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そしてそれは封印された。~姫将軍の熱血指導~
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ダン!と、短く鋭い低音とともに、またひとり男が地に倒された。
ごくり、と見物に回った男たちの固唾をのむ音までが聞こえそうな瞬間だ。
一瞬の静寂の後にわあっと歓声が上がった。
「──いい!?今の‘間’、見た!?」
リヴェアは隊員に馬乗りになったまま、声を張った。
「伸ばす手、踏み込み!手と足よ!後で皆にもやってもらうけれど、感覚も重要だから!」
「すっげ、……すごいですね、姫」
「早すぎて見えませんよ」
「ヤツが自分で勝手に転がったみたいだ」
隊員がやんやの喝さいを送る。
今日、噂に聞く姫将軍の体術を初めて見る彼らにしてみれば、骨格は華奢な彼女のそれは、まるで神技のように見えた。
武官の中でも精鋭中の精鋭、公爵夫人の親衛隊員たちは、剣術はもちろんのこと、馬術に格闘術など、それぞれ抜きんでた能力の持ち主だが、それでも異世界仕込みの(当然彼らは知らないことであったが)姫将軍の華麗な体術には圧倒される。
さきほどから隊員たちを次から次へとあらゆる技をかけて投げたり抑え込んだりしているのだ。
「……参りました、姫」
リヴェアのからだの下から、組み伏せられた隊員の神妙な声がした。
妙にくぐもっている。
「姫、恐れ入りますがこれでは息が」
「あら!苦しかった?悪いわね」
リヴェアは男の顔に乗っていた上体を起こし、大腿に挟み込んでいた隊員をあわてて解放した。
そして、武人とも思われないほどに華奢な手を差し伸べ、立たせてやろうとする。
「大丈夫?つかまって。立てる?」
「……立てません」
「!?どこをぶったの!?」
リヴェアは血相を変えた。
男は公爵夫人の親衛隊員のひとり。百戦錬磨の武人である。リヴェアにとっては投げようが抑え込もうが手加減は不要と思ったのだが。
打ちどころが悪かったのではと青ざめた。
「立てないほどぶったの!?……誰か、医務官を」
「いや、ぶったのではなく」
頭を動かさないように、しかし心配でそっと男の額を撫でるリヴェアと目をあわせようとはせず、たいへん歯切れ悪く男は言った。
「少々具合が、その」
「気分が悪いの?悪かったわ、じゃあやっぱり」
医務官を、と言いかけたその時。
「ザイン、お前」
「?……隊長?」
低い、地を這うような声を発しながら、アルフ・ド・リリー隊長はなめらかな身ごなしで進み出て、リヴェアに恭しく一礼した。
「何、どうしたの隊長?」
リヴェアが首を傾げながら男の額から手を離すや否や、アルフは仰臥している男、ザインの肩口めがけて無言のまま長い脚で蹴り飛ばした。
ザインは左肩を抑えて反転し、うずくまる。
「いてぇ……」
「ちょっと!?なにすんのよアルフ!!」
リヴェアは立ち上がって怒鳴った。
皆の居並ぶ前だが、口調が素に戻っている。
腰に手をあて、仁王立ちになって親衛隊長に向き直った。
「乱暴にしちゃだめ!おおごとになったらどうするの!?」
「なりはしませんよ、姫」
アルフは口をへの字に曲げて、愛しい彼の女神であるところの姫将軍に口答えをした。
言葉つきは素っ気ないが、その声は優しく、微かに甘やかすような響きを帯びている。
わかってないな、お姫様は。
口の動きだけで正確に読唇をして、なんですってもっぺん言ってみなさいよといきり立つリヴェアから視線を外すと、アルフは今度はかの「氷の騎士」もかくやと言わんばかりの冷たい一瞥を、うずくまるザインに向けて投下した。
背中で気配を察したのか。肩を抑えたザインがわずかに総身を強張らせる。
「あと二、三回蹴飛ばしてやってもいいくらいです」
「なんてひどいこというの!?あなたを蹴っ飛ばしてやろうか!?」」
姫将軍にしてはたいへん乱暴なことをリヴェアは言った。
完全に傭兵時代の口ぶりに戻っている。
姫将軍、とか、ちょっとなんかお言葉が……?、とか隊員がざわついているが、おかまいなしである。
今日は姫将軍による体術指導の初日。親衛隊の半数は訓練に入り、残りは場外と場内で警護にあたっているが、鍛錬場内に詰める者たちはほぼ全員目を丸くしている。
まあ、正しくは「元・別動隊の隊員以外は」というべきか。
ウルブスフェルで彼女とともに戦った隊員たちにとっては懐かしい光景だが、親衛隊の選抜によってあらたに隊員となった者からすれば、美しく高貴な姫将軍が強いのはさておき、男顔負けの声量と微妙な言葉遣いで怒鳴り倒すのはなかなかのインパクトだったのだ。
と、そこへ。
「失礼、姫」
「こやつは我らが」
一礼とともに観客から二人の男が歩み出た。
美しい所作で、リヴェアに対して礼をとる。
「ベニート、エルナン」
元・別動隊員。今は親衛隊の中核メンバーだ。
有能で誠実な彼らにはリヴェアは一目置いているのだが、今は「何か文句があるのか」と言わんばかりに二人を睨みつけた。
皆が初めて目にするリヴェアの体術は予測のつかないものだったはず。ザインは受け身もろくにとれなかったのではないか。
訓練での脳震盪もケガも珍しくはないとはいえ、初めての体術の披露で力いっぱい投げたのはまずかった、と反省が焦燥感を煽り立て、一秒でも早くザインを介抱せねばとリヴェアは両手を奇妙なかたちにわきわきさせている。
あなたたちまで何の用、と言葉を重ねるより早く、二人は大柄なザインの首根っこを捉えると、容赦のない力で引きずり上げた。
リヴェアは瞠目する。
「ちょっと!?ね、ザイン、だいじょうぶ」
「心配ご無用です、姫」
不遜にも姫将軍の言葉を遮って、けれど声だけはたいへん丁重にベニートは言った。
同僚のエルナンとともにザインの襟髪を掴む手を決して緩めるつもりはないようだ。
それどころか、薄茶色の目を細めて、おとなしく引きずり上げられた男を生ごみでも見るような視線でひと撫でする。
「しばらく転がしておいてもよいのですが、お見苦しい事ですからな。我らが撤収しましょう」
「ちょ、っとあなた、彼は」
「具合なんか悪くないですよ、姫。強いて言うなら頭が悪い」
「そんな!」
「……姫、ありがとうございます、ぜひともまた、ご指導を賜り、……って!!」
引きずられながらも殊勝に礼を述べようとしたザインだったが、エルナンに無言で膝蹴りをかまされ、今度こそ悶絶しつつ場外へ連れ出されていった。
「……ん、もうなんなのあれ」
リヴェアは首を傾げてそれを見送った。
本当に、わけがわからない。
武人であればそうたやすく「具合が悪い」などと自分で言わないだろう。その彼が「具合が」と言ったのだ。心配するのは当然だとリヴェアは思う。
「ね、皆。あとでザインの様子、見てきて。報告して」
かたわらに控えるリリー隊長をあえて無視して、リヴェアはその場に居残る者たちを振り返った。
思わず、目を逸らす者。咳払いをする者。ほぼ全員、挙動不審者である。
「は……」
「誰か、見てきてよ。頼んだわよ」
煮え切らない返事に、苛立ったようにリヴェアが念を押す。
「了承、致しました……」
「はあ、確かに」
「大丈夫と、思いますが……」
男たちはもごもご言いながら目立たぬように数歩、後ずさる。
──ザインの不具合。
彼らには思い当たる節があった。
始めは本当にわからなかったのだが、リリー隊長とベニート、エルナンの行動でたちどころにひらめき、そして確信した。
皆、健全な男であったからこそ。
誇り高い親衛隊員たるもの、決して、一瞬たりとも考えてはならんことだとそれぞれが頭の隅に追いやっていたことだった。
──いくら厚地の胴着に身を固めているにしても、その熱さ、ゆたかさを想像させられる上体を押し付けられ、なぎ倒される。
遠くふっとばされた者は、さほどの「恩恵」にはあずからなかったが、組み伏せられた者たちが上を見上げれば、間近に迫るリヴェアの美貌。
彼女はどれほど訓練しているのか、息一つ乱していないが、甘くさえ感じるかぐわしい吐息が喉元を擽る。
脳震盪ではなく、まずい意味で一瞬気が遠くなりかけた隊員は少なくなかった。
そして、彼らはそれを恥じた。各自が、各自の煩悩を口には出さず、押し殺そうとした矢先に。
ザインが倒された。
足通しに包まれたリヴェアのしなやかな両足が、ザインの腰付近をがっきりと挟み込んでいる。
彼の顔にリヴェアの上体が押し付けられている。ザインは最後の気力を振り絞って「息が」と言ったが、彼は本当は紳士だからこそ言ったのだ。呼吸なんてどうにでもなった。いや、胸いっぱいに吸い込んでいたら彼は昇天していたかもしれない。
ほんのりと汗をかいた、けれど媚薬のように彼を刺激するリヴェアの体香。
人外の嗅覚を持つエヴァンジェリスタ公を骨抜きにしたそれは、武人である前に健全な男であったザインをもノックアウトしたのだ。
彼女の神技に見とれる一方で、男たち自身、一流の武人であったから、ザインの「具合が悪い」には皆訝しく思ったのだ。「具合が悪くなるほどはたいしてぶつけてないだろう?」と。
問答無用に蹴りを入れるリリー隊長。
いっけん無体なそれを甘んじて受け、かつ奇妙なほど体を丸めてうずくまるザイン。
とどめは、ベニートとエルナン。ゴミでも廃棄するような目で回収していったっけ。
……アレはヤバイ、ヤバかったんだろうと隊員たちは無言で目を見交わし、頷いた。
ザインの気持ちは痛いほどわかる。ヤツはある意味必死で理性を守ろうとした。からだの上に敬愛する姫将軍を載せたまま、けしからぬところがそれ以上反応してはいけないから、息ができないと言って彼女をどかせたのだ。勃ってはいけないところが勃ちそうだったから、立てないと言ったのだ。そんな己を恥じていたから、姫将軍命のリリー隊長に蹴り飛ばされても無抵抗だったのだ。
──武術を極めるべき神聖な(?)鍛錬場に微妙な空気が漂った。
リヴェアは何かにつけて「無自覚」「男女の機微については理解度ゼロ、むしろマイナス」「壊れている」などと夫たちからからかわれているが、ひとの顔色について鈍感なわけではもちろんない。
それどころか、それはそれは気遣い屋さんだし、空気は読みすぎるほど読めてしまうし、繊細であることは間違いないと、そんなところもまた夫たちが彼女を可愛いと思い、大切にしている要因でもあるのだ。
そんなリヴェアだからこそ、男たちの様子がおかしいことくらいとっくに気づいている。
(なんなの、これ。……目を合わそうとせずそわそわしてるし。仲間を心配もしないし)
ベニートとエルナンが戻ってきた。同僚をどこかに放ってきたらしい。壁際から静かに黙礼して佇んでいる。
傍らに目をやれば、リリー隊長が二、三歩離れた距離に控えている。
目があったとたん、アルフは深く一礼した後、「御方様に申し上げたき儀が」と言った。
丁重で隙のない物腰。どうしてザインを蹴っ飛ばしたのよ、と詰ろうとしたリヴェアは先を越され、端麗な眉をわずかにひそめた。
「いいわ。言ってみて」
リヴェアは可愛らしくちょっとだけ口を尖らせながらも頷いてみせた。
姫、でも姫将軍、でもない。広く民衆や城に仕える者たちがリヴェアに対して用いる呼称、「御方様」とアルフが他人行儀に呼びかけるときは、苦言提言、お説教が始まる時なのだ。
「御方様の体術の見事さ。小官は存じ上げておりましたものの、改めて本日間近に拝見し、神技とはこのことと驚嘆した次第です」
「まあね」
リヴェアはいたってシンプルに相槌を打った。
謙遜するつもりはない。本当のことだ。そうでなければ精鋭を前に教えることなどできない。
「それで?」
「それを我らにも教えて下さるとのお考え。まことにありがたきことながら、剣術、馬術、御方様のこれまたすばらしい刀子投げなどとは異なり、体術はその性質上、ご指導の方法を再考なされた方がよろしいのではないかと」
「どうして?」
「それは御方様、御身を第一に考えればこそ」
「だからなんで!?もったいぶらず言ってちょうだいアルフ!」
先に、リヴェアのほうが素に戻った。
とんとんと苛立たし気に足を踏み鳴らす。
「体術を座学でやれっていうの?」
「そうではなく。……御方様はお分かりいただけない様だ」
アルフは鋭く光る紅玉の瞳を細めて、愛し気にリヴェアを見つめた。
「なに、よ、アルフ」
溺愛光線垂れ流しの表情に、リヴェアは鼻白み、口ごもった。
そんな顔反則!とは言えず、一転してリヴェアの勢いが削がれたことを見て取ったアルフは、
「隊員が何名いるとお思いですか?その全員に御方様が実地でご指導を?指導補助をする他の教官が御方様の不思議な体術においてはおりませぬ」
「……」
意外に、まっとうな切り口だった。
もちろん、アルフが言いたいのはそこではなかったのだが、その他大勢の耳目もあることとて正攻法から入ることにしたのだ。
「我らの体術向上のための熱意、心より御礼申し上げたいことですが、御方様は公爵夫人であられる。その貴重な御身のことを思えば、我らはこれほどまでに密接に対峙してご指導頂けば頂くほど、恐れ多く、かえって技術を吸収できませぬ。何卒ご理解を賜りたく」
もってまわった言いかたをしているが、ようは「こんなにくっついて訓練されちゃ意識するだろ体がヤバいことになるんだよ察しろよ」という意味なのだが、あいにくとリヴェアは察することができなかったらしい。
剣術も馬術も刀子も弓も、自分が直接指導に関わってきた。無論、それらはすべて皆の素地ができあがっているから、一から教えようとする体術ほど手間はかからないので同じくくりにはできないかもしれないが、とにかく「今さら公爵夫人なんだから遠慮が先に立ってしまう」と言われても腑に落ちない。
そう。リヴェアは誤った解釈をしたのだ。
みんな遠慮している、と。
「ありがとう、アルフ。でも今さらそんなふうに言われても」
溺愛光線にやられたわけではないが、アルフの気遣いは嬉しい、とリヴェアは考え直した。
だから先ほどまでの苛立ちはあっという間に雲散霧消して、率直な気持ちを口にする。
「そんな水臭いこと言わないで。遠慮するな、って言っても難しいのでしょうけれど」
遠慮じゃねえよ!!
と、アルフは地団駄を踏みたい気分だった。
会話の成り行きを見守る隊員たちも。
このお姫様はわかってない。男の生態について。我らは栄えある親衛隊員。ムラムラ、などは絶対に、いやたぶんしないが、勝手にからだが反応しそうになるのを堪えるのがツラいのだ。
ここは誰かがはっきり言うべきでないか、かなりきわどい内容だが、と、互いに無言でその役目を押し付けあう。
「……あなた方は能力も思想も、選ばれた騎士たちでしょ」
またも流れた微妙な空気をどう判断したのか、リヴェアはにこやかに言った。
「わたし、以前は傭兵たちの指導をしていたこともあるのよね。それはひどかったわ、はじめのうちは。あちこち触られるしイヤらしいこと言われるし。襲われそうなこともあった。なまじ体術なんか教えようものなら、どさくさに紛れて抱きしめられるし生体反応をみせつけられるし」
「おい、じゃなくて、ちょっと、御方様」
生々しい話になってきた。
隊員たちはどよめき、忠義なアルフはうろたえて腰を浮かせる。
大丈夫よアルフ、私慣れてるから、とリヴェアは言ってのけ、後れ毛をひっぱりながら引き続き自分の体験と意見を述べることに専念した。
「やれやれ、って思ったけれどね。仕方ないと思うのよ。男の人だもの。でも、そういうことをして喜ぶのがそのへんの傭兵。それに比べてあなた方は精鋭中の精鋭でしょ?品行方正な騎士で紳士。そんなことあるわけないじゃない」
あるんだよ!
と、アルフは思った。
精鋭ですが男なんですよ!
と隊員は声なき声をあげる。
そりゃ、恐れ多くも姫将軍に妙なことを言ったりしたりすることなどあり得ない。でもいい匂いを嗅いだりからだが密着したらいろいろとツラい状況になるのは間違いない。なんの修行なのかと思う。
男の生態について、という視点はまちがっていないのに、なぜ結局は誤った解釈にたどり着くのか。
姫将軍は、品行方正な騎士は仙人だとでもお考えなのか。その間違った信頼感が痛すぎる。
それとも釘を刺しているおつもりなのか。いや、この話ぶりはそうではないだろう。
やっぱりここは正しい意見をご注進に及ぶべきだ。
生々しくてもかまわない。傭兵云々のお話からして、御方様の軍人生活、腹の据わりようはなまじのものではないようだ。
──と、わずかの間に隊員たちは濃厚に目配せをし、袖を引き合い、決断を下して、「リリー隊長」と彼らの代弁者に声をかけようとしたその時。
「御方様の我らへのご信頼、まことに光栄の至りにございます」
後方から、調子のよい声がした。
声とともに自然と人垣が割れて、一人の男が歩み出ると、リヴェアの眼前で丁寧に膝をつく。
「ガストン、何?」
「御方様の我らへの想い、技術向上へのご尽力には感謝の言葉もございません」
ガストンと呼ばれた男──ガストン・ニジェールはいささか軽薄な話しぶりとは裏腹に、神妙な面持ちで金褐色の頭を下げた。
「いいわ、楽にして。……で?」
何が言いたいのとリヴェアは先を急かした。
腕も頭もいいが、少し軽薄な感じのこの男のことがリヴェアはちょっぴり苦手だったのだ。
ありがたき幸せ、と大げさに礼を述べて、ガストンは恐れ気もなくリヴェアを見上げる。
「御方様のすばらしい体術。武人である我ら一同、ぜひとも習得致したいものと」
リヴェアの顔がぱあっと輝いた。
その笑顔の、あまりに他意のないかわいらしさに、姫将軍命のアルフはもちろん、ガストンまでもが思わず目を瞠る。
「でしょう?」
「おい、ガストン!」
誰だって自分の得意分野を「習得したい」と言われて嬉しくないはずがない。
常ならば、信頼するリリー隊長を無視してガストンの話に乗ることなどないのだが、今日だけは例外だ。
そもそも、親衛隊長みずから隊員と自分との間に垣根を作ってどうするつもりなんだと、「隊員遠慮説」に傾いたリヴェアはどんどん間違った方向に突き進んでいった。
「ガストン、あなただけじゃなく皆そう思うの?」
「もちろんにございます」
違うだろ!
と隊員たちの総意に気づかぬふりをして、ガストンはにこやかに答えた。
──ガストン・ニジェールは、代々エヴァンジェリスタ公爵に仕える武官一族の次男坊である。
金褐色の髪、翡翠色の瞳の美丈夫で、少々軽薄なのが鼻につくが、腕も頭も折り紙付きと元の所属長から推薦があった男だ。
彼は常々、自分の仕える姫将軍のことを、不遜にも「観賞用にはピカイチ」と言ってはばからなかったが、体術指導の一環として物理的に接近できるならそれに越したことはないとも思っている。不思議な体術を習得できるならなおさらだ。彼は遊び人ではないが、実はけっこう女好きであった──
敏い彼が場の空気を読み違えるはずはない。
だから、ガストンは間違っても「なあみんなそうだろう?」とは言わなかった。
リヴェアは「わかってるってば、遠慮の必要はないのよ」とどれだけ語っても微妙な空気が漂っていることに内心焦りを感じていたが、そこへガストンの後押しが来たものだから嬉しくて仕方がない。
「……じゃあぜひ学んでほしいわ。私、攻守それぞれに向いた体術を教えてあげられるもの。私よりずっと強くなる人もたくさん出てくると思うわ」
「武人たるもの、追いつけ追い越せというわけですな。恐れ多いことですがそうありたいものです」
「今さら遠慮なんてしないでほしいの。特に武芸においてはね」
「勿体なきこと。しかしこのガストン、学ぶからには遠慮は致しませんぞ」
「そうこなくっちゃ」
「おい、ちょっと。……御方様、あまりに浅慮は……」
調子よくつるつる喋るガストンと、口を挟みたくて仕方がないらしいアルフをあえて無視するリヴェアがどんどん盛り上がっていった結果。
──姫将軍のありがたくも悩ましい熱血指導は今後も続くことになった。
──だがしかし、幸か不幸か、それはあまり長くは続かなかった。
ごくり、と見物に回った男たちの固唾をのむ音までが聞こえそうな瞬間だ。
一瞬の静寂の後にわあっと歓声が上がった。
「──いい!?今の‘間’、見た!?」
リヴェアは隊員に馬乗りになったまま、声を張った。
「伸ばす手、踏み込み!手と足よ!後で皆にもやってもらうけれど、感覚も重要だから!」
「すっげ、……すごいですね、姫」
「早すぎて見えませんよ」
「ヤツが自分で勝手に転がったみたいだ」
隊員がやんやの喝さいを送る。
今日、噂に聞く姫将軍の体術を初めて見る彼らにしてみれば、骨格は華奢な彼女のそれは、まるで神技のように見えた。
武官の中でも精鋭中の精鋭、公爵夫人の親衛隊員たちは、剣術はもちろんのこと、馬術に格闘術など、それぞれ抜きんでた能力の持ち主だが、それでも異世界仕込みの(当然彼らは知らないことであったが)姫将軍の華麗な体術には圧倒される。
さきほどから隊員たちを次から次へとあらゆる技をかけて投げたり抑え込んだりしているのだ。
「……参りました、姫」
リヴェアのからだの下から、組み伏せられた隊員の神妙な声がした。
妙にくぐもっている。
「姫、恐れ入りますがこれでは息が」
「あら!苦しかった?悪いわね」
リヴェアは男の顔に乗っていた上体を起こし、大腿に挟み込んでいた隊員をあわてて解放した。
そして、武人とも思われないほどに華奢な手を差し伸べ、立たせてやろうとする。
「大丈夫?つかまって。立てる?」
「……立てません」
「!?どこをぶったの!?」
リヴェアは血相を変えた。
男は公爵夫人の親衛隊員のひとり。百戦錬磨の武人である。リヴェアにとっては投げようが抑え込もうが手加減は不要と思ったのだが。
打ちどころが悪かったのではと青ざめた。
「立てないほどぶったの!?……誰か、医務官を」
「いや、ぶったのではなく」
頭を動かさないように、しかし心配でそっと男の額を撫でるリヴェアと目をあわせようとはせず、たいへん歯切れ悪く男は言った。
「少々具合が、その」
「気分が悪いの?悪かったわ、じゃあやっぱり」
医務官を、と言いかけたその時。
「ザイン、お前」
「?……隊長?」
低い、地を這うような声を発しながら、アルフ・ド・リリー隊長はなめらかな身ごなしで進み出て、リヴェアに恭しく一礼した。
「何、どうしたの隊長?」
リヴェアが首を傾げながら男の額から手を離すや否や、アルフは仰臥している男、ザインの肩口めがけて無言のまま長い脚で蹴り飛ばした。
ザインは左肩を抑えて反転し、うずくまる。
「いてぇ……」
「ちょっと!?なにすんのよアルフ!!」
リヴェアは立ち上がって怒鳴った。
皆の居並ぶ前だが、口調が素に戻っている。
腰に手をあて、仁王立ちになって親衛隊長に向き直った。
「乱暴にしちゃだめ!おおごとになったらどうするの!?」
「なりはしませんよ、姫」
アルフは口をへの字に曲げて、愛しい彼の女神であるところの姫将軍に口答えをした。
言葉つきは素っ気ないが、その声は優しく、微かに甘やかすような響きを帯びている。
わかってないな、お姫様は。
口の動きだけで正確に読唇をして、なんですってもっぺん言ってみなさいよといきり立つリヴェアから視線を外すと、アルフは今度はかの「氷の騎士」もかくやと言わんばかりの冷たい一瞥を、うずくまるザインに向けて投下した。
背中で気配を察したのか。肩を抑えたザインがわずかに総身を強張らせる。
「あと二、三回蹴飛ばしてやってもいいくらいです」
「なんてひどいこというの!?あなたを蹴っ飛ばしてやろうか!?」」
姫将軍にしてはたいへん乱暴なことをリヴェアは言った。
完全に傭兵時代の口ぶりに戻っている。
姫将軍、とか、ちょっとなんかお言葉が……?、とか隊員がざわついているが、おかまいなしである。
今日は姫将軍による体術指導の初日。親衛隊の半数は訓練に入り、残りは場外と場内で警護にあたっているが、鍛錬場内に詰める者たちはほぼ全員目を丸くしている。
まあ、正しくは「元・別動隊の隊員以外は」というべきか。
ウルブスフェルで彼女とともに戦った隊員たちにとっては懐かしい光景だが、親衛隊の選抜によってあらたに隊員となった者からすれば、美しく高貴な姫将軍が強いのはさておき、男顔負けの声量と微妙な言葉遣いで怒鳴り倒すのはなかなかのインパクトだったのだ。
と、そこへ。
「失礼、姫」
「こやつは我らが」
一礼とともに観客から二人の男が歩み出た。
美しい所作で、リヴェアに対して礼をとる。
「ベニート、エルナン」
元・別動隊員。今は親衛隊の中核メンバーだ。
有能で誠実な彼らにはリヴェアは一目置いているのだが、今は「何か文句があるのか」と言わんばかりに二人を睨みつけた。
皆が初めて目にするリヴェアの体術は予測のつかないものだったはず。ザインは受け身もろくにとれなかったのではないか。
訓練での脳震盪もケガも珍しくはないとはいえ、初めての体術の披露で力いっぱい投げたのはまずかった、と反省が焦燥感を煽り立て、一秒でも早くザインを介抱せねばとリヴェアは両手を奇妙なかたちにわきわきさせている。
あなたたちまで何の用、と言葉を重ねるより早く、二人は大柄なザインの首根っこを捉えると、容赦のない力で引きずり上げた。
リヴェアは瞠目する。
「ちょっと!?ね、ザイン、だいじょうぶ」
「心配ご無用です、姫」
不遜にも姫将軍の言葉を遮って、けれど声だけはたいへん丁重にベニートは言った。
同僚のエルナンとともにザインの襟髪を掴む手を決して緩めるつもりはないようだ。
それどころか、薄茶色の目を細めて、おとなしく引きずり上げられた男を生ごみでも見るような視線でひと撫でする。
「しばらく転がしておいてもよいのですが、お見苦しい事ですからな。我らが撤収しましょう」
「ちょ、っとあなた、彼は」
「具合なんか悪くないですよ、姫。強いて言うなら頭が悪い」
「そんな!」
「……姫、ありがとうございます、ぜひともまた、ご指導を賜り、……って!!」
引きずられながらも殊勝に礼を述べようとしたザインだったが、エルナンに無言で膝蹴りをかまされ、今度こそ悶絶しつつ場外へ連れ出されていった。
「……ん、もうなんなのあれ」
リヴェアは首を傾げてそれを見送った。
本当に、わけがわからない。
武人であればそうたやすく「具合が悪い」などと自分で言わないだろう。その彼が「具合が」と言ったのだ。心配するのは当然だとリヴェアは思う。
「ね、皆。あとでザインの様子、見てきて。報告して」
かたわらに控えるリリー隊長をあえて無視して、リヴェアはその場に居残る者たちを振り返った。
思わず、目を逸らす者。咳払いをする者。ほぼ全員、挙動不審者である。
「は……」
「誰か、見てきてよ。頼んだわよ」
煮え切らない返事に、苛立ったようにリヴェアが念を押す。
「了承、致しました……」
「はあ、確かに」
「大丈夫と、思いますが……」
男たちはもごもご言いながら目立たぬように数歩、後ずさる。
──ザインの不具合。
彼らには思い当たる節があった。
始めは本当にわからなかったのだが、リリー隊長とベニート、エルナンの行動でたちどころにひらめき、そして確信した。
皆、健全な男であったからこそ。
誇り高い親衛隊員たるもの、決して、一瞬たりとも考えてはならんことだとそれぞれが頭の隅に追いやっていたことだった。
──いくら厚地の胴着に身を固めているにしても、その熱さ、ゆたかさを想像させられる上体を押し付けられ、なぎ倒される。
遠くふっとばされた者は、さほどの「恩恵」にはあずからなかったが、組み伏せられた者たちが上を見上げれば、間近に迫るリヴェアの美貌。
彼女はどれほど訓練しているのか、息一つ乱していないが、甘くさえ感じるかぐわしい吐息が喉元を擽る。
脳震盪ではなく、まずい意味で一瞬気が遠くなりかけた隊員は少なくなかった。
そして、彼らはそれを恥じた。各自が、各自の煩悩を口には出さず、押し殺そうとした矢先に。
ザインが倒された。
足通しに包まれたリヴェアのしなやかな両足が、ザインの腰付近をがっきりと挟み込んでいる。
彼の顔にリヴェアの上体が押し付けられている。ザインは最後の気力を振り絞って「息が」と言ったが、彼は本当は紳士だからこそ言ったのだ。呼吸なんてどうにでもなった。いや、胸いっぱいに吸い込んでいたら彼は昇天していたかもしれない。
ほんのりと汗をかいた、けれど媚薬のように彼を刺激するリヴェアの体香。
人外の嗅覚を持つエヴァンジェリスタ公を骨抜きにしたそれは、武人である前に健全な男であったザインをもノックアウトしたのだ。
彼女の神技に見とれる一方で、男たち自身、一流の武人であったから、ザインの「具合が悪い」には皆訝しく思ったのだ。「具合が悪くなるほどはたいしてぶつけてないだろう?」と。
問答無用に蹴りを入れるリリー隊長。
いっけん無体なそれを甘んじて受け、かつ奇妙なほど体を丸めてうずくまるザイン。
とどめは、ベニートとエルナン。ゴミでも廃棄するような目で回収していったっけ。
……アレはヤバイ、ヤバかったんだろうと隊員たちは無言で目を見交わし、頷いた。
ザインの気持ちは痛いほどわかる。ヤツはある意味必死で理性を守ろうとした。からだの上に敬愛する姫将軍を載せたまま、けしからぬところがそれ以上反応してはいけないから、息ができないと言って彼女をどかせたのだ。勃ってはいけないところが勃ちそうだったから、立てないと言ったのだ。そんな己を恥じていたから、姫将軍命のリリー隊長に蹴り飛ばされても無抵抗だったのだ。
──武術を極めるべき神聖な(?)鍛錬場に微妙な空気が漂った。
リヴェアは何かにつけて「無自覚」「男女の機微については理解度ゼロ、むしろマイナス」「壊れている」などと夫たちからからかわれているが、ひとの顔色について鈍感なわけではもちろんない。
それどころか、それはそれは気遣い屋さんだし、空気は読みすぎるほど読めてしまうし、繊細であることは間違いないと、そんなところもまた夫たちが彼女を可愛いと思い、大切にしている要因でもあるのだ。
そんなリヴェアだからこそ、男たちの様子がおかしいことくらいとっくに気づいている。
(なんなの、これ。……目を合わそうとせずそわそわしてるし。仲間を心配もしないし)
ベニートとエルナンが戻ってきた。同僚をどこかに放ってきたらしい。壁際から静かに黙礼して佇んでいる。
傍らに目をやれば、リリー隊長が二、三歩離れた距離に控えている。
目があったとたん、アルフは深く一礼した後、「御方様に申し上げたき儀が」と言った。
丁重で隙のない物腰。どうしてザインを蹴っ飛ばしたのよ、と詰ろうとしたリヴェアは先を越され、端麗な眉をわずかにひそめた。
「いいわ。言ってみて」
リヴェアは可愛らしくちょっとだけ口を尖らせながらも頷いてみせた。
姫、でも姫将軍、でもない。広く民衆や城に仕える者たちがリヴェアに対して用いる呼称、「御方様」とアルフが他人行儀に呼びかけるときは、苦言提言、お説教が始まる時なのだ。
「御方様の体術の見事さ。小官は存じ上げておりましたものの、改めて本日間近に拝見し、神技とはこのことと驚嘆した次第です」
「まあね」
リヴェアはいたってシンプルに相槌を打った。
謙遜するつもりはない。本当のことだ。そうでなければ精鋭を前に教えることなどできない。
「それで?」
「それを我らにも教えて下さるとのお考え。まことにありがたきことながら、剣術、馬術、御方様のこれまたすばらしい刀子投げなどとは異なり、体術はその性質上、ご指導の方法を再考なされた方がよろしいのではないかと」
「どうして?」
「それは御方様、御身を第一に考えればこそ」
「だからなんで!?もったいぶらず言ってちょうだいアルフ!」
先に、リヴェアのほうが素に戻った。
とんとんと苛立たし気に足を踏み鳴らす。
「体術を座学でやれっていうの?」
「そうではなく。……御方様はお分かりいただけない様だ」
アルフは鋭く光る紅玉の瞳を細めて、愛し気にリヴェアを見つめた。
「なに、よ、アルフ」
溺愛光線垂れ流しの表情に、リヴェアは鼻白み、口ごもった。
そんな顔反則!とは言えず、一転してリヴェアの勢いが削がれたことを見て取ったアルフは、
「隊員が何名いるとお思いですか?その全員に御方様が実地でご指導を?指導補助をする他の教官が御方様の不思議な体術においてはおりませぬ」
「……」
意外に、まっとうな切り口だった。
もちろん、アルフが言いたいのはそこではなかったのだが、その他大勢の耳目もあることとて正攻法から入ることにしたのだ。
「我らの体術向上のための熱意、心より御礼申し上げたいことですが、御方様は公爵夫人であられる。その貴重な御身のことを思えば、我らはこれほどまでに密接に対峙してご指導頂けば頂くほど、恐れ多く、かえって技術を吸収できませぬ。何卒ご理解を賜りたく」
もってまわった言いかたをしているが、ようは「こんなにくっついて訓練されちゃ意識するだろ体がヤバいことになるんだよ察しろよ」という意味なのだが、あいにくとリヴェアは察することができなかったらしい。
剣術も馬術も刀子も弓も、自分が直接指導に関わってきた。無論、それらはすべて皆の素地ができあがっているから、一から教えようとする体術ほど手間はかからないので同じくくりにはできないかもしれないが、とにかく「今さら公爵夫人なんだから遠慮が先に立ってしまう」と言われても腑に落ちない。
そう。リヴェアは誤った解釈をしたのだ。
みんな遠慮している、と。
「ありがとう、アルフ。でも今さらそんなふうに言われても」
溺愛光線にやられたわけではないが、アルフの気遣いは嬉しい、とリヴェアは考え直した。
だから先ほどまでの苛立ちはあっという間に雲散霧消して、率直な気持ちを口にする。
「そんな水臭いこと言わないで。遠慮するな、って言っても難しいのでしょうけれど」
遠慮じゃねえよ!!
と、アルフは地団駄を踏みたい気分だった。
会話の成り行きを見守る隊員たちも。
このお姫様はわかってない。男の生態について。我らは栄えある親衛隊員。ムラムラ、などは絶対に、いやたぶんしないが、勝手にからだが反応しそうになるのを堪えるのがツラいのだ。
ここは誰かがはっきり言うべきでないか、かなりきわどい内容だが、と、互いに無言でその役目を押し付けあう。
「……あなた方は能力も思想も、選ばれた騎士たちでしょ」
またも流れた微妙な空気をどう判断したのか、リヴェアはにこやかに言った。
「わたし、以前は傭兵たちの指導をしていたこともあるのよね。それはひどかったわ、はじめのうちは。あちこち触られるしイヤらしいこと言われるし。襲われそうなこともあった。なまじ体術なんか教えようものなら、どさくさに紛れて抱きしめられるし生体反応をみせつけられるし」
「おい、じゃなくて、ちょっと、御方様」
生々しい話になってきた。
隊員たちはどよめき、忠義なアルフはうろたえて腰を浮かせる。
大丈夫よアルフ、私慣れてるから、とリヴェアは言ってのけ、後れ毛をひっぱりながら引き続き自分の体験と意見を述べることに専念した。
「やれやれ、って思ったけれどね。仕方ないと思うのよ。男の人だもの。でも、そういうことをして喜ぶのがそのへんの傭兵。それに比べてあなた方は精鋭中の精鋭でしょ?品行方正な騎士で紳士。そんなことあるわけないじゃない」
あるんだよ!
と、アルフは思った。
精鋭ですが男なんですよ!
と隊員は声なき声をあげる。
そりゃ、恐れ多くも姫将軍に妙なことを言ったりしたりすることなどあり得ない。でもいい匂いを嗅いだりからだが密着したらいろいろとツラい状況になるのは間違いない。なんの修行なのかと思う。
男の生態について、という視点はまちがっていないのに、なぜ結局は誤った解釈にたどり着くのか。
姫将軍は、品行方正な騎士は仙人だとでもお考えなのか。その間違った信頼感が痛すぎる。
それとも釘を刺しているおつもりなのか。いや、この話ぶりはそうではないだろう。
やっぱりここは正しい意見をご注進に及ぶべきだ。
生々しくてもかまわない。傭兵云々のお話からして、御方様の軍人生活、腹の据わりようはなまじのものではないようだ。
──と、わずかの間に隊員たちは濃厚に目配せをし、袖を引き合い、決断を下して、「リリー隊長」と彼らの代弁者に声をかけようとしたその時。
「御方様の我らへのご信頼、まことに光栄の至りにございます」
後方から、調子のよい声がした。
声とともに自然と人垣が割れて、一人の男が歩み出ると、リヴェアの眼前で丁寧に膝をつく。
「ガストン、何?」
「御方様の我らへの想い、技術向上へのご尽力には感謝の言葉もございません」
ガストンと呼ばれた男──ガストン・ニジェールはいささか軽薄な話しぶりとは裏腹に、神妙な面持ちで金褐色の頭を下げた。
「いいわ、楽にして。……で?」
何が言いたいのとリヴェアは先を急かした。
腕も頭もいいが、少し軽薄な感じのこの男のことがリヴェアはちょっぴり苦手だったのだ。
ありがたき幸せ、と大げさに礼を述べて、ガストンは恐れ気もなくリヴェアを見上げる。
「御方様のすばらしい体術。武人である我ら一同、ぜひとも習得致したいものと」
リヴェアの顔がぱあっと輝いた。
その笑顔の、あまりに他意のないかわいらしさに、姫将軍命のアルフはもちろん、ガストンまでもが思わず目を瞠る。
「でしょう?」
「おい、ガストン!」
誰だって自分の得意分野を「習得したい」と言われて嬉しくないはずがない。
常ならば、信頼するリリー隊長を無視してガストンの話に乗ることなどないのだが、今日だけは例外だ。
そもそも、親衛隊長みずから隊員と自分との間に垣根を作ってどうするつもりなんだと、「隊員遠慮説」に傾いたリヴェアはどんどん間違った方向に突き進んでいった。
「ガストン、あなただけじゃなく皆そう思うの?」
「もちろんにございます」
違うだろ!
と隊員たちの総意に気づかぬふりをして、ガストンはにこやかに答えた。
──ガストン・ニジェールは、代々エヴァンジェリスタ公爵に仕える武官一族の次男坊である。
金褐色の髪、翡翠色の瞳の美丈夫で、少々軽薄なのが鼻につくが、腕も頭も折り紙付きと元の所属長から推薦があった男だ。
彼は常々、自分の仕える姫将軍のことを、不遜にも「観賞用にはピカイチ」と言ってはばからなかったが、体術指導の一環として物理的に接近できるならそれに越したことはないとも思っている。不思議な体術を習得できるならなおさらだ。彼は遊び人ではないが、実はけっこう女好きであった──
敏い彼が場の空気を読み違えるはずはない。
だから、ガストンは間違っても「なあみんなそうだろう?」とは言わなかった。
リヴェアは「わかってるってば、遠慮の必要はないのよ」とどれだけ語っても微妙な空気が漂っていることに内心焦りを感じていたが、そこへガストンの後押しが来たものだから嬉しくて仕方がない。
「……じゃあぜひ学んでほしいわ。私、攻守それぞれに向いた体術を教えてあげられるもの。私よりずっと強くなる人もたくさん出てくると思うわ」
「武人たるもの、追いつけ追い越せというわけですな。恐れ多いことですがそうありたいものです」
「今さら遠慮なんてしないでほしいの。特に武芸においてはね」
「勿体なきこと。しかしこのガストン、学ぶからには遠慮は致しませんぞ」
「そうこなくっちゃ」
「おい、ちょっと。……御方様、あまりに浅慮は……」
調子よくつるつる喋るガストンと、口を挟みたくて仕方がないらしいアルフをあえて無視するリヴェアがどんどん盛り上がっていった結果。
──姫将軍のありがたくも悩ましい熱血指導は今後も続くことになった。
──だがしかし、幸か不幸か、それはあまり長くは続かなかった。
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