私と私の妹弟について

ヤクモ

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さん

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 扇風機を回して部屋の空気を循環させる。気が向いたら窓を開けて空気全体を入れ換える。以前はしょっちゅう蝿が入ってきていて、網戸に穴でもあるのだろうかと窓を確認していると、ガラス窓と網戸の間に隙間ができていた。この狭き門をくぐりぬけた連中が私の世界で飛び回っていたのだろう。この侵入ルートに気づいて以来、窓を開けるときは限界まで開けている。

「暑い」
 固く窓を閉じてもなお、地上では長く生きられない者の声がする。それが一層暑さを感じさせるのだと、シーツで頭まで隠す。些か音は小さくなり再び微睡みの世界へ戻る。

「おねぇ!」
 ばたんと勢いが音となって世界を破壊した。
「またそんな格好でっ」
 シーツを引っぺがし勝手に見ておきながら、愚妹は呆れた顔をする。いや、わたしは愚姉であるが、彼女は愚妹ではないか。現にこうやって姉の生存を確認しにきている。

「暑いならシーツ被んなければいいでしょ」
「いや、妹よ、これがわたしにとってはベストでわけであって」
「はぁ⁉︎裸のなにがいいの」

 妹は手にしていたコンビニ袋の中身を、ホテルに備え付けてあるような小さな冷蔵庫に片付けながら、ぶつくさと言っている。わたしが独り言をしていると気味が悪そうに見るくせに、やはり、妹とわたしは本質が似ている。それを本人に言ったら眉を寄せながら口元を緩めていた。あれは、嫌がっていたのか、喜んでいたのか。母いわく、「気持ち悪いくらい喜んでたよ」とのこと。

「みんな心配してるよ。おねぇから連絡ないって」
「んー」
 みんなって、妹と弟と母でしょ。わたしには現在友人はいない。数年前までは、暇なときに連絡できる気の置けない人がいたが、今は一切連絡をとっていない。そもそも連絡を取る手段が文通だけなのだ。ネットに繋がる媒体は手放すか実家に置いてきた。他人の声が、今のわたしには痛いのだ。

「連絡しなくても、様子見にくるじゃん」
「連絡ないからでしょー。暑いんだから、倒れてないかなぁって思うじゃん」
 じゃんじゃん言うが、この地方の訛りではない。今の会話をこの辺の言葉に訳すと、
「んだばって、連絡なくども見にくるべ」
「連絡ないはんでだべ。あづいんだはんで、倒れてねぇが気にするべな」
 といった具合だ。ちなみにこれはわたし独自の訛りかたのため、実際に聴くと何と言っているのかわからない。
 脱線してしまった。




 私は他人との境界線が曖昧らしく、自分以外の感情も中に取り込んでしまう。それに気づいたのは高校を中退し2年ほどニート生活を送ったときだった。人間世界での生き方を知るために、19歳のとき重い腰を上げてアルバイトを始めた。バイト先は入り組んだ人間関係もなく、悪くはない環境だった。それでも接客業でなんの不満を持たずにはいられず、じわじわと私は窒息していった。
ニート期間と同じ程度バイトを続け、ある日下痢をした。バイト先に向かう前には必ずトイレにいき緩んだ腸と戦う。外出の前にそうなるのは幼少期からのため今更病院に行ったりはしない。しかし、その日はいつもとは違った。
 五分前にトイレで出したばかりなのにまた腸がグルリと呻く。トイレにこもり前のめりで用を足し、よろよろとソファに飛び込む。視力が弱くぼやける視界はいつも以上に見えにくい。快晴で降水確率は一週間ずっと0%なのに傷跡が痒い。昨日は10時に寝て今日7時に起きたのに、眠気が襲う。時計を見ると家を出ないと遅刻してしまう時間。腸がまた呻いた。もう、無理だった。
「すみません。体調が悪いため、お休みさせていただきます」
 なんとか最低限の連絡をして、トイレに向かう。
 この日以降、バイト先で働くことはなかった。




「おねぇご飯食べてる?」
「なんかは食べてるよ」
「おねぇもともと細いんだからさー、痩せないほういいよ」

 私のこれは細いというよりは「食べない」という不摂生がもたらした結果にすぎない。そのため肉のつき方はバランスが悪く、女性的な体型ではない。一方で妹は年相応の丸みを帯びながらも、けっして太った印象はない。制服のスカートからのぞくふくらはぎは、中学から様々な運動部に応援として参加した逞しさがある。三年生になると部活動にはあまり参加しないらしい。高校生活がどういったものか、出席日数が合計で一年にも満たない私にはよくわからない。ただ、妹は学校が楽しそうだ。同級生の悪口も、教師からの生活指導も、私には縁遠いことだった。

 安アパートの二階から見える景色なんて面白くはないだろうに、妹は窓際の壁に寄りかかってぼんやりと外に目を向ける。顔の前に平然と置かれた足の臭いをスンと嗅ぐ。姉と違い制汗には一段と気を使っている妹は足の臭さとは無縁のようだ。

「今日学校終わるの早いんだね」
「テスト期間だからねー」
 テスト。そんなものもあったか。あれは教師が「教える」ことを丸暗記しておけばそれなりの点数が取れる。満点をとりたければ答えの導き方を理解すればいいだけだ。わたしにとってテストは、実力をためすものというよりもクイズを解くような気軽なものだった。教師の言うことを鵜呑みにし出された課題をこなすだけでいい。実に楽なものだった。もっともそんな楽なやり方ばかりしていたツケが今に回っているのだろうけれども。

「大学行くの?」
「んーどうしようかな」
 妹は外界の情報を遮断しているわたしと違い、時事の流行りに詳しい。流行は都心から広まっていくのだから、妹が都会に行きたがるのは自然だと思う。母は妹が家を出るのを嫌がっているが、本人がその気なら好きにさせてやればいいとわたしは妹のふくらはぎを突く。
「なにー」
「喉乾いた」

「はいはい」
 知らないキャラが印刷されたコップに並々と麦茶がそそがれる。妹は寝そべるわたしの横に足を崩して座った。
「起きないとこぼすよ」
「んー」
 腕を伸ばし床に置かれたコップを手を取る。こぼさないようにゆっくりと傾け、口内を湿らせる程度の量を含む。つもりだった。
「あー」
「何してんの」
「ごめん」
 唇とコップのふちの隙間から麦茶がこぼれおちた。わたしの顎を伝って身体に沿って流れるものと、直下して畳にしみを作るものに分かれる。

「起きて」
「ごめん」
 コップを取られ、かわりにタオルを渡される。
「自分拭いて」
「ん」
 言われるがままに身体を拭く間に、妹は手早く畳をぽんぽんと拭き、麦茶の量を減らしてテーブルに置いた。
「ちゃんと起きて飲んで」
「うん。ごめん」
「いーよ」


 姉と妹の立場が逆になっている気がする。世間では姉がしっかりとしているイメージがあるが、わたしたちは真逆の立場だった。
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