上 下
27 / 33

~時計屋のコロボックル~

しおりを挟む
 いなり横丁の公園の前に一軒の古い時計屋があった。通りから見える店内には様々な時計が並んでいて、店の表には大きなからくり仕掛けのオルゴール時計が看板代わりに設置されている。定時ごとにオルゴールの音に合わせて動き出すからくりを眺めているのも楽しいし、時間の確認もできる事から公園前の待ち合わせ場所として使う者も多かった。

「早く着きすぎたか…」
 小僧さんが公園前大時計を見上げ苦笑いを浮かべる。待ち合わせの約束だったのだが、早く到着してしまったので、相手の姿はまだない。
 待ち合わせの相手を待つ間、小僧さんは手持無沙汰で周囲を見回すが、特に興味を引くものもなく、ぼんやり通行人を眺めるぐらいしかできなかった。
 横丁の待ち合わせ場所ではあったが、夕方といってもまだ早い時間だからか、人待ちをしているのは小僧さんぐらいである。
 到着してから数分が経ち定時を迎えると大時計からオルゴールが流れ始めた。その音で小僧さんは大時計の方へ視線を向ける。
 大時計の文字盤の上にある植物模様の板が本体に収納され、中から大きな植物の葉を傘の様にさした数体の人形が現れ、オルゴールに合わせてくるくると回りながら行進を始める。その人形が身に付けているのは幾何学模様の柄がデザインされた見慣れない衣装だった。
「——コロボックルかしらね?」
 からくり人形の動きに見とれていると、不意に小僧さんに話しかける声がしたので見ると、東雲堂の薫が立っていた。
「こんにちは」
「あ、ども」
 薫は小僧さんの待ち合わせ相手である。デートという訳ではないが、薫が小僧さんが通う小料理店に行ってみたいと言っていたので、連れて行く約束をしていたのである。
「横丁のからくり時計なんだから、和人形とかでもいいと思うんだけどなぁ」
 薫が大時計を見上げて素直な感想をもらす。
「…なんでコロボックルってわかったの?」
「フキの葉っぱの傘さしているんだもん…衣装はアイヌ柄っぽいし」
 そう言って薫は好きな少女漫画に出てくるコロボックルと同じだしと付け足して笑う。
「アイヌもコロボックルも名前ぐらいしか聞いた事が無いなぁ」
「私も馴染みがないよ…あくまで漫画で仕入れた知識だし」
「…確かに、横丁の大時計にコロボックルって不思議だよね」
 そう言う小僧さんの言葉に薫が頷く。
 大時計の由来も気にはなるが、二人で話をしていても答えが見つかる訳ではないので、小僧さんは薫を促して、小料理屋に向かって歩き始めた。
 小料理屋は公園からそんなに遠い訳ではないので、数分も歩けば店に到着する。店の入り口の麻の暖簾をくぐり、小僧さんは慣れた様子で格子戸を開け店に入る。
「いらっしゃい…あら可愛いお嬢さんも」
 小僧さんの後に続いて店に入ってきた薫を見て女将はにっこりと微笑む。
 小料理屋には先客がいて、酒屋の布袋さんが既に晩酌を楽しんでいた。
「おや、薫ちゃんじゃないか…珍しい所で会うね」
 店内に入ってきた薫を見て、布袋さんが少し驚いた顔をする。
「…知り合い?」
 小僧さんの質問に薫は頷く。
「酒屋のおじさんは小さい頃から知ってるよ…うちにもお米やお酒、みりんの配達来てくれるし」
「あ~、そうかぁ」
 薫も横丁育ちである。横丁の酒屋の主である布袋さんと顔見知りなのに不思議な事は無かった。
 薫は布袋さんと小僧さんの間に座ると、興味深げに小料理屋の店内を見回した。
「今日のおすすめはフキとアサリのさっと煮ね」
 女将がそう言いながらお手拭きを小僧さんと薫に渡す。
「薫ちゃんはお酒はどうする? お酒が苦手ならお茶もあるけど」
 小僧さんに訊かれて薫は布袋さんの前にあるお銚子を見て熱燗でと答えた。
「じゃあ、とりあえず熱燗を2合とおすすめを二人分お願いします」
「鶏和え酢? あるわよ、それも」
 そう言って女将が笑う。
「駄洒落メニューですか? …じゃあ、それも二人分」
 小僧さんが笑いながら追加オーダーをする。そんな二人のやり取りを聞きながら薫が布袋さんにこの店によく来るのかと尋ねた。
「常連だからね…酒も料理も美味しいし、女将さんも美人だしね」と布袋さんは機嫌よさげに薫に答える。
「…へぇ。こんなところに小料理屋があるなんて知らなかった」
「薫ちゃんは外食とかしないの?」
 小僧さんの質問に薫は「外食と言っても、見返り坂のファミリーレストランとかスイーツ店ぐらいかな? あとはお友達と居酒屋さんに行くぐらいだから、こういうお店は初めて」と答える。
「若者らしいわよね」
 話を聞いていた女将がニコニコしながら薫を見る。
「華ちゃんは?」
「誘ったけど、華はお酒飲めないし、外で遊ぶの嫌いだから」
 薫はそう言うと肩を竦める。
「…華さん?」
 女将は薫とは初対面なのもあって、薫の双子の姉である華の存在も当然知らない。そんな女将に布袋さんが簡単ではあるが薫の家庭環境などをざっと説明した。
「…ああ、東雲堂のお嬢さんだったのね」
 女将も横丁の老舗の和菓子店である東雲堂の事は知っていた。薫の雰囲気がお店と違うから気が付かなかったと女将は笑う。
「和菓子屋の作務衣姿も素敵だけど、私服はお洒落ね」
「ありがとうございます」
 小僧さんの熱燗をお暢子に注いでもらい、乾杯した後、出された料理を食べた薫は美味しいと笑顔になる。
「お口に合って良かった」
 薫の様子に小僧さんと女将はそう言ってほっとした表情を浮かべた。
「フキとアサリって合うんですね」
「どちらも今が旬だし」
 そう言われて薫はフキを箸でつまんでしげしげと見て「フキってアクがきついし、大きくて筋張っているのに…よくこんなの食べようと思ったなぁ」と呟きをもらす。
「冬に黄色い花を咲かせるからフキという名前が付いたっている説もあるわね…ミネラルや繊維質が豊富で、赤ちゃんの成長に必要な葉酸が豊富に含まれているから妊婦さんにおすすめの食べ物なのよ」
「へぇ」
 感心した様に薫はそう言うと、フキを口の中に放り込む。
「フキと言えば…公園前の大時計のからくりがコロボックルな理由、知ってます?」
 小僧さんが思い出したように布袋さんに尋ねる。
「ああ、フキの葉の傘を差した人形のやつね」
 お猪口の中身を飲み干して布袋さんが答える。
「——あの大時計は先代の時計屋の親父さんが戦前樺太土産で持って帰って来たって話は聞いた事があるなぁ」
「樺太…北海道よりもっと上ですね」
「コロボックルってアイヌの妖精じゃないの?」
 不思議そうに薫が疑問を口にする。
「アイヌは北海道の先住民族と言われているけれど、コロボックルは北海道だけではなく樺太や千島列島にルーツを持つ先住民族という話だよ」
 布袋さんがやさしく薫に説明する。
「…って事は、日本だけじゃなくロシア人? でもコロボックルって小人の妖精ですよね…ロシア人って身体が大きい白人なんじゃ?」
「樺太や千島列島、北方領土は日本の領土よ…第二次世界大戦の終戦のどさくさにロシア…当時はソ連が条約を破って侵攻してきて領土を奪われちゃったけれど」
「え?」
 初めて耳にする話なのか、薫は驚いた表情になる。
「それに環太平洋地域にはモンゴロイド…黄色人種が昔から原住民として住んでいるのよ。エスキモーもインディアンも日本人と同じモンゴロイド」
「…小人ってのは?」
「フキって背丈が2mぐらいあるのよね。コロボックルはフキの下に住む人って意味だから、白人と比べれば体は小さいかもしれないけれど、モンゴロイドとしては普通の身長なんじゃないかしら?」
「ええ⁈」
 コロボックルの今までのイメージと違う事に薫は衝撃を受ける。
「…女将。乙女の夢を奪わないでください」
 苦笑いしながら小僧さんが女将に抗議する。そんな小僧さんの言葉を聞いて女将はそうねと言うと、話の補足をする。
「第一次世界大戦の頃までは身長3mを超える巨人や身長1mくらいの小人の写真も残っているんで、コロボックルが小人だったって話も、全くの空想話ではないとは思うけどね。迫害されるのを嫌って人間の目が届かない所に姿を消したっていう話はよく聞くけど…」
「…また極端な例を出しますね」
 話を聞いていた布袋さんが可笑しそうにククっと笑う。
「身長3mの巨人⁈」
「そう。ガリバー旅行記やジャックと豆の木のお話なんかで出てくる巨人が全くの作り話って訳でもないかもよって可能性の話」
「えっ、えっ⁇」
 理解を超える話なのか薫は目を白黒させる。そんな薫の様子がおかしいのか女将は悪戯っぽい表情を浮かべる。
「事実は小説より奇なり…気になるならインターネットで調べてみればいいわ。さっき話していた巨人と小人の写真なら普通に見られるから」
「…女将は意外にそういうの好きだよね」
「好きよ。オカルト雑誌とか小学生の頃、読み漁ったクチだし」
 布袋さんの言葉を肯定して女将は笑う。
「科学と非科学な事柄って表裏一体だと私は思うのよね…それに…」
「その方が面白いじゃない」
 そう言う女将の顔は何処か少女めいていた。

「…いつもあの方、あんな感じなんですか?」
 小料理屋の帰り道、ほろ酔い気分で歩きながら薫が小僧さんに問いかけた。
「まあね。ああいう飾らなくておちゃめな所が僕は好きなんだけど」
「黙っていたらキレイな和装美人なのに」
 女将の見た目と話す内容のギャップがありすぎて、薫は戸惑いを隠せないでいるようである。
「酒屋のおじさんも笑って聞いていたし」
「酒飲みのツマミ話だと思って、まじめに受け取らなくていいんじゃないかな?」
「…まあ、面白い話ではあったけど」
 公園前の時計屋の前まで来たので二人は足を止め、からくり時計を見上げる。
「コロボックルが妖精じゃなかったらちょっとがっかりだなぁ」
 薫にすればコロボックルが北の地の小さな妖精でいてほしいという思いが強かった。
 そんな話をしていると、時計の針は9時ちょうどを指示した。光センサーが入っているのかはわからないが、オルゴールのメロディは流れず、かすかに大時計からジーっという作動音が聞こえてきて、からくりが作動しているのか文字盤の上の板が収納される。
「この後コロボックルがフキの葉の傘を差しながら回って行進するのよね…」
 薫がそう呟いて、人形が現れる場所を凝視したが、からくりは昼間見たのと違う動きを見せた。
「…大きな魚を運んでる?」
 数体の人形が巨大な魚を頭上に掲げて行進すると、端に現れた窓下に魚を置いた。そしてくるくる回りながら反対側の方へ移動して画面から消えた。そして魚の置かれた部屋から一体の人形が現れて両手を上げて驚いた様な動きをみせる。
「…魚のプレゼント?」
 からくりの動きを見ながら薫が首を傾げる。
「そういえばコロボックルって人目を嫌うって話をしてたよね」
 小僧さんは女将の話を思い出して薫の顔を見ると、薫は難しい顔で何かを思い出そうとしていた。
「コロボックルは贈り物は好きだけど姿を見られるのは嫌うって話が漫画にも描いてあったのよ」
 それを表現する為のからくりなんだろうか? 
 昼間のからくりは小さい頃からよく見ていたが、魚の贈り物をするシーンのからくりを目にするのは初めてだった。
 からくりの演出が終わったのか、人形たちは収納され再び植物柄の蓋が閉じられ、その間にも文字板の針はなにも無かった様に時を刻み続けている。
「今日は楽しかったよ…薫ちゃんが嫌でなかったら、また飲みに行きましょう」と小僧さんは薫に言うと、家に向かって歩き出した。そんな小僧さんを見送っていると、大時計から小さな物音を薫の耳に入った。
 小さな物音の後、設置されている大時計の下の部分に小さな穴が開く。
「…?」
 不思議に思って見ていると中から小さな二足歩行の何かがぞろぞろと出てきた。それはからくり時計の中で踊っていたコロボックル達だった。それを確認して薫は声なき叫びを心の中であげる。
「…‼」
 驚きながらも出てきたコロボックル達を見ていると、5人のコロボックル達は向かいの公園の方へ消えていった。そんな彼らを息を潜めて見送った薫は驚きを隠せないように一人呟く。
「なあんだ、ちゃんと妖精サイズ…横丁の公園の森におうちがあるのかも…」
 ほろ酔い酒が見せた幻かもしれなかったが、そう考えるとワクワクが止まらなくなったのか、薫は楽しそうに家に向かって歩き出した。
しおりを挟む

処理中です...