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~福助人形の恋~

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 見返り坂。その坂は駅前の繁華街から伸びるポプラ並木道にあり、古い洋館や飲食店、ブティックなどが立ち並ぶ坂道の名前。どこか大人の街といった雰囲気を漂わせる通りだった。
その見返り坂の途中に街の雰囲気にはそぐわないお稲荷様の小さなお社が鎮座している。見返り坂から小道が伸びていて、お稲荷様のお社はその小道に入る辻に位置していた。お稲荷様を目印に小道に入ると風景が一変した。
昭和の時代の遺物の様な街並み。木造家屋の商店が立ち並び、街のあちこちにレトロなデザインのさびたブリキの看板がある。まるで世の中の時間の流れから取り残されたようなその場所の名は~いなり横丁~。

【~小料理 竜宮~】
 いなり横丁の一角にそのお店があった。カウンターに10席ほどの小料理屋である。
「おまたせ。今日のおすすめのフキとがんもどきの煮物です」
 和風だし香る翡翠色のフキとがんもどきが入った小鉢を静かに置いて女将は微笑んだ。
 女将は着物の上から白い割烹着をまとう40代ぐらいの美人だった。
――いつからだっただろう。私がこの店に来るようになったのは。
 美しい煮物を見つめながら私は思いを巡らせる。
 この時間が止まったようないなり横丁に私が足を踏み入れたのは偶然だった。
 通勤路である見返り坂を通っていて、ある日お稲荷様の小さな社に気が付いた。小さい頃よくお稲荷様を祀る神社で遊んでいたのを思い出し、気まぐれでお稲荷様にお参りしようと思ったのが始まりだった。
 お世話をする人がいるのか、小さいお社はキレイに掃除されていた。お社の傍には桃の木が植えられていて、そちらもきちんと剪定がされている。誰も気が付かない様な小さなお稲荷様だったのでそれが意外に感じて、周囲を観察していた時に横丁の風景を目にして衝撃を受けたのだった。
 半世紀前の日本の情景。木製の電柱が並び、そこには丸い傘を被った裸電球の街灯がぶら下がる。床屋の前にはカラフルな円柱状のサインがくるくるまわり、薬局の前には緑のカエルや象のキャラクターの立体看板が並ぶ。ミゼットと黒い大きな自転車が行きかっていた。
 まるで吸い寄せられるように私はいなり横丁に足を踏み入れ、そして横丁の虜になった。
 デジタル表示の看板など皆無のゆっくりした時間が流れる懐かしい世界。
 駄菓子屋の前にはアイスクリームが入った白い冷凍ケースが置かれ、店頭にはたこ焼きを書かれた小さな四角い旗が風に揺られている。飲食店の並びには様々な屋号や商品名が記載された提灯や暖簾が並ぶ。
そんな懐かしい風景を横丁の道に置かれた縁台に腰かけて見ていると、豆腐屋が哀愁を感じさせる音色のラッパを吹きながら引き売りが目の前に現れた。その豆腐屋に空の鍋を手に豆腐を買いにきた割烹着の女性がいた…それが小料理 竜宮の女将である。
 豆腐屋は鍋に絹ごし豆腐を一丁入れ、豆腐の上にわら半紙を乗せ女性に手渡した。
「今日のおすすめは肉豆腐にしようと思っているの」
 そう言いながら女性は微笑むと小銭を豆腐屋に渡し、鍋に入った豆腐を大事そうに持って風情のある格子戸の建物に帰ってゆく。その様子をじっと見ていた私に豆腐屋の親父は親切に今の美人は小料理屋の女将だよと教えてくれた。
 和装美人の女将と肉豆腐に興味をそそられた私は、そのまま店が開くのを待つことにする。それから待つこと半時、夕日が空を赤く染め始めた頃、女将が入って行った格子戸に麻に青い染料で竜宮の文字を染め抜いた暖簾が掛かった。
「いらっしゃいませ…あら、さっきの」
 店に入ると女将は私に声をかけ、女将が豆腐を買う様子を見ていた私の顔を覚えていたのか少し驚いた表情になる。
「お待ちになっていたの?」
「肉豆腐をお作りになると聞いたもので…」
 ボソボソと答える私の言葉を聞いて女将は微笑んだ。
「肉豆腐美味しくできましたよ。お食べになります?」
「お願いします」
 そう答えると私は席に着いて店内を見渡した。
 カウンターのみの小さなお店だが、落ち着いた和の装飾が施され、柱には壁掛けの一輪挿しに花が飾られている。
「あと、熱燗を一合お願いします」
 私はそう言うと、お品書きに目を通しながらお酒と肉豆腐が出てくるのを静かに待つことにした。
「はい。熱燗と肉豆腐」
 先にタコの酢の物が入ったお通しがやってきて、それから熱燗が入ったお銚子とおちょこ、肉豆腐が盛り付けられた小鉢が目の前に並んだ。
「いただきます」
 そう言ってそっと手を合わせると肉豆腐に箸を付けた。肉豆腐の甘じょっぱい味口の中に広がる。熱燗を頂きながら食べる肉豆腐は至福の味だった。

 その日を境に、私はいなり横丁の小料理屋に仕事帰りに寄る事が多くなり、通っているうちに竜宮の常連客とも少しずつ顔なじみになっていき、私はひそかに彼らにあだ名を付けた。
 いつも店の隅でちびちびと日本酒を飲んでいる老紳士のあだ名は『天狗さん』。天狗さんは特徴的な鷲鼻の持ち主である。
 いつも面白い柄のTシャツを身に付けている背の低い中年男性は『河童さん』。あだ名の由来はきゅうりが大好物で、必ずときゅうりを使った料理を注文する。プロの画家らしいがどんな絵を描くのか不明。
 水商売風のファッションの『猫さん』。猫目が特徴的な華やかな女性。口癖は「玉の輿に乗る」なのだが、男運はあまり良くないらしい。
 トラック運転手をしている『入道さん』は大柄のスキンヘッドに黒いサングラスがトレードマークの厳つい風貌の客。しかしサングラスを外すと可愛らしい目をしていて、話を聞いていても優しい人物である事がうかがえる。
 他の客から『小僧』と呼ばれている横丁でたこ焼きを焼いている皮ジャンと大きなピアス、頭にバンダナのロックスタイルの20代ぐらいの青年も常連客である。
 あとは『布袋さん』。横丁の酒屋の店主なのだが、何故か店の角打ちではなく竜宮で飲んでいる事が多い恰幅のよい親父なんかもいる。
 何の取柄も無い普通のサラリーマンである私に比べて、彼らは非常に個性豊かでユニークだった。

【~福助人形の恋~】
「不思議な夢を見たんだ」
 ある日、いつものように小料理屋で晩酌を楽しいでいると、女将にそう切り出した河童さんの言葉が聞こえてきた。
 ビールジョッキのイラストと、やめられない止まらないのロゴが入っているTシャツを着た河童さんは、少し困惑したような表情で言葉を続けた。
「福助人形ってあるじゃない。あれが夢に出てきたの」
 大きな頭とちょんまげ姿の人形の事? と女将さんが訊き返すと、河童さんは頷いた。
「あれがね「逢いたい人がいるんだ」って言うんだ」
「逢いたい人?」
「いつも微笑んでくれた女性なんだけど、姿を見なくなったから探してくれって…」
 変な夢でしょと言いながら河童さんはコップに瓶ビールを注ぎ、それを一気に飲み干す。
「確かに不思議な夢ね。何か意味でもあるのかしら?」
 そう言うと女将は少し首を傾げた。
 その日は、ただの変な夢でしょと言いながら、暑いのか扇子を扇ぎながら河童さんは笑っていたが、話はそれで終わらなかった。
 数日後、彼は再び小料理屋に現れたのだが、口から魂が抜ける様子のイラストのTシャツを着た河童さんの顔はすっかり憔悴した様子に変わっていた。
 驚いた女将がどうしたのかと尋ねると、疲れ切った様子で河童さんは「毎晩出るんだ…」とつぶやいた。
「毎晩って…例の福助人形?」
「…そう。探してくれ。探してくれって」
 それを聞いた女将と私は顔を見合わせる。
「その人は…横丁のたばこ屋の娘なんだって福助が言うんだけど、ここのたばこ屋って今は営業していないし」
 確かに横丁に赤い大きな文字でたばこと書かれたブリキの看板がかかっている店はある。その店の店頭のガラスのショーケースの上には赤い公衆電話、中に様々な国産たばこのパッケージが飾られているが、近年愛煙家が減った影響なのかお店としては機能していなかった。
「たばこ屋さんねぇ…」
 女将はそう言うと少し考え込んで、店の奥で塩辛をアテにして、ちびちび日本酒を飲んでいた天狗さんに何か知らないか声をかけた。
「横丁のたばこ屋さんが営業していた頃の事を知っている方ってご存じありません?」
「横丁のたばこ屋?」
 急に女将に話を振られた老紳士は手にしていたおちょこをお銚子の横にそっと置くと、「布袋さんなら知っているかも」と、顔なじみの常連客の名前を口にした。
 布袋さんは横丁で酒屋を営んでいて、生まれも育ちも横丁だという話を私も耳にした事があった。
「…そろそろ来る頃じゃないかしら」
 女将の言葉通り、半時もしないうちに噂の布袋さんが小料理屋に姿を見せた。
「たばこ屋の娘さんの消息知らないですか⁈」
 席に着くなり勢い込んだ様子の河童さんに縋り付かれて布袋さんは目を白黒させた。
「布袋さんにちゃんと説明をしなきゃ何の事だかわからないじゃないよ」
 天狗さんが河童さんをなだめるようにそう言うと、河童さんは我に返ったのか、布袋さんから手を離し席に戻って布袋さんに事情説明を始めた。
「横丁のたばこ屋の娘?」
 布袋さんは話を聞き終わると、お通しの小鉢のお浸しを食べていた箸を止め、一言「あそこ看板娘なんていないよ」と言った。それを聞いた河童さんは言葉を失う。
「小さい頃よく祖父のお使いでたばこを買いに行ってたけど、あそこの奥さんは息子さんが小さい時に亡くなっているから、ご隠居と息子の男所帯」
 親戚とかでよく遊びに来ていた女の人は? と食い下がる河童さんに布袋さんは「僕の記憶にはない」と首を振った。
 途方に暮れた様子の河童さんに同情したのか、布袋さんが助け舟を出した。
「息子の方は幼馴染だから話をしてみようか?」
「助かります」
 ぱっと明るい表情になった河童さんは、布袋さんを拝むような仕草をして頭を下げると、落ち着かない様子で愛用の扇子を開いたり閉じたりする動作を繰り返す。
「…福助人形に憑りつかれる覚えはないんだけどなぁ」
 河童さんはそうぼやくと深くため息をついた。

 布袋さんの紹介でたばこ屋の息子と会う為に河童さんは横丁のたばこ店を訪れた。
「…女の人は昔からうちには居ないんだよね」
 河童さんから事情を聞いたたばこ屋の息子はそう言うと、レトロなたばこ屋の店頭に視線をやった。
「世間ではたばこ屋さんの看板娘っていうのは人気だったみたいだけど、母は僕が小さいときに亡くなったし妹とかも居なかったから、そこのショーケースに陶器のお人形を看板娘の代わりに置いていたんだよね」
 そう言いながら息子はたばこのパッケージが並ぶショーケースの空きスペースを指さすと、何かを思い出したのか戸棚の金具にぶら下がっていた錠前を外して扉を開き、中から古い木箱を取り出した。
「これこれ…懐かしいなぁ」
 木箱の蓋を外すと薄布に包まれた正座をしてほほ笑む和装の女性の人形を大事そうに取り出した。
「お多福人形?」
 ふくよかな容貌の人形を見て河童さんが思い浮かんだ人形の名前を口にした。
「縁起物として飾っていたんだけどね、今は商売をしていないから仕舞っていたんだ」
 懐かしむ様子で息子はそう言うと、そっと人形を包んでいた薄布を外して、お多福人形を本来飾ってあった場所に静かに置いた瞬間、異変が起こった。
 突然、たばこ屋の店内は強い光に包まれ、中にいた人間は目がくらんで動けなくなる。何が起こったのか二人が呆然としていると、強い光は河童さんの懐に吸い込まれるようにして消えていった。
「…いったい」
 視力が回復するのをまって二人は事態の把握の為に店内を見回すと、置いたはずのお多福人形がない事に気が付いて声を上げた。
「消えた…?」
 困惑した様子で二人は顔を見合わせる
「…置いたよね」
 たばこ屋の息子の言葉に河童さんは黙って頷く。
「置いたら光って…光はそちらに吸い込まれたように見えたんだが…」
 困惑を隠せない様子でたばこ屋の息子はそう言うと、河童さんは自分の懐付近に目線を落す。
「…僕もそう見えたんですが…」
 そう言いながら河童さんは懐にしまっていた愛用の扇子を取り出した。
「これに吸い込まれたような感じでしたが…」
 そう言いながら河童さんはそっと扇子を広げ、驚きの声を上げた。
 白無地だったはずの扇には、寄り添い笑う合うふくよかな夫婦の柄が浮かび上がっていた。
「…福助とお多福?」
 扇の絵を目にしたたばこ屋の息子がそう呟くと、信じられないものを見たような表情になっている河童さんの顔を見た。
「どう見ても…そうですよね」
 その言葉を絞り出すように言った河童さんはそのまま絶句した。
「失礼ですが、その扇子は?」
「質流れ品なんです…横丁の質屋で売りに出てるのを見つけて買ったんですが…」
「質流れ…」
 物品を質屋に預けて金銭を借用するのだが、期日までに借用したお金を返済して物品を質屋から出さなければ、その物品は売りに出される。その売りに出された物品の事を質流れ品という。
「質草になるぐらいですからそれなりに値打ちはあるようですが…」
 扇子の骨組みには美しい細工が施され、それが気に入って購入したのだが、まさかこんな事態になるとは夢にも思わなかった河童さんは、扇子に浮かび上がった仲睦まじい姿を見つめた。
「幸せそうに笑っていますね」
 扇子の絵を見つめていたたばこ屋の息子がそう言うと、ふっと息を吐き、口元に笑みを浮かべ「お多福さんも幸せそうだ…」とつぶやいた後、――お多福人形は親父が古道具屋で見つけて買ってきたものなんです…と告げた。
「古道具…この福助とお多福、僕らが知らないずっと昔、どこかで出会っていたのかしれませんね」
 河童さんは一連の怪異の理由が解ったような気がして呟くと、たばこ屋の息子も深く頷き「こうなってしまった以上、この二人を引き裂くことは出来ないですし…」と言って、後は任せると河童さんに告げた。
「縁起が良い柄になりましたし、これもご縁ですから…」
 そう言うと扇子を閉じ大事そうに懐にしまうと、河童さんは静かに会釈をしてたばこ屋を後にした。
――ちなみに河童さんのTシャツの背中には、アイドル風のキャラクターと逢いたかったというロゴが描かれていたが、それは偶然だったと思いたい。

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