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事件 2.
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週に一度、これは、と思われる情報がピックアップされて、市井に放っている諜報員たちから情報室長である私のところまで上がってくる。
私がそれを初めて耳にしたのは、そんな定例の報告に耳を傾けていた時のことだった。
「──失踪事件が、そんなに?」
「はっ」
思わず、強めの口調で聞き返したものだから、報告者は自分が叱られたかのように背を丸め、深く深く腰を折った。
「あなたを咎めているのではない。顔を上げて」
とりあえず姿勢を直させてから、私は机上に両肘をついて、顎を載せた。
ちょっとお行儀がわるいけれど、わざとくだけた格好をしてみせたのだ。
四十がらみの日焼けした男は、公都・アルバを担当とする諜報員たちのとりまとめ役。
本来は、私の一挙手一投足にびくびくする、しおらしい性質ではない男のはずだけれど、自覚するよりもきつい物言いをしてしまったのかもしれない。
目を合わせ、わずかに笑みを見せて「続けて」と先を促した。
「……恐れながら。……警ら隊へ届け出をされた件数だけでも、この一週間から十日ほどで五件。家族の無関心、または体面を気遣い表沙汰にしない、等々、届け出がないだけで、水面下ではこの数よりも失踪者は多いのでは、と」
「そのあたり、探ってみた?」
「は」
男は頷いた。
「アルバでもそれなりの商家の娘が一名と。……議会に所属する方のご令嬢も」
「……そんなにも?」
「は、御方様」
男は沈痛な面持ちで、報告書を差し出した。
アルフが受け取り、私に差し出す。
紙きれ一枚だけれど、ぎっしりと、しかし端的に失踪者の氏名、年齢、家族、失踪の状況等々が書かれている。
「上の五名は警ら隊へ届け出のある者。それ以下は表沙汰にはされていない案件でございます」
「なるほどね」
ただ集めてきた情報だけではない。「届け出されていない案件」までも、私が指摘する前に調べて報告してくれるのは、現場の課員が有能だからと言うべきだろう。
「よく調べてくれたわね。ご苦労さま」
「まことにありがたきお言葉」
男は恭しく一礼した。
この程度の言葉で表情を変える男ではないけれど、感謝や労いの言葉を惜しむべきではない、と私はいつも思っている。
「この件は気にかけておくから。何かあれば、定例の報告日ではなくともすぐに知らせて」
「承知致しました」
「では、これで」
「失礼致します」
男は静かにもう一度頭を下げてから、退室していった。
「──ねえ、アルフ」
「なあ、御方様」
扉が閉まると同時に、侍立するアルフと私の声が重なった。
こんなことは、珍しい。
職務中、私から促さない限り、アルフのほうからこんな風に呼びかけをすることは稀なのだ。
「どうしたの、アルフ」
失踪事件の話をしようと思っていたのだけれど、口調だけは彼と同じものにして、私は言った。
執務机を挟んで前に立つアルフを見上げると、彼も鋭い口元を少しだけ緩めてこちらを見下ろしている。
アルフ以外にいま室内にいるのは、ベニートだけ。
ウルブスフェル攻略の頃からの部下であり、アルフにとっては同志でもある彼は、親衛隊長の私への想いも当然知っているから、普通に聞けば馴れ馴れしい彼の物言いにも全く動じる様子はなく、微笑ましげに私たちを眺めている。
「御方様の話が先だ」
「ん、わかった」
譲りあう場面ではない。
私は頷きを返すと同時に口を開いた。
「失踪者リストにね。コリンヌ嬢の名前があるわ」
「!?それは……」
アルフは紅玉の瞳を見開いた。
ベニートからも、沈黙と共に驚愕の気配が伝わってくる。
コリンヌ嬢。
約一か月前、ユーディト嬢の主催する茶会を欠席した令嬢。
あの女に取り巻きになるよう、ちょっかいを掛けられているのだと、カサンドラ嬢が案じていた……
「あと、ね。エマ嬢も」
アルフもベニートも無言で首を傾げている。
さすがに、名前だけではピンとこないか。
「エマ・バルニエ、と言えばわかる?」
「……あ!」
ベニートは小さく声を上げ、アルフは無言で頷いた。
公都・アルバの主だった家柄の名、議会のメンバーの家名、子女の名前、その年頃。
公爵夫人、情報室長となるにあたり、似顔絵とともにトランプみたいにして頭に叩き込んだのだ。
バルニエ家はアサド議長と昵懇で、グラディウス三公爵からは比較的距離を置いている。
そして、エマ嬢はアサド議長の娘とほぼ同年。
アサド家の茶会にも常に参加している。
ついでに言うなら、ユリアスにご執心だったはずだ。
いつかの夜会で、公然とユリアスに「自分ならただお一人に身も心も捧げるのに」と言い放って、かえってユリアスの逆鱗に触れた女。
「コリンヌ嬢とエマ嬢。私が知っている女性だけでも二人含まれている」
「御方様。あの女が関係しておりますでしょうか?」
黙っていられない、といった様子で、ベニートが発言した。
「あの女が自分の取り巻きにしている、またはしようとしていた令嬢という共通点がありますな」
「まだわからないわ」
「ああ、ベニート。その二人は‘たまたま’共通点があったに過ぎないかもしれん」
期せずして、私もアルフも否定的な見解を同時に述べた。
今日はよく被るな、とちょっと互いに目を見交わしていると、
「まあ、確かに。……市井の女性がほとんどですからね」
思慮の足りないことで、とベニートは律義に言って頭を下げる。
「いいえ、ベニート。共通点、というのは一つとは限らないのだから。思いついたことがあれば言ってくれると嬉しいな」
「恐れ入ります」
「共通点が一つとは限らない、か。……なるほど、確かにな」
アルフは言って、腕組みをした。
黙考でも始めそうな様子に、
「──そういえば、アルフ。あなたの話を聞かせて」
考え事なら後にしてほしい。アルフの話が聞きたい。
「さっき何か言いかけたでしょ」
「ああ。……そうだな」
アルフはいったん組んだ腕を解いて、私に紅玉の瞳を向けた。
静かで、けれど真剣な眼差し。
「御方様。実は、俺の知り合いも失踪しているんだ」
「なんですって」
「なんだと」
今度は、ベニートと私の声が見事にシンクロした。
私たちの反応はじゅうぶん予想していたのだろう、アルフの表情は硬く、動かない。
「誰、名前は?」
「イルージャ。……って、あいつ、名字は何と言ったか」
「イルージャ、ね」
すぐにリストを手に取ったが、
「多分、載ってないだろう」
リスト全体に目を走らせるよりも先に、アルフは言った。
「昨日、俺も知ったんだが。その時、届け出は昨日と言っていたから」
「そういえば、昨日の日中は非番だったわね」
「ああ」
確かに、一昨日届け出したばかりなら、報告書には載らないだろう。
……それにしても。
「……アルフの知人。コリンヌ嬢、エマ嬢。……わずかな期間に、こんなにも身近に、何人も」
失踪の当事者となっているとは。
現実はあまりに不快であえて明言を避けた。
たまたま、とは言い切れないほどの確率。
ということは。
「……届け出された者もされていない者も。とにかく、リストに出ていない、もっとすごい数の女性が失踪している可能性があるのね」
「かも、しれないな」
「確かに」
うそ寒い推測を口にしてみると、アルフもベニートも重々しく首肯している。
考えすぎだ、ってどちらかが言ってくれてもよさそうなものだけれど、事態は楽観視できる状況ではなくなっている、ということか。
‘影’を動かすレベルかもしれない。
調査し、策を講じるべきだろうか。それも、早急に。
しかし、貴重な‘影’たちを、漠然と、無目的に動かすことはできない。
考えなくては。何か、もっと。
私は眼を閉じた。
……あの女の取り巻きと、取り巻き候補、という関連性がありそうな二人を除けば、あとはそう簡単に共通点は見つかりそうにない気がする。
が、諦めてはいけない。
とりあえず、「妙齢の女性」という点は共通だ。
それ以外に、何かないか。
きっかけとか、動機とか。
そもそも、誘拐なのか自主的な失踪なのかも不明だが、「自主的な失踪」が、こんなにも短期間に何名も相次ぐとは考えられない。
ならば誘拐か、とも思うのだが、腑に落ちない。
なぜ腑に落ちないんだろう。
誘拐。
……無理矢理?
じゃあ、目撃者は?
失踪時の、状況は?
「ね、アルフ。その、イルージャのことだけれど」
目を開けて、けれどアルフの顔を見ないままに私は突き動かされるように言った。
「どんなふうに、いなくなったの?用があって外出してそれっきり、とか、夜の内に部屋がもぬけのから、とか。……聞いてる?」
「いなくなった、と聞いてる」
「なるほど」
私は手に持ったままだったリストにもう一度視線を落とした。
……読めば読むほど、不可解で。
けれど、共通点は、あった。
「──みんな、姿を消してる。いなくなってる」
ある者は、昼間。外出から戻らず。
ある者は、夜のうちに。朝、起床が遅いのを心配した家人が、あるいは侍女が起こしに行くと部屋にいない。
全員、どちらかにあてはまる。
誘拐なら、あまりに巧妙過ぎるのではないか。
わずかでも無理矢理感があれば、何かしら痕跡があるものだ。
争ったあと、とか。
悲鳴とか。物音とか。
アルバは大都市だ。人目がある。目撃譚らしきもの、が何かしら、ある。
それらがない。なさすぎる。
ということは、
「合意の上でいなくなった……?」
口に出してはみたものの、謎は深まるばかりだ。
アルフもベニートも、私の思考を妨げまいとしてか、息を潜めているらしい。
私は心置きなく、引き続き思考の海に耽溺する。
「いや。……合意か非合意か、そんなことは後でもいい。それよりももっと。……何か、彼女たちの、失踪前の行動に手がかりは?つながりは?……令嬢であれ市井の娘であれ、友人ではなくとも彼女らの行動で、何か……」
と、ここまで考えて。
「ねえアルフ。失踪前のその子の生活ぶりを教えて」
ほとんど無意識に、私は尋ねた。
「なんでもいい。ささいなことでかまわない。その子の失踪届を出したご家族?から聞いた通りに」
「……昼間に茶店を開くため、と称して、茶葉の講習会と仕入れに勤しんでいたと」
アルフは、事務的かつ明快に答えた。
「泊りがけの講習会から戻ってから、情緒不安定になったと。疲れが酷くなり、茶店の開店準備もままならず、茶葉の業者との商談や夜の酒場の手伝いはかろうじてしていたものの、見かねた家族が叱責した後、いなくなったらしい」
「……家出人みたい」
その話はあまり参考にならないかな、と一瞬思ったのだが。
いつ淹れたかすっかり忘れてしまうほど冷めきったお茶を一口啜ったところで、脳内に警告音が鳴り響いた。
引っかかる。
他の失踪者にも共通するかもしれない、それ。
「お茶。……茶店を開く準備、ね?」
「ああ」
「コリンヌ嬢もエマ嬢も、‘茶会’にたびたび出席していた。主催者は、ともかく」
頭が高速回転している。
なんとなくだが、核心に。
──あるいは核心の末端には、辿り着きそうな気がする。
「前に、アルフから聞いたのだったかな。……茶葉だの茶器だの、茶会が身分の上下を問わず流行ってる、って」
「ああ、言った」
「茶会。お茶。茶葉。‘講習会’に行ったイルージャ」
「御方様……」
呟きは、どちらが発した声だったのか。
──そんなことは、どうでもいい。
「ベニート」
「はっ」
すぐさま、全身に緊張を漲らせて、彼は首を垂れた。
「さっきの男を直ぐに呼び戻して」
「かしこまりました」
優秀な彼に二言はなかった。
余計な事はただの一言も口にせず、すぐさま退室してゆく。
その後ろ姿を見送った後、アルフも次の命令を待つかのように私を振り返る。
「さっきの男にはね。‘茶葉の講習会’の参加者がどこの誰だったか、調査をさせるわ。あと、それを主催する商人についても」
盗賊、奴隷商人。
非合法の何かを企む旅人は、しばしば商人の風体をとり、大所帯であれば隊商を組む。または事情を知らぬ隊商に分散して紛れ込むものだ。
急がねば、と、痛いほどの焦燥感を覚えつつ、私は考えを口にすることで脳内を整理してゆく。
「……失踪した女性達の居場所が気になるわ。アルバにいるのか、郊外か、それともすでに国外へ連れ出されていないか。とりあえずアルバの内外を問わず、茶葉の商人、隊商の身元を洗わせる。場合によっては一時的に商人の往来を制限するべきかもね。まあ、これは私の一存ではできないけれど。これだけの人数が失踪しているのだから、とにかく迅速に」
「わかった。……で、リア。俺にできることは?リアの護衛を務めるのは当然として、それ以外で」
「アルフはね」
二人きりになったとたん、「リア」と呼ぶんだな。
こんな時ですら、ほんのわずか気持ちが和んだが、でも、本当にそれだけだ。
「アルフは、イルージャのご家族のところへ私を連れて行って。一日、二日のうちに。なんなら、すぐにでも」
「……」
アルフはなんとも微妙な顔つきで黙り込んだ。
お願いのような話しかたをしたが、これは命令だから、彼は断れない。
イルージャとやらの家族だか酒場の女将だか知らないが。
失踪前の話をもっとこの耳で聞きたいだけ。
断片的な情報だけではわからない、ニュアンスが知りたい。
断じて、アルフの昔なじみだとかいう女性への好奇心など全くない。
……と、たぶん、思う。
私がそれを初めて耳にしたのは、そんな定例の報告に耳を傾けていた時のことだった。
「──失踪事件が、そんなに?」
「はっ」
思わず、強めの口調で聞き返したものだから、報告者は自分が叱られたかのように背を丸め、深く深く腰を折った。
「あなたを咎めているのではない。顔を上げて」
とりあえず姿勢を直させてから、私は机上に両肘をついて、顎を載せた。
ちょっとお行儀がわるいけれど、わざとくだけた格好をしてみせたのだ。
四十がらみの日焼けした男は、公都・アルバを担当とする諜報員たちのとりまとめ役。
本来は、私の一挙手一投足にびくびくする、しおらしい性質ではない男のはずだけれど、自覚するよりもきつい物言いをしてしまったのかもしれない。
目を合わせ、わずかに笑みを見せて「続けて」と先を促した。
「……恐れながら。……警ら隊へ届け出をされた件数だけでも、この一週間から十日ほどで五件。家族の無関心、または体面を気遣い表沙汰にしない、等々、届け出がないだけで、水面下ではこの数よりも失踪者は多いのでは、と」
「そのあたり、探ってみた?」
「は」
男は頷いた。
「アルバでもそれなりの商家の娘が一名と。……議会に所属する方のご令嬢も」
「……そんなにも?」
「は、御方様」
男は沈痛な面持ちで、報告書を差し出した。
アルフが受け取り、私に差し出す。
紙きれ一枚だけれど、ぎっしりと、しかし端的に失踪者の氏名、年齢、家族、失踪の状況等々が書かれている。
「上の五名は警ら隊へ届け出のある者。それ以下は表沙汰にはされていない案件でございます」
「なるほどね」
ただ集めてきた情報だけではない。「届け出されていない案件」までも、私が指摘する前に調べて報告してくれるのは、現場の課員が有能だからと言うべきだろう。
「よく調べてくれたわね。ご苦労さま」
「まことにありがたきお言葉」
男は恭しく一礼した。
この程度の言葉で表情を変える男ではないけれど、感謝や労いの言葉を惜しむべきではない、と私はいつも思っている。
「この件は気にかけておくから。何かあれば、定例の報告日ではなくともすぐに知らせて」
「承知致しました」
「では、これで」
「失礼致します」
男は静かにもう一度頭を下げてから、退室していった。
「──ねえ、アルフ」
「なあ、御方様」
扉が閉まると同時に、侍立するアルフと私の声が重なった。
こんなことは、珍しい。
職務中、私から促さない限り、アルフのほうからこんな風に呼びかけをすることは稀なのだ。
「どうしたの、アルフ」
失踪事件の話をしようと思っていたのだけれど、口調だけは彼と同じものにして、私は言った。
執務机を挟んで前に立つアルフを見上げると、彼も鋭い口元を少しだけ緩めてこちらを見下ろしている。
アルフ以外にいま室内にいるのは、ベニートだけ。
ウルブスフェル攻略の頃からの部下であり、アルフにとっては同志でもある彼は、親衛隊長の私への想いも当然知っているから、普通に聞けば馴れ馴れしい彼の物言いにも全く動じる様子はなく、微笑ましげに私たちを眺めている。
「御方様の話が先だ」
「ん、わかった」
譲りあう場面ではない。
私は頷きを返すと同時に口を開いた。
「失踪者リストにね。コリンヌ嬢の名前があるわ」
「!?それは……」
アルフは紅玉の瞳を見開いた。
ベニートからも、沈黙と共に驚愕の気配が伝わってくる。
コリンヌ嬢。
約一か月前、ユーディト嬢の主催する茶会を欠席した令嬢。
あの女に取り巻きになるよう、ちょっかいを掛けられているのだと、カサンドラ嬢が案じていた……
「あと、ね。エマ嬢も」
アルフもベニートも無言で首を傾げている。
さすがに、名前だけではピンとこないか。
「エマ・バルニエ、と言えばわかる?」
「……あ!」
ベニートは小さく声を上げ、アルフは無言で頷いた。
公都・アルバの主だった家柄の名、議会のメンバーの家名、子女の名前、その年頃。
公爵夫人、情報室長となるにあたり、似顔絵とともにトランプみたいにして頭に叩き込んだのだ。
バルニエ家はアサド議長と昵懇で、グラディウス三公爵からは比較的距離を置いている。
そして、エマ嬢はアサド議長の娘とほぼ同年。
アサド家の茶会にも常に参加している。
ついでに言うなら、ユリアスにご執心だったはずだ。
いつかの夜会で、公然とユリアスに「自分ならただお一人に身も心も捧げるのに」と言い放って、かえってユリアスの逆鱗に触れた女。
「コリンヌ嬢とエマ嬢。私が知っている女性だけでも二人含まれている」
「御方様。あの女が関係しておりますでしょうか?」
黙っていられない、といった様子で、ベニートが発言した。
「あの女が自分の取り巻きにしている、またはしようとしていた令嬢という共通点がありますな」
「まだわからないわ」
「ああ、ベニート。その二人は‘たまたま’共通点があったに過ぎないかもしれん」
期せずして、私もアルフも否定的な見解を同時に述べた。
今日はよく被るな、とちょっと互いに目を見交わしていると、
「まあ、確かに。……市井の女性がほとんどですからね」
思慮の足りないことで、とベニートは律義に言って頭を下げる。
「いいえ、ベニート。共通点、というのは一つとは限らないのだから。思いついたことがあれば言ってくれると嬉しいな」
「恐れ入ります」
「共通点が一つとは限らない、か。……なるほど、確かにな」
アルフは言って、腕組みをした。
黙考でも始めそうな様子に、
「──そういえば、アルフ。あなたの話を聞かせて」
考え事なら後にしてほしい。アルフの話が聞きたい。
「さっき何か言いかけたでしょ」
「ああ。……そうだな」
アルフはいったん組んだ腕を解いて、私に紅玉の瞳を向けた。
静かで、けれど真剣な眼差し。
「御方様。実は、俺の知り合いも失踪しているんだ」
「なんですって」
「なんだと」
今度は、ベニートと私の声が見事にシンクロした。
私たちの反応はじゅうぶん予想していたのだろう、アルフの表情は硬く、動かない。
「誰、名前は?」
「イルージャ。……って、あいつ、名字は何と言ったか」
「イルージャ、ね」
すぐにリストを手に取ったが、
「多分、載ってないだろう」
リスト全体に目を走らせるよりも先に、アルフは言った。
「昨日、俺も知ったんだが。その時、届け出は昨日と言っていたから」
「そういえば、昨日の日中は非番だったわね」
「ああ」
確かに、一昨日届け出したばかりなら、報告書には載らないだろう。
……それにしても。
「……アルフの知人。コリンヌ嬢、エマ嬢。……わずかな期間に、こんなにも身近に、何人も」
失踪の当事者となっているとは。
現実はあまりに不快であえて明言を避けた。
たまたま、とは言い切れないほどの確率。
ということは。
「……届け出された者もされていない者も。とにかく、リストに出ていない、もっとすごい数の女性が失踪している可能性があるのね」
「かも、しれないな」
「確かに」
うそ寒い推測を口にしてみると、アルフもベニートも重々しく首肯している。
考えすぎだ、ってどちらかが言ってくれてもよさそうなものだけれど、事態は楽観視できる状況ではなくなっている、ということか。
‘影’を動かすレベルかもしれない。
調査し、策を講じるべきだろうか。それも、早急に。
しかし、貴重な‘影’たちを、漠然と、無目的に動かすことはできない。
考えなくては。何か、もっと。
私は眼を閉じた。
……あの女の取り巻きと、取り巻き候補、という関連性がありそうな二人を除けば、あとはそう簡単に共通点は見つかりそうにない気がする。
が、諦めてはいけない。
とりあえず、「妙齢の女性」という点は共通だ。
それ以外に、何かないか。
きっかけとか、動機とか。
そもそも、誘拐なのか自主的な失踪なのかも不明だが、「自主的な失踪」が、こんなにも短期間に何名も相次ぐとは考えられない。
ならば誘拐か、とも思うのだが、腑に落ちない。
なぜ腑に落ちないんだろう。
誘拐。
……無理矢理?
じゃあ、目撃者は?
失踪時の、状況は?
「ね、アルフ。その、イルージャのことだけれど」
目を開けて、けれどアルフの顔を見ないままに私は突き動かされるように言った。
「どんなふうに、いなくなったの?用があって外出してそれっきり、とか、夜の内に部屋がもぬけのから、とか。……聞いてる?」
「いなくなった、と聞いてる」
「なるほど」
私は手に持ったままだったリストにもう一度視線を落とした。
……読めば読むほど、不可解で。
けれど、共通点は、あった。
「──みんな、姿を消してる。いなくなってる」
ある者は、昼間。外出から戻らず。
ある者は、夜のうちに。朝、起床が遅いのを心配した家人が、あるいは侍女が起こしに行くと部屋にいない。
全員、どちらかにあてはまる。
誘拐なら、あまりに巧妙過ぎるのではないか。
わずかでも無理矢理感があれば、何かしら痕跡があるものだ。
争ったあと、とか。
悲鳴とか。物音とか。
アルバは大都市だ。人目がある。目撃譚らしきもの、が何かしら、ある。
それらがない。なさすぎる。
ということは、
「合意の上でいなくなった……?」
口に出してはみたものの、謎は深まるばかりだ。
アルフもベニートも、私の思考を妨げまいとしてか、息を潜めているらしい。
私は心置きなく、引き続き思考の海に耽溺する。
「いや。……合意か非合意か、そんなことは後でもいい。それよりももっと。……何か、彼女たちの、失踪前の行動に手がかりは?つながりは?……令嬢であれ市井の娘であれ、友人ではなくとも彼女らの行動で、何か……」
と、ここまで考えて。
「ねえアルフ。失踪前のその子の生活ぶりを教えて」
ほとんど無意識に、私は尋ねた。
「なんでもいい。ささいなことでかまわない。その子の失踪届を出したご家族?から聞いた通りに」
「……昼間に茶店を開くため、と称して、茶葉の講習会と仕入れに勤しんでいたと」
アルフは、事務的かつ明快に答えた。
「泊りがけの講習会から戻ってから、情緒不安定になったと。疲れが酷くなり、茶店の開店準備もままならず、茶葉の業者との商談や夜の酒場の手伝いはかろうじてしていたものの、見かねた家族が叱責した後、いなくなったらしい」
「……家出人みたい」
その話はあまり参考にならないかな、と一瞬思ったのだが。
いつ淹れたかすっかり忘れてしまうほど冷めきったお茶を一口啜ったところで、脳内に警告音が鳴り響いた。
引っかかる。
他の失踪者にも共通するかもしれない、それ。
「お茶。……茶店を開く準備、ね?」
「ああ」
「コリンヌ嬢もエマ嬢も、‘茶会’にたびたび出席していた。主催者は、ともかく」
頭が高速回転している。
なんとなくだが、核心に。
──あるいは核心の末端には、辿り着きそうな気がする。
「前に、アルフから聞いたのだったかな。……茶葉だの茶器だの、茶会が身分の上下を問わず流行ってる、って」
「ああ、言った」
「茶会。お茶。茶葉。‘講習会’に行ったイルージャ」
「御方様……」
呟きは、どちらが発した声だったのか。
──そんなことは、どうでもいい。
「ベニート」
「はっ」
すぐさま、全身に緊張を漲らせて、彼は首を垂れた。
「さっきの男を直ぐに呼び戻して」
「かしこまりました」
優秀な彼に二言はなかった。
余計な事はただの一言も口にせず、すぐさま退室してゆく。
その後ろ姿を見送った後、アルフも次の命令を待つかのように私を振り返る。
「さっきの男にはね。‘茶葉の講習会’の参加者がどこの誰だったか、調査をさせるわ。あと、それを主催する商人についても」
盗賊、奴隷商人。
非合法の何かを企む旅人は、しばしば商人の風体をとり、大所帯であれば隊商を組む。または事情を知らぬ隊商に分散して紛れ込むものだ。
急がねば、と、痛いほどの焦燥感を覚えつつ、私は考えを口にすることで脳内を整理してゆく。
「……失踪した女性達の居場所が気になるわ。アルバにいるのか、郊外か、それともすでに国外へ連れ出されていないか。とりあえずアルバの内外を問わず、茶葉の商人、隊商の身元を洗わせる。場合によっては一時的に商人の往来を制限するべきかもね。まあ、これは私の一存ではできないけれど。これだけの人数が失踪しているのだから、とにかく迅速に」
「わかった。……で、リア。俺にできることは?リアの護衛を務めるのは当然として、それ以外で」
「アルフはね」
二人きりになったとたん、「リア」と呼ぶんだな。
こんな時ですら、ほんのわずか気持ちが和んだが、でも、本当にそれだけだ。
「アルフは、イルージャのご家族のところへ私を連れて行って。一日、二日のうちに。なんなら、すぐにでも」
「……」
アルフはなんとも微妙な顔つきで黙り込んだ。
お願いのような話しかたをしたが、これは命令だから、彼は断れない。
イルージャとやらの家族だか酒場の女将だか知らないが。
失踪前の話をもっとこの耳で聞きたいだけ。
断片的な情報だけではわからない、ニュアンスが知りたい。
断じて、アルフの昔なじみだとかいう女性への好奇心など全くない。
……と、たぶん、思う。
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