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すぐには、何のことかわからなかった。
言われて初めて気づかされた。睫毛は濡れているし、それに触れた指も濡れている。頬も、少し、湿っているようだ。
大泣きした感じではないけれど。
「頬の涙は、俺が舐めた」
自分の頬に触れて首を傾げた私に気づいたのか、レオン様はうっすらと笑んで言った。
でも、笑顔も一瞬のこと。またすぐに、とても真剣な眼差しを私に向ける。
ちょっと、緊張してしまう。
「レオン様、初めてではない、ってそれはどういう……?」
「君と眠るようになってすぐ、気づいた」
レオン様は仰向けになって、私を自分のからだの上に載せた。実は、レオン様はたびたびこの体勢をとる。重くないの?って尋ねたら、重みが心地よい、のだそうだ。
私は、遠慮なく彼の上にのっかって、首と肩の付け根あたりに顎を置いた。すると、レオン様の耳元、うなじあたりに私の顔が来る。レオン様はいつも私にくんくんするけれど、この体勢だと私がレオン様の香りを堪能できるので、実はけっこう気に入っている。
「俺の眠りが浅いのは知っているだろう?」
「ええ。伺ったので」
「夜半に、君が何か言ってるのに気づいたんだ。何を言ってるのだろうと思ったら、ずっと謝っている。魘されているなら起こそうと思ったんだが、起こさなかった。まもなく、また寝入ったようなので」
レオン様は、私の背中をゆっくりと撫でた。
全身に冷水を浴びせられたような気がする。……泣いて、謝る?
──あのことに、決まっている。
「次の日も。ひたすら、ごめんなさいと言って、とても静かに涙を流していた。……その日の夜、初めて君を抱いてからは今日まで聞いていない。毎晩、意識を飛ばすほど君を抱いているからか、熟睡しているときは言わないのかもしれないな」
黙り込んでしまった私を気遣うように、ちょっとだけ柔らかい口調でレオン様は締めくくった。
温かくて、大きな手はずっと私の背を、肩を撫でてくれる。こわばりを、溶かすように。
夢は、見なくなっていたけれど。
忘れるはずがない。忘れてはいけない、私の失態。取り返しのつかない失態。味方の兵士達に犯されて死んだあの子……
私は唇をかみしめた。嗚咽しそうになったから。小娘みたいにえぐえぐ泣くなんて、同情を引くような真似、してはいけない。同情されるべきは、あの子なのであって、私にそんな資格はない。
けれど。元の世界で心のリハビリ中に、なんとか気持ちの決着をつけたつもりだったのに、まだこれでは……
「……もうすぐ、出陣だろう?」
静かな声で、レオン様は言った。
「行軍中、ひとり天幕で眠る君がこんなふうでは、と、どうにも心配になってな。今日は起こしてしまった」
肩を撫でていた手が、私の後頭部に添えられた。
また、ひたすら、なでなで、なでなで。
泣きそうになる。さらにきつく、唇を噛んでこらえる。
「リヴェア、唇に傷をつけるな」
突然、ぎゅうっ、と閉じた私の唇に、無理やりレオン様が親指をねじ込んだ。かなり強引だったので、口を開けざるを得ず、軽く咳き込んでしまう。無意識に呼吸も止めていたのかもしれない。
わずかに、鉄の味がする。……私の、血?
レオン様は、くるんと半回転して、あらためて私を寝かせると、寝台の傍の小卓に移動してお水をとってくれた。
杯を頂こうと伸ばした私の手は空を切って。
「ん、っんん……」
レオン様は口移しで水を飲ませてくれた。
変な声が出てしまったけれど、レオン様はお構いなしに、二度、三度と水を含んでは私に飲ませる。
ちょっとむせただけだったからまもなく咳はおさまったのに、レオン様はなかなか唇を離してくれなかった。いつもの、情熱的なくちづけではなくて、じゅわ、っと唇を当てているだけだったけれど、それはそれでけっこう恥ずかしい。もじもじごそごそし始めたころに、レオン様は私の唇を舐め、おそらくはまだ滲んでいただろう血を舐めとって、ようやく顔を上げた。
レオン様は寝台の枕板にあてがったクッションに半身を起こしてもたれかかり、私をその上に跨らせた。ちなみに、寝るときは全裸、と公言してはばからないレオン様は、勿論今もそうである。そこに、寝衣を着た私がのっかった。多少、目のやり場に困る感じがないでもないが、今の私の頭の中は「あのこと」でいっぱいだった。克服したはずなのに、レオン様に聞かれてしまった。こんなにも心配して下さっているのに、なんて言えばいいのだろう?隠すのも失礼だ。
どうしたらいい?
「理由が思い当たるようだが。……言いたくなければ、言わなくてもいい。わけを聞くために起こしたんじゃない」
ゆったりと、あやすように私の頭を撫でながら、レオン様は言った。
「出陣がなければ黙っていようと思ったが。かわいそうだが、自覚したほうがいいと思ったのだ。行軍中に仮眠をとったりもするだろう?そのときに、俺以外の者に気づかれてもどうかとも思ったし」
主に、オルギールに、だがな、とレオン様は続けた。
──なかなか、何処から、何を話そうか、気持ちの整理がつかなかったけれど。
このひとの前で理路整然と話せなくてもいいや、と、私は腹をくくることにした。泣きだしそうになるピークを越えて、ちょっと頭も冷えてきたので、私はぽつぽつと、思いつくままに、話し始めた。そういえば、軍人をやっていた、という話をしたことがあるくらいで、詳しい過去話はしたことなかったなあ、と思いながら。
言われて初めて気づかされた。睫毛は濡れているし、それに触れた指も濡れている。頬も、少し、湿っているようだ。
大泣きした感じではないけれど。
「頬の涙は、俺が舐めた」
自分の頬に触れて首を傾げた私に気づいたのか、レオン様はうっすらと笑んで言った。
でも、笑顔も一瞬のこと。またすぐに、とても真剣な眼差しを私に向ける。
ちょっと、緊張してしまう。
「レオン様、初めてではない、ってそれはどういう……?」
「君と眠るようになってすぐ、気づいた」
レオン様は仰向けになって、私を自分のからだの上に載せた。実は、レオン様はたびたびこの体勢をとる。重くないの?って尋ねたら、重みが心地よい、のだそうだ。
私は、遠慮なく彼の上にのっかって、首と肩の付け根あたりに顎を置いた。すると、レオン様の耳元、うなじあたりに私の顔が来る。レオン様はいつも私にくんくんするけれど、この体勢だと私がレオン様の香りを堪能できるので、実はけっこう気に入っている。
「俺の眠りが浅いのは知っているだろう?」
「ええ。伺ったので」
「夜半に、君が何か言ってるのに気づいたんだ。何を言ってるのだろうと思ったら、ずっと謝っている。魘されているなら起こそうと思ったんだが、起こさなかった。まもなく、また寝入ったようなので」
レオン様は、私の背中をゆっくりと撫でた。
全身に冷水を浴びせられたような気がする。……泣いて、謝る?
──あのことに、決まっている。
「次の日も。ひたすら、ごめんなさいと言って、とても静かに涙を流していた。……その日の夜、初めて君を抱いてからは今日まで聞いていない。毎晩、意識を飛ばすほど君を抱いているからか、熟睡しているときは言わないのかもしれないな」
黙り込んでしまった私を気遣うように、ちょっとだけ柔らかい口調でレオン様は締めくくった。
温かくて、大きな手はずっと私の背を、肩を撫でてくれる。こわばりを、溶かすように。
夢は、見なくなっていたけれど。
忘れるはずがない。忘れてはいけない、私の失態。取り返しのつかない失態。味方の兵士達に犯されて死んだあの子……
私は唇をかみしめた。嗚咽しそうになったから。小娘みたいにえぐえぐ泣くなんて、同情を引くような真似、してはいけない。同情されるべきは、あの子なのであって、私にそんな資格はない。
けれど。元の世界で心のリハビリ中に、なんとか気持ちの決着をつけたつもりだったのに、まだこれでは……
「……もうすぐ、出陣だろう?」
静かな声で、レオン様は言った。
「行軍中、ひとり天幕で眠る君がこんなふうでは、と、どうにも心配になってな。今日は起こしてしまった」
肩を撫でていた手が、私の後頭部に添えられた。
また、ひたすら、なでなで、なでなで。
泣きそうになる。さらにきつく、唇を噛んでこらえる。
「リヴェア、唇に傷をつけるな」
突然、ぎゅうっ、と閉じた私の唇に、無理やりレオン様が親指をねじ込んだ。かなり強引だったので、口を開けざるを得ず、軽く咳き込んでしまう。無意識に呼吸も止めていたのかもしれない。
わずかに、鉄の味がする。……私の、血?
レオン様は、くるんと半回転して、あらためて私を寝かせると、寝台の傍の小卓に移動してお水をとってくれた。
杯を頂こうと伸ばした私の手は空を切って。
「ん、っんん……」
レオン様は口移しで水を飲ませてくれた。
変な声が出てしまったけれど、レオン様はお構いなしに、二度、三度と水を含んでは私に飲ませる。
ちょっとむせただけだったからまもなく咳はおさまったのに、レオン様はなかなか唇を離してくれなかった。いつもの、情熱的なくちづけではなくて、じゅわ、っと唇を当てているだけだったけれど、それはそれでけっこう恥ずかしい。もじもじごそごそし始めたころに、レオン様は私の唇を舐め、おそらくはまだ滲んでいただろう血を舐めとって、ようやく顔を上げた。
レオン様は寝台の枕板にあてがったクッションに半身を起こしてもたれかかり、私をその上に跨らせた。ちなみに、寝るときは全裸、と公言してはばからないレオン様は、勿論今もそうである。そこに、寝衣を着た私がのっかった。多少、目のやり場に困る感じがないでもないが、今の私の頭の中は「あのこと」でいっぱいだった。克服したはずなのに、レオン様に聞かれてしまった。こんなにも心配して下さっているのに、なんて言えばいいのだろう?隠すのも失礼だ。
どうしたらいい?
「理由が思い当たるようだが。……言いたくなければ、言わなくてもいい。わけを聞くために起こしたんじゃない」
ゆったりと、あやすように私の頭を撫でながら、レオン様は言った。
「出陣がなければ黙っていようと思ったが。かわいそうだが、自覚したほうがいいと思ったのだ。行軍中に仮眠をとったりもするだろう?そのときに、俺以外の者に気づかれてもどうかとも思ったし」
主に、オルギールに、だがな、とレオン様は続けた。
──なかなか、何処から、何を話そうか、気持ちの整理がつかなかったけれど。
このひとの前で理路整然と話せなくてもいいや、と、私は腹をくくることにした。泣きだしそうになるピークを越えて、ちょっと頭も冷えてきたので、私はぽつぽつと、思いつくままに、話し始めた。そういえば、軍人をやっていた、という話をしたことがあるくらいで、詳しい過去話はしたことなかったなあ、と思いながら。
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