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~雪だるまさんが転んだ~
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地球温暖化が叫ばれて久しい近年だったが珍しく雪が降り続いていた。
いつもならすぐ解ける雪だったが、その日の大粒の雪はみるみる積もってゆき、降り出して数時間もしないうちに街は白銀の世界に姿を変えていた。
雪慣れしている地域ならいざ知らず、積雪が数センチになるだけで都市機能がマヒする都会では、あちらこちらでトラブルが発生するのがいつもの事である。
大雪警報が発令され、交通機関も計画運休が発表されたので早めの退社になった私だったが、真っ直ぐ帰宅せずにいつものように途中下車して、いなり横丁へ向かった。
見返り坂も雪化粧して、見慣れた街並みもいつもと違う印象感じる。歩道の真ん中は雪が踏み固められており、坂道なのも相まって滑って転倒する者の姿もあちらこちらで見られた。私もいつもより歩くペースを落として慎重に坂道を下ってゆく。
10センチ以上あると思われる雪が積もったおいなり様のお社を見ながら角を曲がると、白く装いを変えたいなり横丁の街並みが視界に入ってきた。
「こりゃすごい」
普段でも高度成長期の頃にタイムスリップした錯覚を覚える横丁の街並みなのだが、雪化粧したせいか、生け垣に咲く山茶花の赤い花がひときわ引き立って、まるで真っ白な壁に赤い水玉模様が描かれた回廊に迷い込んだ気分になる。
赤い水玉の回廊を通り抜けると静かな町屋が並ぶ景色に変わった。大雪のせいか行きかう人は少なく、白の世界に浮かび上がる町家の風景はいつもとは違う風情を醸し出している。横丁の通りの方は足跡が付けられていない新雪の場所も多く、私が新雪に足を踏み入れると圧雪する音と感覚が足裏から伝わってくる。
「長靴履いてきたら来たら良かったかなぁ」
雪が靴の中に入ったらしく溶けた雪で靴下がかなり濡れている感覚が気持ち悪くて、私はひとりそんな事を呟きながら歩き続けていた。
「…あ、今日は臨時休業かな?」
いつもの小料理屋の店の前に来たものの、まだ早い時間だからか格子戸の前に暖簾はかかっておらず、店の中で女将が開店前の仕込みをしている気配は無かった。
いつもの開店時間まで待つか、諦めて帰宅するか迷っていると、何か動くものが私の視界の端に入った。
「…?」
私は気になってそちらの方へ視界を向けて、動いたものの正体を見極めようと目を凝らす。最初野良猫でもいるのかと思ったのだが、見る限り生き物の姿はそこになかった。
「気のせいか…」
そう呟いた私の視界の端に再び小さな何かが動くのが見えた。特に急ぐ用事もない私はその動くものの正体が気になって、その何かが消えた通りの奥の方へ歩み寄る――通りの奥は角になっていて、大人ひとり通り抜けられる細い通路が奥に続いていた。
奥に進むかどうしようかと悩んでいると、通路の先の地面から30センチぐらいの場所は揺らめくのが見えた。雪道になっていて真っ白でわかりにくいが、気になっている動く何かもまた白いせいで保護色になっているらしい事に気が付く。
正体がわかった訳ではないが、身体は大きくない様なので危険ではないだろうと判断した私は謎の正体を見極める為にその後を追った。
地面に近い場所の揺らぎに見えるものを頼りに、私は細い通路の奥へどんどんと進んでいった――すぐに行き止まりになってもおかしくない様な通路なのに、その時の私は何故か何の疑問を持つことはなかった。
揺らぎの後を追った私は、気が付くと細い通路から突然開けた場所に飛び出していた。
「…え?」
いきなり風景が変わり、私はぽつんと大雪原に立っている事に気が付いて言葉を失う。
自分がどこにいるのかさえ分からず、見渡す限りひとっ子ひとりどころか、建物ひとつ無い事に気が付いて強い不安感に襲われる。
慌てて来た道を振り返ったが、通ってきたはずの細い通路は影も形も無かった。
「…これは非常にマズい」
通いなれている横丁だったが、たまに不思議な事が起こる場所であるのを思い出して私はその場に立ち尽くす。
――その時、大雪原自体が大きく揺らめいた。
大きな揺らぎが少しずつ焦点を結んでゆき、その形が私の目にもはっきりと認識できるようになり、私は声にならない声を上げた。
――揺らぎの正体は雪だるまで、それだけなら可愛いと言えるのだが、大雪原いっぱいに大小様々な雪だるまが立ち並んでいる姿はまるで樹氷の様で、かなり神秘的とも怪奇的ともいえる光景である。しかも樹氷は動かないがこの場所にいる雪だるま達は自由に動き回っていた。
「…夢と思いたい」
私は自分の頬を強くつねってみると…痛かった。
勘弁してほしいと思いながらため息をついて空を見上げた私の前へ、小さな雪だるまが一体進み出てくる。何が起こるかと身構える私の頭に言葉の様なものが流れ込んできた。
「…私を追いかけていた人間ですね」
「…」
私は揺らぎを追っていただけだが、どうやら私が追っていた揺らぎの正体はこの30センチぐらいの小さな雪だるまだったらしい。返事に困っていると、そいつは構わずさらにメッセージを送ってくる。
「ここは人間が来る場所ではありません。速やかに元の世界にお帰り下さい」
「帰れって言われても…」
帰りたいのはやまやまだが帰り方がわからない。返事に窮していると小雪だるまは「早く帰らないと扉が閉まってしまいます」と言い出した。
何の扉なのかはわからないが、それが閉まるとさらにマズい事になる事だけは間違いないと、私の直感が警報を鳴らす。困った私は小雪だるまに帰り方を訊ねる事にした。
「——私ではわからないので親方様なら知っているかも…」
「その親方様はどこに?」
問いかけた私に小雪だるまは案内すると言って動き始めた。慌てて私はその後を追う。立ち並ぶ雪だるま達の間を抜け、しばらく歩くと小雪だるまが停止した。その前にバケツを被った大きな雪だるまが立っている。
「こちらが親方様です」
小雪だるまの前に私は歩み出ると、大雪だるまに一礼して頭を下げた。
「初めまして…私は誤ってこの世界に迷い込んだみたいなので元の世界に戻りたいのですが、帰る方法をご存知でしたら教えて頂きたいのですが…」
そんな私の言葉に大雪だるまはゆらりと大きな体を揺らして私の方へ向き直った。
「人間よ…私にそれを教える義理はない」
そんな…という言葉を飲み込んで、私は大雪だるまにではこの世界に私が留まっても良いのかと尋ねると、大雪だるまは少し考えるような様子になったあと、おもむろに「この世界は強いものに従うという掟がある――私に勝って、お前がそれを望むのならそれに従おう」と伝えてきた。
「強いものを決めるのはどんな方法で?」
永遠に人間世界に戻れないのは勘弁こうむりたいので、私は大雪だるまに尋ねると意外な言葉が返ってきた。
「勝負はだるまさんが転んだで」
…何の冗談だろうかと思いながら私が黙っていると、大雪だるまはだるまさんが転んだで私と勝負すれば教えてやろうと繰り返した。
「私は構いませんが、どちらが鬼ですか?」
平和的な勝負そうなので私が了承すると、大雪だるまは腕代わりの木の枝で私を指示した。木の枝の手ではじゃんけんが出来ないのは仕方がないので、私は素直にそれに従う。
「場所はここでですか?」
私が訊ねると、大雪だるまが指示をしたのか、他の雪だるま達が一斉に動いて、あっという間にちょっとした広場が出来た。
「お前はあっちの端だ」
大雪だるまに指示されるまま、私は大雪だるまのいる場所から広場の反対側へ移動する。広場を囲むように立ち並ぶ雪だるまに見守らる様に、私と大雪だるまの奇妙な勝負が始まった。
「だるまさんが…こ…ろ…んだっ」
お決まりの言葉を口にしながら、私は勢いよく振り返ると、大雪だるまの位置は先程より少し私に近ずいていた――一応、大雪だるまも動くことはできるらしい。それを確認すると私は再び大雪だるまに背を向け、勝負の続きを始める。
「だる…ま…」
私の背後で何やら動く気配を感じる。
「さんが…転んだっ」
勢いよくふり向くと、広場には大雪だるま以外に他の雪だるま達が数体参加するように増えていた。
「あの…なんか増えてるんですけど」
「気にするな。勝負はあくまで私とお前の勝負だ」
「…わかりました」
言い争っても仕方がないので、私は再び勝負を再開する。
「だ~る~まさんがこ…ろんだっ」
何やら私の背後で蠢くような気配がしてふり向くと、大雪だるまは少し私との距離を詰めて、さらに他の雪だるまの数が増えていた。
何だかなぁ…と思いながら私は再び彼らに背を向け決まり言葉のリズムを変える。何度も繰り返しているうちに大雪だるまとの距離が詰まってくる。飛び込み参戦の他の雪だるま達の中には私の背後1メートルまで迫っているものもいる。
――このまま負ける訳にはいかないので、私は早口で言葉を唱え終わると同時に勢いよく振り返った。それに驚いたのか、私から一番近い場所にいた雪だるまがバランスを崩したのか地面に転がる。
「そこアウト」
私が転がった雪だるまを指さすと、それの形が崩れて地面の雪と一体化した。
「――親方様が負けてただの雪に戻るって事は…」
不安に駆られた私が大雪だるまに尋ねると約束は守るという返事が返ってきた。一抹の不安はあったが、そのまま勝負を続行する。
「だるまさんが転んだっ」
どんどん雪だるま達と私の距離が迫ってきているので、私は早口でまくしたて、素早く振り返るのを繰り返す。それを何度かやっていたのだが、突然だるまさんが転んだ対決は終わりを迎えた。
――大雪だるまの前にいた雪だるま達がいたのだが、容易に前に進めなくなった為にちょっとした密集状態になっていた。そのなかの一体が停止できなかったのかバランスを崩して後ろへ倒れ、それがさらに後ろにいたものを倒し…そのままパタパタと後ろへ将棋倒しになる。そしてそれに大雪だるまも巻き込まれた。勢いがついていたからか、大雪だるまの体が揺れる。
「そこアウト」
すかさず私が大雪だるまを指さすと、大雪だるまはゆっくりと崩れ去り、5体の小さな雪だるまに分かれ、被っていたバケツが地面に転がった。
「親方様どれ⁈」
慌てて私は分裂した元大雪だるまのところに走り寄り叫んだ。そんな私から逃げるように分裂した雪だるまは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。このまま逃がす訳にはいかない私は一体一か八かでターゲットを決め、必死でその後を追った。
「約束が違うじゃないですか!」
ちょっとした鬼ごっこの末、なんとか一体の元大雪だるまだった雪だるまを捕まえて、私は抗議の声を上げる。
「私が勝てば元の世界に帰る方法を教えるって約束ですよね」
「教える必要はない」
「え?」
「もう戻ってきているのだから…」
そう言うと、私ががっちり抱え込んでいた雪だるまは崩れ去った。
どういう事かと問おうとした私だったが、いつの間にか自分の周りの風景が雪原ではない事に気が付いた。私のすぐ前には赤い椿の生け垣が立ち並んでいた。
「…ここ…おいなり様の傍の…」
周囲をみまわすと見覚えのある風景である。そこは横丁に入る時に見た赤い椿の回廊のど真ん中だった。
いつの間にか雪は止み、積もっていた雪も解け始めている。とにかく見慣れた風景の世界に戻って来れたようだった。
その場にへたり込みたい気持ちだったが、どのくらい雪だるまの世界にいたのかわからないので、私はそれを確認する為に再び小料理屋へ向かった。
「いらっしゃい」
小料理屋の暖簾をくぐると女将がいつもの様に出迎えてくれた。
「…あの、いま何月何日何曜日でしょうか?」
「?」
私の質問に女将は不思議そうな表情を浮かべながらも答えてくれる。――その日付は雪だるまの世界に迷い込む前と同じだった。
それを聞いて私はホッとしたのか崩れ落ちる様に椅子に座り込んだ。
「すごく疲れてるみたいだけど、大雪そんなに大変だった?」
おしぼりを私に差し出しながら女将が私の顔を覗き込む。
「いろいろありまして…」
私は元にいた世界に戻ってきた喜びを噛み締めながら、自分が体験したばかりの不思議な話を語り始めた。
いつもならすぐ解ける雪だったが、その日の大粒の雪はみるみる積もってゆき、降り出して数時間もしないうちに街は白銀の世界に姿を変えていた。
雪慣れしている地域ならいざ知らず、積雪が数センチになるだけで都市機能がマヒする都会では、あちらこちらでトラブルが発生するのがいつもの事である。
大雪警報が発令され、交通機関も計画運休が発表されたので早めの退社になった私だったが、真っ直ぐ帰宅せずにいつものように途中下車して、いなり横丁へ向かった。
見返り坂も雪化粧して、見慣れた街並みもいつもと違う印象感じる。歩道の真ん中は雪が踏み固められており、坂道なのも相まって滑って転倒する者の姿もあちらこちらで見られた。私もいつもより歩くペースを落として慎重に坂道を下ってゆく。
10センチ以上あると思われる雪が積もったおいなり様のお社を見ながら角を曲がると、白く装いを変えたいなり横丁の街並みが視界に入ってきた。
「こりゃすごい」
普段でも高度成長期の頃にタイムスリップした錯覚を覚える横丁の街並みなのだが、雪化粧したせいか、生け垣に咲く山茶花の赤い花がひときわ引き立って、まるで真っ白な壁に赤い水玉模様が描かれた回廊に迷い込んだ気分になる。
赤い水玉の回廊を通り抜けると静かな町屋が並ぶ景色に変わった。大雪のせいか行きかう人は少なく、白の世界に浮かび上がる町家の風景はいつもとは違う風情を醸し出している。横丁の通りの方は足跡が付けられていない新雪の場所も多く、私が新雪に足を踏み入れると圧雪する音と感覚が足裏から伝わってくる。
「長靴履いてきたら来たら良かったかなぁ」
雪が靴の中に入ったらしく溶けた雪で靴下がかなり濡れている感覚が気持ち悪くて、私はひとりそんな事を呟きながら歩き続けていた。
「…あ、今日は臨時休業かな?」
いつもの小料理屋の店の前に来たものの、まだ早い時間だからか格子戸の前に暖簾はかかっておらず、店の中で女将が開店前の仕込みをしている気配は無かった。
いつもの開店時間まで待つか、諦めて帰宅するか迷っていると、何か動くものが私の視界の端に入った。
「…?」
私は気になってそちらの方へ視界を向けて、動いたものの正体を見極めようと目を凝らす。最初野良猫でもいるのかと思ったのだが、見る限り生き物の姿はそこになかった。
「気のせいか…」
そう呟いた私の視界の端に再び小さな何かが動くのが見えた。特に急ぐ用事もない私はその動くものの正体が気になって、その何かが消えた通りの奥の方へ歩み寄る――通りの奥は角になっていて、大人ひとり通り抜けられる細い通路が奥に続いていた。
奥に進むかどうしようかと悩んでいると、通路の先の地面から30センチぐらいの場所は揺らめくのが見えた。雪道になっていて真っ白でわかりにくいが、気になっている動く何かもまた白いせいで保護色になっているらしい事に気が付く。
正体がわかった訳ではないが、身体は大きくない様なので危険ではないだろうと判断した私は謎の正体を見極める為にその後を追った。
地面に近い場所の揺らぎに見えるものを頼りに、私は細い通路の奥へどんどんと進んでいった――すぐに行き止まりになってもおかしくない様な通路なのに、その時の私は何故か何の疑問を持つことはなかった。
揺らぎの後を追った私は、気が付くと細い通路から突然開けた場所に飛び出していた。
「…え?」
いきなり風景が変わり、私はぽつんと大雪原に立っている事に気が付いて言葉を失う。
自分がどこにいるのかさえ分からず、見渡す限りひとっ子ひとりどころか、建物ひとつ無い事に気が付いて強い不安感に襲われる。
慌てて来た道を振り返ったが、通ってきたはずの細い通路は影も形も無かった。
「…これは非常にマズい」
通いなれている横丁だったが、たまに不思議な事が起こる場所であるのを思い出して私はその場に立ち尽くす。
――その時、大雪原自体が大きく揺らめいた。
大きな揺らぎが少しずつ焦点を結んでゆき、その形が私の目にもはっきりと認識できるようになり、私は声にならない声を上げた。
――揺らぎの正体は雪だるまで、それだけなら可愛いと言えるのだが、大雪原いっぱいに大小様々な雪だるまが立ち並んでいる姿はまるで樹氷の様で、かなり神秘的とも怪奇的ともいえる光景である。しかも樹氷は動かないがこの場所にいる雪だるま達は自由に動き回っていた。
「…夢と思いたい」
私は自分の頬を強くつねってみると…痛かった。
勘弁してほしいと思いながらため息をついて空を見上げた私の前へ、小さな雪だるまが一体進み出てくる。何が起こるかと身構える私の頭に言葉の様なものが流れ込んできた。
「…私を追いかけていた人間ですね」
「…」
私は揺らぎを追っていただけだが、どうやら私が追っていた揺らぎの正体はこの30センチぐらいの小さな雪だるまだったらしい。返事に困っていると、そいつは構わずさらにメッセージを送ってくる。
「ここは人間が来る場所ではありません。速やかに元の世界にお帰り下さい」
「帰れって言われても…」
帰りたいのはやまやまだが帰り方がわからない。返事に窮していると小雪だるまは「早く帰らないと扉が閉まってしまいます」と言い出した。
何の扉なのかはわからないが、それが閉まるとさらにマズい事になる事だけは間違いないと、私の直感が警報を鳴らす。困った私は小雪だるまに帰り方を訊ねる事にした。
「——私ではわからないので親方様なら知っているかも…」
「その親方様はどこに?」
問いかけた私に小雪だるまは案内すると言って動き始めた。慌てて私はその後を追う。立ち並ぶ雪だるま達の間を抜け、しばらく歩くと小雪だるまが停止した。その前にバケツを被った大きな雪だるまが立っている。
「こちらが親方様です」
小雪だるまの前に私は歩み出ると、大雪だるまに一礼して頭を下げた。
「初めまして…私は誤ってこの世界に迷い込んだみたいなので元の世界に戻りたいのですが、帰る方法をご存知でしたら教えて頂きたいのですが…」
そんな私の言葉に大雪だるまはゆらりと大きな体を揺らして私の方へ向き直った。
「人間よ…私にそれを教える義理はない」
そんな…という言葉を飲み込んで、私は大雪だるまにではこの世界に私が留まっても良いのかと尋ねると、大雪だるまは少し考えるような様子になったあと、おもむろに「この世界は強いものに従うという掟がある――私に勝って、お前がそれを望むのならそれに従おう」と伝えてきた。
「強いものを決めるのはどんな方法で?」
永遠に人間世界に戻れないのは勘弁こうむりたいので、私は大雪だるまに尋ねると意外な言葉が返ってきた。
「勝負はだるまさんが転んだで」
…何の冗談だろうかと思いながら私が黙っていると、大雪だるまはだるまさんが転んだで私と勝負すれば教えてやろうと繰り返した。
「私は構いませんが、どちらが鬼ですか?」
平和的な勝負そうなので私が了承すると、大雪だるまは腕代わりの木の枝で私を指示した。木の枝の手ではじゃんけんが出来ないのは仕方がないので、私は素直にそれに従う。
「場所はここでですか?」
私が訊ねると、大雪だるまが指示をしたのか、他の雪だるま達が一斉に動いて、あっという間にちょっとした広場が出来た。
「お前はあっちの端だ」
大雪だるまに指示されるまま、私は大雪だるまのいる場所から広場の反対側へ移動する。広場を囲むように立ち並ぶ雪だるまに見守らる様に、私と大雪だるまの奇妙な勝負が始まった。
「だるまさんが…こ…ろ…んだっ」
お決まりの言葉を口にしながら、私は勢いよく振り返ると、大雪だるまの位置は先程より少し私に近ずいていた――一応、大雪だるまも動くことはできるらしい。それを確認すると私は再び大雪だるまに背を向け、勝負の続きを始める。
「だる…ま…」
私の背後で何やら動く気配を感じる。
「さんが…転んだっ」
勢いよくふり向くと、広場には大雪だるま以外に他の雪だるま達が数体参加するように増えていた。
「あの…なんか増えてるんですけど」
「気にするな。勝負はあくまで私とお前の勝負だ」
「…わかりました」
言い争っても仕方がないので、私は再び勝負を再開する。
「だ~る~まさんがこ…ろんだっ」
何やら私の背後で蠢くような気配がしてふり向くと、大雪だるまは少し私との距離を詰めて、さらに他の雪だるまの数が増えていた。
何だかなぁ…と思いながら私は再び彼らに背を向け決まり言葉のリズムを変える。何度も繰り返しているうちに大雪だるまとの距離が詰まってくる。飛び込み参戦の他の雪だるま達の中には私の背後1メートルまで迫っているものもいる。
――このまま負ける訳にはいかないので、私は早口で言葉を唱え終わると同時に勢いよく振り返った。それに驚いたのか、私から一番近い場所にいた雪だるまがバランスを崩したのか地面に転がる。
「そこアウト」
私が転がった雪だるまを指さすと、それの形が崩れて地面の雪と一体化した。
「――親方様が負けてただの雪に戻るって事は…」
不安に駆られた私が大雪だるまに尋ねると約束は守るという返事が返ってきた。一抹の不安はあったが、そのまま勝負を続行する。
「だるまさんが転んだっ」
どんどん雪だるま達と私の距離が迫ってきているので、私は早口でまくしたて、素早く振り返るのを繰り返す。それを何度かやっていたのだが、突然だるまさんが転んだ対決は終わりを迎えた。
――大雪だるまの前にいた雪だるま達がいたのだが、容易に前に進めなくなった為にちょっとした密集状態になっていた。そのなかの一体が停止できなかったのかバランスを崩して後ろへ倒れ、それがさらに後ろにいたものを倒し…そのままパタパタと後ろへ将棋倒しになる。そしてそれに大雪だるまも巻き込まれた。勢いがついていたからか、大雪だるまの体が揺れる。
「そこアウト」
すかさず私が大雪だるまを指さすと、大雪だるまはゆっくりと崩れ去り、5体の小さな雪だるまに分かれ、被っていたバケツが地面に転がった。
「親方様どれ⁈」
慌てて私は分裂した元大雪だるまのところに走り寄り叫んだ。そんな私から逃げるように分裂した雪だるまは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。このまま逃がす訳にはいかない私は一体一か八かでターゲットを決め、必死でその後を追った。
「約束が違うじゃないですか!」
ちょっとした鬼ごっこの末、なんとか一体の元大雪だるまだった雪だるまを捕まえて、私は抗議の声を上げる。
「私が勝てば元の世界に帰る方法を教えるって約束ですよね」
「教える必要はない」
「え?」
「もう戻ってきているのだから…」
そう言うと、私ががっちり抱え込んでいた雪だるまは崩れ去った。
どういう事かと問おうとした私だったが、いつの間にか自分の周りの風景が雪原ではない事に気が付いた。私のすぐ前には赤い椿の生け垣が立ち並んでいた。
「…ここ…おいなり様の傍の…」
周囲をみまわすと見覚えのある風景である。そこは横丁に入る時に見た赤い椿の回廊のど真ん中だった。
いつの間にか雪は止み、積もっていた雪も解け始めている。とにかく見慣れた風景の世界に戻って来れたようだった。
その場にへたり込みたい気持ちだったが、どのくらい雪だるまの世界にいたのかわからないので、私はそれを確認する為に再び小料理屋へ向かった。
「いらっしゃい」
小料理屋の暖簾をくぐると女将がいつもの様に出迎えてくれた。
「…あの、いま何月何日何曜日でしょうか?」
「?」
私の質問に女将は不思議そうな表情を浮かべながらも答えてくれる。――その日付は雪だるまの世界に迷い込む前と同じだった。
それを聞いて私はホッとしたのか崩れ落ちる様に椅子に座り込んだ。
「すごく疲れてるみたいだけど、大雪そんなに大変だった?」
おしぼりを私に差し出しながら女将が私の顔を覗き込む。
「いろいろありまして…」
私は元にいた世界に戻ってきた喜びを噛み締めながら、自分が体験したばかりの不思議な話を語り始めた。
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