15 / 33
~運動会と青いみかん~
しおりを挟む
天高く馬肥ゆる秋。
秋晴れが続いて非常に過ごしやすい気候になってきたせいか、各地でさまざまなイベントが行われていた。
食欲の秋。芸術の秋。読書の秋。運動の秋。
いなり横丁の外れに小さな小学校があり、そこでは秋の運動会が開催されていた。
その小学校の名は九十九小学校といい、その学校の歴史は意外にも古く、江戸時代末期の寺小屋まで遡る事ができた。昭和の時代で刻が止まっているのはこの小学校も例外ではなく、校舎は現代では珍しい木造である。少子化の影響はこの学校も受けていたが、学校の統廃合の話が出た時に歴史のある学校を無くすのはどうかという事で、隣の新しい学校を合併吸収する形で奇跡的に今も残っていた。
九十九小学校では万国旗がはためき、校庭にはティッシュペーパーで作られた造花で飾り付けられた入場門や退場門が設置されている。
校庭に描かれた生石灰の白線トラックを取り囲むように、保護者や付近住民が場所取りの為に敷いたレジャーシートなどが並んでいた。
「運動会の光景は今も昔も変わらないなぁ」
私は周囲を見回してそんな感想をもらした。
私がここにいるのは、この小学校にお孫さんが通っている布袋さんから運動会の応援に来ないかとお誘いを受けたからである。
「カメラはコンパクトのフィルムカメラやホームビデオカメラじゃなく、スマホに変わったけれどね」
そう言って布袋さんが笑う。
この横丁にも時代の変化がわずかではあるが、少しずつ入ってきているのは間違いが無いようだった。
「私が子供の頃は家庭用のビデオカメラも無かったですけどね」
テレビ番組を録画するビデオデッキだって、私が中学生ぐらいの頃にようやく家庭に普及し始めていた時代である。しかもVHR形式とβ形式が混在していた為、レンタルビデオ屋には同じ映画などの作品が両方並んでいたという思い出があった。
「僕の頃は白黒のフィルムの時代だったし、カメラを持っている家庭も少なかったけどね」
私より布袋さんの方が年上なので、育った環境の中にあった物に違いがあるようだった。
「高度成長期から80年代までの生活環境の変化ってすごかったですからねぇ」
「テレビも一般家庭には無かったから、世話役さんの家や街角テレビにプロレスや相撲を観る為によく行ってたよ」
懐かしそうに布袋さんはそう言うと、手提げ袋からビールや乾き物のおつまみなどを取り出し、ゴザの上に並べ始めた。
「まだ開会式も入場行進も始まってませんが…」
気が早すぎる飲兵衛をたしなめたが、布袋さんは悪びれる事無く「問題ない」と答えて、周囲を見るように私を促す。それに従って周囲を見回すとあちらこちらで一升瓶片手に既に飲み始めている光景が目に飛び込んできた。
「…まるでお祭りですね」
「運動会は子供たちの成長を祝うお祭りみたいなもんだよ」と答える布袋さんは私にも冷えたビール缶を手渡してきた。
「…いいのかなぁ」
私がビールを飲むのを躊躇していると、校庭のスピーカーから賑やかな行進曲が流れ始め、運動会の開始を周囲に知らせる為か、校庭の上空に打ち上げられた花火がパンパンと音をたてる。
「選手入場」
場内アナウンスの後、入場門から体操服にカラー帽子を被った小さな子供たちが行進してくる。どうやら学年順に入場してくるようだった。
「入場行進の後、開会宣言があって…来賓の挨拶…しばらく退屈だな」
運動会のプログラムをチェックしていた布袋さんはそう言うと、ビールのプルタブを引いた。
「うちの孫の最初の出番はプログラム3番の綱引きからだから、それまで暇だし飲もう」
布袋さんに促されて私もビールのプルタブを引くと乾杯する。
「青空の下で飲む酒は最高だなぁ」
満足そうに布袋さんはそう言うとスルメイカを食み始めた。
「お孫さんは何年生ですか?」
上機嫌な布袋さんに訊くと、六年生という答えが返ってきた。
「俺に似てハンサムだからモテるらしいよ」
似ているかどうかはわからないが、孫の自慢をする布袋さんは嬉しそうである。
「出番が来たら、どの子か教えてくださいね」
私がそう言うと布袋さんは頷いて再びビールを口を運ぶ――このペースだと午前中に出来上がりそうなと思わせる飲みっぷりだった。
運動会のプログラムには、児童たちの競技だけではなく、保護者や地域住民参加の綱引きや玉転がしなどがあり、時間が経つにつれ校庭ではお祭りムードが高まり始めていた。
「~障害物競走に参加される保護者の皆さんは、入場門にお集まり下さい」
そんなアナウンスが流れると、赤ら顔の布袋さんがおもむろに立ち上がると「ちょっくら行ってくるわ」と告げた。
「大丈夫ですか?」
既に数本のビールを飲んでいたのを知っていた私は心配になって尋ねたが、自称歩く酒樽の布袋さんは「まだ序の口」と答えて不敵な笑顔を浮かべると、集合場所へ足早に向かって行った。
大きなゴザの上で一人残される形になった私は荷物番を務めていたのだが、そこへ布袋さんの奥さんが体操服の少年を伴ってやってきた。
「あら、うちの人は?」
挨拶もそこそこに奥さんが周囲を見回して布袋さんの行方を訊いてきた。
「次の障害物競走に参加するみたいです」
私の言葉を聞いて奥さんは「荷物番させてごめんなさいね」と言うと、連れてきた少年に挨拶をするように促した。少年は予想通り布袋さんのお孫さんだった。
奥さんは持っていた風呂敷包をゴザの上へ置くと、そのままその場に腰を下ろし、その横にお孫君も座ると障害物競争の準備が進められている白線トラックの中に視線を向けた。
障害物競走はコースに平均台や網くぐりなどが設置されていて、走るスピードだけの勝ではないし、アクシデントが多発するので観客の方も見ていて楽しめる競技である。
選手入場のアナウンスと共に統一感のない大人たちが場内へ入って来ると、横5列でスタートラインに並んだ。
「じいちゃん…いた!」
お孫君が布袋さんを見つけたらしく、列の中ほどを指さした。出場者は比較的男性が多いようだったが、年齢はバラバラのようである。
スタートを告げるピストルが鳴らされると、先頭の列に並んでいた者たちが走り出した。早速、なにも無い場所で転ぶ者や平均台をおっかなびっくり渡る者、網くぐりでは選手たちが団子状態になり、その後の飴に待ち構えていたのは飴探し。金属バットの中に小麦粉と飴が入ってあり、顔を突っ込んで飴を探し出すというもの。顔中粉まみれになるので観客から笑いが起きる。次の障害物の跳び箱を飛んでから、最後はロープから吊るされたアンパンを口で取って咥えてゴール。手が使えないのでなかなかパンを咥える事が出来ず、四苦八苦する姿に観客席から再び声援と笑いが起きた。
まさに昭和の運動会の再現フィルムの様な光景である。
私が懐かしいものを見たような気持でいると、お孫君が布袋さんのスタートを教えてくれた。
開会式からお酒を飲んでいる布袋さんはやはり酔いが回っているらしく、その足取りが危なっかしかった。
「あらやだ、あの人、千鳥足じゃない」
奥さんが布袋さんの挙動を見てすぐに酔っている事に気が付いたようだった。
「でも、じいちゃん早いよ」
お孫君が言う通り、布袋さんはどんな魔法を使っているのかと思うぐらい、ふらふらしているのに軽やかに障害を突破して先へ進んでいた。その姿はまるで映画の酔拳の主人公のようである。
障害物競争が終わって布袋さんが戻ってきたが、奥さんとお孫君の対応は正反対だった。奥さんは布袋さんが朝から大酒を飲んでいる事を咎め、お孫君は先頭集団でゴールした布袋さんを目をキラキラさせながら褒めたたえる。肝心の布袋さんは奥さんのお小言には慣れている様子で聞き流しながら粉まみれの顔をおしぼりで拭うと、お孫君にニカっと笑顔を見せた。
「じいちゃんもなかなかやるだろう」
「すげぇや、じいちゃん」
そんなお孫君が可愛くて仕方が無いのか、布袋さんはお孫君を抱き締める。しかしお孫君は布袋さんの腕の中で「…酒臭い」と抗議すると、その腕の中から逃げ出して自分のクラス席へ戻っていった。
「ほらみなさい」
その様子を見ていた奥さんはそう言うと、お小言を再開する。
――布袋さんの奥さんとは何度かお会いしたことがあるが、ずっと布袋さんに対してはお小言を言っている気がする。布袋さんは横丁の酒屋の主人で、店は角打ちもやっているがそこは奥さんに任せっきりで飲むのはもっぱら小料理屋だった。自分の店で飲まないのは奥さんのせいではないかと思ってしまう。
「あいつの次の出番は昼からだな…」
お小言は馬耳東風といった様子で布袋さんはプログラムに目を落すと、新しいビールの封を切った。そんな布袋さんに何を言っても無駄と思ったのか奥さんがお小言をやめて、新しい冷えたビールを手に取ると微笑みながら私に渡してきた。断りにくい雰囲気があったので、私は礼を言ってそれを受け取る。
「もうすぐお昼だし、おつまみ代わりにたくさん食べてね」と奥さんはそう言うと、風呂敷の中から重箱を取り出して並べ始めた。重箱の蓋を取ると、中には数種類のおにぎり、赤いウインナー、たまご焼き、唐揚げ、煮ものなどがびっしりと詰め込まれていた。
「…これもあるわよ」
そう言いながら奥さんが取り出したのは青いみかんだった。
「懐かしいですね。運動会といえば、やっぱり青くて酸っぱいみかんでしたよね」
あまりの懐かしさに私は思わず歓喜の声をあげてしまった。
秋の運動会や遠足にかならず食べたのが青くて酸っぱいみかんだった。考えてみれば現在の様な甘いみかんは冬にならないと食べられなかったような気がする。
「…あと、お酒と同量のお水も飲まないと身体に悪いわよ」
そう言いながら奥さんが水筒から麦茶を紙コップに注いで渡してくれた。よく見るとその水筒は中がガラスの魔法瓶だった。
「ガラスの魔法瓶…よく今迄残ってましたね」
最近の魔法瓶はステンレス製なので落としても割れないが、私が子供の頃は中がガラスだったので、衝撃を与えると魔法瓶の中は割れたガラスだらけになるという代物で、私も何度か水筒を落としてダメにした記憶があった。
「うちの蔵から出てきたのよ。使わないと勿体ないから…」
そう言いながら奥さんはにっこりと笑う――お小言さえなければ、奥さんは美人な女性だし料理も上手なのに…と思いながら私は重箱からタコとカニの飾り切りが施されたウインナーを取り皿に取った。
午前中のプログラムが終了してお昼休憩に入ると、子供たちが保護者達がいる席にそれぞれお昼を食べにやってきた。布袋さんのお孫君も私たちの居る所まで来ると、運動靴を脱いでゴザに上がると、祖父母の間にちょこんと座る。
お孫君はお腹を空かしていたのか、ガツガツとおにぎりや唐揚げを食べ始めた。
「良く噛んで食べなきゃダメだぞ」
そう言いながら布袋さんは優しい目でお孫君を見る。
周囲も一斉にお弁当を広げて昼ご飯の時間が始まった。
ごはんを食べた後は青いみかんやリンゴ、柿などを食べる保護者の周りで、子供たちが鬼ごっこなどの遊びを始める光景も昔ながらのものだった。
「…良かったらどうぞ」
隣からお菓子類がおすそ分けをもらったり、そのお返しをするといった和やかな時間が流れる。
「僕、そろそろ戻るね」
お孫君がカラー帽子を被ると、クラスの方へ戻ってゆく。どうやら午後のプログラムの最初に彼の出番があるらしかった。
ビール片手に柿の種をつまんでいると、午後のプログラムの開始を告げるアナウンスが流れてきた。どうやらお孫君が出場するのは騎馬戦のようだった。
東西陣営の中からお孫君の姿を探すと、東軍の騎馬列の中に彼の姿があった。お孫君は騎馬の上に乗っていた。頭に巻いた鉢巻姿がなかなか凛々しい。
開始の合図とともに騎馬戦が開始され、両軍入り混じっての激しい戦いが繰り広げられる。お孫君の騎馬は土台のメンバーの体格が良いせいか、ぶつかり合いをしても揺らぐことが無くなかなか強かった。
「後ろ!」「行け!」「危ない」などと布袋さんがしきりに声援を送る。いくら騎馬が強くても乗っている者の鉢巻が獲られるとそこで終わりになってしまうので、鉢巻の取り合いの駆け引きは見ていても面白い。
結局、お孫君の騎馬は生き残ったが、終了時、東軍自体は生き残った数で敗北を喫した。結果はともあれ、彼らの健闘をたたえて両軍へ観客から彼らに拍手が送られる。最近は騎馬戦は争うことはいけない。怪我をしてはいけないと騎馬戦を行わない学校も多いらしいが、それはあまりにも過保護すぎるのではないか? と考えさせられる。騎馬に生き残る為の仲間達との作戦の相談や結束を学ぶ良い機会だと私は思うのだが…。
激しい攻防の後は、児童たちのフォークダンスだったので、緊張感があった校庭の雰囲気が一気に緩和される。
「~次は借り物競争」
そんなアナウンスと共に会場が盛り上がる競技が始まった。
コースの途中に置かれた紙に書かれた品目を調達してゴールを目指すのだが、妙な品目が記載されているのがこの競技の面白いところである。
「かつら貸して下さい」だの「おばあちゃん貸して下さい」と児童たちが叫んで回る度、観客席から笑いが起こった。そんな中、一人の紙を手にした少年が私たちのところへ走り寄ってくる。
「すみません、そこのおじさん、僕と来てください」
そう叫ぶように言うと布袋さんを指名した。戸惑いながら布袋さんは立ち上がると、少年と手を繋いでゴールの方へ走って行った。
「何が書いていたんでしょう?」
首を傾げる私に奥さんが「酔っぱらいかデブ…それともハゲかしら?」となかなか辛辣な言葉を口にする。
書かれていた条件と一致したのか布袋さんはゴールにいた審判員に認められ、しばらくすると戻ってきた。
「何て書いてあったの?」
何が書かれていたのか気になっていたらしく、奥さんが戻ってきた布袋さんに訊いた。
「ハゲって書いてあったよ」
布袋さんが笑いながら自分のスキンヘッドの頭をつるりと撫でる。それを聞いた奥さんが「ほらね」と勝ち誇った様な表情を浮かべた。
今なら「ハゲ」や「デブ」などはコンプライアンス的にどうかと、後で問題になりそうだが、昔はおおらかだったのか、よくある事だったし問題視されるような事はなかった。
「いよいよ運動会も終わりか…ラストはクラス対抗リレーだな」
運動会のプログラムの最後に盛り上がるのはやはりクラス対抗リレーである。各クラスの足の速い人間が選抜されてリレー形式で走るだけのシンプルな競技だが、速い速度で駆け抜ける姿は、見ている者を引き付ける魅力があった。
「お、うちのも走るぞ」
布袋さんは、校庭の真ん中で体育すわりをして出番を待っているお孫君を見つけると、嬉しそうに声をあげた。その声を聞いて私もそちらの方へ視線を向けると、お孫君はどうやらアンカーのようだった。
「へぇ、アンカーって事はかなり足が速いんですね」
「運動は得意とは聞いていたけど、アンカーか」
孫が可愛くて仕方がない布袋さんは満足げに何度も頷いて見せる。
リレーが始まると会場のあちらこちらから応援する声があがった。声援の中、各クラスの精鋭たちがバトンを握りしめてトラックを駆け抜けてゆく。バトンが次の走者に渡されるたびワッと声があがり、会場の興奮はアンカーの走者に渡った時にピークを迎えた。
お孫君は三番目の順位でバトンを受け取ったがそこからの快進撃がすごかった。韋駄天を彷彿させるような速度で先行する者たちとの距離をどんどん詰めてゆく。二番目走者を抜き去ってゴール直前でトップの走者と並んだ瞬間、感嘆の声と声援が観客から巻き起こった。そして両選手がほぼ同時にゴールテープを切った。
「鼻差か? 写真判定だな」
「競馬じゃないんだから」
興奮気味の布袋さんの言葉に奥さんがすかさずツッコミを入れる。
会場はシンと静まり返る中、審判員がゴールに歩み寄ると、お孫君の手を持って挙げた。その瞬間会場からどよめきが起きて、それは爆発的に歓声に変わった。布袋さんの可愛いお孫君はこの瞬間からこの運動会のヒーローになったのである。
「すごかったですね」
驚きの感想を漏らす私に、布袋さんは顔をくしゃくしゃにしながら喜び、ビールの缶を頭上に翳すと祝杯とばかりに一気にそれを飲み干した。
「帰ったら、お祝いの宴会だな」
さすが歩く酒樽。布袋さんはまだ飲む気らしい。そんな布袋さんの言葉を聞いた奥さんは「主役はあの子。あんたの為のお祝いじゃない」と言うと、手にしていたみかんを夫の口へねじ込んだ。酸味が強い青いみかんの味が布袋さんを現実へ引き戻したのか、みかんを飲み込むと肩を竦める。そんな布袋さんを横目に、周囲の観客たちと同じように奥さんは荷物をまとめ始めた。
賑やかで楽しい運動会も終わりの時を迎え、観客たちは興奮が残る校庭を後にする。
酔いがさめた布袋さんは祭りの後の様な状態になった校庭を見回すと、深くため息をついた。
――布袋さんの奥さんは青いみかんと同じで、甘くは無いようである。
秋晴れが続いて非常に過ごしやすい気候になってきたせいか、各地でさまざまなイベントが行われていた。
食欲の秋。芸術の秋。読書の秋。運動の秋。
いなり横丁の外れに小さな小学校があり、そこでは秋の運動会が開催されていた。
その小学校の名は九十九小学校といい、その学校の歴史は意外にも古く、江戸時代末期の寺小屋まで遡る事ができた。昭和の時代で刻が止まっているのはこの小学校も例外ではなく、校舎は現代では珍しい木造である。少子化の影響はこの学校も受けていたが、学校の統廃合の話が出た時に歴史のある学校を無くすのはどうかという事で、隣の新しい学校を合併吸収する形で奇跡的に今も残っていた。
九十九小学校では万国旗がはためき、校庭にはティッシュペーパーで作られた造花で飾り付けられた入場門や退場門が設置されている。
校庭に描かれた生石灰の白線トラックを取り囲むように、保護者や付近住民が場所取りの為に敷いたレジャーシートなどが並んでいた。
「運動会の光景は今も昔も変わらないなぁ」
私は周囲を見回してそんな感想をもらした。
私がここにいるのは、この小学校にお孫さんが通っている布袋さんから運動会の応援に来ないかとお誘いを受けたからである。
「カメラはコンパクトのフィルムカメラやホームビデオカメラじゃなく、スマホに変わったけれどね」
そう言って布袋さんが笑う。
この横丁にも時代の変化がわずかではあるが、少しずつ入ってきているのは間違いが無いようだった。
「私が子供の頃は家庭用のビデオカメラも無かったですけどね」
テレビ番組を録画するビデオデッキだって、私が中学生ぐらいの頃にようやく家庭に普及し始めていた時代である。しかもVHR形式とβ形式が混在していた為、レンタルビデオ屋には同じ映画などの作品が両方並んでいたという思い出があった。
「僕の頃は白黒のフィルムの時代だったし、カメラを持っている家庭も少なかったけどね」
私より布袋さんの方が年上なので、育った環境の中にあった物に違いがあるようだった。
「高度成長期から80年代までの生活環境の変化ってすごかったですからねぇ」
「テレビも一般家庭には無かったから、世話役さんの家や街角テレビにプロレスや相撲を観る為によく行ってたよ」
懐かしそうに布袋さんはそう言うと、手提げ袋からビールや乾き物のおつまみなどを取り出し、ゴザの上に並べ始めた。
「まだ開会式も入場行進も始まってませんが…」
気が早すぎる飲兵衛をたしなめたが、布袋さんは悪びれる事無く「問題ない」と答えて、周囲を見るように私を促す。それに従って周囲を見回すとあちらこちらで一升瓶片手に既に飲み始めている光景が目に飛び込んできた。
「…まるでお祭りですね」
「運動会は子供たちの成長を祝うお祭りみたいなもんだよ」と答える布袋さんは私にも冷えたビール缶を手渡してきた。
「…いいのかなぁ」
私がビールを飲むのを躊躇していると、校庭のスピーカーから賑やかな行進曲が流れ始め、運動会の開始を周囲に知らせる為か、校庭の上空に打ち上げられた花火がパンパンと音をたてる。
「選手入場」
場内アナウンスの後、入場門から体操服にカラー帽子を被った小さな子供たちが行進してくる。どうやら学年順に入場してくるようだった。
「入場行進の後、開会宣言があって…来賓の挨拶…しばらく退屈だな」
運動会のプログラムをチェックしていた布袋さんはそう言うと、ビールのプルタブを引いた。
「うちの孫の最初の出番はプログラム3番の綱引きからだから、それまで暇だし飲もう」
布袋さんに促されて私もビールのプルタブを引くと乾杯する。
「青空の下で飲む酒は最高だなぁ」
満足そうに布袋さんはそう言うとスルメイカを食み始めた。
「お孫さんは何年生ですか?」
上機嫌な布袋さんに訊くと、六年生という答えが返ってきた。
「俺に似てハンサムだからモテるらしいよ」
似ているかどうかはわからないが、孫の自慢をする布袋さんは嬉しそうである。
「出番が来たら、どの子か教えてくださいね」
私がそう言うと布袋さんは頷いて再びビールを口を運ぶ――このペースだと午前中に出来上がりそうなと思わせる飲みっぷりだった。
運動会のプログラムには、児童たちの競技だけではなく、保護者や地域住民参加の綱引きや玉転がしなどがあり、時間が経つにつれ校庭ではお祭りムードが高まり始めていた。
「~障害物競走に参加される保護者の皆さんは、入場門にお集まり下さい」
そんなアナウンスが流れると、赤ら顔の布袋さんがおもむろに立ち上がると「ちょっくら行ってくるわ」と告げた。
「大丈夫ですか?」
既に数本のビールを飲んでいたのを知っていた私は心配になって尋ねたが、自称歩く酒樽の布袋さんは「まだ序の口」と答えて不敵な笑顔を浮かべると、集合場所へ足早に向かって行った。
大きなゴザの上で一人残される形になった私は荷物番を務めていたのだが、そこへ布袋さんの奥さんが体操服の少年を伴ってやってきた。
「あら、うちの人は?」
挨拶もそこそこに奥さんが周囲を見回して布袋さんの行方を訊いてきた。
「次の障害物競走に参加するみたいです」
私の言葉を聞いて奥さんは「荷物番させてごめんなさいね」と言うと、連れてきた少年に挨拶をするように促した。少年は予想通り布袋さんのお孫さんだった。
奥さんは持っていた風呂敷包をゴザの上へ置くと、そのままその場に腰を下ろし、その横にお孫君も座ると障害物競争の準備が進められている白線トラックの中に視線を向けた。
障害物競走はコースに平均台や網くぐりなどが設置されていて、走るスピードだけの勝ではないし、アクシデントが多発するので観客の方も見ていて楽しめる競技である。
選手入場のアナウンスと共に統一感のない大人たちが場内へ入って来ると、横5列でスタートラインに並んだ。
「じいちゃん…いた!」
お孫君が布袋さんを見つけたらしく、列の中ほどを指さした。出場者は比較的男性が多いようだったが、年齢はバラバラのようである。
スタートを告げるピストルが鳴らされると、先頭の列に並んでいた者たちが走り出した。早速、なにも無い場所で転ぶ者や平均台をおっかなびっくり渡る者、網くぐりでは選手たちが団子状態になり、その後の飴に待ち構えていたのは飴探し。金属バットの中に小麦粉と飴が入ってあり、顔を突っ込んで飴を探し出すというもの。顔中粉まみれになるので観客から笑いが起きる。次の障害物の跳び箱を飛んでから、最後はロープから吊るされたアンパンを口で取って咥えてゴール。手が使えないのでなかなかパンを咥える事が出来ず、四苦八苦する姿に観客席から再び声援と笑いが起きた。
まさに昭和の運動会の再現フィルムの様な光景である。
私が懐かしいものを見たような気持でいると、お孫君が布袋さんのスタートを教えてくれた。
開会式からお酒を飲んでいる布袋さんはやはり酔いが回っているらしく、その足取りが危なっかしかった。
「あらやだ、あの人、千鳥足じゃない」
奥さんが布袋さんの挙動を見てすぐに酔っている事に気が付いたようだった。
「でも、じいちゃん早いよ」
お孫君が言う通り、布袋さんはどんな魔法を使っているのかと思うぐらい、ふらふらしているのに軽やかに障害を突破して先へ進んでいた。その姿はまるで映画の酔拳の主人公のようである。
障害物競争が終わって布袋さんが戻ってきたが、奥さんとお孫君の対応は正反対だった。奥さんは布袋さんが朝から大酒を飲んでいる事を咎め、お孫君は先頭集団でゴールした布袋さんを目をキラキラさせながら褒めたたえる。肝心の布袋さんは奥さんのお小言には慣れている様子で聞き流しながら粉まみれの顔をおしぼりで拭うと、お孫君にニカっと笑顔を見せた。
「じいちゃんもなかなかやるだろう」
「すげぇや、じいちゃん」
そんなお孫君が可愛くて仕方が無いのか、布袋さんはお孫君を抱き締める。しかしお孫君は布袋さんの腕の中で「…酒臭い」と抗議すると、その腕の中から逃げ出して自分のクラス席へ戻っていった。
「ほらみなさい」
その様子を見ていた奥さんはそう言うと、お小言を再開する。
――布袋さんの奥さんとは何度かお会いしたことがあるが、ずっと布袋さんに対してはお小言を言っている気がする。布袋さんは横丁の酒屋の主人で、店は角打ちもやっているがそこは奥さんに任せっきりで飲むのはもっぱら小料理屋だった。自分の店で飲まないのは奥さんのせいではないかと思ってしまう。
「あいつの次の出番は昼からだな…」
お小言は馬耳東風といった様子で布袋さんはプログラムに目を落すと、新しいビールの封を切った。そんな布袋さんに何を言っても無駄と思ったのか奥さんがお小言をやめて、新しい冷えたビールを手に取ると微笑みながら私に渡してきた。断りにくい雰囲気があったので、私は礼を言ってそれを受け取る。
「もうすぐお昼だし、おつまみ代わりにたくさん食べてね」と奥さんはそう言うと、風呂敷の中から重箱を取り出して並べ始めた。重箱の蓋を取ると、中には数種類のおにぎり、赤いウインナー、たまご焼き、唐揚げ、煮ものなどがびっしりと詰め込まれていた。
「…これもあるわよ」
そう言いながら奥さんが取り出したのは青いみかんだった。
「懐かしいですね。運動会といえば、やっぱり青くて酸っぱいみかんでしたよね」
あまりの懐かしさに私は思わず歓喜の声をあげてしまった。
秋の運動会や遠足にかならず食べたのが青くて酸っぱいみかんだった。考えてみれば現在の様な甘いみかんは冬にならないと食べられなかったような気がする。
「…あと、お酒と同量のお水も飲まないと身体に悪いわよ」
そう言いながら奥さんが水筒から麦茶を紙コップに注いで渡してくれた。よく見るとその水筒は中がガラスの魔法瓶だった。
「ガラスの魔法瓶…よく今迄残ってましたね」
最近の魔法瓶はステンレス製なので落としても割れないが、私が子供の頃は中がガラスだったので、衝撃を与えると魔法瓶の中は割れたガラスだらけになるという代物で、私も何度か水筒を落としてダメにした記憶があった。
「うちの蔵から出てきたのよ。使わないと勿体ないから…」
そう言いながら奥さんはにっこりと笑う――お小言さえなければ、奥さんは美人な女性だし料理も上手なのに…と思いながら私は重箱からタコとカニの飾り切りが施されたウインナーを取り皿に取った。
午前中のプログラムが終了してお昼休憩に入ると、子供たちが保護者達がいる席にそれぞれお昼を食べにやってきた。布袋さんのお孫君も私たちの居る所まで来ると、運動靴を脱いでゴザに上がると、祖父母の間にちょこんと座る。
お孫君はお腹を空かしていたのか、ガツガツとおにぎりや唐揚げを食べ始めた。
「良く噛んで食べなきゃダメだぞ」
そう言いながら布袋さんは優しい目でお孫君を見る。
周囲も一斉にお弁当を広げて昼ご飯の時間が始まった。
ごはんを食べた後は青いみかんやリンゴ、柿などを食べる保護者の周りで、子供たちが鬼ごっこなどの遊びを始める光景も昔ながらのものだった。
「…良かったらどうぞ」
隣からお菓子類がおすそ分けをもらったり、そのお返しをするといった和やかな時間が流れる。
「僕、そろそろ戻るね」
お孫君がカラー帽子を被ると、クラスの方へ戻ってゆく。どうやら午後のプログラムの最初に彼の出番があるらしかった。
ビール片手に柿の種をつまんでいると、午後のプログラムの開始を告げるアナウンスが流れてきた。どうやらお孫君が出場するのは騎馬戦のようだった。
東西陣営の中からお孫君の姿を探すと、東軍の騎馬列の中に彼の姿があった。お孫君は騎馬の上に乗っていた。頭に巻いた鉢巻姿がなかなか凛々しい。
開始の合図とともに騎馬戦が開始され、両軍入り混じっての激しい戦いが繰り広げられる。お孫君の騎馬は土台のメンバーの体格が良いせいか、ぶつかり合いをしても揺らぐことが無くなかなか強かった。
「後ろ!」「行け!」「危ない」などと布袋さんがしきりに声援を送る。いくら騎馬が強くても乗っている者の鉢巻が獲られるとそこで終わりになってしまうので、鉢巻の取り合いの駆け引きは見ていても面白い。
結局、お孫君の騎馬は生き残ったが、終了時、東軍自体は生き残った数で敗北を喫した。結果はともあれ、彼らの健闘をたたえて両軍へ観客から彼らに拍手が送られる。最近は騎馬戦は争うことはいけない。怪我をしてはいけないと騎馬戦を行わない学校も多いらしいが、それはあまりにも過保護すぎるのではないか? と考えさせられる。騎馬に生き残る為の仲間達との作戦の相談や結束を学ぶ良い機会だと私は思うのだが…。
激しい攻防の後は、児童たちのフォークダンスだったので、緊張感があった校庭の雰囲気が一気に緩和される。
「~次は借り物競争」
そんなアナウンスと共に会場が盛り上がる競技が始まった。
コースの途中に置かれた紙に書かれた品目を調達してゴールを目指すのだが、妙な品目が記載されているのがこの競技の面白いところである。
「かつら貸して下さい」だの「おばあちゃん貸して下さい」と児童たちが叫んで回る度、観客席から笑いが起こった。そんな中、一人の紙を手にした少年が私たちのところへ走り寄ってくる。
「すみません、そこのおじさん、僕と来てください」
そう叫ぶように言うと布袋さんを指名した。戸惑いながら布袋さんは立ち上がると、少年と手を繋いでゴールの方へ走って行った。
「何が書いていたんでしょう?」
首を傾げる私に奥さんが「酔っぱらいかデブ…それともハゲかしら?」となかなか辛辣な言葉を口にする。
書かれていた条件と一致したのか布袋さんはゴールにいた審判員に認められ、しばらくすると戻ってきた。
「何て書いてあったの?」
何が書かれていたのか気になっていたらしく、奥さんが戻ってきた布袋さんに訊いた。
「ハゲって書いてあったよ」
布袋さんが笑いながら自分のスキンヘッドの頭をつるりと撫でる。それを聞いた奥さんが「ほらね」と勝ち誇った様な表情を浮かべた。
今なら「ハゲ」や「デブ」などはコンプライアンス的にどうかと、後で問題になりそうだが、昔はおおらかだったのか、よくある事だったし問題視されるような事はなかった。
「いよいよ運動会も終わりか…ラストはクラス対抗リレーだな」
運動会のプログラムの最後に盛り上がるのはやはりクラス対抗リレーである。各クラスの足の速い人間が選抜されてリレー形式で走るだけのシンプルな競技だが、速い速度で駆け抜ける姿は、見ている者を引き付ける魅力があった。
「お、うちのも走るぞ」
布袋さんは、校庭の真ん中で体育すわりをして出番を待っているお孫君を見つけると、嬉しそうに声をあげた。その声を聞いて私もそちらの方へ視線を向けると、お孫君はどうやらアンカーのようだった。
「へぇ、アンカーって事はかなり足が速いんですね」
「運動は得意とは聞いていたけど、アンカーか」
孫が可愛くて仕方がない布袋さんは満足げに何度も頷いて見せる。
リレーが始まると会場のあちらこちらから応援する声があがった。声援の中、各クラスの精鋭たちがバトンを握りしめてトラックを駆け抜けてゆく。バトンが次の走者に渡されるたびワッと声があがり、会場の興奮はアンカーの走者に渡った時にピークを迎えた。
お孫君は三番目の順位でバトンを受け取ったがそこからの快進撃がすごかった。韋駄天を彷彿させるような速度で先行する者たちとの距離をどんどん詰めてゆく。二番目走者を抜き去ってゴール直前でトップの走者と並んだ瞬間、感嘆の声と声援が観客から巻き起こった。そして両選手がほぼ同時にゴールテープを切った。
「鼻差か? 写真判定だな」
「競馬じゃないんだから」
興奮気味の布袋さんの言葉に奥さんがすかさずツッコミを入れる。
会場はシンと静まり返る中、審判員がゴールに歩み寄ると、お孫君の手を持って挙げた。その瞬間会場からどよめきが起きて、それは爆発的に歓声に変わった。布袋さんの可愛いお孫君はこの瞬間からこの運動会のヒーローになったのである。
「すごかったですね」
驚きの感想を漏らす私に、布袋さんは顔をくしゃくしゃにしながら喜び、ビールの缶を頭上に翳すと祝杯とばかりに一気にそれを飲み干した。
「帰ったら、お祝いの宴会だな」
さすが歩く酒樽。布袋さんはまだ飲む気らしい。そんな布袋さんの言葉を聞いた奥さんは「主役はあの子。あんたの為のお祝いじゃない」と言うと、手にしていたみかんを夫の口へねじ込んだ。酸味が強い青いみかんの味が布袋さんを現実へ引き戻したのか、みかんを飲み込むと肩を竦める。そんな布袋さんを横目に、周囲の観客たちと同じように奥さんは荷物をまとめ始めた。
賑やかで楽しい運動会も終わりの時を迎え、観客たちは興奮が残る校庭を後にする。
酔いがさめた布袋さんは祭りの後の様な状態になった校庭を見回すと、深くため息をついた。
――布袋さんの奥さんは青いみかんと同じで、甘くは無いようである。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。
ヲトブソラ
ライト文芸
親に反対された哲学科へ入学した二年目の夏。
湖径<こみち>は、実家からの仕送りを止められた。
湖径に与えられた選択は、家を継いで畑を耕すか、家を継いでお米を植えるかの二択。
彼は第三の選択をし、その一歩目として激安家賃の長屋に引っ越すことを決める。
山椒魚町河童四丁目三番地にある長屋には、とてもとても個性的な住人だけが住んでいた。
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
幸せが訪れた日
Layla
恋愛
昭和初期、主人公南菊代は幼くして不運に落ち、祖母、姉、弟達と貧乏でも愛がある生活を送っていた。お金はなくても不幸ではない。そう思っていた菊代だが運命的な出会いにより菊代の人生はどんどん変わっていくのであった。
アンティークショップ幽現屋
鷹槻れん
ミステリー
不思議な物ばかりを商うアンティークショップ幽現屋(ゆうげんや)を舞台にしたオムニバス形式の短編集。
幽現屋を訪れたお客さんと、幽現屋で縁(えにし)を結ばれたアンティークグッズとの、ちょっぴり不思議なアレコレを描いたシリーズです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる