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事件 3.
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アルフの顔をそっと斜め後ろから窺うと、ずいぶんとむっすりしている。
ひきしまった唇をくっと引き結んでいて、不機嫌全開だ。
大変珍しい光景である。
私と行動を共にする時、それも、他の者たちはおらず二人きりの場合など、言っては何だが上機嫌になるアルフを見慣れていたからか、こんな表情は初めてと言ってもよく、なじみの店にはよほど私を案内したくないらしい。
無理を言って悪かったかな、と多少気が咎める反面、失踪した当事者の家族に直接話を聞く、絶好の機会を逃すわけにはゆかない。もちろん、報告書に載っている別の当事者でもかまわないのだが、アポイントをとるだけでも時間がかかる。情報室長、という立場だけではなく、私は「グラディウス公爵夫人」というとてつもなく大きな肩書を背負ってしまっているから、スピード重視の行動はとりづらいのだ。
だから、勘弁してほしいと思う。
私は下戸だし、部下のプライベートにまでずかずか踏み込む気はないから、今日案内してもらったらそれでいい。酒場になど行かない。アルフの領域に踏み込もうとは思わない。
「ごめん、アルフ。私的なところに立ち入られたくないわよね」
小走りに歩を進めながら、私はとりあえず先に詫びてみた。
ほんのちょっと「アルフの馴染みの女将」への好奇心があるのは事実だが、しかし逆に言えばそこまで是が非でもどんな人物か知りたい!というほどの強烈な興味があるわけではない。今回の事件のついで、と言ってよいレベルだ。
アルフは眉をひそめ、歩調を止めぬまま私を振り返っている。
「当事者の家族に直に話を聞きたいの。それが目的であって、誓ってあなたの領域に」
「……踏み込んでくれてかまわないさ、リア」
顔つきの割には穏やかな声で、アルフは少々意外な返答をよこした。
「リアが俺に関心を持ってくれたらうれしい。どんどん立ち入って欲しい」
「じゃあなぜアルフは」
「機嫌が悪い顔みせて悪かったな」
ようやく、アルフは口元を緩めて笑みらしきものを見せてくれた。
「茶店に行こう、って言ってただろ?なのに行く時間がとれなかったどころか、俺の知り合いが失踪なんていう大事がきっかけでリアと街へ出るなんて」
「……そうですか」
脱力した。
そんなことであの不機嫌顔とは。
しかし、
「その、失踪した子って……」
「イルージャ」
「そう、イルージャのご家族がアルフの馴染みの女将?イルージャの年齢は?」
「さあ?酒場女の年齢を知ろうとは思わないからなあ、知らんな」
二十は過ぎた程度と思うが、とアルフは続けた。
確かに、女性の年齢など家族以外が詳しく知っていたら微妙な話だ。
「女将の、親戚?」
「妹分だ」
妹、じゃなくて妹分、というところに繊細な事情があるのだろう。
まあ、妹でよいはずだと私は勝手に解釈した。
「妹さんね。それはとても心配でしょうね」
「心配、それはもちろんそうだが」
アルフの表情が、ふたたび硬くなった。
「……アイーシャは──その女将の名だが──ずいぶん取り乱していたな。あの子を探してほしいと。俺に深々と頭を下げて」
「……そう」
心配は心配に違いないだろうが、おざなりな慰めを口にするべきではないようだ。
大切な家族のいきなりの失踪。
……驚き、悲しみ。そして、家族として何か間違っていたのかもしれないと自分たちを責めるのだ。
これは、心して会わなければ。
傷心の家族に対して、これ以上辛い気持ちにさせないように。
「──リア、ここを曲がってすぐ右の店だ。青と白に塗ってある扉の」
到着らしい。
急ぎ足とはいえ、城からたいして離れてはいない。あっという間についたような感覚。
盛り場はアルバにあちこちあるが、ここらは治安もよく、一等地のはずだ。
「うみねこ亭……」
店の看板を読み上げていると、アルフはノックもせずに扉を開けた。
昼間の酒場は薄暗い。
日中、茶店をやる、みたいな話をアルフ経由で聞いた気がするけれど、それはやめたのだろうか。
「アイーシャ、俺だ、アルフだ」
大声で呼ばわりながら大股に店内を横切っていくと、
「アルフ!?」
厨房らしき店の奥から、女性が転がるように駆けだしてきた。
「何か、わかったのかい!?ね、イルージャは」
「すまん、アイーシャ。まだ調べてる最中だ。それより」
アルフが一歩引いて恭しく礼をとるのとほぼ同時に、女性は訝し気な視線を私に向けた。
「アイーシャ、礼を。グラディウス公爵夫人がお話を聞きたいと」
「グラデ、って、アルフ、あんた、そんなお偉いかた……っ」
「突然押しかけてすまない。楽にして」
こっそりと、ではあるけれど、慰問でも羽延ばしでもなく仕事で来ているわけだから、言葉遣いは中性的に、公人としてあくまで簡潔に話をすることにした。
緊張させるのは本意ではないから微笑みかけてみたところ、アイーシャは一瞬ぎょっとしたように目を丸くしたけれど、どう解釈したのか、わずかに笑みをかえしてくれて、私たちに椅子を勧めてくれた。
「──なるほど、ありがとう」
アイーシャが出してくれた、冷えた果実水を啜りながら、私は頷いた。
私の傍らに立つアルフは(一緒になって護衛が座りこんでいてどうすると椅子を固辞したのだ)黙したままだが、その空気は重苦しい。
快活な女性だろうに、アイーシャが項垂れて語る様は痛々しいほどだ。
昔なじみで、きっぷのいい女将っぷりを知っているアルフからすれば、私よりももっとそう感じるだろう。
やはり、直接聞きに来てよかったと思う。
字面や報告ではわからない行間のあれこれが感じとれるから。
アイーシャの知る限り、イルージャには私生活上の(個人的な付き合いなども含めて)トラブルらしいものはなく、ただ、ここしばらくだんだん沈みがちになっていったのは確かで、理由は思い当たらないのだ、と。失踪直前に少々叱りつけたのがきっかけだったのでは、と、肩を落としたまま淡々と語った。涙こそ見せなかったけれど、普通の女性ならとっくに泣き伏していたことだろう。気丈な女性だ。
予想通りというべきか、残された家族、アイーシャは自分を責めている。仕事で外しているそうだが、この店の厨房を預かるアイーシャの夫も、げっそりとやつれているとのこと。
気の毒過ぎて言葉もない。第三者である私の印象では、イルージャは叱られて失踪するには動機が弱い気がするが、それを口にするのも憚られた。あくまで、私の印象でしかないのだ。
部屋を見せてもらえないかとお願いすると、すんなりと通してくれた。
手がかりになりそうなことがあればなんでも探してみて欲しい、とのことらしい。
簡素な、けれど若い娘らしく可愛らしく整えられた小さな部屋に通された。茶葉というか、香草の香りを強く感じるが、空気はなんとなく淀んでいる。換気をすると、彼女の気配が消えてしまうことを恐れてでもいるのだろうか。少しお行儀悪く出しっぱなしの椅子まで、彼女が立った時そのままのようだ。小机にはノートが広げられ、ペンが散らばっている。まるで、つい先ほどまで彼女が居たかのように。
読んでもらっても構わないと、アイーシャが言ってくれるので、遠慮なく中身も見せてもらった。
プライバシーの侵害、かもしれないが、一番近しい家族が許可してくれているからよしとする。
──日記のような、雑記帳のような。思いついたことはなんでも書き留めたもの、備忘録、とでも言おうか。可愛らしい字で気ままに書き散らしてあって、そこにトラブル的なものは何も見当たらない。
それどころか、一番最近の数ページは茶葉の情報が細々と書き込まれている。名前、特質、値段、調合、等々。飲んでみたイルージャ自身の感想までも。「昼間、茶店をやろうとしていたから。あの子、とても乗り気で」とアイーシャが言葉を添える。既に何度も目を通したのだろう。
何度もそこを読み返す。それくらいしか彼女の気持ちに近づくよすがはないから、何度も、何度も。
茶葉の情報と、レシピと、彼女のコメントと……
オルギールが居たらな、と思わず独り言ちてしまい、なんだって、と傍らのアルフが気色ばむ。
「御方様、ヘデラ侯がなんと」
「気を立てるな、隊長」
私自身、記憶力はそれなりと自負しているけれど、オルギールのそれは尋常ではない。
ちょっとしたコンピューター並みではないかとしばしば思うのだ。
「彼がいたら、これを全部か、少なくともこのあたりの数ページくらい、わけもなく暗記してくれただろうと思ったから」
「……そういうことですか」
アルフは大人しく言った。
俺が代わって暗記する!とはさすがに言えないだろう。
と、その時。
「御方様、そちらがご入用ならお持ち下さい」
アイーシャはノートを閉じながら私に差し出してくれた。
家族が残した大切な物だろうに、貸してくれるというのか。
「御方様、アル……じゃない、隊長。何かの手がかりとなるなら、どうかお役立て下さい」
真剣な、痛みすら覚えるほどまっすぐな視線を私に向けて、アイーシャは言った。
礼の言葉を口にしようとするより先に、「どうか、御方様」と、アイーシャは続ける。
「あの子は大切な家族。どうかどうか、御方様。……恐れながら、同じ女性としても、ぜひともお察し頂きたく。……こうしてご自身でここまでお運び下さったということは、このようなことはあの子だけではないんでしょう?頻発しているのでしょう?どうか、なにとぞお見捨てなく、姫将軍閣下!戦女神と称される御方様なら、か弱い婦女子を必ずやお助け下さいましょう」
鬼気迫る眼と、声。
解決してくれという圧ともとれるし、脳筋みたいに戦争ばっかりせず、為政者としてしっかりやれと弾劾されているかのようにも聞こえる。
「おい、アイーシャ。無礼だぞ」
時として、私自身よりも私に対する悪意に敏感なアルフは怒鳴った。
剣の柄に手をかけている。
「御方様はしっかりと民のことをお考えだ。よけいなことを言うな」
「隊長さんじゃない、あたしは御方様に言ってるんだ」
「だから言ってるんだ!アイーシャ、お前、御方様はこの件を特に気にかけられてここまでお出でなんだ。それを」
「隊長、そこまで」
厳しく言ってやると、アルフはすぐに口を噤んだ。アルフ、ではなく、隊長、と言ったほうが、彼は私の言うことをほぼ無条件で聞くように訓練されているから。
受けて立つ気だったらしいアイーシャも唇を噛む。
放っておけば良くも悪くも昔なじみ、罵りあいになりかねない。そんなもの耳にしたくはないし、だいいちアルフが怒鳴ったきっかけは私だ。自分がきっかけの罵倒なんてなおさら聞きたくはない。
「ご家族の失踪だ。心痛は察するに余りある。……ではアイーシャ、これは借りてゆく」
「……」
私が席を立つと、彼女は黙って頭を下げた。
通されたイルージャの部屋を出て、振り返ってもまだそのままだ。
肩が震えている。
泣くのを堪えているのかもしれない、と思った。
ひきしまった唇をくっと引き結んでいて、不機嫌全開だ。
大変珍しい光景である。
私と行動を共にする時、それも、他の者たちはおらず二人きりの場合など、言っては何だが上機嫌になるアルフを見慣れていたからか、こんな表情は初めてと言ってもよく、なじみの店にはよほど私を案内したくないらしい。
無理を言って悪かったかな、と多少気が咎める反面、失踪した当事者の家族に直接話を聞く、絶好の機会を逃すわけにはゆかない。もちろん、報告書に載っている別の当事者でもかまわないのだが、アポイントをとるだけでも時間がかかる。情報室長、という立場だけではなく、私は「グラディウス公爵夫人」というとてつもなく大きな肩書を背負ってしまっているから、スピード重視の行動はとりづらいのだ。
だから、勘弁してほしいと思う。
私は下戸だし、部下のプライベートにまでずかずか踏み込む気はないから、今日案内してもらったらそれでいい。酒場になど行かない。アルフの領域に踏み込もうとは思わない。
「ごめん、アルフ。私的なところに立ち入られたくないわよね」
小走りに歩を進めながら、私はとりあえず先に詫びてみた。
ほんのちょっと「アルフの馴染みの女将」への好奇心があるのは事実だが、しかし逆に言えばそこまで是が非でもどんな人物か知りたい!というほどの強烈な興味があるわけではない。今回の事件のついで、と言ってよいレベルだ。
アルフは眉をひそめ、歩調を止めぬまま私を振り返っている。
「当事者の家族に直に話を聞きたいの。それが目的であって、誓ってあなたの領域に」
「……踏み込んでくれてかまわないさ、リア」
顔つきの割には穏やかな声で、アルフは少々意外な返答をよこした。
「リアが俺に関心を持ってくれたらうれしい。どんどん立ち入って欲しい」
「じゃあなぜアルフは」
「機嫌が悪い顔みせて悪かったな」
ようやく、アルフは口元を緩めて笑みらしきものを見せてくれた。
「茶店に行こう、って言ってただろ?なのに行く時間がとれなかったどころか、俺の知り合いが失踪なんていう大事がきっかけでリアと街へ出るなんて」
「……そうですか」
脱力した。
そんなことであの不機嫌顔とは。
しかし、
「その、失踪した子って……」
「イルージャ」
「そう、イルージャのご家族がアルフの馴染みの女将?イルージャの年齢は?」
「さあ?酒場女の年齢を知ろうとは思わないからなあ、知らんな」
二十は過ぎた程度と思うが、とアルフは続けた。
確かに、女性の年齢など家族以外が詳しく知っていたら微妙な話だ。
「女将の、親戚?」
「妹分だ」
妹、じゃなくて妹分、というところに繊細な事情があるのだろう。
まあ、妹でよいはずだと私は勝手に解釈した。
「妹さんね。それはとても心配でしょうね」
「心配、それはもちろんそうだが」
アルフの表情が、ふたたび硬くなった。
「……アイーシャは──その女将の名だが──ずいぶん取り乱していたな。あの子を探してほしいと。俺に深々と頭を下げて」
「……そう」
心配は心配に違いないだろうが、おざなりな慰めを口にするべきではないようだ。
大切な家族のいきなりの失踪。
……驚き、悲しみ。そして、家族として何か間違っていたのかもしれないと自分たちを責めるのだ。
これは、心して会わなければ。
傷心の家族に対して、これ以上辛い気持ちにさせないように。
「──リア、ここを曲がってすぐ右の店だ。青と白に塗ってある扉の」
到着らしい。
急ぎ足とはいえ、城からたいして離れてはいない。あっという間についたような感覚。
盛り場はアルバにあちこちあるが、ここらは治安もよく、一等地のはずだ。
「うみねこ亭……」
店の看板を読み上げていると、アルフはノックもせずに扉を開けた。
昼間の酒場は薄暗い。
日中、茶店をやる、みたいな話をアルフ経由で聞いた気がするけれど、それはやめたのだろうか。
「アイーシャ、俺だ、アルフだ」
大声で呼ばわりながら大股に店内を横切っていくと、
「アルフ!?」
厨房らしき店の奥から、女性が転がるように駆けだしてきた。
「何か、わかったのかい!?ね、イルージャは」
「すまん、アイーシャ。まだ調べてる最中だ。それより」
アルフが一歩引いて恭しく礼をとるのとほぼ同時に、女性は訝し気な視線を私に向けた。
「アイーシャ、礼を。グラディウス公爵夫人がお話を聞きたいと」
「グラデ、って、アルフ、あんた、そんなお偉いかた……っ」
「突然押しかけてすまない。楽にして」
こっそりと、ではあるけれど、慰問でも羽延ばしでもなく仕事で来ているわけだから、言葉遣いは中性的に、公人としてあくまで簡潔に話をすることにした。
緊張させるのは本意ではないから微笑みかけてみたところ、アイーシャは一瞬ぎょっとしたように目を丸くしたけれど、どう解釈したのか、わずかに笑みをかえしてくれて、私たちに椅子を勧めてくれた。
「──なるほど、ありがとう」
アイーシャが出してくれた、冷えた果実水を啜りながら、私は頷いた。
私の傍らに立つアルフは(一緒になって護衛が座りこんでいてどうすると椅子を固辞したのだ)黙したままだが、その空気は重苦しい。
快活な女性だろうに、アイーシャが項垂れて語る様は痛々しいほどだ。
昔なじみで、きっぷのいい女将っぷりを知っているアルフからすれば、私よりももっとそう感じるだろう。
やはり、直接聞きに来てよかったと思う。
字面や報告ではわからない行間のあれこれが感じとれるから。
アイーシャの知る限り、イルージャには私生活上の(個人的な付き合いなども含めて)トラブルらしいものはなく、ただ、ここしばらくだんだん沈みがちになっていったのは確かで、理由は思い当たらないのだ、と。失踪直前に少々叱りつけたのがきっかけだったのでは、と、肩を落としたまま淡々と語った。涙こそ見せなかったけれど、普通の女性ならとっくに泣き伏していたことだろう。気丈な女性だ。
予想通りというべきか、残された家族、アイーシャは自分を責めている。仕事で外しているそうだが、この店の厨房を預かるアイーシャの夫も、げっそりとやつれているとのこと。
気の毒過ぎて言葉もない。第三者である私の印象では、イルージャは叱られて失踪するには動機が弱い気がするが、それを口にするのも憚られた。あくまで、私の印象でしかないのだ。
部屋を見せてもらえないかとお願いすると、すんなりと通してくれた。
手がかりになりそうなことがあればなんでも探してみて欲しい、とのことらしい。
簡素な、けれど若い娘らしく可愛らしく整えられた小さな部屋に通された。茶葉というか、香草の香りを強く感じるが、空気はなんとなく淀んでいる。換気をすると、彼女の気配が消えてしまうことを恐れてでもいるのだろうか。少しお行儀悪く出しっぱなしの椅子まで、彼女が立った時そのままのようだ。小机にはノートが広げられ、ペンが散らばっている。まるで、つい先ほどまで彼女が居たかのように。
読んでもらっても構わないと、アイーシャが言ってくれるので、遠慮なく中身も見せてもらった。
プライバシーの侵害、かもしれないが、一番近しい家族が許可してくれているからよしとする。
──日記のような、雑記帳のような。思いついたことはなんでも書き留めたもの、備忘録、とでも言おうか。可愛らしい字で気ままに書き散らしてあって、そこにトラブル的なものは何も見当たらない。
それどころか、一番最近の数ページは茶葉の情報が細々と書き込まれている。名前、特質、値段、調合、等々。飲んでみたイルージャ自身の感想までも。「昼間、茶店をやろうとしていたから。あの子、とても乗り気で」とアイーシャが言葉を添える。既に何度も目を通したのだろう。
何度もそこを読み返す。それくらいしか彼女の気持ちに近づくよすがはないから、何度も、何度も。
茶葉の情報と、レシピと、彼女のコメントと……
オルギールが居たらな、と思わず独り言ちてしまい、なんだって、と傍らのアルフが気色ばむ。
「御方様、ヘデラ侯がなんと」
「気を立てるな、隊長」
私自身、記憶力はそれなりと自負しているけれど、オルギールのそれは尋常ではない。
ちょっとしたコンピューター並みではないかとしばしば思うのだ。
「彼がいたら、これを全部か、少なくともこのあたりの数ページくらい、わけもなく暗記してくれただろうと思ったから」
「……そういうことですか」
アルフは大人しく言った。
俺が代わって暗記する!とはさすがに言えないだろう。
と、その時。
「御方様、そちらがご入用ならお持ち下さい」
アイーシャはノートを閉じながら私に差し出してくれた。
家族が残した大切な物だろうに、貸してくれるというのか。
「御方様、アル……じゃない、隊長。何かの手がかりとなるなら、どうかお役立て下さい」
真剣な、痛みすら覚えるほどまっすぐな視線を私に向けて、アイーシャは言った。
礼の言葉を口にしようとするより先に、「どうか、御方様」と、アイーシャは続ける。
「あの子は大切な家族。どうかどうか、御方様。……恐れながら、同じ女性としても、ぜひともお察し頂きたく。……こうしてご自身でここまでお運び下さったということは、このようなことはあの子だけではないんでしょう?頻発しているのでしょう?どうか、なにとぞお見捨てなく、姫将軍閣下!戦女神と称される御方様なら、か弱い婦女子を必ずやお助け下さいましょう」
鬼気迫る眼と、声。
解決してくれという圧ともとれるし、脳筋みたいに戦争ばっかりせず、為政者としてしっかりやれと弾劾されているかのようにも聞こえる。
「おい、アイーシャ。無礼だぞ」
時として、私自身よりも私に対する悪意に敏感なアルフは怒鳴った。
剣の柄に手をかけている。
「御方様はしっかりと民のことをお考えだ。よけいなことを言うな」
「隊長さんじゃない、あたしは御方様に言ってるんだ」
「だから言ってるんだ!アイーシャ、お前、御方様はこの件を特に気にかけられてここまでお出でなんだ。それを」
「隊長、そこまで」
厳しく言ってやると、アルフはすぐに口を噤んだ。アルフ、ではなく、隊長、と言ったほうが、彼は私の言うことをほぼ無条件で聞くように訓練されているから。
受けて立つ気だったらしいアイーシャも唇を噛む。
放っておけば良くも悪くも昔なじみ、罵りあいになりかねない。そんなもの耳にしたくはないし、だいいちアルフが怒鳴ったきっかけは私だ。自分がきっかけの罵倒なんてなおさら聞きたくはない。
「ご家族の失踪だ。心痛は察するに余りある。……ではアイーシャ、これは借りてゆく」
「……」
私が席を立つと、彼女は黙って頭を下げた。
通されたイルージャの部屋を出て、振り返ってもまだそのままだ。
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