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お祭り騒ぎのその果ての、そのまた後の出来事。~街歩きをしました~7.

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 ほとんど本能の赴くままに転がり出てしまった私は、とりあえず令嬢の前に仁王立ちになった。

 レオン様の鬼気に怯えた様子ではあったものの、令嬢はちいさな唇をかみしめるようにしていったん口を噤み、何事かと言わんばかりに闖入者であるところの私に非好意的な視線を向けている。

 張りつめた鬼気が一瞬で霧散して、レオン様は佩剣の柄から手を離したようだ。

 「──待ちわびたぞ、リーヴァ」

目が合うと、レオン様は極上の笑みとともに私に手を差し伸べてくれた。

 頼もしい、大きな手。
 私の。私だけの。……

 胸がいっぱいになって、腕の中に飛び込んでいきたくなるのを我慢して、その手に軽く口づけをして元気をもらう。
 くっついて抱きしめて頂く前に、私には、やることがある。

 「リーヴァ?」
 「──そこのあなた」

 第一声は、わりと落ち着いていたと思う。
 ことさらに傲岸な声を出してみた。
 女同士の、いわゆるキャットファイトみたいなのは初めてで、何をどうしたら正しい答えなのかさっぱりわからないけれど。
 レオン様は私の夫だ。
 私は公爵夫人。この令嬢を追い払う権利はじゅうぶんあるだろう。

 令嬢は私に呼びかけられても席を立とうともしない。会釈も何も。
 仇敵を見るような目で私を睨み続けている。──実際、令嬢にとっては私は恋敵にあたるのだから当然か。
 けれど、隣に控える女も一緒になって私を睨むのはいかがなものかと思う。
 主がこうだからおつきの者もこのありさまか。

 私は内心のため息を押し隠し、わざとにっこりして見せた。
 勿論、おもいっきり馬鹿にしてやるつもりで。 

 「エイリス・ルルー・ラ・アサド嬢でお間違いありませんわね?長らくおこもりでいらしたと聞いておりますのに。もうすっかりよろしいんですの?だからこのように?」
 「!?……」

 罪を犯して蟄居していたとじゅうぶん承知していること、ぬけぬけとレオン様の前に姿を現したことをあてこすってやると、エイリス嬢はわかりやすく頬を紅潮させ、唇を噛んだ。
 しかし、青い目はぎらぎらと光っていて、微塵も反省したり狼狽えたりしているようには見えない。
 私への、憎悪しか見えない。

 たいした根性だと思う。
 だから、というのもなんだけれど、私はさらに追い打ちをかけることにした。

 「──けれどまだまだご不調でおられるようですね。心配ですわ。このような人混みの中に出ていらっしゃるなんて。お父上はよくお許しになられましたわね?」

 ついでに、アサド議長の監督責任をつついてやると、きっとして肩をそびやかす。

 「父は、何も知りませんわ!わたくしの意志で……」
 「まあ、それは。きっとご心配なのではないかしら。早くお帰りになったら?私も心配ですもの」

 心配、を全面に押し出して言ってはいるが嫌味であることはもちろん知れたことだ。
 エイリス嬢は不快そうに目を逸らす。

 「……どこも、悪くなどありませんわ」
 「その、おつむりの中身のことですわよ」
 「!?っ……」

 声を潜めて意地悪くはっきりと言ってやるとさすがに一瞬言葉を失ったようだ。
 こういう、独りよがりで暴走する人間にはすぱっと言わないとだめだと思う。
 違いない、とレオン様の情け容赦のない合いの手も聞こえてくる。

 「そのような、あまりの申されよう……!」

 せっかくエイリス嬢がやっと黙ったのに、今度はおつきの女性が私にくってかかってきた。
 勇敢にも私と彼女の間に割って入ってくる。
 無礼な。

 「罪を償って、ようやっと外出をなされたお嬢様に対し、あまりに……っ!」
 「あまりに、なんだというの?お前は」

 おつきの女性がどれほど必死に伸びあがっていきり立っても、長身の私からはかなり見下ろされることになる。

 「私はエイリス嬢と話をしている。誰が発言を許した?私が何者かわかっていように。それともわからないか?お前たちが名乗らぬゆえ、あえてこちらも名乗らず非公式な発言とした方がよかろうと思ったのだが、今からでも名乗った方がよいのか?」

 私は矢継早に言葉を重ねた。

 「罪を償った、などとどの口が叩くか。今日、出会ったのは偶然とはいえ、性懲りもなく私の夫に馴れ馴れしくするでない。身の程知らずの無礼者が」

 エイリス嬢を守るのはあっぱれだが、どうせ私の素性もわかっているのだろうに失礼過ぎる。
 身分を笠に着るのは好きではないけれど、エイリス嬢はその父親も含め、身分至上主義だったはず。
 ならばこちらもそれを利用するまでのこと。

 「トゥーラ姫」は正直に言えばやはり居心地が悪い。レオン様にたしなめられたけれど、これは私にとってはどこまでも作りものの経歴だ。
 けれど「グラディウス公爵夫人」、「姫将軍」は違う。
 公爵様方やオルギールに愛され、望まれて正式な妻となった。そして、軍人としての私の名声は私自身で勝ち取ったものだ。

 誰に恥じることもない。
 親の家名だけに守られ、レオン様に入れあげる空っぽの令嬢に、私が怯むことはない。そのおつきの女など、言うに及ばず。

 奥向きの侍女に過ぎない彼女が、私がちょっとその気で睨んで難詰したら対抗できるわけがなく、たちまちがたがたと震えだし、守ろうとしたはずの「お嬢様」に助けを求めるような目を向ける。

 「ゾフィー、お下がりなさい」

 頭の中身を馬鹿にされたショックはまだあるだろうが、エイリス嬢は表向き平静を取り戻して侍女をどかせた。
 そして、黙って私に目を向ける。
 おつきの者の無礼を詫びるでもなく、さりとて抗弁するでもなく。

 背筋を伸ばし、静かに私を見上げるその姿は凛としていて、さすがは深窓のご令嬢、といった趣だ。

 けれど、何かがおかしい。

 青い瞳はきれいに澄んでいるのに、まるで深さの見えない沼のよう。
 永遠に光の届かない、深い水底のような青。
 表情、と呼べるものを切り取ったかのように、仮面のようにすら見える白い顔で私を見上げている。

 言ったことは間違ってないはずだけれど、小馬鹿にし過ぎたのはまずったかな、と、令嬢の顔を見下ろしながら考えた。

 嘲笑されたのがわかって、心を閉ざしたのかもしれない。
 逃避されてしまったら、何をどうしてもこのあとの言葉は心に響かないだろう。
 身の程をわきまえさせるのと、レオン様は私のものだと理解させるのが目的だったのだけれど、誘導方法を誤っただろうか。

 さてどうしたものかとちょっとの間、考えていると、いきなり手を取られ、レオン様に引き寄せられた。
 温かくて強い手が、決して乱暴にではなく、さりとて断固たる意志をのぞかせる強引さで私を羽交い絞めにした。

 のけぞる私に、レオン様は熱した蜂蜜のように甘く光る金色の瞳を向けた。

 「!?レオ、」
 「リーヴァ、愛している」

 腰直撃のお色気ボイスとともに、問答無用に膝に載せられ、唇を重ねられた。
 おつきの女性が、息をのむのがわかる。
 エイリス嬢の気配は──わからない。

 長い腕の中に私を抱き込み、片手だけ私の顎に添えて上向けにされて、逃れることは許されない。
 こんなところで、こんなアブナイ女の前で煽り過ぎるのはよくないと思うのに、レオン様は息もできないほどに熱っぽく、官能的な口づけを繰り返す。
 抗議のために開けた私の口の中に舌を潜り込ませ、驚きと羞恥に逃げを打つ私の舌を絡め取られ、裏も表も擦り上げながら溢れる唾液を啜りこまれ、お返しとばかりにレオン様の唾液が私の咥内に注ぎ込まれる。
 お互いの舌が絡み合っては解かれ、音を立てて唇どうしを擦りあわされて、唾液の撹拌されるびちゃびちゃという音、擦れあう唇の粘膜が奏でる卑猥な音が、まるで口づけに模して体を繋げているかのように錯覚させる。
 お祭りの喧騒も、長椅子の隣に座ったままのはずのエイリス嬢もおつきのゾフィーとやらも。さらに、植え込みの中にまだいるだろうルードとユリアスのことすら遠いものになってゆく。理性も、現実感もなくなって、ただひたすらレオン様の与えてくれる熱に酔いしれる。
 私のからだに回された腕も、顎に添えられた手も、唇も、唾液も、溶けそうなほどに熱くて心地よい。お腹の中もからだの中心も蕩かされて、はしたなくも腰が揺れてしまいそうになる。

 ──どれだけ、たったのだろう。

 レオン様はくったりとした私の頬を撫でると、リップ音をたててようやく口づけを解いた。

 頭がぼうっとする。隣から気配が消えてないから、きっとエイリス嬢とそのお供はまだいるのだろうけれど、レオン様の本気モードのエロい口づけを受けていたら、もうなんかどうでもよくなっていた。
 それどころか、レオン様にからだを預けたままでは熱が収まらない。からだが火照る。
 ありていに言えば、抱かれたくてしかたがないのだ。

 無意識に私はレオン様に頬ずりをしていたらしい。
 レオン様はぽやんとした私の顔を覗きこむと、それは艶っぽく微笑んで「あとでな、リーヴァ」と言った、その一瞬のち。

 「無粋な。いつまでそこにいるつもりだ?──去れ」

 私のこめかみに鼻先を埋め、匂いを嗅ぎながら、最後までひとかけらの憐憫もなく、冷たく言い放つ。
 一瞥すら与えない。その価値はない、ということなのだろう。

 かさり、とわずかに衣擦れの音がした。
 エイリス嬢が立ち上がったらしい。
 そのまま気配がなくなるかと思ったのだけれど、立ち上がっただけでまだ佇んでいるようだ。

 ああリーヴァいい匂いだ、と、レオン様はもうガン無視を決めこんですんすんしっぱなしなので、私は逆に正気を取り戻して、レオン様の代わりに最後に令嬢の顔を見ておくことにした。怖いもの見たさというか不愉快なもの見たさというか。

 ──目が合った。

 まだ、あの瞳の色のままだった。
 綺麗な青なのに、深淵の見えない青。何も、喜怒哀楽を映さない瞳。
 狂っているのかも、とふと思う。
 「頭の中身がうんぬん」とさっき揶揄してやったけれど、本当の意味で壊れているのかもしれない。

 この女、マジでヤバイかも。

 得体のしれないものを感じて怖気すら感じつつ、それでも絶対に私からは視線を外すものかとエイリス嬢と静かに視線を交錯させ続けていると。

 「わたくしの想いは、わたくしだけのものですわ。それだけは、覚えておいて頂きとうございます」

 そのときの私は知らないことだったけれど、都合が悪くなると同じ事をレオン様に言ったらしいが。
 口だけを動かして、まるで遠くの看板の文字を読み上げるように、ゆっくりと奇妙な声音で言い捨てて。

 最後まで私に対して膝を折ることはもちろん、わずかに会釈することすらないままに、ゾフィーとやらを従えてエイリス嬢は歩み去った。
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