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生涯の推しに出会った侍女の話。~ヘンリエッタの一人語り~
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私はヘンリエッタ。
ヘンリエッタ・ミーム。
アルバ生まれ、アルバ育ち。
父は、エヴァンジェリスタ公爵家に代々文官として仕えている。
中級の役人といったところだが、娘の私が言うのもなんだけれど有能なほうだと思う。
物心ついた頃には父はちょっとした役職についていて、私はその縁でお城勤めの侍女となった。
というか、たぶんちょっとごり押しをして侍女の枠を手に入れた。
美しい権力者の目にとまって栄達を、とまでは、おそらく思わなかっただろう。私程度の容姿の者はいくらでもいるお城だから、親子そろって大それたことは考えていない。
少なくとも、父は私には大真面目に断言した。
「品行方正にな。行儀見習いだと思え」と。
私は見た目が悪くなかったからモテるほうだったし、ませていたし、早くから男友達、というか取り巻きの男性に事欠かなかったので、それは両親にとって悩みの種だったらしい。
彼女のいる男性を誘惑するのは自分ではご法度と思っていたから、不品行と言われるのは心外だが、けれどまあ、奔放と言ってもよい程度には楽しく暮らしていた。
学問も花嫁修業の習い事もひととおり器用にこなしてしまうと、私は家で母の手伝いをしながら遊びほうけるしかなかったのだ。
そんな私でも、両親は「悩みの種」と言いつつも、愛情を持って接してくれた。
無理にどこかへ縁付けようともせず、なんなら母の側でずっと暮らしてもよいとまで言ってくれた。
時々‘降りてくる’奇妙な私だったけれど、それにいち早く気づいた母も、その母を大切にしていた父も、気味悪がることもなく周囲に吹聴することもなく、「家族の中のちょっとだけ不思議なお話」として面白がって受け入れてくれた。
実際、悪い、いやな話は一度も‘降りてくる’ことはなかったから。
とはいえ、何か思うところがあったのか、年頃の娘が遊びほうけることに一抹の危惧を覚えたのかは不明だが、エヴァンジェリスタ城でわずかばかりの侍女の募集があることを聞きつけた父は、尽力したらしい。その数少ない枠に私を押し込むことに成功したのだ。
──ちょっと窮屈だな、緊張するな、と思ったのは、お城に上がったばかりのわずかな間に過ぎなかった。
煌びやかなお城は夢のようだったし、間近で拝見するエヴァンジェリスタ公爵様、その副官である‘あの’カルナック大佐様、そして他の公爵様方ときたら、皆々様全て眼福の極みと言ってよいお美しさだし、公爵様のお側に控えて、恐れ多くもお言葉を頂くことも少なくなかったし、素晴らしい職場である。
私は心から父に感謝した。
そしてまた。
行儀見習いだのなんだのと父はうるさく言っていたが、華やかな職場にはそれにみあった男性がなんと多く闊歩していることか。
私はこの点についても人生を謳歌し、心から父に感謝し、申し訳ないがこの点は父を落胆させた、らしい。
私は男性が好きだ。
話をするのも一緒に出かけるのも、もちろん親密になるための行為も。
一人の男性に絞ることができない私は、どこか壊れているのかもしれないが、けれどもそれを不幸だと思ったことはなかった。
男性のことはとても好きだけれど、でも男性無しでは生きていけない、といった依存症的なところはない。いたって健康的に、男性と、好意を持った彼らとの関わりを好んでいるだけだ。
こんな私には同性の友人は子供の頃から数えてもほんのわずかしかいないけれど、一緒にお城に入った女性、ミリヤムとは妙にうまが合って、気が付けば親友と言ってよいほどになっていた。
私とは正反対の堅物なのが意外だけれど、でも、今ならわかるような気がする。
彼女は清廉で、頭がよくて、でも、私のような奔放さを否定もせず、むしろ憧れているかのような節がある。
私は異性と楽しく過ごすことは好きだけれど、だからといっていつも面白おかしくしていればよいというものではない。彼女の側は居心地がいい。落ち着く。賢くて思慮深くて頭の回転の速い彼女にはいつも感心させられるし、話題も豊富で面白い。そして何より、彼女の筋の通った清廉さに対して、私のほうこそ憧れすらある。
たぶん、互いに自分に無いものを見出し、求めて、それ以外の部分は波長が合って、今に至っているのだろう。
***
何千年、何万年に一度あるかどうか、と言われた不思議な星の並びを鑑賞する宴の後、私は奇妙な興奮を覚えて、お酒を持って彼女の部屋に押しかけた。
そして彼女相手に管を巻いているうちに、久しぶりに‘降りてきた’のだ。
子供の頃から慣れっこになっているその現象は、出会って間もなくミリヤムの前で発生して、以来ちょこちょこ彼女の前で目撃されている。
私の本能、または、私の口を借りてお喋りをする‘何か’は、彼女を家族同様に信頼することにしたらしい。
(幸か不幸か、私が付きあう男たちの前では、一度たりとも‘降りてきた’ことはない。どう考えればよいのだろうか)
心が飛び跳ねるように沸き立ってきて、いつの間にか私はぺらぺらと喋りまくっていた。
散々喋ってはしゃいで、お約束のひと眠りをし(いつになく長かったけれど)、起きたら公爵様の居室に呼ばれて、「客間の女性」のお世話をするようにと言われて。
私もミリヤムも、すぐに気づいた。
私たち二人に、きっと素晴らしい女主人ができるのだ。
公爵様や、なぜか‘氷の騎士’、カルナック大佐様までも、というのが気になるが、あの方々があれだけ気にかけられる、大切にされる女性が現れたのだ。
そんな方に、私たちはお仕えできるのだ。
自分の口で語ったことだから、はっきり覚えている。
お綺麗で、お優しくて、お強くて、素敵な方だと。
心を込めて、お仕えしたい。
身の回りの世話、などではなく、その方の侍女としてお仕えするつもりだ。
私のような、異性関係が派手めな人間がお嫌いなら、多少なら自粛することもやぶさかではない。
公爵様方が夢中になるような素晴らしい女主人に、私は嫌われたくはない。
お父様!
ヘンリエッタは感謝しています!
「場合によっては」行儀よく致しますよ!
自室に戻り、居室を移動するための仕度を急いで整えながら、私は脳内に現れた仏頂面の父に全力で感謝を捧げた。
***
その方、リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ姫様は、想像の遥か上を行く方だった。
──いろいろな意味で。
まず、お美しい。
美女に事欠かないアルバであり、グラディウス一族だけれど、文句なしに素晴らしくお美しい。
長身で堂々としていらっしゃるのに華奢で、お胸は同性の私が見てもうっとりするほど豊かで形がよくて、それをご自身で恥ずかしがっていらっしゃるのがなんともお可愛らしいというか美貌に不似合いな初々しさというか。
象牙色の輝くような肌はきめ細かくてしっとりしているし、髪も瞳も神秘的なほどにつややかな漆黒で、夜の女神のような方だ。
ミリヤムも私もたちまち魅せられてしまって、先を争うようにお仕えしようとしたのだけれど。
次に、呼び方。
聞けば、トゥーラと言えばおそろしく辺境だけれど、エヴァンジェリスタ公爵様の遠い血縁の姫君だとか。
もの慣れぬご様子は、辺境から来られたからなのかもしれないけれど、グラディウス一族の御身内というのなら、その美貌も、浮世離れした感じも納得できる。
だから、トゥーラ姫様と呼ぼうとすると「断固拒否!」と仰せられた。
なぜかとお尋ねしても、「むずむずする」とか訳の分からないことをおっしゃる。
名前で呼んでほしい、なんなら呼び捨てでもいいなどとどんどん妙なことをおっしゃるのを、公爵様が「名前を呼んでいいのは俺だけだ」と一刀両断され、カルナック大佐様が「観念なされませ」と諭された結果、ようやく私たちは「ひめさま」とお呼びすることを許された。
どんなに辺境でもグラディウス一族といえば雲の上の方なのに、不思議な方だ。
姫様は姫様に違いないのに。
三番目、お身の回りのこと。
下手をすると何でもご自分でやってしまわれる。
あるいは、ご自分でやろうとされる。
浴室でお背中をお流ししようとしても拒否された。
私がうっかり、がっかりした顔を見せると、恐れ多いことにおろおろされて謝られた。
「迷惑なのではなく、まだ緊張しているから、そのうちにお願いするから」と。
ミリヤムはけっして押しつけがましくなく、ゆったりと微笑みながら「では姫様、お召し替えはぜひ、私どもにお任せくださいませ」とおろおろ顔の姫様に申し出て、「もちろんそれはお願いするわ」と言われ、ご満悦だった。
姫様のご様子からすると、お召し替えすらご自分でされるおつもりだったと思われるが、ミリヤムにうまいこと押し切られたのだ。
ミリヤム、同僚ながら狡猾である。
掃除道具はどこか、と言われたのは驚天動地としか言う他はない。
恐る恐る、場所はお教えできるがなぜとお尋ねすると、「教えてくれたら自分でやる」とおっしゃった。
これには私も冷静なミリヤムも飛び上がって驚き、次の瞬間平身低頭して、まず詫びた。
お気に沿わぬ点があったのだ。
お部屋の掃除、しつらえに不備があったに違いない。
我々に注意して、命じて下さるのではなく、「自分でやる」とは。
申し訳なくて情けなくて、泣きそうになりながら詫びると、もっと泣きそうに眉尻を下げた姫様は「そんな意味ではない、何の不満も不備もない」「謝らないで欲しい、謝るのは自分だ」と恐れ多くもおっしゃった。
なんとか気を取り直してお話を伺うと、「暇だから」とのこと。
姫様なのだから暇でもよいではないか。
むしろ、姫様が掃除をなされていたら、侍女が暇になってしまう。
でも、ご自分で掃除なさりたいならお好きにしていただくほうがよいのだろうか。
そう思って、無礼は承知で「お掃除がお好きなのでしょうか」とお聞きすると、
「好きではないしむしろ不得手だ」と仰られつつ、どんどん話が妙な方向へ行くのがご面倒になられたのか、私たちのことを慮って下さったのか、「もう困らせないから。ありがとう」と、最後は笑顔で掃除の話は終わりになった。
私もミリヤムも胸を撫で下ろした。
仕事をとらないでほしい、とは申し上げないが、とはいえ、それぞれにふさわしい仕事があると思っている。
私は学問はそれなりに修めているし、昔から器用で、女性らしい手仕事も、いざというときのためのちょっとした荒事ですらこなせるが、それでも自分が何かを成すことができるような大人物と思ってはいない。せいぜい、ちょっと優秀な侍女がいいところだと思っている。
失礼な言い方だけれど、ミリヤムだって似たようなものだ。
けれど、おそらく、この方は違う。
少し言葉を交わせば、とても賢い方だとすぐわかる。
話し方も挙措も優雅で落ち着いているし、なによりその手。
なめらかでよく手入れされていて、明らかに上流階級のそれだ。
気さくでお優しい方なのに、凛としている。
公爵様やカルナック大佐様に対しても、とても礼儀正しくしていらっしゃるけれど、なんというか、へりくだり過ぎていない。傲岸、とまでは申し上げないが、精神的なところで対等でいらっしゃるというか。
それをこっそりミリヤムにうちあけると、彼女は頷きつつ、「姫様は公爵様方とおそらく同じ景色を見ていらっしゃる方」だと言った。
まさに、その通りだと思う。
統治の中枢にいらっしゃる方々と同じ景色を見ている、ということは、同じ思考を持ち、その思考を実行に移すことができる方なのだろう。
よって、人にはふさわしい仕事がある、という私の考えは正しいと思う。
私とミリヤムは侍女として勤めることがふさわしい。
姫様には、侍女の服装も掃除道具も似合わない。
姫様は、姫様らしく生きることがふさわしい。
公爵様と大佐様の、おそらくは想い人となられるのだろうけれど、この姫様は寵愛を受けてそれで終わる方では絶対にない。
私は、そう確信している。
──私もミリヤムも、客間におられる姫様にお会いしたその日から、我らが主だと思ってお仕えしてから十日足らず後のこと。
姫様は客間からエヴァンジェリスタ公爵様の居住域へと移動されることになった。
そしてなんと、同じ寝室を使われることになったのだ!
寝所を共にされるようになってから、公爵様の姫様への溺愛はあたりをはばからぬものとなり、お見受けしたところ、氷の騎士・カルナック大佐様も姫様に執着されていて。
ある日、男装された姫様のお姿ときたら、気絶しなかった自分をほめてやりたいくらい麗しくて。
あとでお聞きするとそこらの力自慢が敵わないほどにお強いとのことで。
──こうして私は、全力でお仕えできる方に巡り合えたのだ。
相変らず、男性は好きだ。
姫様はそちら関係には寛容な方のようなので安堵しつつも、以前ほどの勢いはなくそこそこに楽しく暮らしている。
けれど、適当な男性と遊んでいるより、姫様のお側にいたほうが楽しくなったようだ。
この間など、腐れ縁の、それなりに付き合いの長い男性から、「お前、変わったな」と言われてしまった。
あいまいに笑って返答の代わりにしておいたが、そうかもしれない。
私の第一は──推しは姫様だ。
それはそれはお綺麗で、怖ろしいほどにお強くて、なんとも浮世離れされた風情の、面白くてお優しい姫様。
私はこの方に、一生ついていく。
ヘンリエッタ・ミーム。
アルバ生まれ、アルバ育ち。
父は、エヴァンジェリスタ公爵家に代々文官として仕えている。
中級の役人といったところだが、娘の私が言うのもなんだけれど有能なほうだと思う。
物心ついた頃には父はちょっとした役職についていて、私はその縁でお城勤めの侍女となった。
というか、たぶんちょっとごり押しをして侍女の枠を手に入れた。
美しい権力者の目にとまって栄達を、とまでは、おそらく思わなかっただろう。私程度の容姿の者はいくらでもいるお城だから、親子そろって大それたことは考えていない。
少なくとも、父は私には大真面目に断言した。
「品行方正にな。行儀見習いだと思え」と。
私は見た目が悪くなかったからモテるほうだったし、ませていたし、早くから男友達、というか取り巻きの男性に事欠かなかったので、それは両親にとって悩みの種だったらしい。
彼女のいる男性を誘惑するのは自分ではご法度と思っていたから、不品行と言われるのは心外だが、けれどまあ、奔放と言ってもよい程度には楽しく暮らしていた。
学問も花嫁修業の習い事もひととおり器用にこなしてしまうと、私は家で母の手伝いをしながら遊びほうけるしかなかったのだ。
そんな私でも、両親は「悩みの種」と言いつつも、愛情を持って接してくれた。
無理にどこかへ縁付けようともせず、なんなら母の側でずっと暮らしてもよいとまで言ってくれた。
時々‘降りてくる’奇妙な私だったけれど、それにいち早く気づいた母も、その母を大切にしていた父も、気味悪がることもなく周囲に吹聴することもなく、「家族の中のちょっとだけ不思議なお話」として面白がって受け入れてくれた。
実際、悪い、いやな話は一度も‘降りてくる’ことはなかったから。
とはいえ、何か思うところがあったのか、年頃の娘が遊びほうけることに一抹の危惧を覚えたのかは不明だが、エヴァンジェリスタ城でわずかばかりの侍女の募集があることを聞きつけた父は、尽力したらしい。その数少ない枠に私を押し込むことに成功したのだ。
──ちょっと窮屈だな、緊張するな、と思ったのは、お城に上がったばかりのわずかな間に過ぎなかった。
煌びやかなお城は夢のようだったし、間近で拝見するエヴァンジェリスタ公爵様、その副官である‘あの’カルナック大佐様、そして他の公爵様方ときたら、皆々様全て眼福の極みと言ってよいお美しさだし、公爵様のお側に控えて、恐れ多くもお言葉を頂くことも少なくなかったし、素晴らしい職場である。
私は心から父に感謝した。
そしてまた。
行儀見習いだのなんだのと父はうるさく言っていたが、華やかな職場にはそれにみあった男性がなんと多く闊歩していることか。
私はこの点についても人生を謳歌し、心から父に感謝し、申し訳ないがこの点は父を落胆させた、らしい。
私は男性が好きだ。
話をするのも一緒に出かけるのも、もちろん親密になるための行為も。
一人の男性に絞ることができない私は、どこか壊れているのかもしれないが、けれどもそれを不幸だと思ったことはなかった。
男性のことはとても好きだけれど、でも男性無しでは生きていけない、といった依存症的なところはない。いたって健康的に、男性と、好意を持った彼らとの関わりを好んでいるだけだ。
こんな私には同性の友人は子供の頃から数えてもほんのわずかしかいないけれど、一緒にお城に入った女性、ミリヤムとは妙にうまが合って、気が付けば親友と言ってよいほどになっていた。
私とは正反対の堅物なのが意外だけれど、でも、今ならわかるような気がする。
彼女は清廉で、頭がよくて、でも、私のような奔放さを否定もせず、むしろ憧れているかのような節がある。
私は異性と楽しく過ごすことは好きだけれど、だからといっていつも面白おかしくしていればよいというものではない。彼女の側は居心地がいい。落ち着く。賢くて思慮深くて頭の回転の速い彼女にはいつも感心させられるし、話題も豊富で面白い。そして何より、彼女の筋の通った清廉さに対して、私のほうこそ憧れすらある。
たぶん、互いに自分に無いものを見出し、求めて、それ以外の部分は波長が合って、今に至っているのだろう。
***
何千年、何万年に一度あるかどうか、と言われた不思議な星の並びを鑑賞する宴の後、私は奇妙な興奮を覚えて、お酒を持って彼女の部屋に押しかけた。
そして彼女相手に管を巻いているうちに、久しぶりに‘降りてきた’のだ。
子供の頃から慣れっこになっているその現象は、出会って間もなくミリヤムの前で発生して、以来ちょこちょこ彼女の前で目撃されている。
私の本能、または、私の口を借りてお喋りをする‘何か’は、彼女を家族同様に信頼することにしたらしい。
(幸か不幸か、私が付きあう男たちの前では、一度たりとも‘降りてきた’ことはない。どう考えればよいのだろうか)
心が飛び跳ねるように沸き立ってきて、いつの間にか私はぺらぺらと喋りまくっていた。
散々喋ってはしゃいで、お約束のひと眠りをし(いつになく長かったけれど)、起きたら公爵様の居室に呼ばれて、「客間の女性」のお世話をするようにと言われて。
私もミリヤムも、すぐに気づいた。
私たち二人に、きっと素晴らしい女主人ができるのだ。
公爵様や、なぜか‘氷の騎士’、カルナック大佐様までも、というのが気になるが、あの方々があれだけ気にかけられる、大切にされる女性が現れたのだ。
そんな方に、私たちはお仕えできるのだ。
自分の口で語ったことだから、はっきり覚えている。
お綺麗で、お優しくて、お強くて、素敵な方だと。
心を込めて、お仕えしたい。
身の回りの世話、などではなく、その方の侍女としてお仕えするつもりだ。
私のような、異性関係が派手めな人間がお嫌いなら、多少なら自粛することもやぶさかではない。
公爵様方が夢中になるような素晴らしい女主人に、私は嫌われたくはない。
お父様!
ヘンリエッタは感謝しています!
「場合によっては」行儀よく致しますよ!
自室に戻り、居室を移動するための仕度を急いで整えながら、私は脳内に現れた仏頂面の父に全力で感謝を捧げた。
***
その方、リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ姫様は、想像の遥か上を行く方だった。
──いろいろな意味で。
まず、お美しい。
美女に事欠かないアルバであり、グラディウス一族だけれど、文句なしに素晴らしくお美しい。
長身で堂々としていらっしゃるのに華奢で、お胸は同性の私が見てもうっとりするほど豊かで形がよくて、それをご自身で恥ずかしがっていらっしゃるのがなんともお可愛らしいというか美貌に不似合いな初々しさというか。
象牙色の輝くような肌はきめ細かくてしっとりしているし、髪も瞳も神秘的なほどにつややかな漆黒で、夜の女神のような方だ。
ミリヤムも私もたちまち魅せられてしまって、先を争うようにお仕えしようとしたのだけれど。
次に、呼び方。
聞けば、トゥーラと言えばおそろしく辺境だけれど、エヴァンジェリスタ公爵様の遠い血縁の姫君だとか。
もの慣れぬご様子は、辺境から来られたからなのかもしれないけれど、グラディウス一族の御身内というのなら、その美貌も、浮世離れした感じも納得できる。
だから、トゥーラ姫様と呼ぼうとすると「断固拒否!」と仰せられた。
なぜかとお尋ねしても、「むずむずする」とか訳の分からないことをおっしゃる。
名前で呼んでほしい、なんなら呼び捨てでもいいなどとどんどん妙なことをおっしゃるのを、公爵様が「名前を呼んでいいのは俺だけだ」と一刀両断され、カルナック大佐様が「観念なされませ」と諭された結果、ようやく私たちは「ひめさま」とお呼びすることを許された。
どんなに辺境でもグラディウス一族といえば雲の上の方なのに、不思議な方だ。
姫様は姫様に違いないのに。
三番目、お身の回りのこと。
下手をすると何でもご自分でやってしまわれる。
あるいは、ご自分でやろうとされる。
浴室でお背中をお流ししようとしても拒否された。
私がうっかり、がっかりした顔を見せると、恐れ多いことにおろおろされて謝られた。
「迷惑なのではなく、まだ緊張しているから、そのうちにお願いするから」と。
ミリヤムはけっして押しつけがましくなく、ゆったりと微笑みながら「では姫様、お召し替えはぜひ、私どもにお任せくださいませ」とおろおろ顔の姫様に申し出て、「もちろんそれはお願いするわ」と言われ、ご満悦だった。
姫様のご様子からすると、お召し替えすらご自分でされるおつもりだったと思われるが、ミリヤムにうまいこと押し切られたのだ。
ミリヤム、同僚ながら狡猾である。
掃除道具はどこか、と言われたのは驚天動地としか言う他はない。
恐る恐る、場所はお教えできるがなぜとお尋ねすると、「教えてくれたら自分でやる」とおっしゃった。
これには私も冷静なミリヤムも飛び上がって驚き、次の瞬間平身低頭して、まず詫びた。
お気に沿わぬ点があったのだ。
お部屋の掃除、しつらえに不備があったに違いない。
我々に注意して、命じて下さるのではなく、「自分でやる」とは。
申し訳なくて情けなくて、泣きそうになりながら詫びると、もっと泣きそうに眉尻を下げた姫様は「そんな意味ではない、何の不満も不備もない」「謝らないで欲しい、謝るのは自分だ」と恐れ多くもおっしゃった。
なんとか気を取り直してお話を伺うと、「暇だから」とのこと。
姫様なのだから暇でもよいではないか。
むしろ、姫様が掃除をなされていたら、侍女が暇になってしまう。
でも、ご自分で掃除なさりたいならお好きにしていただくほうがよいのだろうか。
そう思って、無礼は承知で「お掃除がお好きなのでしょうか」とお聞きすると、
「好きではないしむしろ不得手だ」と仰られつつ、どんどん話が妙な方向へ行くのがご面倒になられたのか、私たちのことを慮って下さったのか、「もう困らせないから。ありがとう」と、最後は笑顔で掃除の話は終わりになった。
私もミリヤムも胸を撫で下ろした。
仕事をとらないでほしい、とは申し上げないが、とはいえ、それぞれにふさわしい仕事があると思っている。
私は学問はそれなりに修めているし、昔から器用で、女性らしい手仕事も、いざというときのためのちょっとした荒事ですらこなせるが、それでも自分が何かを成すことができるような大人物と思ってはいない。せいぜい、ちょっと優秀な侍女がいいところだと思っている。
失礼な言い方だけれど、ミリヤムだって似たようなものだ。
けれど、おそらく、この方は違う。
少し言葉を交わせば、とても賢い方だとすぐわかる。
話し方も挙措も優雅で落ち着いているし、なによりその手。
なめらかでよく手入れされていて、明らかに上流階級のそれだ。
気さくでお優しい方なのに、凛としている。
公爵様やカルナック大佐様に対しても、とても礼儀正しくしていらっしゃるけれど、なんというか、へりくだり過ぎていない。傲岸、とまでは申し上げないが、精神的なところで対等でいらっしゃるというか。
それをこっそりミリヤムにうちあけると、彼女は頷きつつ、「姫様は公爵様方とおそらく同じ景色を見ていらっしゃる方」だと言った。
まさに、その通りだと思う。
統治の中枢にいらっしゃる方々と同じ景色を見ている、ということは、同じ思考を持ち、その思考を実行に移すことができる方なのだろう。
よって、人にはふさわしい仕事がある、という私の考えは正しいと思う。
私とミリヤムは侍女として勤めることがふさわしい。
姫様には、侍女の服装も掃除道具も似合わない。
姫様は、姫様らしく生きることがふさわしい。
公爵様と大佐様の、おそらくは想い人となられるのだろうけれど、この姫様は寵愛を受けてそれで終わる方では絶対にない。
私は、そう確信している。
──私もミリヤムも、客間におられる姫様にお会いしたその日から、我らが主だと思ってお仕えしてから十日足らず後のこと。
姫様は客間からエヴァンジェリスタ公爵様の居住域へと移動されることになった。
そしてなんと、同じ寝室を使われることになったのだ!
寝所を共にされるようになってから、公爵様の姫様への溺愛はあたりをはばからぬものとなり、お見受けしたところ、氷の騎士・カルナック大佐様も姫様に執着されていて。
ある日、男装された姫様のお姿ときたら、気絶しなかった自分をほめてやりたいくらい麗しくて。
あとでお聞きするとそこらの力自慢が敵わないほどにお強いとのことで。
──こうして私は、全力でお仕えできる方に巡り合えたのだ。
相変らず、男性は好きだ。
姫様はそちら関係には寛容な方のようなので安堵しつつも、以前ほどの勢いはなくそこそこに楽しく暮らしている。
けれど、適当な男性と遊んでいるより、姫様のお側にいたほうが楽しくなったようだ。
この間など、腐れ縁の、それなりに付き合いの長い男性から、「お前、変わったな」と言われてしまった。
あいまいに笑って返答の代わりにしておいたが、そうかもしれない。
私の第一は──推しは姫様だ。
それはそれはお綺麗で、怖ろしいほどにお強くて、なんとも浮世離れされた風情の、面白くてお優しい姫様。
私はこの方に、一生ついていく。
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美しく、賢くつよくて、実行力もあり、可愛らしい性格、気取らず、周りの人たちにも、優しく、、、わたしも逆ハーレムものが好きなので、リア様、理想の女性像です。男性陣は、アルフとオリギールが、お気に入りです。ドキドキしながら、ワクワクしながら、たのしんでます。これからも、よろしくお願いします。
夢みるおー乙女様、こんばんは!こちらにも感想を下さり有難うございます!
逆ハー大好き!男性陣がカッコイイのは気合を入れて書くのでまあ常道として、ヒロインも褒めて頂くと本当に嬉しいです♡やっぱり、モテるばっかりじゃなくて同性にも好かれるヒロインを目指したいなと常々思っていますので。
アルフとオルギールをお気に召しましたか。。ではでは第二部はやはり頑張らなくちゃいけないなと思います!アルフ頑張れ!アルフも負けてないぞ!がサブテーマなので。
応援下さりありがとうございます。こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
初めまして。溺愛公爵と氷の騎士から愛読させていただいてます。逆ハーレムものが大好きで、このシリーズが大のお気に入りです。
溺愛公爵と氷の騎士の一話目を再読して気になったのですが、ある男の繰り言の一話目、あの人が見えた、そのあとのこと。(上)のリヴェアが元彼に強姦された話と内容が一致していないように思います。最初に読んだときには強姦で統一されていたように思うので変更忘れだと思うのですが、あえてそのままのようでしたら申し訳ありません…。
麗華さま、こんばんは!
ずっとご愛読いただいているとは…まあまあえっちな逆ハーレムをお気に召して下さったとは…
ありがとうございます!!
で。
すみません。書籍化にあたって冒頭を変えていますが、残りの部分は手を加えていないのです。
忘れ…(>_<) げふん、そうとも言えますしそうでないとも言えます!
書籍は手を加えちゃったけれど後の残りは原作のままにしちゃえ、みたいな…
でも綺麗に書き直した方が断然スマートなので、やはり整合性を図るべきとも思ったり…
麗華さま、申し訳ありません。m(__)mまだ決めかねております。
もしかしたらこっそり書き換えるかもしれないのですが、その時は「ようやく書いたのね」
しばらくしてからもそのままだったら「原作どおりにしちゃうのね」
とお考え頂けますでしょうか。
虫のよいことで申し訳ありませんが、どうか引き続きよろしくお願いいたします。
お待ちしておりました~
やっぱ………( ´艸`)
アルフ……💦可哀想に😭
チョコは、美味しいですよね
Ψ( 'ч'♡ )ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"
私も大好き(*^ω^*)
続きを楽しみにしております( ꈍᴗꈍ)
どうぞご自愛くださいませヽミ ´∀`ミノ<
りんちゃ様、こんばんは!
いつも有難うございます‼️
夫たちは出来レースというか、まあこうなるよねって感じで。
アルフの不憫さが際立つエンディングとなりました。
チョコの話、長々時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。
おつきあい頂き感謝します。
またアレが流行ってきてるし寒いし。
りんちゃ様もご自愛下さいませ❗️
引き続き宜しくお願いします‼️