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 私は生唾を飲み込んだ。

 このところ記憶にないほどうろたえていたが、狼狽と怯えを悟られてはならないとばかりに、必死で表情筋を制御して、まずは余裕ぶった笑みを浮かべて包囲網を見渡した。

 とたんに、きゃあ、とか、素敵、とか、世にも奇妙な反応が返ってくる。

 ──なんて言ったらいいのか。

 後が続かず沈黙していると、包囲網の中で最も華やかな女性が、

 「トゥーラ准将閣下。お会いできて嬉しゅうございます!」

 と、ついに口火を切った。

 いわゆる、金髪碧眼の美女で、真っ赤なドレスを着ている。私よりは低いけれど、女性としては長身で、蜂のようなナイスバディである。

 気押されて思わずちょっとのけぞると、心なしか一歩距離を詰められたような気がした。
 
 「わたくし、ユーディトと申しますの。どうかお見知りおき下さいませ!」

 彼女は──ユーディトは青い瞳を光らせて言った。
 武士の勝ち名乗りみたいな勢いである。見知りおかないと首をとられそうだ。

 「ウルマン少将閣下の妹君でいらっしゃいますわ」

 と、誰かが言った。

 へぇ、と多少緊張を緩めて、私は彼女の顔をあらためて眺めてみる。

 ……栗色サラサラヘアのウルマン少将に、こんな派手な妹がいたとは。まあ、少将も青い瞳がきれいな爽やか好青年だったっけ。そういえば瞳の色は同じだ。

 彼とは手合わせで私が勝ったあと、なんどか剣の稽古に付き合ったり、今度の出陣のことで言葉を交わす機会があったけれど、妹君の話は聞いたことがなかったな。それよりも、熱愛中の婚約者がいて、ひと月くらい会えないのが寂しいと惚気ていたっけ。

 私の、まだ数えるほどしかいない知りあいの妹君かと思うと、さすがにちょっと警戒心が緩んだ。

 「兄君にはとてもお世話になっております。……お会いできて光栄です、ユーディト嬢」

 私は座ったままではあったけれど、軽く騎士の礼をとった。
 ──またまた、理解に苦しむ黄色い声が上がる。

 「ユーディト様、抜け駆けは許されませんわ!」
 「ご一緒にご挨拶を、とお約束しましたのに!」
 「おひとりだけ名前を覚えて頂こうなどと、ずるいですわ!」

 ちょっと、このひとたち……

 「先手必勝ですのよ」

 ユーディトはふふん!とゆたかな胸を張って、 
 
 「それに、抜け駆けなどとは心外。わたくし自ら兄の名を出さなかっただけでも褒めて下さらないと」

 と、傲然と言い放ち、鮮やかな朱唇をつり上げて微笑んだ。
 そして、失礼致しますわ、と言いつつ、優雅にかつ強引に、一つだけ空いていた私の隣の席に腰を下ろす。
 
 いい根性してるわ、この妹君。

 感心して眺めていると。

 「トゥーラ准将閣下、わたくしはカサンドラと申しますの」
 「わたくしは、ラリサですわ」
 「わたくしは」
 「准将閣下、こちらもお向き下さいませ」
 「お会いしとうございました、准将閣下」

 ──収拾がつかなくなってきた。

 もちろん、私はオルギールではないからそんなにいっぺんにひとの名前と顔を覚えることはできない。
 名前だけ聞いても記号のようなもので、記憶に残すのは難しいのだ。
 でも、どうやら、ここにお集まりの方々は、私が怯えていたように非好意的どころか(女性特有の小意地の悪さや悪意に晒された思春期を過ごした私は、少しばかり女性恐怖症気味である)、侍女さん達と共通の嗜好をお持ちの方々のようだ。

 「皆さま方。そんなに一度に仰られても、閣下は困ってしまわれますわ」

 困惑する私の隣で、ユーディトは「私、一歩リード!」的な余裕をかまして言った。

 歯噛みしつつもその通りだと思ったのか、多少、さえずりが静かになる。

 「閣下。……トゥーラ准将」

 ユーディトは嫣然えんぜんと微笑んで言った。
 同性の目から見ても、迫力のある美しさだ。
 こちらのひとは大柄だし、骨格もしっかりとしている。ユーディトは紛うことなき美女なのだけれど、彼女と相対していると、なんかこう男性と話をしているような気分になる。

 さっぱりした気性の、男性的な女性なら気が合うかも。

 期待を込めて彼女を見やると、ユーディトはうふふ、とちょっと笑って、そして突然、くたりと身をくねらせ、媚びるような目で私を見上げた。

 肩の線が、オンナになった。……いや、もともと女性なのだけれど、急に色気爆発と言おうか。

 「准将閣下、わたくしはじめ、こちらにおります者たちは、ずっと閣下にお会いしたい、お目にかかりたいと思っておりましたのよ」
 「それはまた、なぜ……?」

 豹変ぶりについていけないなりに、なんとか聞き返すと、彼女はじれったそうに、豊満なからだをさらにくねらせた。

 「んもう、閣下!それをわたくしに言えとおっしゃいますの!?」

 お芝居だったら、ハンカチを噛んで流し目をくれそうな場面だ。
 オーバーリアクション。激し過ぎる。

 じゃあ別に言わなくても構いませんよ、と言おうとしたのだけれど、ユーディトは私の返答はまるで聞く気はなかったようだ。

 「閣下は、あのわたくしの脳筋の兄を打ちのめしたからですわ!」
 「脳筋の兄」

 出陣を控えたウルマン少将になんてことを。

 「幼少の頃から、わたくしの髪をひっぱったりお気に入りのおもちゃを隠したり、長じてからはドレスを着ていてもお前は男らしいと言ってからかったり」

 あ、やっぱり兄から見てもそうなんですね。ユーディトは、美女なのに男らしいですものね。

 「勉学ではわたくしに勝ったことがないくせに、剣の腕だけが取り柄の兄が、オーディアル公に恐れ多くも気に入られて少将などと言われて悦に入っているのがくやしくて」

 公爵に重用されたら、ご家族なら、喜ぶところだと思うのですが。

 「その脳筋の兄を、美貌の女性剣士が打ち負かしたと聞いて!その方が、今回の出陣で兵を率いられると聞いて!わたくし、どんなにお会いしたかったことか」
 
 兄に対する敬意がみじんも感じられないユーディトの話に私は唖然としていたが、周知の事実なのか、周りの方々は平然としていた。
 それよりも、一区切りついたところで口々に合いの手が入る。

 「わたくしもですわ、閣下」
 「閣下、わたくしも。お会いしたかった」
 「間近でお会いして、こんな素敵な方だったなんて」
 「こんなにお綺麗でお強いなんて、夢のようですわ……」

 だめだ、またカオスだ。

 このままでは、またあの口の悪いラムズフェルド公に、「麗人気取り」だのなんだの言われかねない。お目目キラキラ(ギラギラ)で私を鑑賞しているお嬢様、ご婦人方を、先ほどから近くを通る男性がちらちらと非好意的な視線で見てゆくのも気がかりだ。

 私は、ようやく気を取り直して事態の終結を試みることにした。
 いつもレオン様やオルギールが守ってくれるわけではない。
 女性の人気取りをしようとは毛頭思わないが、もちろん好んで嫌われたいわけではない。
 こういう「トゥーラ准将すてきぃ」という熱狂は、ちょっとしたきっかけですぐにも強烈なマイナス感情になりうるのだ。
 対処の仕方を気を付けないと。頑張って、彼女たちと仲良くしないと。

 私は腹をくくって、まずユーディトの綺麗な青い瞳を覗き込み(目が合ったとたん、真っ赤になった。男らしい美女だけれど、可愛らしかった)、他の女性方ひとりひとりに目を向けた。

 「私も、皆さま方とこうしてお知り合いになれてとても嬉しい。けれど、ユーディト嬢を除いて、この距離ではお一人お一人とお話をすることもままならない。とりあえず、椅子を持ってこさせ、皆さま方座られてはいかがか」

 「嬉しゅうございますわ、閣下!」

 ピンク色のお人形みたいに可愛いお嬢さんが叫んだ。
 可愛いけれど、やっぱりおめめはギラギラだ。

 「お話をして下さいますのね!?」
 「いえ。……お話、もよろしいが」

 私はお人形さんと目線をあわせてにっこりした。
 とたんに、お人形さんはドレスと同じく頬をピンク色に染める。

 「お一人ずつ、そのお美しい御手を拝見。……皆さま方、占いはお好きですか?」
 「占い?」
 「もちろん、好きですけれど、、」

 私は、手相を視ることができる。
 お酒が飲めず、下手をすると場を白けさせるので、宴会芸代わりに手相を勉強したのだ。
 ハマってしまい、本を買って暗記するほど読み込み、手あたり次第に周囲のひとたちの手を視せてもらっていたら、我ながらこれで食べていけるんじゃないかというほどよく当たるようになった。
 逆に、あまりに当たるので怖くなって、ここ数年は視ていない。自分の手くらいしか視ない。
 けれど、ここは異世界。彼女たちとはこれが初めてだし、このあとどれほど仲良くなるかわからないがこういった場で名前や顔を覚えるには格好の手段のはず。大体、女性で占いの類が嫌いなひとは本当に少ない。

 私は通りがかった給仕に、人数分の椅子と飲み物を持ってくるようにお願いして、全員が腰を下ろすのを確認してから、もう一度、隣のユーディトの瞳を下から覗き込んだ。
 耳まで、真っ赤になっている。私にこういう趣味嗜好はないけれど、可愛らしいなあ、と思う。

 「──さて、ユーディト嬢。お嫌でなければ、御手を拝借」

 私が冗談めかしてそういうと、さっきまでの堂々たる美女っぷりはどこへやら、おずおずと言ってもよい風情で私に右手を差し出した。

 「あの、准将閣下」
 「トゥーラ、でいいですよ」
 「トゥーラ様。……どちらの手を?」
 「差し支えなければ、両方同時に拝見します」

 ユーディトの両手をとって、私は軽くくちづけの真似をした。
 きゃあぁ!!と真っ黄色い悲鳴があがる。
 トゥーラさま、とユーディトが声を失う。

 ──しまった。面白がって明らかにやり過ぎた。

 

 
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