのは、オルギールにはバレバレだったに違いない。
その証拠に、ちょっと珍しそうなもの、私がおそらく目を輝かせたものについては、すぐに全て簡潔かつわかりやすい解説が入った。まったく、百科事典みたいなひとだ。
しかし、平穏だったのは出立当日の昼頃までだった。短すぎる。
私がきょろきょろする、オルギールが解説する。それを数刻繰り返したのち、お昼の小休止の時間となったところから、新たなお悩みが発生した。
「失礼します!」
きびきびとした声で、伝令兵が呼ばわり、私の天幕へ入ってきた。
私はちょうど床几に腰を下ろしたばかりだ。朝から何をした、というわけではないけれど、ちょっと地面に足を下ろしたかったので、一息つこうとしたその矢先のことである。
「准将閣下。オーディアル公がお呼びです」
「公が?」
私は首を傾げた。出立したばかりで、軍議の予定はないはず。繰り返すけれど行程はのどかなもので、本陣の、さらに総大将に呼ばれる理由がどうにも想像がつかない。
「准将は少しお疲れのご様子。ご用があれば私が伺うが?」
オルギールが代わって応えてくれた。
全く疲れていないけれど。出立して、ステラに揺られてきただけだもの。どこのお姫様だ。……って、私も一応姫設定ではありました。でも、今は准将だし。
「いえ、大佐殿。公はご自身の天幕にて、ぜひ准将閣下と昼食をご一緒にと」
ランチの誘いかよ!
私はげっそりした。またお姫様扱いをされ、手を舐め回されるかと思うと正直行きたくない。
断ってもいいかな?それとも断ってくれる?と、傍らのオルギールに目で尋ねると、オルギールはわずかに頷いて伝令兵に向き直った。
「有難きことであるが、准将は」
「姫、お迎えに参った」
オルギールが言い終えるより先に、ばさっ!と天幕が開いて、大柄なひとが少し身を屈めながら入ってきた。
「……オ、オーディアル公がお越しにございます」
あとから追いついたらしき兵士が息を切らせて背後から声をかける。
せっかちというかなんというか、まったくもう。
私は仕方なしに床几から立ち上がって一礼した。
「オーディアル公、わざわざお越し頂くなど恐縮です」
「リヴェア様はお疲れですので、公はどうかお引き取りを」
迎えに来られては仕方がない、と私はおもったのだけれど、オルギールは思い切りストレートに公爵のお誘いを蹴飛ばした。
ちょっとまずくないか!?と小心な私は怯えたのだけれど、言ったほうも言われた側も平然としたものである。
「それとも、私が准将の代わりにご招待にあずかりましょうか」
「男を誘う趣味はない。お前が傍にいては断られると思ったから俺が直接姫をお迎えに来たのだ」
ふん、と鼻を鳴らして公爵は言った。
そして、すぐに私に向き直り、甘い声で、姫、と一声かけると、大柄な体を屈めて私の手を取り、そっとくちづけた。
舐めるの!?と一瞬身構えたが、軽く唇が触れただけだ。
ちょっと安心、舐めるの我慢してエライね、と思ったけれど、褒めるにはハードルを下げ過ぎたようだ。公爵は私の手を握って離さず、私の頭を撫で、綺麗な空色の目を細めた。
「お疲れなら、姫。昼食は俺もこちらで頂くことにしよう。俺の天幕までは距離もあることゆえ」
艶やかで長い、燃えるような緋赤の髪。繊細な顔立ちと対照的な逞しい甲冑姿。
オーディアル公は普通に見れば惚れ惚れするほど素敵な公爵様だけれど。
行軍中に、同じく甲冑姿の私の頭を撫でるのはどうかと思う。
客将たる私の手を握って離さないのもどうかと思う。
できれば戦が終わるまでは姫呼びもやめてほしい。
脳内で色々文句をつけていたのだけれど、他の兵士達の手前、私がこんなことを言うのはそれこそ「どうかと思う」ので、黙って押しかけランチをお受けすることにした。
オルギールはもっと直截に不快感を隠そうともしなかったけれど、現状への対処も早く、「公と准将の昼食の支度をこちらへ」と、傍らの兵士に命じている。
やはり俺が来て正解だった、と、オーディアル公は機嫌よく仰せられる。
……このメンツで昼も、下手をすると夜も食べるのか。
なんとかもう少し気楽にご飯を頂けないものか、考えてみなくてはなるまい。
私は、ようやく離してくれた手を無意識に擦りながら考えた。
作戦では、四日目から、私たちの別動隊だけが離脱する。整備された街道をはずれて、町の裏手を目指すのだ。
本隊到着の時期、別動隊の夜襲開始と総攻撃のタイミングは今回の戦の最重要項目であり、何度も何度も打ち合わせを繰り返すことによって、出発前日あたりにようやく愁眉を開いた感があったけれど、その件さえ協議しつくしてしまうと、目的地までの行軍はいたって平穏なものだった。戦争に行くのに平穏、という表現は気がひけるが、本当にそうなのだ。私の知っている戦争は、もっと殺伐としたものだった。軍用ヘリとか殺風景な輸送機で目的地近くの駐屯地に送られる。下手をすると向かっている最中に地上から迎撃されたりする。こんなふうに、のどかな穀倉地帯や森や湖水をみながら行軍することは記憶にない。
兵士達には大声では言えないけれど、私にとっては初陣イコール初めての外出である。正直、出立直後はかなりテンションが高かった。レオン様と離れ離れになるのは寂しいけれど、オルギールがいつもに増して朝から晩まで一緒にいるので心細くはない。市街地を通過すれば朝だというのに旗を振って見送ってくれる人々、城門を抜ければ牧歌的と言える光景。今は、春、その名も「花月」と言われる時期で、あちこちに花が咲き乱れ、見た目にも本当に楽しい。珍しい花もあるし、宝石のような蝶が飛んでいたり、牧場と思しきところにはあり得ない風貌の動物がいたり(ザ・異世界、という感じである)、かなり我慢してはいるものの、たぶん子供のように興奮しているのは、オルギールにはバレバレだったに違いない。
その証拠に、ちょっと珍しそうなもの、私がおそらく目を輝かせたものについては、すぐに全て簡潔かつわかりやすい解説が入った。まったく、百科事典みたいなひとだ。
しかし、平穏だったのは出立当日の昼頃までだった。短すぎる。
私がきょろきょろする、オルギールが解説する。それを数刻繰り返したのち、お昼の小休止の時間となったところから、新たなお悩みが発生した。
「失礼します!」
きびきびとした声で、伝令兵が呼ばわり、私の天幕へ入ってきた。
私はちょうど床几に腰を下ろしたばかりだ。朝から何をした、というわけではないけれど、ちょっと地面に足を下ろしたかったので、一息つこうとしたその矢先のことである。
「准将閣下。オーディアル公がお呼びです」
「公が?」
私は首を傾げた。出立したばかりで、軍議の予定はないはず。繰り返すけれど行程はのどかなもので、本陣の、さらに総大将に呼ばれる理由がどうにも想像がつかない。
「准将は少しお疲れのご様子。ご用があれば私が伺うが?」
オルギールが代わって応えてくれた。
全く疲れていないけれど。出立して、ステラに揺られてきただけだもの。どこのお姫様だ。……って、私も一応姫設定ではありました。でも、今は准将だし。
「いえ、大佐殿。公はご自身の天幕にて、ぜひ准将閣下と昼食をご一緒にと」
ランチの誘いかよ!
私はげっそりした。またお姫様扱いをされ、手を舐め回されるかと思うと正直行きたくない。
断ってもいいかな?それとも断ってくれる?と、傍らのオルギールに目で尋ねると、オルギールはわずかに頷いて伝令兵に向き直った。
「有難きことであるが、准将は」
「姫、お迎えに参った」
オルギールが言い終えるより先に、ばさっ!と天幕が開いて、大柄なひとが少し身を屈めながら入ってきた。
「……オ、オーディアル公がお越しにございます」
あとから追いついたらしき兵士が息を切らせて背後から声をかける。
せっかちというかなんというか、まったくもう。
私は仕方なしに床几から立ち上がって一礼した。
「オーディアル公、わざわざお越し頂くなど恐縮です」
「リヴェア様はお疲れですので、公はどうかお引き取りを」
迎えに来られては仕方がない、と私はおもったのだけれど、オルギールは思い切りストレートに公爵のお誘いを蹴飛ばした。
ちょっとまずくないか!?と小心な私は怯えたのだけれど、言ったほうも言われた側も平然としたものである。
「それとも、私が准将の代わりにご招待にあずかりましょうか」
「男を誘う趣味はない。お前が傍にいては断られると思ったから俺が直接姫をお迎えに来たのだ」
ふん、と鼻を鳴らして公爵は言った。
そして、すぐに私に向き直り、甘い声で、姫、と一声かけると、大柄な体を屈めて私の手を取り、そっとくちづけた。
舐めるの!?と一瞬身構えたが、軽く唇が触れただけだ。
ちょっと安心、舐めるの我慢してエライね、と思ったけれど、褒めるにはハードルを下げ過ぎたようだ。公爵は私の手を握って離さず、私の頭を撫で、綺麗な空色の目を細めた。
「お疲れなら、姫。昼食は俺もこちらで頂くことにしよう。俺の天幕までは距離もあることゆえ」
艶やかで長い、燃えるような緋赤の髪。繊細な顔立ちと対照的な逞しい甲冑姿。
オーディアル公は普通に見れば惚れ惚れするほど素敵な公爵様だけれど。
行軍中に、同じく甲冑姿の私の頭を撫でるのはどうかと思う。
客将たる私の手を握って離さないのもどうかと思う。
できれば戦が終わるまでは姫呼びもやめてほしい。
脳内で色々文句をつけていたのだけれど、他の兵士達の手前、私がこんなことを言うのはそれこそ「どうかと思う」ので、黙って押しかけランチをお受けすることにした。
オルギールはもっと直截に不快感を隠そうともしなかったけれど、現状への対処も早く、「公と准将の昼食の支度をこちらへ」と、傍らの兵士に命じている。
やはり俺が来て正解だった、と、オーディアル公は機嫌よく仰せられる。
……このメンツで昼も、下手をすると夜も食べるのか。
なんとかもう少し気楽にご飯を頂けないものか、考えてみなくてはなるまい。
私は、ようやく離してくれた手を無意識に擦りながら考えた。
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