セオリー通り?の王太子と救いの娘

日室千種・ちぐ

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繋ぎとめるもの

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 リューセドルクは、そこに王太子として立ち、淡々と挨拶を受け流していた。

 歴史のある広間は、天井が高く、天蓋の木組みの合間には暗がりが凝っている。だが、この日のために全ての窓から頑丈な鎧戸がすべて取り払われ、午後の終わりの日差しに照らされた中庭の明るさを広間に取り込めるようになっていた。
 参加者は、招待状の順に入場し、一番奥の王妃と王太子に挨拶をするために列に並ぶ。その列は会場に入りきらず、外にまで溢れた。全員の挨拶が終わる頃に、ちょうど宴の始まる宵の時刻となるだろう。
 さまざまな思惑や予想があれど、令嬢たちは、王城での宴を楽しみにしていたはずだ。
 だが、正面の壇上にて王妃とともに客を迎えているリューセドルクには、公務では欠かすことのなかった仄かな微笑みすら無く、かろうじて頷きを返す程度。
 王妃に助けを求める視線を送った者たちは、こちらもまた能面のような表情で、よく来てくれました、と同じ言葉だけを繰り返している王妃に、眉を顰めた。少なくとも、招待主である王妃には客たちを不快にさせないよう努力があるべきではないか、と憤慨しても、その場で口には出せない。
 どの令嬢、貴族たちも、会話を膨らませることができず、そそくさと引き下がっていた。

 引き下がりはしたものの、鬱憤は溜まる。彼らは、この催しを希望したの王妃であり、肝心の王太子の意向はそこにないことを知っていた。知ってはいたが、王妃のゴリ押しで王太子が妃を定めるなら、あわよくば縁を繋ぎたいと勝手な夢を抱いていた。それがこうも見事に裏切られてしまえば、残るのは王妃への苛立ちと、王太子が王妃に遠慮する時期がいよいよ終わるのではないかという恐れだけだ。

 一方で、王太子が王妃の面前で明確な拒絶の態度を示したことを、好意的に受け取る者たちもいた。王太子に近いものほど、王妃に振り回される王太子の苦労を知っている。それでもなお、王妃を尊重する王太子を歯がゆく見ていた者はそれなりに多い。困惑する令嬢たちの後ろで、ようやくですな、と頷きあからさまに満足そうにする貴族もいた。

 どちら側の人間から見ても、王太子の弱みは王妃だったということだ。そしてどちら側の人間からも、王妃への蔑みが隠されることなく、広間に漂った。
 夢見がちな王妃さまも目を覚まされるだろうさ、と誰かが嗤っていた。

 冷静に、一見和やかな会場の底に渦巻くものを見定めていたリューセドルクは、つと、視線を伏せた。
 いつものことだ。人の笑顔や阿る顔の裏にあるものを見定め、国のあるべき姿に向けて、利用できるものは利用し、不要なものは穏便に切り捨てる。
 慣れている。王の資質であるとも言われている。これがリューセドルクが生きてきた世界だ。

 王妃はこの世界が辛くて、夢を見たのだろうか。
 王妃の理想の王太子は、味方を守るためにすら敵を切り捨てることはなく、本意と異なる政に便宜上同意することもなく率直な意見を言い、笑いながら腹の底で斬り合いをすることもなく本心のみで家臣と付き合い、ただひたすら愚直に正直に人に優しくして、女性を優遇するだけで、なにもかもを上手く回す、奇跡の様な存在だ。
 そこには、誰も傷つけたくない、誰からも傷つけられたくないという、弱々しい、王妃の本音がある。

 王妃は、その理想を隠さなかった。真実だと信じていたのだから隠す必要もなかっただろう。周囲に侍女たちがいても、構わず夢想を漏らしている王妃に、王と二人、苦笑をしたのも、かなり以前のことだ。
 お前はあれの妄想に付き合うことはない、と父王は言った。
 付き合うことはない、と自分でも思った。
 けれど、もしかして俺がもっと守れていたら、と、父王が王妃を遠目に見つめていたことを、思い出す。
 本人には拒絶されながら、できる限りの手を回して、王妃の身の安全に腐心していた父王。
 本人に嫌厭されても、飽きることなくいつも息子のことを考え、理想の王太子として自分を守ってもらいたがった王妃。
 押し付けられる理想に辟易しながら、重荷でしかない王妃を切り捨てずに来た自分。
 いびつな関係だとわかっていたが、リューセドルクはその重たく腐りかけた関係に、終止符を打てなかったのではない。あえて、続けていたのだ。

「おめでたいな」

 王妃の前で笑わない。ただそれだけのことにここまで反応を見せる貴族たちは、一体リューセドルクの何を見てきたのか。王妃への態度以外、リューセドルクが変わるところはない。板挟みになりながらも結局、悩んだ結果の行動を選び取ってきた。
 いや。変わるかもしれない。
 だが、彼らに都合よく変わるとなぜ思うのだろう。
 可哀想にとも、そんな子じゃないはずなのにとも、言われても気に病むものではなくなると、これまでは散々迷った挙句の非情な政治的判断でも、まるで息をする様に容易く下せる気がする。
 世の中は、こんなに息がしやすいものだったのか。
 今ならば、煩わしい貴族たちを従わせるために恫喝しようが、のらりくらりと追及を避ける貴族家への武力行使だろうが、何の躊躇いもない。——なんなら、見せしめのために一部の貴族家を陥れることも、叛意を抑えるために人質を強要することも、避ける必要は何もなくなる。

 王妃を蔑む貴族たちは、王妃は王太子の弱味であり枷であったが、同時に「繋ぎとめるもの」であったと、すぐに知るだろう。
 もうひとりの家族であるガゼオも、もうまもなく城を去る。
 リューセドルクが闇へと一歩を踏み出せば、もう、彼を引き戻すものは何もない。






 その時、会場の入り口が、大きくざわついた。
 さりげなく兵たちが位置どりをして、何があっても対応できるように動いた。リューセドルクと王妃の周囲でも、護衛たちが警戒を強める。それを確認して、騒ぎのほうに目を戻し。

 リューセドルクは、その人と自分を中心に、世界が四方に広がるような感覚に陥った。

「ユーラ」

 昨日の動きやすい服装とは一変して、ユーラは光り輝く不思議な素材の布をゆったりと重ねて身に纏い、瑞々しい草花を結わずに流した豊かな髪に散らし、揺れる裾から小さなつま先を覗かせながら歩いてきていた。
 とろりとした布は所々に透け感があり、体を覆い隠しながらも、ふっくらとした胸や腰を浮き上がらせ、そして細い腰を際立てている。透ける薄布の向こうで、濃淡のある複雑な蒼い紋様が真っ白な二の腕から手の甲まで描かれているのが目を引いた。腰には色とりどりの宝石をふんだんにあしらった、見事な青の飾り帯。
 まつ毛にはやはり色を載せていないようだ。口元は、美麗な白のレースで覆われていて、全てが白い顔立ちの中で、若い芽吹き色の大きな目が宝石のように煌めいている。

 その姿は、国内の令嬢、いやおそらくは三国のどの令嬢とも異質で、彼女が異国の者であると、会場のだれもが一目で理解した。
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