見返り坂 ~いなり横丁~

遠藤 まな

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~福は内 鬼も内~

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 一月は行く。二月は逃げる。三月は去るという言葉があるが、お正月を迎えたと思ったらあっという間に暦は二月になっていた。
 二月の初めの伝統行事と言えばやはり節分である。
 玄関先には魔よけの柊とイワシの頭が飾り付けられ、一般的には豆が撒かれるが平安時代の頃には散米といって米が撒かれていた時期もあったという。そもそも農耕民族の国である日本では、米、麦、粟、稗、豆の五穀には古来から穀霊信仰という文化があり神様の力が宿るとされていた。節分に豆が撒かれるようになったのは「魔滅(まめ)」に通じ、鬼の目の事を示す「魔目」とも通じる事から、豆は魔よけの力があると信じられていたのである。
「今日は節分料理ね」
 そう言って女将が私の前に置いたのは鰯の塩焼きと五目豆だった。
「煮豆なら柔らかいし食べやすいからありがたい」
 私がそう言うと女将は「煎り豆は消化に悪いもんね」と小さく笑った。
「地域によっては煎り豆ではなく落花生で豆まきをするところもあるみたいですが」
 店の奥の指定席でちびちびと晩酌を楽しんでいた天狗さんが口を開いた。
「それいいですね。殻付きで撒けば拾うのが楽だし、撒いた後に中の実はキレイだから食べられるし」
「まあどっちにしても、煎り豆も落花生も投げつけられたら痛いですけどね」
「全力で投げつけられたら、そりゃ痛いでしょうねぇ」
 節分の日に煎り豆のおまけの鬼のお面を被った全国のお父さんたちは、手加減を知らない子供たちに豆を投げつけられて、さぞや痛い想いをしているのだろうと想像すると、同情を禁じ得ない。
 そもそも本来は家長である父親が豆を撒いて家から魔を祓うのだが、今は立場が逆になって家長が祓われているのだから変な話である。
「そう言えば『鬼』が付く地名のところや、鬼を改心させた伝説が残る寺社仏閣では『鬼も内』って言いながら豆まきをする風習があるところが多いんですって」
 と、女将が興味深い話を教えてくれた。
「へぇ、鬼も内ですか」
「鬼は元々、人間の力が及ばない力を持つ者を示す言葉でもあるからね」
 そう言いながら天狗さんがお猪口に熱燗を注ぎ入れる。
「人間が力及ばない?」
 首を傾げた私に天狗さんは言葉を続ける。
「古典では鬼と書いて、『かみ』と読ませたりする事もあるんだ」
「かみ…って神様の事ですよね」
 訊き返した私に天狗さんは頷く。
「大きな力を持つ存在を人間は『神』として崇め敬い、時には強すぎる力故に『鬼』と恐れてきた文化がこの国にはあるからね」
 それは、まるで自然そのものではないか――普段は様々な日の光や雨などで恵みを与えてくれるが、時にそれは大いなる災いとなる…そんな事を私が考えていると、天狗さんは更に言葉を続けた。
「…ただね、この国には様々な鬼伝説があるのは知っているよね?」
「すぐに思いつくのは桃太郎に退治された鬼ですねぇ」
「鬼には赤鬼や青鬼…たまに黒鬼がいるが、君はそれにどんな意味があると思う?」
「意味ですか…」
 思いもやらない天狗さんの問いかけに私は頭を傾げた。
「…意味なんて考えた事ありません」と正直に言うと、天狗さんは「私は鬼の伝説に登場する鬼の中には、日本に流れ着いたバイキング達ではなかったのではないかと思っているんだよ」と言って注いだ熱燗を一気に飲み干す。
「バイキング…ですか」
「そう。鬼の頭には角があるだろう…一本角の者もいれば、二本角の者も。あれはバイキングが被っていたヘルメットだったとしたら?」
「あ」
 言われてみればなるほどである。
「赤鬼は北欧の赤色人種…赤ら顔の人たちで、青鬼はヨーロッパにルーツを持つ白人、黒鬼は黒人をルーツに持つ者だとしたら?」
「彼らは昔の日本人に比べたら体もかなり大きいですし…ああ、それでですか、食料や金品だけでなく、若い女性を誘拐するのも」
「おそらく性欲を満たす為だろうね」
 鬼との間に子供が出来たという話も昔話で聞いたような記憶があったので、ずっと疑問に思っていた事の謎が一つ解けた気がした。
「昔話の中には、現実の様々な事柄が隠れているんだと思うよ」
 天狗さんはそう言うとにっこりと笑う。
「節分に煎り豆を撒く理由も諸説ありますし――煎り豆を撒く理由は、単純に撒いた後の豆から芽が出ては困るっていう理由らしいですけど」
 そう言って女将は笑う。
「この星を作った神様が反逆にあって、世界の丑寅の方角の鬼門にある日本に押し込められたっていう伝説があったりもするんだ。神様が押し込められた時にかけられた言葉が『煎り豆に花が咲く迄出てくるな』だったとか」
 それって永遠に出てくるなって意味で、酷い呪いの言葉である。
「…なんか、他にも節分や鬼に関していろいろありそうですね」
 鰯の塩焼きを食べながら私がそう言うと、女将が思い出したように「節分と言えば恵方巻よね」と言い出した。それを耳にした天狗さんが苦い顔になる。
「恵方巻の由来はね…元々は船場の旦那衆のお座敷遊びなんですよ」
「お座敷遊び?」
 節分と何のかかわりが無いような話を聞いて私と女将は顔を見合わせる。
「正月が終わってお祝い事や行事が減る二月になると、巻き寿司なんかに使う海苔やかんぴょうなんかの乾物の売り上げが落ちるんですよ。売り上げを上げる為の方法がないかと昭和40年代の末ぐらいだったかな? 当時の浪速の商工会の会長に問屋さんたちが相談したところ、その会長が船場の旦那衆のお座敷遊びを思い出して、その遊びを縁起物として広めたらどうだと提案したのがきっかけで…」
「お座敷遊びって私よくわからないんだけど、どんな遊びだったんですか?」
 女将に尋ねられて天狗さんは少し困った顔になったが、お座敷遊びの内容を教えてくれた。
「お座敷遊びで芸者さんに太巻きを丸かぶりさせたんだ…そのおちょぼ口で太巻きを咥える姿を見てエッチな想像をして楽しむ為に…」
「下品な遊びと縁起物に何の関係が?」
「子孫繁栄から、家運隆盛ってとこかな?」
「…」
 それを聞いた女将は黙り込んで自分の眉間にそっと手を当てた。
「土用の丑の日も同じような理由で、夏の鰻は冬が旬の鰻に比べて脂が乗っていないので売れなかったんだけど、売上を上げる案が無いかと相談された平賀源内が、土用の丑の日には『ウ』がつくものを食べると滋養強壮にいいという言い伝えがあるから、それを宣伝すればいいというアドバイスした所からきているからね」
 我々はその宣伝文句に乗せられ続けている訳である。
「恵方巻は鬼の金棒に似ているから、それを食べて強くなるって話を信じていたのに」
 不満そうに女将が口を尖らせて抗議する。
「それだと一本食べ終わるまで喋ってはいけないっていうルールの説明がつかないだろ?」
「あ~、元々が性行為に見立てているから、咥えて喋るとナニに歯をたてる事になりますもんね」
 男性としては想像するだけで痛い話である。
「その話が本当なら、どうして今まで聞いた事無かったのかしら?」
「売上アップの為のイベントの性質上、本当の話の説明をチラシなんかに記載する訳にはいかないし、知っていても子供に恵方巻の由来を訊かれたら親はどう答えたらいいんですか?」
「…確かに」
 納得したのか女将は深いため息を吐き、小料理屋の店内に気まずい空気が流れる。
 私と天狗さんも黙ったまま熱燗を飲んでいると、小僧さんがやってきた。
「あ、女将、みんなで食べようと思って持ってきました」
 と、明るく小僧さんはそう言うとビニール袋に入れられた紙包を手渡した。礼を言って受け取った女将はその中身を確かめると3本の太巻きが入っていた。
「…恵方巻」
 女将がそう呟きながら複雑そうな表情を浮かべる。
「今日、節分ですから…3本じゃ足りなかったですね」
 事情を知らない小僧さんが明るくそう言うと、女将はショーケースから大きいタッパーを取り出した。
「大丈夫。私も何本か作ったから」
「さすが女将」
 行事食を大切にする女将なのは知っていたが、恵方巻の由来を知ってしまったので、出しそびれていたようだった。
「今からみんなにお出しするわね」
 そう言うと女将は恵方巻を輪切りにし始めた。
「え? 恵方巻はまるかぶりしないと…」
「みんなで頂くんだから、輪切りにしたら違う中身の太巻きを公平に分けられるでしょ?」
 小僧さんの言葉を女将は軽くいなしてにっこりと微笑む。
「…ナニを輪切り…鬼だな」
 天狗さんが女将に聞こえない様な小声で笑いを含んだ呟きをもらす。
「何か言ったかしら?」
 どうやら天狗さんの呟きは聞こえていたらしく、女将が天狗さんを見る。
「…いえいえ、女性はみんなカミさんですから」
「カミさんは神さんだもんね。神様は鬼だから、結婚式の時に女性を角隠しをするの」
 とぼけた天狗さんに女将が笑いながら言葉を返した。そんな言霊遊びをする二人を小僧さんはきょとんとした顔で見ている――先ほどの話を聞いていなかったし、日本の古い文化を知らなければ訳の分からない会話なので、きょとんとするのも無理はない。
「子孫繁栄は生き物の本能だけど、無節操でいたらカミさんが鬼に変身してちょん切っても知らないわよ」
 包丁を握りしめてにっこり笑う女将の言葉を聞いて、私と天狗さんは思わず自分の股間を抑えて震え上がった。
――世の中の女性たちは皆、福ならぬ、神と鬼を内包している存在なのかもしれない。
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