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~私の流儀~

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 季節が巡るのは早いもので、私が横丁の小料理屋に通うようになって再び桜の季節を迎えていた。今となってはこの店に通う事がライフワークの一部になり、正直これほど通い詰めた店は私の人生で今まで無かったのだから、出会いとは不思議なものである。
「おまたせ。山菜のてんぷらの盛り合わせ」
 いつもの様に女将がその日のおすすめ料理の皿を私の前へ置いた。早速、私は端を手に取り、揚げたての山菜のてんぷらを口に運んだ。噛むと衣はサクサクで、ふわっと口の中にほのかな苦みが広がる。
「この苦み…春の味覚ですね」
 常温の日本酒を飲みながら食べる山菜のてんぷらの味は格別である。
「山菜や菜の花なんかの苦みには、冬に体に溜まった老廃物をデトックスしてくれる成分が含まれているの」
「へぇ…旬の食べ物って身体に良いとはよく聞きますが、ちゃんとその季節に必要な栄養素が含まれているんですね」
 そう言って私はフキノトウのてんぷらに少し塩をつけて口の中に放り込む。
「春の恵みは老廃物のデトックスと、体調を整える為のビタミン類が豊富だし、夏野菜は身体を冷やしてくれるし、秋の収穫物は冬に向けての栄養を蓄えたり…冬は身体を温める効果が高い…すべてを計算してるんじゃないかって思えるぐらいうまくできてるわよね」
「偶然が重なるのは、必然なんだという事はよく聞きますね」
「大昔から神様の存在が信じられていたのは、自然の摂理ってよく出来ているからなんでしょうね」
 そう言う女将は有神論無宗教者らしい。私も難しい事はよく分からないけれど、四季の様々な美味しいものがあるこの国に生まれて良かったと思っている事だけは間違いなかった。
「そろそろ筍もシーズンになるわね――筍料理でリクエストはあるかしら?」
 女将の言葉を聞いて思い浮かんだのは、たけのこご飯、若竹煮、焼き筍、土佐煮…どれも私の大好物だった。何をリクエストしようかと考えていたら、格子戸が開いてサングラスにスキンヘッドの強面の大男が入ってきた――入道さんである。
「おひさしぶりね」
 女将が笑顔で出迎えると、入道さんは持っていたビニール袋の包を女将に差し出した。ビニール袋を受け取った女将は礼を言うと袋の中を覗き込む。
「あら、筍…今ちょうど筍の話をしていたところなの」
「今日の朝掘ったやつです――まだ出始めなので小さいですが」
 入道さんの話では配送先の地方の友人に貰ったのだが、入道さんは料理をしないのでここへ持ってきたらしい。
「あく抜きしないといけないから、一時間ぐらいかかるけど時間は大丈夫?」
 今から筍料理を作ろうと思ったのか女将が入道さんに訊く。
「今夜は休みですから時間は大丈夫です…ちょっと眠いですが」
「疲れてるのにわざわざ持ってきてくれたのね…ありがとう」
 女将はそう言うと、大鍋でお湯を沸かし始めた。
「どうやるんですか?」
 筍のあく抜きの工程など見た事が無い私は女将に尋ねる。
「米ぬかと唐辛子を入れた鍋で筍を弱火で一時間ぐらい茹でるだけよ」
 そう言いながら筍の一番外にある皮を数枚剥がしてさっと洗って土を流すと、沸騰した湯に筍とぬか、唐辛子を入れて弱火で茹で始めた。
「皮ごと茹でるんですか?」
「そうよ…これは小さい筍だし。大きな筍だと中のあくが抜けにくいから半割にして茹でたりするけれど、基本土なんかの汚れを落としていたら皮ごとで大丈夫」
「…それにしても、よく米ぬかありましたね」
 買いに行かなくてもぬかがすぐ出てきた事に驚いた私が言うと、女将はぬか漬け用に、足しぬか用のものを常備してるからと説明する。
 足しぬかが何なのかよく分からないが、ぬか漬けに必要な物なんだろうと理解する。
「——隅で寝てますんで、出来たら起こしてください」
 よほど疲れて眠いのか、入道さんはそう言うと店の隅でサングラスを外すとカウンターに突っ伏して寝息を立て始めた。女将は小さなブランケットを出してきて入道さんにそっとかけると、気持ちよさそうに眠る入道さんの顔を見て女将はクスッと笑う。
「サングラスを外したら可愛い顔してるのに」
「…なんか、目が可愛らしすぎて舐められるからサングラスをかけているらしいです」
「そうなんだ」
 強面の大男に見えるようにしていれば、むやみに喧嘩を売ってくる人間が少なくなるので、無用な争いを嫌う入道さんらしいスタイルなのかもしれなかった。
「春眠暁を覚えずって言葉がありますが、ほんと春って朝起きるのが辛くって…」
 入道さんを起こさないように小声で私がそう言うと、女将は笑いながら頷く。
「まどろむ時間が幸せなのよね…私は目覚まし時計を3個かけてるわよ」
「3個も⁈」
「ベットサイドに一つ。部屋の隅に一つ。キッチンに一つ」
 朝起きるのが苦手な女将は、どうやら目覚ましを止める為に強制的にベットから出なければいけないようにしているらしい。
「それなら確実に起きられそうですね」
「それがね…」
 女将の話によると、たまにキッチンで目覚ましを止めたまま行き倒れるように床で眠っている事があり、しかも目覚ましをいつ止めたのか記憶が無いらしかった。
 女将の意外な一面を聞いた気もするが、起きるのが苦手にしても理解の限度を超えている気がする。
「春眠暁を覚えず、目が覚めたら夏だった…ってのは冗談だけど、若い頃は3日ぐらい寝てた事あるわよ」
「寝すぎです…三年寝太郎じゃないんだから」
 呆れて私がそう言うと、女将は「眠り姫と呼んで」とケラケラと笑う。その笑い声で目が覚めたのか、入道さんが寝ぼけ眼で顔を上げる。
「…あ、ごめん」
「…俺の場合、冬眠から覚めた熊ですね」
 眠たそうに目をこすりながら入道さんがそう言って笑う。どうやら私たちの雑談を眠りながらも聞こえていたらしい。
「俺の場合はお腹がすいたら目が覚めるんで、3日も寝るのは無理ですが」
 私は空腹状態でも寝ていられるので、入道さんとは体質に違いがあるのかもしれない。そんな事を考えていると、あく抜きが終わったのかザルに筍を上げた。どうやら筍が冷めるのを待つらしい。
「眠いと言えば、お昼ご飯を食べた後の午後の授業ってすごく眠くなかった?」
「特にぽかぽか陽気の日の窓辺の席は危険でしたね」
 同意した入道さんに女将は「折れたチョークが飛んできたわよ…先生ノーコンだったけど」と言うと、入道さんはチョーク投げが上手い先生の方が少なかったかも…と笑った。
 折れたり、小さくなったチョークを問題のある生徒に対して投げる先生は昭和の時代にはよくいたが、教師による体罰への風当たりが厳しい昨今では、もう見られない行為なのかもしれない。
「うちの先生は机に頭をつけて寝ている子の机を下から突き上げるように叩く先生もいたわよ」
 下から机の天板を叩くとその衝撃で板で頭を突き上げる形になり、その反動で頭が落下したときに天板で再び頭を打つので二度痛い奴だった。
「黒板用の大きな三角定規の角をこつんとかもあったなぁ」
 体罰と言ってもちょっと痛いぐらいのものだったし、子供や保護者の方もその理由がわかっているので問題になるような事はほとんどなかった。
「遅刻が重なったらケツバットとかありませんでした?」
 中高生ぐらいになると身体も大きくなり反抗期と重なるので、教師による体罰も小学校の頃に比べると怪我はしないもののかなり痛かったような気がする。ケツバットは読んで字のごとしで、ルールを破った生徒の尻をバットで叩くものだった。
「あ~ケツバットって斜め下からすくいあげるように叩くから、飛び上がるんだよね」
 入道さんもケツバット体験組だったようである。流石に女将は体験していないだろうと思っていたら、「私の場合はバットじゃなく竹刀だった」と笑ったので、私と入道さんは顔を見合わせる。
「——前から思ってたんだけど、子供の頃の山を駆け回ったり木登りが得意だったみたいな事言っていたし、兄弟とちゃんばらごっこして遊んだとか…女将って結構お転婆だったみたいだよね」
 そんな入道さんの遠慮がちな言葉に女将は笑いながら頷く。
「普段は和装だから大人しい大和撫子みたいに見えるけど、中身は今じゃお転ばばあよ」
「お転ばばあ…」
 女将の言葉を聞いて入道さんが噴き出す。
「バブルの頃、夏は小麦色の肌の方が流行だったから、日焼けオイルを塗って焼きまくった結果、今になってシミに泣いてるけど…病人みたいな白さの美白ブームもどうかとは思うわ」
「確かにバブルの頃は、小麦色の肌の水着グラビアアイドル全盛の時代でしたよね」
 小麦色の肌の方が確かに健康的には見える。その後に美白ブームがやってきて、美白美容研究家の石膏のような白さを見た時に不気味に感じた事をふと思い出した。
「試行錯誤したけど、自分スタイルを確立できたから、もう流行に振り回される事は無くなったけどね」
 女将はそう言うと不敵な笑みを浮かべる。
――私は自分スタイルを確立する事は出来ているのだろうか?
 自分らしいスタイルを持っている女将や入道さんが羨ましく思える私だった。

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