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お祭り騒ぎのその果てに 10.

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  馬車の扉を開け、長身をひらりと滑り込ませるなり、シグルドはあからさまに渋面を作った。

 「お前、ったく……」

 大型の馬車とはいえ密室である。
 二人の発する熱と汗と性の香りは隠しようもない。
 まあ、もとよりユリアスは隠すつもりはなかったのだが。

 「なんだシグルド」

 気だるげにユリアスは視線だけを動かして言った。
 紅玉ルビーの輝く額飾り、濃紺に赤や金銀を散らせた豪華な長衣。
 長い艶やかな紅玉の髪が装飾品のように彼を彩り、リヴェアが正気であれば「火竜の君」と大騒ぎしたことだろう。
 シグルドもまた、何かの宴席を抜け出してきたのだとわかる。

 「呼んだ覚えはないんだが」
 「来てやったんだ。思った通り、それ以上か」

 とりあえずユリアスの対面に腰を下ろしたシグルドは鼻にしわを寄せる。

 ぐったりと抱かれているリヴェアの汗と涙に濡れた顔、一応整えられているとはいえ乱れた着衣。
 泣くほど、気絶させるほど抱き潰したのか、とシグルドはさらに顔をこわばらせ、ユリアスを睨みつけた。

 「どうせ‘仕置き’のひとつもするんだろうとは思ったが、ここまで暴走するとはな」
 「……」
 「お前のことだから自制するかともちょっと思ったんだが」
 「……反省している」
 「何があった、と言いたいところだが」

 リヴェアをこちらに、と、シグルドはてきぱきと肩から外衣マントを外し、リヴェアに丁寧に巻き付けながらユリアスの腕から妻を引き取った。

 愛しげに頬をすり寄せ、くちづけを落としながら立ち上がる。
 ユリアスはリヴェアを渡すときにもの言いたげに口を尖らせたが、結局は黙ったまま妻を抱くシグルドを見上げた。

 「とりあえず俺の城へ連れて行く。お前ちょっと頭を冷やせ」
 「なんでお前の城なんだ」
 「ここまでにしていなきゃどこの城だってよかったんだ。でもお前、この様子だとまだ収まらないだろう。違うか?」
 「……」
 「それに、だ。あとの二人も後で来ると言ってる。‘月の女神選考会’に出たときかされてやきもきしてる。特に、レオンの気まぐれがなかったらまだリヴェアは供もつれずに街にいた可能性があるだろう?猛烈に怒ってるらしいぞ。オルギールもな」
 「……?」
 「影たちがどうやらリヴェアを追っていたのに見失ったらしい。それに影・一番の独断で城への報告を遅らせた可能性がある。リヴェアの命令を優先させた、ってことだろう。まあ、あいつは自分よりリヴェアを優先させることは構わんのだろうが、見失った、ということについては怒るだろうな。なんのための影か、と」
 
 一気にまくし立てて、シグルドは俺はもう行くぞと言った。
 
 「お前、当分オーディアル城に来るなよ。レオンとオルギールにも言っておけ」

 扉に手をかけたままユリアスを振り返って念を押す。

 「……なんで俺が」
 「お前が抱き潰したんだ。あいつら、仕事が終わったらお前と合流するつもりらしい。三人で仕置きされたらリヴェアがかわいそうだ。妻の身の安全のためだ」
 「……善人ぶるな。お前だってヤるときはヤるくせに」
 「知るか。今回のことはもうお前が仕置きをしたからいいんだ」

 な、リヴェア。と囁きかけ、シグルドは大切そうに妻を抱えなおして出て行った。



 (くそ、なんであそこまでひどいことを。俺は)
 
 のろのろともう少しきちんと身じまいを正しながらユリアスは考えた。

 若い、こぎれいな男だった。「虫」がどうした、などと鼻から信用してはいない。妻のからだを一刻も早く抱きしめたくて、控室から追い出したくて「まあいい」と男を解放しただけだ。
 薄暗がりの中で頬を抑えて転がっていたが、あれは間違いなくリヴェアを口説いていた。そして、肌にでも触れようとしたのだろう。でなければリヴェアが殴るはずはない。 

 卑猥な鎧を身に着けて、無防備に男を近寄らせていた妻。撃退できるだけの力があるのはわかっているが、それとこれとは別だ。美しい、輝く肌、大切な宝石。それを得体のしれない男に見られ、あまつさえ不特定多数の男たちの視線にさらされた。下卑たヤジを飛ばされ、自分が間に合わなかったら、握手会にまで出ていたに違いない。

 とにかく彼は激高したのだった。
 そして、後から考えれば自分でも信じられないほど手酷く抱いてしまったのだ。

 無抵抗のリヴェアを。
 言い訳をしようともせず、なんども「ごめんなさい」という妻を気絶するまで抱き潰した。

 (嫌われたかもしれないな)

 髪の色、瞳の色。どれだけリヴェアが「とてもきれい、もともとは好きな色だったの」と言っても、嫌な別れ方をしたらしい「元彼」とやらと同じ自分のそれがあるから、極力怖がらせないように、紳士的にとふるまってきたのに。

 (当分、リヴェアには会わないことにしよう。見舞いの品だけ送ろう)

 誇り高く、いつも自信に満ちた公爵も、リヴェアに対してだけは「反省」も「後悔」も珍しいことではない。

 ユリアスは軽く頭を振って種々雑念を吹き飛ばすと、「待たせたな」とようやく馬車を降りた。


 ******


 「選考会」の翌朝、封鎖が解かれると同時にアンブローシュはアルバを出た。

 服装も「左わき腹のケガ」も。早々と手配書が出ていたが、彼にとっては時期がよかった。
 大都市・アルバを一晩封鎖させただけでも、城門の前は猛烈にごったがえす。
 夜明けまでにわき腹の手当を終え、金色の髪を栗色に染めた彼が脱出することなどわけもないことだった。

 半年かそこら郊外に身を潜め、またアルバに戻るつもりだ。

 エイミー。トゥーラ姫。グラディウス公爵夫人。
 目を閉じればほんの数刻を共にしただけなのに、鮮やかに記憶が蘇る。
 二年足らず前、辺境から現れて、三公爵と「万能のひと」を骨抜きにしたという美姫であり、一軍を率いる姫将軍。

 (美しさも強さも噂通りかそれ以上らしい)

 魔性の女かと思えば、まったくそうではなかった。
 健康的な清々しい美女。そして、「姫将軍」の片鱗を見せる、不思議な体術。拳で自分を殴りつけるのも身分の高い女性には似つかわしくない。

 でも、腹は立たなかった。
 欲しい、とは思っても。

 (必ず、連れてゆこう)

 アンブローシュは薄く笑んだ。 
 本国からの命令はいつも「金のために」やっていただけだった。
 けれど初めて、国策と自分の意見が一致したように思う。 
 今の彼の風貌を見れば、人好きのする「ロシュ」とはまるで別人のように見えたことだろう。

 夫たちの溺愛はじゃまくさいし、冷や汗ものだったがリリー隊長、あいつも厄介だな。ときつく光る紅玉の瞳を思い出す。

 彼はもう一度計画を練り直すことにした。


 ******


 シグルドが妻を連れ去ったと聞かされ、その日の夜遅くにやっと接待宴席を終えたレオンとオルギールが激しく抗議しにきたが、彼は頑としてリヴェアに会わせようとはしなかった。

 その頃にはリヴェアが城を出て連れ戻されるまでの一部始終、もちろん替え玉参加した月の女神選考会で優勝してしまったこと、あられもない衣装や観客の反応まで細かく報告されていたから、お仕置きをする気満々だった二人は出鼻をくじかれた恰好になり、その怒りの矛先はユリアスに向けられた。
 シグルドは二人を追い払うために、ユリアスの鬼畜っぷりを平気で伝えたからである。

 ユリアスは自責の念とともに沈黙し、レオンとオルギールは(自分たちの日頃の所業は高い棚の上にあげて)ユリアスを詰り、当分静養させる、大分辛そうだからなと役得のシグルドは悦に入った。

 その一方、影・一番以下、リヴェアを見失った者たちは一か月の減俸となり、ベニートは三日間の謹慎、当初ひどく疑われたリリー隊長は、彼の短剣を避けた男の詮議を進言し、身元調査と城下での情報収集を任されることとなる。

 そして。

 異国の男がリヴェアとの邂逅がきっかけで本気になり、策を弄した結果、やがてアルバとグラディウスを揺るがす大事件に発展してゆくとは、神ならぬ身では誰一人知る由もなく。

 抱き潰されたリヴェアはシグルドの寝台でこんこんと眠り続けたのだった。
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