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いまさらですが火竜の君は絶倫でした。~オーディアル城滞在記~
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結婚式まであと三か月を切ったころ。
周りは大変なのだろうが、私の忙しさは通常モードである。
ここ数年で断トツの盛大な式典らしく、典礼係とか三公爵家の家宰とかは目の回るほどの忙しさであり、お城の改修工事の面々だとか、特にお針子や金細工、宝石職人たちは大金を積まれて昼夜を問わず作業に没頭しているようだが、幸い私は当事者であって準備に回る側ではないからいたって静かなものである。
私のこのところの日常と言えば、午前中はオルギールについてもらって「情報室長」としての勉強や執務、午後は私自身のからだの鍛錬や親衛隊の訓練をチェックしたり私が指導したりする。大体毎日、割と早め、つまり昼の四刻くらいには全てきりあげて、居住域に戻る。ちなみに、お城の改修工事はいっぺんにやると生活や警備上の問題があるので、各お城順繰りにやっていて(工事中は空いている迎賓館へ入っていた)、ここ、エヴァンジェリスタ城は一番最初に改修が終わっている。
そして、改修工事の終わったエヴァンジェリスタ城には、夜になるとオルギールは言わずもがな、ユリアスやシグルド様が訪れる。そして食事を一緒に頂いたりお茶だけ頂いたりして、一応、結婚式までは、と宥めすかして、就寝はそれぞれのお城へお帰り頂く……のは事実上不可能(というより押し切られた)なので、改修の終わったお部屋で過ごして頂いたり、場合によっては、一対一、複数を問わず行為に及ぶのが日常と化しつつある。
……私も変わったものだ。
悟ってからの私にためらいはない。複数での行為の前に、まだ戸惑いはあるけれど。
夕食はどなたとご一緒できるだろう、とか、二晩、連続でオルギールと二人きりだったからそろそろ他の方々がヤキモチを焼くかなあ、とか夕方になると考える自分がいる。
今日は皆様お忙しいのではなかったっけ。夕食は久々に一人かな、と考えながら居住域へ戻り、お湯を使ってさっぱりしてから部屋着に替えて一息ついていると、「姫様」とミリヤムさんが困惑顔でやってきて、目で続きを促すと「じつはさきほどから」と切り出した。
姫様にお会いするまでは帰れぬとおっしゃってお待ちです、と報告を受けつつ、私はすぐに腰を上げて客間へと向かった。
面会の予約なく訪問をされたが、どうせもう予定はないのだからひとと会うくらいかまわない。
「……ノルドグレーン中将」
「トゥーラ姫、突然の訪問の無礼、ひらにお許しを願いたく」
一応椅子に掛け、茶を出されていたらしいけれど、私の入室と同時に彼ははじかれたように立ち上がって、最上級の恭しい騎士の礼をとった。
赤い短髪。オーディアル公爵領には赤い髪のひとが多いのだそうだ。そういえばここしばらくシグルド様にお会いしていない。外交で三週間弱、ご不在なのだ。お元気だろうかと彼の髪を見ながら思い出す。
「中将、お久しぶりですね」
着座するように促して、私も彼の前に腰を下ろした。
突然の来訪をしきりに詫びているけれど、私は気にしない。それより、どんな急ぎの要件なのかとそちらのほうが心配になる。
ようやく腰を下ろしたものの大柄な彼には似つかわしくない様子でもじもじして下を向いているので、
「どうなさったの、中将?なにかお話があるからいらしたのでしょう?」
巨漢のもじもじは暑苦しい。じれったくなって催促すると、彼は決然としたおももちで顔を上げた。
「トゥーラ姫様にお願いがあって参りました!」
「もしかしてオーディアル城へ、というお話?」
間髪を入れず切り返すと、中将は「いかにも」と重々しく首肯した。
やれやれまたかと私は嘆息する。
くっつけ隊、は今なお健在である。結婚式の日取りも、結婚後の暮らし方も決まってそれらに向かってまっしぐら、というこのところだけれど、中将いわく、「シグルド様と姫(わたし)の結びつきが一番弱い」と勝手にひどく案じているようなのだ。
成り行き上、たまたまオーディアル城でまだ「滞在」をしたことがない、シグルド様と二人きりで彼の居城で過ごしていない、というだけで、彼は足繁くエヴァンジェリスタ城を訪れ、おひとりで休むか二人でくっつくか、まあもっと言ってしまえば行為の最中にも参戦して来たりしているから、私とシグルド様とはとっくにイイ感じになってると思っていたのだけれど、くっつけ隊の意見は異なるようだ。
だから何かにつけ私へオーディアル城への訪問要請が来る。よくよく聞くと、以前ユリアスが私を連れ出してしばらく一緒に過ごしたことが、彼らにしてみれば「出し抜かれた」感が強いらしい。だからしつこく招待が来る。腹心の部下としての気持ちはわかるし忠義はあっぱれだけれど、私も少々意地になってしまったのかもしれない。蒸し返すようだが私の初陣の際、行軍中のお宿の部屋割り。彼の差し金で「公爵の寵姫の部屋」的扱いになってしまったことは忘れんぞと執念深く思い出している。
ちょっと意地悪く、わざとらしく大きめについたため息で怯む中将ではないらしい。
彼は咳払いを一つすると、
「今回は特別に理由あってのこと。オーディアル公閣下の部下一同のお頼みにて」
と、やたらに勿体をつけていった。神妙に、というべきなのかもしれないが、私はくっつけ隊には少々点が辛いのだ。
とはいえ、聞かないわけにはゆかない。
何しろ高位の武官だし、少なくとも彼に私心はない。いや、あるとしたら「オーディアル公と私を二人きりで過ごさせること」のみというべきか。
「伺いましょう」
短く応じて頷いて見せると、中将は深々とまた頭を下げてから、実は、と切り出した。
******
ミリヤムさんと衛兵数名を伴って、オーディアル城に入る。
姫様、姫将軍、と、行き交うひとびと全て、満面の笑みで出迎え、頭を下げたり、慕わし気に手を振ったりしてくれる。それは嬉しい。
……嬉しいが、おかしくないか。
違和感というか疑念というか。それらにじわじわ浸食されつつもとりあえず考えないようにして家宰に会い、シグルド様の寝所の仕度と医師の待機を命じて、そして厨房へ入り、直接食事の指示をする。
厨房長はやはりそれは愛想よく出迎えてくれて、ついに私は軽くキレた。
「挨拶はよろしいの。それより、あなた方の主の具合が悪いというのにそんなにニコニコしないで」
「……?は、はあ」
怪訝な面持ちで厨房長以下たくさんの料理人たち、その補佐がぎこちなく頭を下げる。
それを見てさらにイラついた。
「何も聞かされてないの?シグルド様の具合が悪いのよ。予定より早くお戻りだというのに何をのんびりしているの!?」
「具合、ですか……」
厨房長とその副長が目を見合わせている。
聞いていないのだろうか。
そんなはずはないだろう。
「聞いてないの?今日、そろそろご到着と聞いたわよ!」
「いや、お戻りが早まったことは伺っておりますが」
「じゃあなんでそんな食事の支度してるのよ」
解体された豚や鳥や牛。手作りのハムだの腸詰だの。野菜ももりもり置いてはあるが、こってこて、お肉てんこ盛りの高カロリーメニューと思われる。
あり得ない。非常識だ。これだから男所帯は!
私は歯噛みした。
中将は、シグルド様一行が食あたりでえらい目にあった、と語ったのだ。
毒を盛られたわけではないらしい。そのへんの管理は徹底していたが、帰途の最中、立ち寄った村の歓待を受けた際、捧げものとして提供された食物を口にしたところ一昼夜たってから発熱と腹痛で大変なことになったのだと。
もうちょっとその村に滞在して近郷の視察などもする予定だったのが、予定は中止、なんとか動けるようになってからとるものもとりあえずアルバを目指すことになったのだと。激しく消耗され、馬にも乗れず、馬車でお戻りなのだと。
シグルド様が風邪気味だとかケガをしたとか、今までさんざんオーバーなガセネタによって私をオーディアル城におびき寄せようとしたくっつけ隊たちだけれど、今回はずいぶん具体的な話だったのでさすがにウソではないだろう、と思ったのだ。いつも私がひっかかるよりも先に、大抵は「心配しないでくれ、姫、俺は大丈夫」と優しいひとのよいシグルド様が種明かしをしてしまっていたが、そのシグルド様はいらっしゃらない。
心配だ。シグルド様は幼少期はからだが弱かったと聞いている。人間、なにが理由で万一の事態に陥るか知れたものではないのだ。
だというのに、このひとたちは。
お腹にたまる、重たいクドい食事なぞ準備して。
きっ、とおろおろ顔の厨房長たちを睨みつけると、彼らは直立不動の姿勢をとった。
「祝勝会じゃないのよ!がっつり肉肉しい食事なんて何考えてるの!?」
「……これは、失礼を……」
「私に失礼じゃないでしょ、あなた方、オーディアル城の厨房を預かる者として……」
いや、説教している場合じゃない。
我に返ってもう一度あたりを見回したが、うんざりするほど大ぶりの食材ばかりだ。
「ちょっとそこどいて、厨房借りるわよ!」
私は彼らを押しのけた。
手を洗い、腕まくりをしながら急いで献立を考える。
お供に連れてきたミリヤムさんが「姫様、おんみずからお料理など」とうろたえているけれど、無視。
私が突っ走り始めると止めようがないことはわかっているのだろう。選んだ野菜を洗えと言われ、おとなしく私同様に腕まくりをし、野菜を洗い始めた。
ミリヤムさんは上流階級の出のお嬢さんだ。厨房になど立ったことはないのかもしれない。
それでも、ぎこちない手つきで野菜を洗って並べてくれる。
……食あたりだと体力が落ちているだろう。消化力も。でも、だからといってあの大柄な方が食事を抜いてはいけない。栄養はとれるけれどお腹にもたれないものを食べて頂かなくては。
消化がよくて栄養価の高いスープ。すりおろしたお野菜を入れた雑炊。味見をして、もしもぼんやりした味だったら、雑炊にはとろけるチーズを入れよう。溶き卵でもいいけれど。
幸い、こちらの世界にはお米があることがしばらく前に判明していたから、それを持ってこさせてがんがん準備にとりかかる。
お米が煮えるまでに、お肉のダシをとる。欲しい部位を選んで解体してみたのだけれど、「格闘」と言ったほうが正しいかもしれない。予想外に苦戦しながら、今度はお野菜をすりおろす。しばらく茫然としていた厨房の者たちが「お手伝いを」と言い始めたけれどなんとなくムキになっていた私は「いいから!」とせっかくの申し出を断って。
……後悔し始めていた。
この世界の厨房用品はいちいち大きい。平均身長、体格、ともにそうとう大柄なひとのための規格だからだろう、扱いにくくて仕方がない。
ナイフは大型だし、すりおろし器、と思われるものをもってこさせたのだけれど、金属板は大きいしトゲトゲはあらけなくて、武器みたいだ。
しまった、お野菜を下ゆですればよかった。そうすればお野菜の臭みもとれるし、すりおろすのももっと楽だったのに、私としたことが……
そろそろお戻りなのではないか。
アセアセ、イライラ。
何を作るのだろう、と、興味津々らしく、視線が熱い。
今では「お手伝いを」という声もかからない。後悔。
今からお願いするのもちょっと悔しい。声かけてよと身勝手にも脳内で当たり散らす。
……腕がだるくなってきたころ。
小さくなったお野菜はやめておけばいいのに、ついつい元の世界の一般市民の根性が頭をもたげ、ぎりぎりまで指で摘まんでおろし金にこすり付ける。やりにくいったらありゃしない。
姫様危のうございます、そろそろおやめに、とミリヤムさんが声をかけてきたのと同時に、「ざり!」といやな感触と激痛が私の指を襲った。
「!?っつ、い、った……!」
「姫様!」
「トゥーラ姫様!!」
とっさに、指を口に含む。
「すりおろし器あるある」だ。ちまちま最後まで頑張りすぎて、指をすりおろし器のトゲトゲにひっかけてしまったのだ。
医者だ手当だと外野が大騒ぎを始めたが、大したことはない。
……いや、おろし金が粗削りだから通常の負傷よりは深々と切れたし、痛みは強いようだが、やむなし。
「医者はどうでもいいから手当だけお願い」
と指を咥えたまま振り返ると。
「姫!?」
真昼の空の色の瞳を大きく見開いたシグルド様が、厨房の入り口に立っていた。
周りは大変なのだろうが、私の忙しさは通常モードである。
ここ数年で断トツの盛大な式典らしく、典礼係とか三公爵家の家宰とかは目の回るほどの忙しさであり、お城の改修工事の面々だとか、特にお針子や金細工、宝石職人たちは大金を積まれて昼夜を問わず作業に没頭しているようだが、幸い私は当事者であって準備に回る側ではないからいたって静かなものである。
私のこのところの日常と言えば、午前中はオルギールについてもらって「情報室長」としての勉強や執務、午後は私自身のからだの鍛錬や親衛隊の訓練をチェックしたり私が指導したりする。大体毎日、割と早め、つまり昼の四刻くらいには全てきりあげて、居住域に戻る。ちなみに、お城の改修工事はいっぺんにやると生活や警備上の問題があるので、各お城順繰りにやっていて(工事中は空いている迎賓館へ入っていた)、ここ、エヴァンジェリスタ城は一番最初に改修が終わっている。
そして、改修工事の終わったエヴァンジェリスタ城には、夜になるとオルギールは言わずもがな、ユリアスやシグルド様が訪れる。そして食事を一緒に頂いたりお茶だけ頂いたりして、一応、結婚式までは、と宥めすかして、就寝はそれぞれのお城へお帰り頂く……のは事実上不可能(というより押し切られた)なので、改修の終わったお部屋で過ごして頂いたり、場合によっては、一対一、複数を問わず行為に及ぶのが日常と化しつつある。
……私も変わったものだ。
悟ってからの私にためらいはない。複数での行為の前に、まだ戸惑いはあるけれど。
夕食はどなたとご一緒できるだろう、とか、二晩、連続でオルギールと二人きりだったからそろそろ他の方々がヤキモチを焼くかなあ、とか夕方になると考える自分がいる。
今日は皆様お忙しいのではなかったっけ。夕食は久々に一人かな、と考えながら居住域へ戻り、お湯を使ってさっぱりしてから部屋着に替えて一息ついていると、「姫様」とミリヤムさんが困惑顔でやってきて、目で続きを促すと「じつはさきほどから」と切り出した。
姫様にお会いするまでは帰れぬとおっしゃってお待ちです、と報告を受けつつ、私はすぐに腰を上げて客間へと向かった。
面会の予約なく訪問をされたが、どうせもう予定はないのだからひとと会うくらいかまわない。
「……ノルドグレーン中将」
「トゥーラ姫、突然の訪問の無礼、ひらにお許しを願いたく」
一応椅子に掛け、茶を出されていたらしいけれど、私の入室と同時に彼ははじかれたように立ち上がって、最上級の恭しい騎士の礼をとった。
赤い短髪。オーディアル公爵領には赤い髪のひとが多いのだそうだ。そういえばここしばらくシグルド様にお会いしていない。外交で三週間弱、ご不在なのだ。お元気だろうかと彼の髪を見ながら思い出す。
「中将、お久しぶりですね」
着座するように促して、私も彼の前に腰を下ろした。
突然の来訪をしきりに詫びているけれど、私は気にしない。それより、どんな急ぎの要件なのかとそちらのほうが心配になる。
ようやく腰を下ろしたものの大柄な彼には似つかわしくない様子でもじもじして下を向いているので、
「どうなさったの、中将?なにかお話があるからいらしたのでしょう?」
巨漢のもじもじは暑苦しい。じれったくなって催促すると、彼は決然としたおももちで顔を上げた。
「トゥーラ姫様にお願いがあって参りました!」
「もしかしてオーディアル城へ、というお話?」
間髪を入れず切り返すと、中将は「いかにも」と重々しく首肯した。
やれやれまたかと私は嘆息する。
くっつけ隊、は今なお健在である。結婚式の日取りも、結婚後の暮らし方も決まってそれらに向かってまっしぐら、というこのところだけれど、中将いわく、「シグルド様と姫(わたし)の結びつきが一番弱い」と勝手にひどく案じているようなのだ。
成り行き上、たまたまオーディアル城でまだ「滞在」をしたことがない、シグルド様と二人きりで彼の居城で過ごしていない、というだけで、彼は足繁くエヴァンジェリスタ城を訪れ、おひとりで休むか二人でくっつくか、まあもっと言ってしまえば行為の最中にも参戦して来たりしているから、私とシグルド様とはとっくにイイ感じになってると思っていたのだけれど、くっつけ隊の意見は異なるようだ。
だから何かにつけ私へオーディアル城への訪問要請が来る。よくよく聞くと、以前ユリアスが私を連れ出してしばらく一緒に過ごしたことが、彼らにしてみれば「出し抜かれた」感が強いらしい。だからしつこく招待が来る。腹心の部下としての気持ちはわかるし忠義はあっぱれだけれど、私も少々意地になってしまったのかもしれない。蒸し返すようだが私の初陣の際、行軍中のお宿の部屋割り。彼の差し金で「公爵の寵姫の部屋」的扱いになってしまったことは忘れんぞと執念深く思い出している。
ちょっと意地悪く、わざとらしく大きめについたため息で怯む中将ではないらしい。
彼は咳払いを一つすると、
「今回は特別に理由あってのこと。オーディアル公閣下の部下一同のお頼みにて」
と、やたらに勿体をつけていった。神妙に、というべきなのかもしれないが、私はくっつけ隊には少々点が辛いのだ。
とはいえ、聞かないわけにはゆかない。
何しろ高位の武官だし、少なくとも彼に私心はない。いや、あるとしたら「オーディアル公と私を二人きりで過ごさせること」のみというべきか。
「伺いましょう」
短く応じて頷いて見せると、中将は深々とまた頭を下げてから、実は、と切り出した。
******
ミリヤムさんと衛兵数名を伴って、オーディアル城に入る。
姫様、姫将軍、と、行き交うひとびと全て、満面の笑みで出迎え、頭を下げたり、慕わし気に手を振ったりしてくれる。それは嬉しい。
……嬉しいが、おかしくないか。
違和感というか疑念というか。それらにじわじわ浸食されつつもとりあえず考えないようにして家宰に会い、シグルド様の寝所の仕度と医師の待機を命じて、そして厨房へ入り、直接食事の指示をする。
厨房長はやはりそれは愛想よく出迎えてくれて、ついに私は軽くキレた。
「挨拶はよろしいの。それより、あなた方の主の具合が悪いというのにそんなにニコニコしないで」
「……?は、はあ」
怪訝な面持ちで厨房長以下たくさんの料理人たち、その補佐がぎこちなく頭を下げる。
それを見てさらにイラついた。
「何も聞かされてないの?シグルド様の具合が悪いのよ。予定より早くお戻りだというのに何をのんびりしているの!?」
「具合、ですか……」
厨房長とその副長が目を見合わせている。
聞いていないのだろうか。
そんなはずはないだろう。
「聞いてないの?今日、そろそろご到着と聞いたわよ!」
「いや、お戻りが早まったことは伺っておりますが」
「じゃあなんでそんな食事の支度してるのよ」
解体された豚や鳥や牛。手作りのハムだの腸詰だの。野菜ももりもり置いてはあるが、こってこて、お肉てんこ盛りの高カロリーメニューと思われる。
あり得ない。非常識だ。これだから男所帯は!
私は歯噛みした。
中将は、シグルド様一行が食あたりでえらい目にあった、と語ったのだ。
毒を盛られたわけではないらしい。そのへんの管理は徹底していたが、帰途の最中、立ち寄った村の歓待を受けた際、捧げものとして提供された食物を口にしたところ一昼夜たってから発熱と腹痛で大変なことになったのだと。
もうちょっとその村に滞在して近郷の視察などもする予定だったのが、予定は中止、なんとか動けるようになってからとるものもとりあえずアルバを目指すことになったのだと。激しく消耗され、馬にも乗れず、馬車でお戻りなのだと。
シグルド様が風邪気味だとかケガをしたとか、今までさんざんオーバーなガセネタによって私をオーディアル城におびき寄せようとしたくっつけ隊たちだけれど、今回はずいぶん具体的な話だったのでさすがにウソではないだろう、と思ったのだ。いつも私がひっかかるよりも先に、大抵は「心配しないでくれ、姫、俺は大丈夫」と優しいひとのよいシグルド様が種明かしをしてしまっていたが、そのシグルド様はいらっしゃらない。
心配だ。シグルド様は幼少期はからだが弱かったと聞いている。人間、なにが理由で万一の事態に陥るか知れたものではないのだ。
だというのに、このひとたちは。
お腹にたまる、重たいクドい食事なぞ準備して。
きっ、とおろおろ顔の厨房長たちを睨みつけると、彼らは直立不動の姿勢をとった。
「祝勝会じゃないのよ!がっつり肉肉しい食事なんて何考えてるの!?」
「……これは、失礼を……」
「私に失礼じゃないでしょ、あなた方、オーディアル城の厨房を預かる者として……」
いや、説教している場合じゃない。
我に返ってもう一度あたりを見回したが、うんざりするほど大ぶりの食材ばかりだ。
「ちょっとそこどいて、厨房借りるわよ!」
私は彼らを押しのけた。
手を洗い、腕まくりをしながら急いで献立を考える。
お供に連れてきたミリヤムさんが「姫様、おんみずからお料理など」とうろたえているけれど、無視。
私が突っ走り始めると止めようがないことはわかっているのだろう。選んだ野菜を洗えと言われ、おとなしく私同様に腕まくりをし、野菜を洗い始めた。
ミリヤムさんは上流階級の出のお嬢さんだ。厨房になど立ったことはないのかもしれない。
それでも、ぎこちない手つきで野菜を洗って並べてくれる。
……食あたりだと体力が落ちているだろう。消化力も。でも、だからといってあの大柄な方が食事を抜いてはいけない。栄養はとれるけれどお腹にもたれないものを食べて頂かなくては。
消化がよくて栄養価の高いスープ。すりおろしたお野菜を入れた雑炊。味見をして、もしもぼんやりした味だったら、雑炊にはとろけるチーズを入れよう。溶き卵でもいいけれど。
幸い、こちらの世界にはお米があることがしばらく前に判明していたから、それを持ってこさせてがんがん準備にとりかかる。
お米が煮えるまでに、お肉のダシをとる。欲しい部位を選んで解体してみたのだけれど、「格闘」と言ったほうが正しいかもしれない。予想外に苦戦しながら、今度はお野菜をすりおろす。しばらく茫然としていた厨房の者たちが「お手伝いを」と言い始めたけれどなんとなくムキになっていた私は「いいから!」とせっかくの申し出を断って。
……後悔し始めていた。
この世界の厨房用品はいちいち大きい。平均身長、体格、ともにそうとう大柄なひとのための規格だからだろう、扱いにくくて仕方がない。
ナイフは大型だし、すりおろし器、と思われるものをもってこさせたのだけれど、金属板は大きいしトゲトゲはあらけなくて、武器みたいだ。
しまった、お野菜を下ゆですればよかった。そうすればお野菜の臭みもとれるし、すりおろすのももっと楽だったのに、私としたことが……
そろそろお戻りなのではないか。
アセアセ、イライラ。
何を作るのだろう、と、興味津々らしく、視線が熱い。
今では「お手伝いを」という声もかからない。後悔。
今からお願いするのもちょっと悔しい。声かけてよと身勝手にも脳内で当たり散らす。
……腕がだるくなってきたころ。
小さくなったお野菜はやめておけばいいのに、ついつい元の世界の一般市民の根性が頭をもたげ、ぎりぎりまで指で摘まんでおろし金にこすり付ける。やりにくいったらありゃしない。
姫様危のうございます、そろそろおやめに、とミリヤムさんが声をかけてきたのと同時に、「ざり!」といやな感触と激痛が私の指を襲った。
「!?っつ、い、った……!」
「姫様!」
「トゥーラ姫様!!」
とっさに、指を口に含む。
「すりおろし器あるある」だ。ちまちま最後まで頑張りすぎて、指をすりおろし器のトゲトゲにひっかけてしまったのだ。
医者だ手当だと外野が大騒ぎを始めたが、大したことはない。
……いや、おろし金が粗削りだから通常の負傷よりは深々と切れたし、痛みは強いようだが、やむなし。
「医者はどうでもいいから手当だけお願い」
と指を咥えたまま振り返ると。
「姫!?」
真昼の空の色の瞳を大きく見開いたシグルド様が、厨房の入り口に立っていた。
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