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お祭り騒ぎのその果てに 4.
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演台の下で出番を待ちながら、リヴェアは思う存分好奇心を発揮させてきょろきょろと辺りを見回した。
ここでは自分は「ローデから来たエイミー」だ。「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ」ではない。
グラディウス公爵とヘデラ侯の婚約者でもない。情報室長でもない。
リヴェアは腹は据わっているほうだ。だから楽しくて仕方がない。
金髪、銀髪、赤い髪。染めているのか地毛なのか、紺色や緑の髪もいる。黒髪も少ないが存在する。
皆、各地で選抜されたのだろう。同性の目からみてもなかなかの美女ぞろいで眼福の極みである。
ただ、皆、緊張しているのか。表情が硬いし、顔色の良くない者もいる。うろうろと歩き回る女性、みずからを抱きしめてがたがたと震える女性、様々である。でもひとたび演台へ上がれば、ちゃんと一周して大過なく戻ってくるのだから大したものだ。
にこにこわくわくと目を輝かせるリヴェアは明らかに異質だったが、誰もあまり自分のこと以外に関心はないようだった。
演台のそばでは楽隊が賑やかにリズムを刻んでいて、会場を盛り上げている。
リヴェアが袖からあたりを眺めると、出場者たちは緊張を押し隠して演台を隅々まで歩きまわり、お辞儀をしたり手を振ったりしている。応援団を見つけて飛び上がっているものもいる。
でも、とリヴェアは拳を固めた。
だんだん順番が近づいてきて、演台に上がって裏手で尚も待つ。
皆、歩き方がなっておらん。せっかくレッドカーペットの上を歩くのに(演台には赤いじゅうたんが敷かれている。界は異なっても場を華やかにするとなると同じ思考にたどり着くのかもしれない)、もうちょっと魅力的にアピールすればいいのに。そりゃ、初々しくお辞儀してご挨拶もいいけれど、お見合いじゃないんだから。ミスコンなんだから(彼女の脳内では月の女神云々は消し飛んでいた)。ちなみに以前、演台でいきなり脱いでマッパを披露する強者がいたそうだが、会の品位に関わるとしてそういう行いは禁止になったらしい。その判断は正しい。ミスコンはストリップショーではないのだ。
ただし、見せ方ってものがあるわよね。キャットウォークというか。
見る限り、実直にただただ演台を歩き回ってばかり。つまらない。投げキスをしたりウィンクしたりする者はまあいるとしても少数派であることからすると、ちょっと工夫したらウケるかもしれない。それに、ウケて大騒ぎになれば「一の塔の広場」にはきっと来ているだろうベニートのほうから気付いてくれると思う。三十五番達‘影’の面々も然り。
「ローデの方、次です!」
切羽詰まった声。私より係りのひとのほうが緊張してるみたい。
リヴェアはくすりと笑った。
------次はエイミー嬢!ローデ・ラムズフェルドご出身!!
進行役が高々と呼ばわる。
裏と表を隔てる幕がサッと左右に割れた。リヴェアは微笑みながら一歩を踏み出した。
**********
いない。会えない。
例年通り、いやそれ以上の賑わいを見せる一の塔の広場で、ベニートはうろうろとひたすら歩き回り、黒髪の女性を探し求めていた。
いつもなら無表情に近いくらい冷静なその顔は、かなり青ざめつつある。青いだろうと彼自身、自覚がある。さっきすれちがった可愛らしい女の子から「おにいさんのお顔の色おかしい、だいじょうぶ?」と声をかけられたくらいだ。妙齢の女性ならいざ知らず、十歳程度の女児に気遣われても嬉しくはない。それどころか、よほどひどい顔色なのだろうとマジに落ち込む。
あのお方、絶対遊んでおられる。そうに違いない。
雑踏の中に目を凝らしつつ、リヴェアの好みそうなしゃれた店をしらみつぶしにあたりながらベニートは確信した。
自分は目も勘も悪くないほうだと思う。これだけ探しても見つからないのは、リヴェアがどこかで目的意識をもって沈没しているか、あえて身を隠しているとしか考えられない。あのお方に限って、このわずかな時間の間にかどわかされたとは到底思われない。
でも危機管理上の問題がある。リヴェア様が強いかどうか、ではなく、あのお方ほどの身分の女性が一人きりで街中をうろつくなど言語道断だ。
……ったくリヴェア様!出てきてくださらないとお城へ報告しなくてはならなくなりますよ!二度と街歩きできないんですよ!いいんですか!?
一瞬でも目を離すんじゃなかった。
リヴェアとはぐれてから臍を噛むのは優に百回を超えているだろう。
と、その時、わあああああっ、と歓声が上がった。
うるさいな、ひとの気も知らず、とベニートは舌打ちをして声のするほうに目を向ける。
月の女神選考会の会場。手拍子が沸き起こり、怒号のような歓声、口笛、たいへんな騒ぎである。
席料を払っている者、タダの立ち見客。それぞれに「推し美女」がいて、こんなに会場全体が盛り上がるのはめずらしいことなのだが。
「エイミー!エイミー!!」
「ローデのエイミー!覚えたぞ!」
「エイミー!最高だ!」
エイミー?
同じ名だなと思ったのは一瞬のこと。珍しい名ではないからいったんは彼の思考はそのまま素通りしたのだが。
「エイミー、こっち向いてくれ!」
「すげえおっぱい!」
「おっぱい最高!」
耳を澄ませば揉ませろヤらせろと卑猥な発言が乱れ飛んでいる。
イヤな予感がした。
彼の探し求める女性も「エイミー」で見事な「おっぱい」の持ち主だ。
決してベニートは邪な目線でリヴェアを見たことはない。誓ってもいい。
美人だな、可愛いなと思っても、我ながら淡泊なほうだと思うし、性的な対象としては考えたことがなかったのだ。
しかし考えたことはなくても、日々そば近くで仕えていればリヴェアの胸が大きい、それも相当大きいほうだということくらいはわかっている。選りすぐりの親衛隊員は口にすることはしないが、武官、傭兵たちがリヴェアの体術の指導を受けたがっていることは有名な話だ。ときにはからだを密着させて投げとばされるのだが、その時の感触を妄想して熱くなっているのだ。実際には当然のことながらしっかりと厚手の胸当てをしているからさほど胸の柔らかさなどは感じないのだが、それでも男の胸板の硬さとはまるで異なる。いくらでも投げてくれ、押し倒されたい、できれば踏んでほしいと酔っぱらって騒ぐ武官を目にしたことがあるが、ほぼ全員が深々と頷いていた。親衛隊と三公爵の武官たちとの気楽な懇親会だったが、下品なことは口にしないよう躾けられている親衛隊員たちでさえ苦笑しつつも頷いていたのだ。「アレはヤバイ」「クセになる」と。
エイミー。おっぱい。
まさかと思いながら立ち見の客をかき分け、演台に近づく。
キーワードを口にしながら前進する。少々危ないひとに見えるがこの状況で気にする者はいない。
大半は男たちだからそれはもう場所取りに必死で、「このやろう横入りするな!」と怒鳴られるが、ベニートはいい加減な詫びを口にしながらがんがん突き進む。
「いいぞ!エイミー!」
「好きだ、エイミー!」
……ようやく、演台が見えるところまで辿り着いた彼が目にしたものは。
銀色の衣装の裾を翻して歩く黒髪の美女。
うねるゆたかな髪。腰を振って歩く扇情的な姿。
広い演台をゆっくりと巡り、立ち止まっては首をかしげて見せる。かと思えば、纏った薄物を肩から落とす。ゆたかな胸元がほんのわずか露わになる。見えそうで見えない。そのたびに会場から悲鳴のような怒号のような歓声が上がるのだ。
そして、凄絶に色っぽい流し目。
(リヴェア、さま……)
かろうじて名前を口にしなかったベニートは褒められるべきであったろう。
愕然としつつも一縷の理性で踏みとどまったのだ。
(何やっておられるんですか、あなたは)
絶望的な気分でリヴェアを見上げる。
ノリノリの彼女は遠目にも上機嫌だ。
最後はいたって健康的に会場全体に対して両手を振って、姿を消した。
**********
想像以上の会場の反応にリヴェアはご満悦である。
足取りも軽く控室へ戻ってきた彼女は、控えめに拍手をするロシュにハイタッチを要求した。
そつなく応じながらもロシュの脳内はさらなる「?」でいっぱいになる。
滑らかな肌、よく手入れされた艶やかな黒髪。きれいな言葉遣い。いいところのお嬢さんだと思っていたが、わけがわからない。びっくりするほど世間知らずかと思えば、とんでもなく度胸がある。物おじしない。こんな動作は男っぽいとすら言える。世慣れていて観察眼にはおぼえのある彼をもってしても、リヴェアの本当の氏素性は想像がつかない。
とはいえ、不信感などはおくびにも出さず、「すごいな、エイミー」とまずは労をねぎらった。
「ちょっとノリすぎちゃったわ!」
でも楽しかった!とゆたかな胸を張ってリヴェアはあははと快活に笑った。
大した美貌なのに気取りのかけらもない、大口を開けて笑う彼女は暴力的なまでに可愛らしい。
「すごく、綺麗だった」
柄にもなく口ごもりながらロシュは言った。
そう?ありがと!と本人はいたって気楽に返事をする。
いやいや、けっこうマジで言ってるんだがと凹みつつ、
「いや、ほんとに。……一番、綺麗だった」
「ありがと!」
だからそこは礼を言ってほしいんじゃなくて。
ああもう、もどかしい。
「エイミーが断トツだ。最終選考、残るぞ、絶対」
「あ、そういえばそれ、まずいわ!」
とたんに彼女は眉をひそめた。
表情ゆたかなところも好ましいなと、反対にロシュは目元を和らげる。
「ちょっと楽しんだだけだったのに。百人以上も美人さんがいたじゃない、まさかそんなはずは」
「狙ってたんじゃないのか?あんなに色っぽくて綺麗で」
「狙うわけないじゃない!最終選考の一発芸なんて言われても困るし、夜までには帰らなきゃだし」
「うちのひとに言っといたら?事情話して、遅くなりますって」
「ダメよ!」
「何なら俺が言いに行ってやろうか」
「ダメ、絶対!」
「なぜ?黙ってるほうが家族は心配するよ」
「……とにかくダメ」
ロシュは意外にまっとうであり、リヴェアは相当頑固であった。
エヴァンジェリスタ城に使いを出す?ミスコンに出てるから遅くなる、と?
三公爵、オルギール。全員、溺愛してくれるのはいいが過保護で心配性だ。
そして、怒るとコワい。性的な意味で。
ふるふる、とリヴェアは身を震わせた。
まずい。遊びすぎた。最終選考などどうでもいい。
とりあえず選考会には出た。ローデの町長の顔も立つだろう。
退散しようと思わず腰を浮かしかけると、「失礼いたします!」と、係りの者が外から声をかけてきた。
出鼻をくじかれ、しかたなく「どうぞ」と応じる。
「エイミー嬢、おめでとうございます!」
「……」
やっぱりな、とロシュは口の端を釣り上げて無言になったリヴェアをそっと伺い見た。
最終選考に残ると、参加者一人一人にそれが告げられる。肩を落として会場を後にするもの、女性らしからぬ歓喜の雄たけびを上げるもの。参加者の数だけ設けられた一次選考後の控室は悲喜こもごもと言った様相を呈するのだ。
本来、「喜」のはずなんだがなとロシュは薄い金色の髪をかき上げつつ首を傾げる。
「エイミー嬢は最終選考にご参加頂けます。約一刻後、始まりますのでご準備下さい」
「はあ。……」
「それから、できれば控室からはお出にならないほうがよろしいかと」
「ふうん……」
「あなたに会いたい、激励したいと申し出る者が殺到しております。係りの者に袖の下を強引に渡して迫る男までいるらしくて」
「それは物騒だな」
呆けたようになっているリヴェアの代わりにロシュが口をはさむ。
「参加者の身の安全は選考会事務局が責任を持つ。そのはずだろう?」
「は、仰る通りなのですが」
係りの者はすまなさそうに言った。
「今年は例年になくそういう者が多くて。先ほども、特にしつこくあなたに会わせろと言って帰らない男がおりまして」
「ふうん。……」
「エイミー嬢は自分の連れだと。はぐれたから探していたんだと見え透いたでたらめを」
「……連れ?」
「……はぐれた?」
引っかかりを覚えてリヴェアとロシュは顔を見合わせた。
「そのひと、茶色の髪に茶色の瞳?」
「さあ、そこまでは」
係りの者は素っ気ない。
「知り合いだの連れだの家族だのという者が急増するのですよ、一次選考のあとは」
まったくもう、とぼやいている。例年のこととはいえよほどしつこかったのだろうか。
「そのひと、まだいる?」
「さあ。当方の警備員が追い返したはずですよ。ご安心を」
「いや、そうじゃなくて」
どうしよう。ベニートだったら。
コレが終わるまで待っててくれるかな?
それとも……
「何か他に言ってなかったか?」
すっかり落ち着きをなくしたリヴェアの代わりに、ロシュは尋ねた。
「安全対策は重要だが、本当に連れだったらおたくらどうするんだ?」
「お言葉ですが、お連れ様なら初めからご一緒されているでしょう。または会が終わるまでお待ち下さればよいだけのこと」
男はあからさまにむっとして言い返した。
「美しい妙齢の女性にお集まり頂いているのです。安全第一ですよ」
「まあそれはそうだが」
「とにかくエイミー嬢、お気を付けください。その男、立ち去り際に物騒な捨て台詞を吐いていたそうで」
「……どんな?」
怖い。聞きたくないけれど聞かなくてはならない。
恐る恐る尋ねた。
「覚えていること何でも教えて」
「今、会わせてくれたら大事にせずにすむかもしれないのにと。どうなっても知らんぞ、選考会どころじゃない、下手をすると中止させられるだろうよと」
「ひえ」
「……そいつは穏やかじゃないな」
リヴェアは悲鳴ともつかぬ声を上げ、ロシュは髪と同じ色の綺麗な薄金の眉を寄せた。
**********
「……あなた、何者なんだ?」
忙しいのでと男が去ったとたん、ロシュは静かに問いかけた。
リヴェアは目を合わせないようにして黙りこくっている。
「エイミー、って本名?そうじゃないんだろ?」
「……」
「なんでもいいけれどさ。……あなた、とんでもなくいいうちのお嬢さんなんだろう?連れ、って、お供なんだな。お目付け役、っていうか。選考会中止ってなまじの力じゃ無理だよ」
「……」
「何とか言ってくれよ。責めてるんじゃない」
たしかに、彼の話し方はあくまでも優しい。
のろのろとリヴェアが彼を見上げると、ロシュは困ったように微笑んだ。
「言いたくないならいいよ。でも力になりたいんだ」
「ありがと」
「だから、礼じゃなくて」
もう笑うしかない。
律儀でまじめでズレている。
……可愛い。どうしようもなく。
「!?ちょ、っと、ロシュ」
「選考会、このまま出るんならそうしたらいい。で、そのあと」
彼はリヴェアの白い繊手をとってやわらかくくちづけた。
自分自身、驚きを禁じ得ない衝動にかられて。
……本当に、自分が一番びっくりだ。
殆ど一つ所にはいない。女も然り。ひとりだけと決めたことなんてない。刹那的な恋愛めいたことはなかったわけではないが、彼はもともと執着をしない。だから自分からは積極的に女を求めたりはしない。
でも今は。この女性は。
「あの、ロシュ、ちょっと手を」
「……家出するつもりだったのか?だったら手を貸すよ。俺、こうみえて金も持ってるし腕もたつ」
「いえ、そのべつに、家出なんて」
「それとも駆け落ちする予定だったの?男が待ってる?連れの男、じゃなさそうだね?……助けてやるよ、アルバを出たいなら。面白くないけど」
「違うの」
「それとも」
ぎゅ、と手を握る力が一気に強まった。
「俺と一緒に行ってくれる?」
「え……?」
笑い飛ばせない真剣さが、声にも瞳にも表れている。
握られた手の力は強く、見かけどおりの優男ではないらしいと窺い知れる。
「一緒に行っても……やることもないし」
「ヤることあるだろう?」
苦し紛れの返答はあまりに突飛で、彼は吹き出すしかない。
かなり直截に色めいたことを言ってみたが、リヴェアの反応は鈍い。
「別に、家出したいんじゃないの。そうじゃなくて、ちょっとお祭りを見たくて」
「俺と一緒に来ない?あちこちの祭りに連れてってやるよ」
「ありがとう」
「だから、もう!」
礼じゃないでしょ、そこは!と言ってどさくさ紛れに繊手を引っ張り、ものわかりの悪い可愛い女を抱き寄せようとして。
「!?っ、何、……?」
------一瞬だった。
かなりしっかりとつかんでいたはずの手が外されている。
眼前にいたはずの女は。
「ありがとう、ロシュ」
背後から柔らかな声がした。
背後?
ゆっくりと振り向くと、彼の真後ろにひっそりと立っている。
「おい、エイミー」
掘っ立て小屋のような簡素な控室。その薄明かりの中でも明らかに、ロシュは表情を引き締めた。
薄水色の瞳が鋭く光る。
「もう一度聞くよ。あなたは何者だ?」
「……いいとこのおうちのお嬢さん」
「いいとこ、かもしれないけれど」
男は腕を組んで少し距離を取った。
女とはいえ、背後にひとを立たせておくのは避けたいらしい。
「どうやって手を外した?すごいな」
「護身術よ。町は危険がいっぱいだからって」
「……あれは、お嬢さん芸じゃないよ」
ロシュはひっそりと笑った。
「言ったよね?俺、腕が立つって。護身術程度のお嬢さんに背後をとられるとはね」
「……身元調査をしたいなら出て行って」
きっぱりと、リヴェアは言った。
これ以上詮索されたくはない。そもそも、男は勝手についてきているだけだ。
ベニートとはぐれたこととか月の女神選考会に参加してしまったこととかは別問題だ。
反論を許さない決然とした口調に、男は口を噤む。
「乗りかかった舟だし、このまま最終選考には出るわ。芸っていったって素人のやるものでしょう?適当になんかやっとくわよ。連れの捨て台詞は気になるけれど、どのみち今からじゃ間に合わない。でも」
きっ、と夜色の瞳を爛々と光らせて、リヴェアは男の探るような瞳をねじ伏せる。
ぞくり、とした。
これはまずい、と本能が警鐘を鳴らす。
……魅せられたかもしれない。かりそめの感情ならいいが。どうもこれは。
「でもね、私がどこの誰かはあなたには関係ない。ロシュ、あなたの本名は?出身は?私にそれを洗いざらい話せる?言えないでしょう?」
「……」
沈黙がそのまま彼の答えだった。
喋ったっていい、と頭の片隅で思う。強烈な誘惑にかられる。全部喋って、ばらして。自分のことくらい、大勢に影響はないはずだ。それと引き換えにこの女のことを知ることができるなら。
大した女だ、と負け惜しみではなく彼は考えた。
不思議な、見事な体術。この切り返し。この威圧感。
「……悪かったよ、エイミー」
わずかな、けれど濃密な沈黙の後、彼は降参するように両手をあげながら言った。
魅力的な女。もっと知りたい。知り合いたい。
でも、今はその時じゃないようだ。
「何も聞かない。だから俺も最後まで舟に乗っていてもいいだろ?」
「……」
「警戒しないでくれよ。力になりたいって思ったのは本当なんだ。でも特に必要じゃないならいい」
リヴェアは黙って彼の言葉を咀嚼しているらしい。
瞳の剣呑な色は和らいだように見えるが、まだ毛を逆立てた猫のようだ。
どうしたら信じてもらえるのかな、と男がおどけたように、けれど十分に本音の響きを込めて嘆息するとようやくリヴェアは肩の力を抜いたようだった。
「最終選考、何をしようかな」
ぽつり、とリヴェア---彼にとっては「エイミー」は言った。
「残るとは思ってなかったから」
「あれだけ観衆を煽っといてそれはないよね」
ロシュはその時の光景を思い出したように低く笑った。
色っぽくて蠱惑的だった。見せ方を心得ていて。選考会が終わったら劇場の興行主が女優にと声をかけてくるだろう。企業が広告塔にと望むかもしれない。それとも有力者やお貴族様が閨の相手に求めるか。
いいところの出身らしい謎めいた女性。会が終われば彼女の暮らしに戻るのだろうと思い直す。金持ちどもの閨の相手になる彼女など想像だけで気分が悪い。
「もともとの出場者が何をするつもりだったか、によるんじゃないのか?自由に仮装することになってるだろう?」
「そういえば」
確かに、最終選考では衣装の支給はない。ということは、化粧かぶれに苦しむ女性が何をしようとしていたのか。その衣装に合わせたことをするしかない。
「見てみたら?っていうよりもうそんなに時間もないだろうしさ」
「そうね」
最終選考用に、と言われていた包みを開いてみる。
どうかどうかこれも利用することになりますように!と念を送られ、拝み倒しながら手渡されたものだ。
ものすごくかさばる、大きい包み。
「……?これは、いったい……」
何をするつもりだったのか。
ロシュは眉根に深くしわを刻んだまま、出てくるものをひとつひとつ丹念に摘まみ上げている。
リヴェアは早々にひとつの想像に思い当たり、言葉もなく何度も生唾を飲み込んだ。
ここでは自分は「ローデから来たエイミー」だ。「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ」ではない。
グラディウス公爵とヘデラ侯の婚約者でもない。情報室長でもない。
リヴェアは腹は据わっているほうだ。だから楽しくて仕方がない。
金髪、銀髪、赤い髪。染めているのか地毛なのか、紺色や緑の髪もいる。黒髪も少ないが存在する。
皆、各地で選抜されたのだろう。同性の目からみてもなかなかの美女ぞろいで眼福の極みである。
ただ、皆、緊張しているのか。表情が硬いし、顔色の良くない者もいる。うろうろと歩き回る女性、みずからを抱きしめてがたがたと震える女性、様々である。でもひとたび演台へ上がれば、ちゃんと一周して大過なく戻ってくるのだから大したものだ。
にこにこわくわくと目を輝かせるリヴェアは明らかに異質だったが、誰もあまり自分のこと以外に関心はないようだった。
演台のそばでは楽隊が賑やかにリズムを刻んでいて、会場を盛り上げている。
リヴェアが袖からあたりを眺めると、出場者たちは緊張を押し隠して演台を隅々まで歩きまわり、お辞儀をしたり手を振ったりしている。応援団を見つけて飛び上がっているものもいる。
でも、とリヴェアは拳を固めた。
だんだん順番が近づいてきて、演台に上がって裏手で尚も待つ。
皆、歩き方がなっておらん。せっかくレッドカーペットの上を歩くのに(演台には赤いじゅうたんが敷かれている。界は異なっても場を華やかにするとなると同じ思考にたどり着くのかもしれない)、もうちょっと魅力的にアピールすればいいのに。そりゃ、初々しくお辞儀してご挨拶もいいけれど、お見合いじゃないんだから。ミスコンなんだから(彼女の脳内では月の女神云々は消し飛んでいた)。ちなみに以前、演台でいきなり脱いでマッパを披露する強者がいたそうだが、会の品位に関わるとしてそういう行いは禁止になったらしい。その判断は正しい。ミスコンはストリップショーではないのだ。
ただし、見せ方ってものがあるわよね。キャットウォークというか。
見る限り、実直にただただ演台を歩き回ってばかり。つまらない。投げキスをしたりウィンクしたりする者はまあいるとしても少数派であることからすると、ちょっと工夫したらウケるかもしれない。それに、ウケて大騒ぎになれば「一の塔の広場」にはきっと来ているだろうベニートのほうから気付いてくれると思う。三十五番達‘影’の面々も然り。
「ローデの方、次です!」
切羽詰まった声。私より係りのひとのほうが緊張してるみたい。
リヴェアはくすりと笑った。
------次はエイミー嬢!ローデ・ラムズフェルドご出身!!
進行役が高々と呼ばわる。
裏と表を隔てる幕がサッと左右に割れた。リヴェアは微笑みながら一歩を踏み出した。
**********
いない。会えない。
例年通り、いやそれ以上の賑わいを見せる一の塔の広場で、ベニートはうろうろとひたすら歩き回り、黒髪の女性を探し求めていた。
いつもなら無表情に近いくらい冷静なその顔は、かなり青ざめつつある。青いだろうと彼自身、自覚がある。さっきすれちがった可愛らしい女の子から「おにいさんのお顔の色おかしい、だいじょうぶ?」と声をかけられたくらいだ。妙齢の女性ならいざ知らず、十歳程度の女児に気遣われても嬉しくはない。それどころか、よほどひどい顔色なのだろうとマジに落ち込む。
あのお方、絶対遊んでおられる。そうに違いない。
雑踏の中に目を凝らしつつ、リヴェアの好みそうなしゃれた店をしらみつぶしにあたりながらベニートは確信した。
自分は目も勘も悪くないほうだと思う。これだけ探しても見つからないのは、リヴェアがどこかで目的意識をもって沈没しているか、あえて身を隠しているとしか考えられない。あのお方に限って、このわずかな時間の間にかどわかされたとは到底思われない。
でも危機管理上の問題がある。リヴェア様が強いかどうか、ではなく、あのお方ほどの身分の女性が一人きりで街中をうろつくなど言語道断だ。
……ったくリヴェア様!出てきてくださらないとお城へ報告しなくてはならなくなりますよ!二度と街歩きできないんですよ!いいんですか!?
一瞬でも目を離すんじゃなかった。
リヴェアとはぐれてから臍を噛むのは優に百回を超えているだろう。
と、その時、わあああああっ、と歓声が上がった。
うるさいな、ひとの気も知らず、とベニートは舌打ちをして声のするほうに目を向ける。
月の女神選考会の会場。手拍子が沸き起こり、怒号のような歓声、口笛、たいへんな騒ぎである。
席料を払っている者、タダの立ち見客。それぞれに「推し美女」がいて、こんなに会場全体が盛り上がるのはめずらしいことなのだが。
「エイミー!エイミー!!」
「ローデのエイミー!覚えたぞ!」
「エイミー!最高だ!」
エイミー?
同じ名だなと思ったのは一瞬のこと。珍しい名ではないからいったんは彼の思考はそのまま素通りしたのだが。
「エイミー、こっち向いてくれ!」
「すげえおっぱい!」
「おっぱい最高!」
耳を澄ませば揉ませろヤらせろと卑猥な発言が乱れ飛んでいる。
イヤな予感がした。
彼の探し求める女性も「エイミー」で見事な「おっぱい」の持ち主だ。
決してベニートは邪な目線でリヴェアを見たことはない。誓ってもいい。
美人だな、可愛いなと思っても、我ながら淡泊なほうだと思うし、性的な対象としては考えたことがなかったのだ。
しかし考えたことはなくても、日々そば近くで仕えていればリヴェアの胸が大きい、それも相当大きいほうだということくらいはわかっている。選りすぐりの親衛隊員は口にすることはしないが、武官、傭兵たちがリヴェアの体術の指導を受けたがっていることは有名な話だ。ときにはからだを密着させて投げとばされるのだが、その時の感触を妄想して熱くなっているのだ。実際には当然のことながらしっかりと厚手の胸当てをしているからさほど胸の柔らかさなどは感じないのだが、それでも男の胸板の硬さとはまるで異なる。いくらでも投げてくれ、押し倒されたい、できれば踏んでほしいと酔っぱらって騒ぐ武官を目にしたことがあるが、ほぼ全員が深々と頷いていた。親衛隊と三公爵の武官たちとの気楽な懇親会だったが、下品なことは口にしないよう躾けられている親衛隊員たちでさえ苦笑しつつも頷いていたのだ。「アレはヤバイ」「クセになる」と。
エイミー。おっぱい。
まさかと思いながら立ち見の客をかき分け、演台に近づく。
キーワードを口にしながら前進する。少々危ないひとに見えるがこの状況で気にする者はいない。
大半は男たちだからそれはもう場所取りに必死で、「このやろう横入りするな!」と怒鳴られるが、ベニートはいい加減な詫びを口にしながらがんがん突き進む。
「いいぞ!エイミー!」
「好きだ、エイミー!」
……ようやく、演台が見えるところまで辿り着いた彼が目にしたものは。
銀色の衣装の裾を翻して歩く黒髪の美女。
うねるゆたかな髪。腰を振って歩く扇情的な姿。
広い演台をゆっくりと巡り、立ち止まっては首をかしげて見せる。かと思えば、纏った薄物を肩から落とす。ゆたかな胸元がほんのわずか露わになる。見えそうで見えない。そのたびに会場から悲鳴のような怒号のような歓声が上がるのだ。
そして、凄絶に色っぽい流し目。
(リヴェア、さま……)
かろうじて名前を口にしなかったベニートは褒められるべきであったろう。
愕然としつつも一縷の理性で踏みとどまったのだ。
(何やっておられるんですか、あなたは)
絶望的な気分でリヴェアを見上げる。
ノリノリの彼女は遠目にも上機嫌だ。
最後はいたって健康的に会場全体に対して両手を振って、姿を消した。
**********
想像以上の会場の反応にリヴェアはご満悦である。
足取りも軽く控室へ戻ってきた彼女は、控えめに拍手をするロシュにハイタッチを要求した。
そつなく応じながらもロシュの脳内はさらなる「?」でいっぱいになる。
滑らかな肌、よく手入れされた艶やかな黒髪。きれいな言葉遣い。いいところのお嬢さんだと思っていたが、わけがわからない。びっくりするほど世間知らずかと思えば、とんでもなく度胸がある。物おじしない。こんな動作は男っぽいとすら言える。世慣れていて観察眼にはおぼえのある彼をもってしても、リヴェアの本当の氏素性は想像がつかない。
とはいえ、不信感などはおくびにも出さず、「すごいな、エイミー」とまずは労をねぎらった。
「ちょっとノリすぎちゃったわ!」
でも楽しかった!とゆたかな胸を張ってリヴェアはあははと快活に笑った。
大した美貌なのに気取りのかけらもない、大口を開けて笑う彼女は暴力的なまでに可愛らしい。
「すごく、綺麗だった」
柄にもなく口ごもりながらロシュは言った。
そう?ありがと!と本人はいたって気楽に返事をする。
いやいや、けっこうマジで言ってるんだがと凹みつつ、
「いや、ほんとに。……一番、綺麗だった」
「ありがと!」
だからそこは礼を言ってほしいんじゃなくて。
ああもう、もどかしい。
「エイミーが断トツだ。最終選考、残るぞ、絶対」
「あ、そういえばそれ、まずいわ!」
とたんに彼女は眉をひそめた。
表情ゆたかなところも好ましいなと、反対にロシュは目元を和らげる。
「ちょっと楽しんだだけだったのに。百人以上も美人さんがいたじゃない、まさかそんなはずは」
「狙ってたんじゃないのか?あんなに色っぽくて綺麗で」
「狙うわけないじゃない!最終選考の一発芸なんて言われても困るし、夜までには帰らなきゃだし」
「うちのひとに言っといたら?事情話して、遅くなりますって」
「ダメよ!」
「何なら俺が言いに行ってやろうか」
「ダメ、絶対!」
「なぜ?黙ってるほうが家族は心配するよ」
「……とにかくダメ」
ロシュは意外にまっとうであり、リヴェアは相当頑固であった。
エヴァンジェリスタ城に使いを出す?ミスコンに出てるから遅くなる、と?
三公爵、オルギール。全員、溺愛してくれるのはいいが過保護で心配性だ。
そして、怒るとコワい。性的な意味で。
ふるふる、とリヴェアは身を震わせた。
まずい。遊びすぎた。最終選考などどうでもいい。
とりあえず選考会には出た。ローデの町長の顔も立つだろう。
退散しようと思わず腰を浮かしかけると、「失礼いたします!」と、係りの者が外から声をかけてきた。
出鼻をくじかれ、しかたなく「どうぞ」と応じる。
「エイミー嬢、おめでとうございます!」
「……」
やっぱりな、とロシュは口の端を釣り上げて無言になったリヴェアをそっと伺い見た。
最終選考に残ると、参加者一人一人にそれが告げられる。肩を落として会場を後にするもの、女性らしからぬ歓喜の雄たけびを上げるもの。参加者の数だけ設けられた一次選考後の控室は悲喜こもごもと言った様相を呈するのだ。
本来、「喜」のはずなんだがなとロシュは薄い金色の髪をかき上げつつ首を傾げる。
「エイミー嬢は最終選考にご参加頂けます。約一刻後、始まりますのでご準備下さい」
「はあ。……」
「それから、できれば控室からはお出にならないほうがよろしいかと」
「ふうん……」
「あなたに会いたい、激励したいと申し出る者が殺到しております。係りの者に袖の下を強引に渡して迫る男までいるらしくて」
「それは物騒だな」
呆けたようになっているリヴェアの代わりにロシュが口をはさむ。
「参加者の身の安全は選考会事務局が責任を持つ。そのはずだろう?」
「は、仰る通りなのですが」
係りの者はすまなさそうに言った。
「今年は例年になくそういう者が多くて。先ほども、特にしつこくあなたに会わせろと言って帰らない男がおりまして」
「ふうん。……」
「エイミー嬢は自分の連れだと。はぐれたから探していたんだと見え透いたでたらめを」
「……連れ?」
「……はぐれた?」
引っかかりを覚えてリヴェアとロシュは顔を見合わせた。
「そのひと、茶色の髪に茶色の瞳?」
「さあ、そこまでは」
係りの者は素っ気ない。
「知り合いだの連れだの家族だのという者が急増するのですよ、一次選考のあとは」
まったくもう、とぼやいている。例年のこととはいえよほどしつこかったのだろうか。
「そのひと、まだいる?」
「さあ。当方の警備員が追い返したはずですよ。ご安心を」
「いや、そうじゃなくて」
どうしよう。ベニートだったら。
コレが終わるまで待っててくれるかな?
それとも……
「何か他に言ってなかったか?」
すっかり落ち着きをなくしたリヴェアの代わりに、ロシュは尋ねた。
「安全対策は重要だが、本当に連れだったらおたくらどうするんだ?」
「お言葉ですが、お連れ様なら初めからご一緒されているでしょう。または会が終わるまでお待ち下さればよいだけのこと」
男はあからさまにむっとして言い返した。
「美しい妙齢の女性にお集まり頂いているのです。安全第一ですよ」
「まあそれはそうだが」
「とにかくエイミー嬢、お気を付けください。その男、立ち去り際に物騒な捨て台詞を吐いていたそうで」
「……どんな?」
怖い。聞きたくないけれど聞かなくてはならない。
恐る恐る尋ねた。
「覚えていること何でも教えて」
「今、会わせてくれたら大事にせずにすむかもしれないのにと。どうなっても知らんぞ、選考会どころじゃない、下手をすると中止させられるだろうよと」
「ひえ」
「……そいつは穏やかじゃないな」
リヴェアは悲鳴ともつかぬ声を上げ、ロシュは髪と同じ色の綺麗な薄金の眉を寄せた。
**********
「……あなた、何者なんだ?」
忙しいのでと男が去ったとたん、ロシュは静かに問いかけた。
リヴェアは目を合わせないようにして黙りこくっている。
「エイミー、って本名?そうじゃないんだろ?」
「……」
「なんでもいいけれどさ。……あなた、とんでもなくいいうちのお嬢さんなんだろう?連れ、って、お供なんだな。お目付け役、っていうか。選考会中止ってなまじの力じゃ無理だよ」
「……」
「何とか言ってくれよ。責めてるんじゃない」
たしかに、彼の話し方はあくまでも優しい。
のろのろとリヴェアが彼を見上げると、ロシュは困ったように微笑んだ。
「言いたくないならいいよ。でも力になりたいんだ」
「ありがと」
「だから、礼じゃなくて」
もう笑うしかない。
律儀でまじめでズレている。
……可愛い。どうしようもなく。
「!?ちょ、っと、ロシュ」
「選考会、このまま出るんならそうしたらいい。で、そのあと」
彼はリヴェアの白い繊手をとってやわらかくくちづけた。
自分自身、驚きを禁じ得ない衝動にかられて。
……本当に、自分が一番びっくりだ。
殆ど一つ所にはいない。女も然り。ひとりだけと決めたことなんてない。刹那的な恋愛めいたことはなかったわけではないが、彼はもともと執着をしない。だから自分からは積極的に女を求めたりはしない。
でも今は。この女性は。
「あの、ロシュ、ちょっと手を」
「……家出するつもりだったのか?だったら手を貸すよ。俺、こうみえて金も持ってるし腕もたつ」
「いえ、そのべつに、家出なんて」
「それとも駆け落ちする予定だったの?男が待ってる?連れの男、じゃなさそうだね?……助けてやるよ、アルバを出たいなら。面白くないけど」
「違うの」
「それとも」
ぎゅ、と手を握る力が一気に強まった。
「俺と一緒に行ってくれる?」
「え……?」
笑い飛ばせない真剣さが、声にも瞳にも表れている。
握られた手の力は強く、見かけどおりの優男ではないらしいと窺い知れる。
「一緒に行っても……やることもないし」
「ヤることあるだろう?」
苦し紛れの返答はあまりに突飛で、彼は吹き出すしかない。
かなり直截に色めいたことを言ってみたが、リヴェアの反応は鈍い。
「別に、家出したいんじゃないの。そうじゃなくて、ちょっとお祭りを見たくて」
「俺と一緒に来ない?あちこちの祭りに連れてってやるよ」
「ありがとう」
「だから、もう!」
礼じゃないでしょ、そこは!と言ってどさくさ紛れに繊手を引っ張り、ものわかりの悪い可愛い女を抱き寄せようとして。
「!?っ、何、……?」
------一瞬だった。
かなりしっかりとつかんでいたはずの手が外されている。
眼前にいたはずの女は。
「ありがとう、ロシュ」
背後から柔らかな声がした。
背後?
ゆっくりと振り向くと、彼の真後ろにひっそりと立っている。
「おい、エイミー」
掘っ立て小屋のような簡素な控室。その薄明かりの中でも明らかに、ロシュは表情を引き締めた。
薄水色の瞳が鋭く光る。
「もう一度聞くよ。あなたは何者だ?」
「……いいとこのおうちのお嬢さん」
「いいとこ、かもしれないけれど」
男は腕を組んで少し距離を取った。
女とはいえ、背後にひとを立たせておくのは避けたいらしい。
「どうやって手を外した?すごいな」
「護身術よ。町は危険がいっぱいだからって」
「……あれは、お嬢さん芸じゃないよ」
ロシュはひっそりと笑った。
「言ったよね?俺、腕が立つって。護身術程度のお嬢さんに背後をとられるとはね」
「……身元調査をしたいなら出て行って」
きっぱりと、リヴェアは言った。
これ以上詮索されたくはない。そもそも、男は勝手についてきているだけだ。
ベニートとはぐれたこととか月の女神選考会に参加してしまったこととかは別問題だ。
反論を許さない決然とした口調に、男は口を噤む。
「乗りかかった舟だし、このまま最終選考には出るわ。芸っていったって素人のやるものでしょう?適当になんかやっとくわよ。連れの捨て台詞は気になるけれど、どのみち今からじゃ間に合わない。でも」
きっ、と夜色の瞳を爛々と光らせて、リヴェアは男の探るような瞳をねじ伏せる。
ぞくり、とした。
これはまずい、と本能が警鐘を鳴らす。
……魅せられたかもしれない。かりそめの感情ならいいが。どうもこれは。
「でもね、私がどこの誰かはあなたには関係ない。ロシュ、あなたの本名は?出身は?私にそれを洗いざらい話せる?言えないでしょう?」
「……」
沈黙がそのまま彼の答えだった。
喋ったっていい、と頭の片隅で思う。強烈な誘惑にかられる。全部喋って、ばらして。自分のことくらい、大勢に影響はないはずだ。それと引き換えにこの女のことを知ることができるなら。
大した女だ、と負け惜しみではなく彼は考えた。
不思議な、見事な体術。この切り返し。この威圧感。
「……悪かったよ、エイミー」
わずかな、けれど濃密な沈黙の後、彼は降参するように両手をあげながら言った。
魅力的な女。もっと知りたい。知り合いたい。
でも、今はその時じゃないようだ。
「何も聞かない。だから俺も最後まで舟に乗っていてもいいだろ?」
「……」
「警戒しないでくれよ。力になりたいって思ったのは本当なんだ。でも特に必要じゃないならいい」
リヴェアは黙って彼の言葉を咀嚼しているらしい。
瞳の剣呑な色は和らいだように見えるが、まだ毛を逆立てた猫のようだ。
どうしたら信じてもらえるのかな、と男がおどけたように、けれど十分に本音の響きを込めて嘆息するとようやくリヴェアは肩の力を抜いたようだった。
「最終選考、何をしようかな」
ぽつり、とリヴェア---彼にとっては「エイミー」は言った。
「残るとは思ってなかったから」
「あれだけ観衆を煽っといてそれはないよね」
ロシュはその時の光景を思い出したように低く笑った。
色っぽくて蠱惑的だった。見せ方を心得ていて。選考会が終わったら劇場の興行主が女優にと声をかけてくるだろう。企業が広告塔にと望むかもしれない。それとも有力者やお貴族様が閨の相手に求めるか。
いいところの出身らしい謎めいた女性。会が終われば彼女の暮らしに戻るのだろうと思い直す。金持ちどもの閨の相手になる彼女など想像だけで気分が悪い。
「もともとの出場者が何をするつもりだったか、によるんじゃないのか?自由に仮装することになってるだろう?」
「そういえば」
確かに、最終選考では衣装の支給はない。ということは、化粧かぶれに苦しむ女性が何をしようとしていたのか。その衣装に合わせたことをするしかない。
「見てみたら?っていうよりもうそんなに時間もないだろうしさ」
「そうね」
最終選考用に、と言われていた包みを開いてみる。
どうかどうかこれも利用することになりますように!と念を送られ、拝み倒しながら手渡されたものだ。
ものすごくかさばる、大きい包み。
「……?これは、いったい……」
何をするつもりだったのか。
ロシュは眉根に深くしわを刻んだまま、出てくるものをひとつひとつ丹念に摘まみ上げている。
リヴェアは早々にひとつの想像に思い当たり、言葉もなく何度も生唾を飲み込んだ。
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