姫将軍は身がもたない!~四人の夫、二人のオトコ~

あこや(亜胡夜カイ)

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萌芽 3.

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 ユーディトの屋敷を後にする頃には、ずいぶんと日差しが傾き、ひんやりした風が吹き始めていた。
 あと半月足らずで春も終わり、とても早い夏の始まり。そんな端境期の夕暮れは、外衣マントを羽織っていなければまだ少し肌寒く感じるほどだ。

 気が付けば結構な時間話し込んでしまって、引き上げる予定時刻を超過している。
 エヴァンジェリスタ城まではまだ少し距離がある。外衣マントを持たせていたはず、と後ろを振り返ると同時に、望んだものがすいと差し出された。
 親衛隊長、アルフは捧げ持ったそれを目の高さまで恭しく持ち上げている。

 「御方様、お寒くなってまいりましたゆえ、どうぞこれを」
 「ありがとう」

 阿吽の呼吸とはまさにこのことだな。
 毎度のことだけれど感心して首を振っていると、アルフは外衣をサッと広げて後ろに回り、流れるような仕草で着せかけてくれた。
 私の親衛隊長は素晴らしく気が利く。侍女でもやっていけるくらい(男だから近習か?)。
 とにかくまめである。素晴らしい女子力を持っている。 
 私の肩には最低限度しか触れないように、けれど、ちゃんとバランスよく大きな外衣を着せてくれて、さりげなく前に回って留め具までかけてくれる。
 
 彼の手が離れる一瞬前、アルフと目が合った。

 任務中の彼は無表情、または紅の瞳を鋭く光らせて辺りを威嚇しているが、こうして私と目線が交差するそのほんのわずかな一瞬だけ、違った色を纏う。

 柔らかだったり温かだったりすることが多いけれど、たまに、ごくまれに、言いようのない熱を帯びていることがある。宝石のような紅玉の瞳の向こうで、火焔が透けるような。
 
 それを感じるときは、私はいつも何とも説明のつかない、落ち着かない気分にさせられる。
 不快というのではなく、面映ゆいし、向けられる熱量に、むしろ嬉しい、とまで思ってしまうけれど、と同時に、決して彼の真情に応えるつもりはないからこそ申し訳ないような気になってしまう。

 しかし今日の彼の瞳の色は私を戸惑わせるようなことはなくて、逆に思いがけず真剣な、厳しいものだった。
 
 「──アルフ。何か思うところがあれば言って」

 ユーディトの屋敷からエヴァンジェリスタ城は地図にすれば大した距離は無いように見えるけれど、ユーディトの屋敷のある地区、お屋敷街は区画が広い上、三公爵の居城へ入ればその敷地は広大だから、我々一行は騎馬で移動することが多い。

 私はゆったりと馬を進めながら、斜め後ろに控える彼に声をかけた。

 「何か言いたそうじゃない?もう少し側へ来て」
 「は」

 アルフは軽く頭を下げて私の右に馬首を並べた。
 鐙にかけた互いの足が触れそうなほど、騎馬で可能なぎりぎりの距離。
 彼がここまで私の近くに寄るのは内緒話の始まりの合図だ。
 すると、心得た他の親衛隊員たちが私達から少し距離をとる。そしてゆるく半月形に隊列を組んで、私達二人の背後を護る。
 
 馬たちの奏でる穏やかな蹄の音に包まれながら、たまにすれ違う人々が手を振ったり私の名を呼ぶのに頷きを返していると、

 「──なあ、お姫様」
 
 アルフは二人きりのときにだけ使う呼び方をして口火を切った。
 彼の「お姫様」呼びはとっくに慣れっこになっているはずなのに、最初の第一声はいつもこっぱずかしい。
 むずむずするようなくすぐったさを打ち消すように、私は前を向いたまま、なるべくフラットに応じる。

 「うん、なあに?」
 「議長の娘、なんか企んでると思うぞ」
 「……やっぱり、そう思う?」
 
 思わず、右隣の彼を見ると、一対の紅玉の瞳が私を真っ直ぐに見つめていた。
 口調は柔らかいけれど、甘さのない眼差し。戦いの前の、軍議の時のような。

 「議長の娘がやらかした事件、お姫様は知ってるよな?」
 「もちろん」

 鼻息荒く、私は答えた。
 私の大切なレオン様に対するストーカー女。
 レオン様がその当時仲良くしていた女性を、あの女はならず者を雇って襲わせようとしたとか。同じ女性として許しがたいやり方だ。
 幸い未遂に終わったのと、被害女性が大人の対応をしたせいで、企みの陰湿さの割にはあまり重大犯罪として裁かれずに終わったはず。

 まあまあ知ってるつもりよ、と私が言うと、アルフはゆっくりと首を横に振った。

 「たぶん、お姫様が知ってるよりも、あの女は尋常じゃないぞ。……実は表沙汰になったあれ以外にも、あの女が起こした事件ってのはいくつかあったんだ」
 「……ふうん」

 こんどは、生返事を返す。
 とんでもない女だな、と思うと同時に、「そういう事件がいくつかあった」ってことはレオン様の女性関係がそれなりに華やかだったというわけで。
 話の本筋から離れたところでちょっともやっとしてアルフを睨んでみたけれど、彼はちょうど俯いて愛馬のたてがみを整えてやっているところだった。私の微妙な不機嫌には気づかないようだ。
 
 「全部、嫉妬の産物で。……つまり、あの女のエヴァンジェリスタ公に対する執着は普通じゃない。裏を返せば、公爵の隣に立つ女への嫉妬の深さときたら」
 「それは、想像できる」

 お祭りの夜に一度だけ会った。
 白金の髪、青い目。黙っていればきれいでしとやかな良家の令嬢だろうに、どこかしらうそ寒いものを感じさせる女。
 私がわざと傲岸に威嚇してやってもまるで動じることもなく、「わたくしの想いはわたくしだけのもの」と言い放ったのだ。
 
 「わかるなら話は早いが」

 アルフは小首を傾げ、少しだけ口元を緩めて私を見た。
 引き締まった唇の向こうに、ちらりと歯並びのよい白い歯が見える。
 含みのない、自然な笑み。
 思わず、つられたように私も笑みを返す。
 すると、ちょっとだけ目を見開いたアルフは、さらにその笑みを深くする。

 ──こういう顔が、私にとっては貴重なのだ。元の世界の傭兵仲間のような、ざっくばらんな感じが。
 「御方様」と呼ばれ、「姫将軍」と崇め奉られている今の私には、四人の夫以外、ほぼすべての人々が跪き、首を垂れる。
 それがよい、悪いではなくて、「同じ目線でフラットに話ができる」人に、私は常に飢えている。
 私は異世界転移をして、出会った人たちがたまたまこの世界の支配者階級の人で、その妻に収まった。まあ、軍人としての「姫将軍」は、私が実力で得た身分ではあるけれど。
 夫たちは生まれながらに支配者として育っているから、おしゃべりをしていると目線が同じ、とは言い難い考え方も多い。しばしば、私が合わせるというか、彼らが合わせてくれるというか。
 だから、アルフと接していると元の世界にいた時のような感覚になる。彼の存在が、彼との会話が、切なくて、懐かしい元の世界の記憶を呼び覚ます。そしていつも、一瞬、記憶の奔流に酩酊しそうになる私を現実に引き戻すのもまた、彼。よく響くアルフのバリトンだ。
 
 「……お姫様は強い。それに俺たち親衛隊も、お姫様の夫君たちも十重二十重にお姫様のことを護る。滅多なことはないと思うし、許すつもりはないが」
 「用心しろってことね」
 「そのとおり。なにせ議長の娘だ。金と権力だけはある。蟄居が明けたら大人しくしているはずはないと思ってたが、とりあえずお仲間づくりから始めたのは、まあ頷けるとして、‘姫将軍’の仮装?何を思いついたのだか皆目わからんが、あの女のことだ。単なる仮装ごっことも思えん」
 「確かに」
 「カサンドラ嬢によれば、男装して茶会を催すのはしばらく前かららしいじゃないか?」
 「みたいね」

 カサンドラ嬢が語るには、友人で気の弱いコリンヌ嬢は、カサンドラ嬢が気付くよりもかなり前からエイリスに誘われていたのだとか。
 気が強くて口が回るカサンドラ嬢を誘わず、コリンヌ嬢にだけ目をつけて、いわば二人を分断させようとしているところがいやらしい。
 そして、持ちきれないほどの土産を持たせて帰らせるそうだ。権勢づくで招待して、帰り際には贈り物を押し付けて身動きを取れなくするのだろう。
 癇症なのか、こめかみに青筋が透けて見えるほどに白い小さな顔。無表情な、底なし沼のような瞳を思い出す。
 あの女、エイリスが私の真似っこ仮装をしてお茶会を催して新たな派閥づくり?
 
 腑に落ちない。
 でも、やっていることは男装とお茶会。
 目くじらをたてて弾圧する理由にすらならないから、たちが悪い。 

 「戦争でも政治でもない。‘姫将軍’でも‘情報室長’でも予測がつかないからこそ用心して欲しいんだ、お姫様」

 アルフはそう締めくくった。
 飾り気のない、彼らしいまっすぐな言い方は、すとんと抵抗なく私の心に入ってくる。

 ──ぽくぽく、ぽくぽく。

 蹄の音はとてものどかなのに、彼の言葉は、静けさの中にもぴんと張りつめたものを感じさせて、穏やかに流れていたはずの空気感はとっくに霧消している。

 お茶もお菓子もおいしかったし、他愛のないお喋りも悪くはなかったけれど、なんとも後味の悪いお茶会となってしまった。
 夕暮れ時に吹き始めた風は分厚い外衣が防いでくれているはずなのに、冷えた空気が呼吸するごとに体の奥深くへ浸透して、体温どころか思考の温もりまでも奪っていくようだ。

 「──それよりさ、お姫様」

 右手で外衣の胸元をかきあわせたまま黙りこくってしまった私を気にかけたのだろう、アルフは先ほどとは打って変わって朗らかに言った。
 すぐに気持ちが切り替わらなくて、目線だけを右隣りのアルフへ向けると、彼は紅玉の瞳をきらきらさせて、
 
 「茶会、大流行だな。流行らせたの、お姫様だろ?」
 
 と言う。
 まあね、とイマイチのノリのまま曖昧に頷き返しても、彼は気を悪くした風もなく、

 「すごいな。よく思いつくな、こんなこと。上流階級だけじゃなく今じゃアルバ中で流行ってるそうじゃないか?」
 
 アルフは優しい。
 私の気を引き立てるようにあえて朗らかに話す彼の厚意はじゅうぶん過ぎるほど伝わってくるから、そうらしいわね、と応じると、らしいなんてもんじゃないぞ、と彼は続けた。

 「茶店だけじゃなくて、酒場まで昼間の客を当て込んで店を開けるらしいぜ。何種類も茶を出して、菓子を出すんだとさ」
 「へえ、商売熱心なのね。アルフの馴染みの酒場?馴染みの女将でもいるの」
 「っ、……最近はほとんど行ってない」

 図星らしい。急に、トーンダウンした。
 こちらへ向けていた顔を正面へ向けて、仕事用の無表情を取り繕おうとする。
 わかりやすいアルフはちょいちょい可愛らしい。

 「あら、昼間にお店を開けるなんて情報はいつ仕入れたの?」 
 「……ちょっと前だ」
 「最近、行ったんでしょ。ほとんど行ってない、っておかしいじゃない?」
 「最近は以前に比べたらほとんど行ってない、って意味だ。すげえ久しぶりに行ったんだ。嘘はついてないぞ」
 「以前は常連だったのね?女将が美人さんなの?」
 「……ちぇっ」

 ちくしょう、こんな話にするつもりじゃなかったのに、と小さく悪態をつくアルフを横目に、私はくつくつ笑い出してしまった。
 軽口を叩いていると、さっきの不愉快な話も気にならなくなってくる。
 それに、街中の話は、元は庶民の私にとっては楽しい。もっと聞きたい。

 「昼間に茶店を開くのね?いいな、楽しそう」
 「……まあな」
 「軽食なんかも出すのかな?どこかの慰問とか、何かの帰りに行ってみたいな」
 「行ってもいいが、別な店にしといてくれよ」
 「へえ」

 ますます興味がわく。
 さっきはアルフが目をきらきらさせていたが、今は間違いなく私のほうがきらきら、じゃなくぎらぎらしてるだろう。
 アルフもそれを察したらしく、「気が晴れたみたいで結構だがなんで興奮してんだ、お姫様」とぶつくさ言っている。 
 アルバでも有名な元遊び人、アルフの過去バナが聞けるのかもしれない。

 ──と、思ったのだけれど。

 「……確かにな、馴染みだった。でも誓って言うが、深い仲じゃないぞ」
 「別に深い仲でもかまわないけど」
 「いや、あんたに誤解されたくない」

 アルフはきっぱりと言い切った。

 つと左へ逸らせた私に向けて、右側から痛いほどの視線を感じる。きっとあの宝石のような紅玉の瞳で私をみつめているのだろう。
 こんな時のアルフの視線を受け止めるのはそれなりに覚悟がいるから、私は早々に「誤解なんかしてません、言ってみただけ。ごめんなさい」と降参してみせた。
 それに実際、この手のことで彼は嘘をつく男ではないと知っている。
 「それならいいが」と応じた後、視線も声音もまた柔らかなものになった。

 「……男みたいな気っぷのいい、豪快な女将でさ。情報通で話も面白いし、酒の選び方もいいから、そいつが女将になる前からけっこう飲みに行ってた。贔屓客は俺だけじゃなかったな。そのうち、腕利きの寡黙な料理人と一緒に自分の店を構えて、それが今じゃアルバでも有名店になってる」
 「すごい、やり手、かっこいい」
 
 拍手でもしたいくらいだ。
 私は下戸だし、武芸に明け暮れたいびつな娘時代を送っていて、男性のあしらいがアレだから、そういう女将とか「売れっ妓」的な人たちは純粋にすごいと思っている。
 アルフは放蕩者だったとはいえ、頭もよく、性根が腐ってなかったから改心して、今では公爵夫人わたしの親衛隊長にまで上り詰めた男だ。その彼が褒めるのだから、なかなかの女傑なのだろう。

 「その女将が、お茶会人気にのっかって、昼間もお店を開けるというのね?」
 「そう。女将には妹がいて、そいつが茶葉の仕入れと茶の淹れ方の講習にまで出かけてるとか」
 「へえ!本格的、行きたいな、行ってみたいな!」

 私が発端で流行している午後のお茶アフタヌーンティ
 上流階級のお上品なそれもいいが、街中の人気店が始めるお茶!ものすごく行きたい。
 おしのびで行けたらいいけれど、だめなら規模の小さな公務のついでにでも。

 すっかり自分の妄想に舞い上がってしまった私は、隣のアルフの無表情、無反応、仕事用の顔に戻ったことに気づかなかった。
 暮れなずむお空を見上げながらうきうきと言葉を紡ぐ。

 「いつから始めるのかな、それ?行きたいなあ。どうせすぐ評判になって混雑するだろうから、そうなる前に行ってみたいな──」
 「どこへ行きたいのですか、リア?」
 
 ──よくとおる、涼やかな、綺麗なテノール。
 なのになんとも冷え冷えとした、ありていに言えば超低温の声。
 声の主を認識するより先に、ぶるり、と体が震える。

 「お帰りなさい、リア。──お迎えに来ましたよ」

 気が付けば、グラディウス城の第一の堀まで来ていたのだけれど。
 銀色の髪、紫の瞳。人外の美貌を誇る私の夫の一人、オルギール・ヘデラ・ド・カルナック侯爵が、腰に手をあて仁王立ちになって、私を見つめていた。
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