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お祭り騒ぎのその果ての、そのまた後の出来事。~街歩きをしました~5.

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 「──突然のことでしたわ。を、耳に致しましたのは」

 押し殺した声の中に隠し切れぬ情念が籠もり、滴り落ちるかのようだ。
 もともとは鈴を振るような声であるだけに、どす黒い感情に侵食されたその声は、背筋が寒くなるほど不快な、邪悪といってよいほどのものだった。
 
 「レオン様が。……わたくしの愛するレオン様が、おそばに女を置いておられると。片時も離さず、寵愛しておられると」
 「俺はお前のものになったことなど一度もない」

 思わず、レオンは吐き捨てた。
 それでも、頑として女の顔を見ようとはしなかったが。

 「勝手なことを言うな」
 「……わたくしのレオン様。……わたくしの想いはわたくしだけのものですわ」

 恍惚としてエイリスは言った。
 レオンの取り付く島もない言葉も、帽子のつばを引き下ろしたまま一瞥すらくれようとしないのも、みずからの言葉でさらに感情が高ぶったエイリスにはまるで響かないようだ。

 話にならん、とレオンは苦々しく呟いた。
 
 「ずっと、お慕いしておりました。わたくし……父に連れられて、初めてお城に上がって、お会いしてから」
 「……」

 そうだ。
 あの忌々しい行事のせいでこの女は勝手に俺に入れあげ、あの喰えん親父が娘の妄想に便乗したのだった。

 リヴェアがそこにいれば「ああ、デビュタントね」と言ったことだろう。
 アルバに居を構える貴族、名家、芸術なり武芸なりの秀でたひとかどの者。
 その者自身、もしくは家族が十五になると、グラディウス城への登城が可能となり、公爵に目通りを許される。
 公爵本人、そしてその継嗣と言葉を交わした後は大宴会となるのだが、ようは名家の少年、少女のお披露目と、未来の嫁、婿探しの一大イベントとなっている。
 実際、それをきっかけに養子縁組だの婚約だの(残念ながらその逆もあった。親の決めた許婚同士だったのに違う人物に一目惚れしてしまうのだ)もろもろが成立しているのは事実であったし、自由恋愛を尊ぶ公爵家としても、釣り書に頼らずこの催しを通じて好ましい相手を見繕うことも少なくなかったから、レオンが「忌々しい」というのには別のわけがある。
 
 エイリスに一目惚れされ、エイリスは父親に「レオン様と結婚したい」と騒ぎ、娘が望むならと父親も乗り気になり、令嬢の執念と父親の政治力が相乗効果を発揮した結果、「結婚などまだ先でよい」と考えていたレオンが気付いた時には「エヴァンジェリスタ公爵はアサド議長のご息女を娶られるらしい」との風聞が広まっていた。リヴェアと出会う五、六年前のことである。

 レオンへ言い寄る令嬢たちは激減した。令嬢たちにしてみればエヴァンジェリスタ公爵に執着しなくてもいいからだ。同年齢のオーディアル公シグルド。二人より四つ下だが言い換えれば四つ「も」若い怜悧な貴公子、ユリアス。「万能のひと」オルギールはなんだかいろいろ凄すぎて言い寄るのも恐れ多いが、とにかく彼らの麾下の者含め、グラディウス一族には綺羅星の如く容姿・実力・家柄と揃った人物が目白押しだったから、名門・アサド家ににらまれてまでレオンに迫るよりは、他を探したほうがいいと思う令嬢たちが多数を占めたのだ。

 言い寄る令嬢が減ったところで困りはしないレオンではあったが、「アサド議長の娘と内々のお約束があるそうだ」などとまことしやかにささやかれるのは、ごめんこうむりたかった。グラディウス一族の権勢は、かえってその強大さゆえに当事者たちの自由恋愛を可能なものとしていたからだ。妻の実家の権勢など無用であるし、逆に身分のない女性を娶っても外野から文句は言われても反対はできない。させない。「グラディウス家が望んだ」、それだけが妻となる者、あるいは婿に入る者の条件であったから。自分の伴侶は自分で選ぶ。

 やんわり否定をすること数知れず。「手酷くふられた」形になったら令嬢のその後にもアサド家の体面にも差しさわりがあろうとおもんぱかってやったことが裏目に出たのが、レオンのそのときの交際相手の女性を害しようとした一件である。

 どれほど泣いても騒いでも父親に頼っても色よい返事がもらえないことに、いら立ちを募らせ嫉妬が高じたエイリスはついに暴挙に出た。レオンの交際相手を暴漢どもに襲わせたのだ。幸いにも未遂に終わったが。
 
 暴漢はぺらぺらと雇い主を明らかにし、事件から一昼夜の後には首謀者はエイリス嬢であったことが判明し、彼女は申し開きは許されず登城禁止と蟄居一年が命ぜられた。事の重大さに比して処分が軽いようだったが、当事者とアサド家との間で金銭的な示談が成立したからである。一生、アルバに足を踏み入れるなとレオンは言いたかったのだが、交際相手にもそれでよいからと懇願され、そのような処分となったのだ。ちなみに、その女性との関係はそれで終了となった。「あなたは素敵な方ですけれど公爵様のお相手は危険と隣り合わせ。命がけの恋をするつもりはありません。これもいいきっかけ。どうかお元気で」とその交際相手はすっきり顔で微笑んで故郷へ戻っていった。
 後腐れがなくて結構なことだがもう少し名残惜し気にしてくれても、と思わないでもなかったような。

 閑話休題それはともかく
 
 ──そういえば去年か?半年前にこの女の蟄居が明けたんだったか。

 だから祭りをふらついていたわけか、と、レオンは渋面のまま考えた。
 しかし本当に変わっていない。それどころか、思い込みの酷さが悪化しているように感じる。
 怖いもの見たさのような心境で、レオンは帽子の影からほんのちょっとだけ視線をずらして令嬢を見やった。

 白金の髪、青い瞳。細い首。小さな形のよい頭。白磁の人形のような女。
 薄い黄色に青い小花を散らしたドレスの上から、白い毛織物に同色のレースを重ねた見るからに上等そうな外衣を羽織っている。

 黙っていれば美しい深窓の令嬢に見える。というより、現在も令嬢であることに間違いはない。
 しかし、胸の前で組んだ手を神経的に捩り合わせている様子が、妙に気味悪く、首の後ろの毛が逆立つような、イヤな気持ちにさせられる。女が過去になしたことを知っているだけに、かもしれないが。


 ──レオンがさまざまな事を思い巡らす間中ずっと、エイリスは囀り続けていた。

 「レオン様は眩いほどにお美しくて、お声も麗しくて。夜会の際にはお傍近くに侍らせて頂いたこともございますわね」
 (お前が勝手に来たのだ。侍らせてなどおらん、人聞きの悪い)
 「花祭りの際にはお花を下さって」
 (参加者全員に配られたアレか)
 「レオン様自らがお選び下さったと伺いましたわ!」
 (社交辞令だ。そんなこともわからんのか)
 「あのお花!わたくしの一番好きなお花ですのよ!薄青のラスキューロス!まだ大切にとってありますの!」
 「……何年前の話だ……」
 
 令嬢の妄想に付き合って言葉を交わす手間すら惜しんだレオンは、すべて脳内応答で済ませていたのだが、さすがに最後の台詞には辟易して思わず声が出た。

 「──レオン様」

 エイリスは全然ひとの話を聞いていないようでいて、レオンの貴重なひとことを聞き取ったらしい。
 居住まいを正して、傍らのレオンに向き直った。
 気持ちを落ち着かせようとするつもりか、組んだ手を解き、膝の上に置いている。置いてはいるが、震えをごまかすかのように、指が白くなるほど力を込めてスカート部分を握りしめている。

 レオンは黙って金色の瞳を女に向けた。
 こんな近くで、まっすぐに女の顔にその眼差しを与えたのは初めてだったかもしれない。
 無視し続けることもできたし、もっと早い段階で席を立つことだってできた。
 しかし、無視するにはエイリスの執着は深すぎる。
 エイリスの執着からは、何をしでかすかわからない、得体のしれない闇すら感じる。
 ならば、すべていったん吐き出させ、その上で面と向かって執着を断つことが必要だ。

 レオンはそう考えたのだ。

 「レオン様。わたくし、今もまだ、あなた様を、お慕いしております。……心から」

 ひとことひとこと区切って、言葉を噛みしめるように、エイリスは言った。
 澄んだ青い瞳、怖いほど澄みきった青い瞳をまっすぐにレオンに向ける。
  
 「わたくしは過ちを犯しました。けれどそれはあなた様を想ってのこと。罪も、贖いましたわ」
 「親の力でな」

 砂粒ほどの情け容赦もなく、レオンは言った。
 
 「お前がアサド家の者でなければあの程度では済まなかったはずだ」
 「贖罪のため、わたくしが屋敷に籠っていた間に、レオン様は」

 都合の悪いことは聞かない耳をもっているらしい。
 エイリスは言い募った。

 まただ。こんなに会話が成立しない相手によくもここまで入れあげられるな。

 たいへん不愉快ながら、あまりにすっとんだエイリスの言動に感心すること、今晩で既に二回目である。

 「──レオン様は妻を迎えてしまわれた」
 「ああ。最愛の、俺の自慢の妻だ」

 レオンは半ば意図的に堂々と惚気てみせた。
 眼前の令嬢の眉が跳ね上がるのを注意深く見つめながら繰り返す。

 「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ。俺の宝だ」
 「あんな女っ……!」

 肩も声も震わせて、エイリスは小声ながら叫ぶように言った。

 そらきた。と、冷徹な目でレオンは自分に執着する女の観察を続けることにする。

 「あんな女!トゥーラなどという辺境から、身一つで、などと!あなた様へ取り入るなどと!!なんと卑しい、浅ましい……っ」
 「俺に懸想するあまり暴漢を雇って狼藉を企む女のほうが卑しいと思うが」
 「罪は贖いました!そもそもあの程度の者がレオン様のお傍になど似つかわしくありませんから、いい気味でしたわ」

 罪を贖った、が聞いてあきれる。
 塵ほども反省していないことは明らかだった。

 「トゥーラなんて。……あんな辺境の、田舎育ちのくせに!レオン様のみならず、公爵様方やヘデラ侯にまで身を任せるとは、なんてふしだらな、身持ちの悪い……!」
 「リヴェアを侮辱するか」

 ──いきなり、レオンの声音が変わった。 
 エイリスとできるだけ距離をとり、嫌々同席していた風であったが、聞き苦しい糾弾を続ける女にからだごと向き直り、真正面から相対する。

 猛禽類の目に例えられる鋭い金色の瞳。
 一族を、グラディウス版図を統べる支配者の威圧を受けて、さすがのエイリスも息をのむ。
 エイリスに付き従うゾフィーと呼ばれる女もそれまで空気に徹していたが、がたがたと音がするほど全身を震わせている。おゆるしを、とたぶん無自覚に呟いている。気の弱い者なら目も開けていられないほどの威風を、おそらくこの者たちは生まれて初めて知ったことだろう。

 「──お前は前科者の分際で俺の妻を、グラディウス公爵夫人を侮辱するつもりか」
 「わたくし、わたくしは、ただ……」
 「許さん。リヴェアを侮辱するなど、たとえあいつが許しても俺が許さん。何ならこの場で切り捨ててやる。俺にはそのくらいの権力はあるからな」
 「レオン様、わたくしは……!」
 「気安く俺の名を呼ぶな、愚か者が」
 「お嬢様、……!閣下、お許しを……!!」

 さすがのエイリスも言葉を失い、震えながらも主を庇おうとゾフィーが声を振り絞り、レオンが佩剣に手をかけたその時。
 
 「待って!そこまで!!」

 よく通るきりりとした声がした。
 美しい声。ただそれだけで、あたりの空気までも清涼にするかのような。
 その心地よい声と同時に、ベンチの後ろの植え込みがガサガサと音を立てた。

 「……戻ったか」

 身が竦むほどの鬼気は瞬時に和らぎ、とたんにその声も、瞳も、溢れんばかりの愛情に満ちたものとなる。

 「待ちわびたぞ、リーヴァ」

 極上の笑みとともに、掠れ気味の、痺れるほどの美声でレオンは言って、葉っぱや小枝や花びらやらをからだ中につけて現れた、愛する妻に手を差し伸べた。
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