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母の子

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 期待など、何度して、何度裏切られてきたことか。もう、期待しなければいいと、わかっているのに。
 母というものは。
 呪いのようだ。

「だから、貴方のお相手にネクトルヴォイの」

 王妃が言葉を止め、そしてだんだんと表情を強張らせた。
 さすがに、王妃も何か間違えたことを悟ったのだろう。思い込みをさらに固く信じ込む性質の王妃が、こうして途中で過ちに気づくのは、滅多にないことだ。
 やはり、ほんのわずかながら人が変わったのだろうか。いや、それだけ自分がひどい顔をしているのかもしれない。修行が足りないな、とリューセドルクは笑ったつもりだったが、ピクリとも顔が動くことはなかった。

「なぜ、私がその方をエスコートするのでしょう? 元々、今日の会はあくまで候補者との顔合わせであり、最終決定は私に一任すると、お約束いただいていたはず。ですが、会場入りでエスコートすれば、エスコートの相手を妃に選ぶに等しい。
 ——私の、今後の人生まで、決めつけてしまうおつもりか」
「リュ、リューセドルク、だって貴方は彼女と」
「ネクトルヴォイのご令嬢には、一度使者を送っただけです。私は個人的に親しくなりたいと思ったことはありませんが」
「そ、そんな」

 事情は察することができる。ユーラという名だけで、浅慮を働かせて的外れなことをしたのだろう。だが、経緯も事情も、どうでもよい。結局は、よいと思い込んだそのままに、リューセドルクの意志など確認する必要も感じずに、信じるまま押し通してしまうその心根が、吐き気がするほどにおぞましく、許せなかった。

「そのご令嬢は、王妃から見て、優しい気性を無理に押し殺し政務に疲弊した王太子を癒してくれる田舎者の娘として、完璧でしたか? それほど優しい娘なら、姑の王妃をも、温かく癒してくれることでしょうね。では、王太子を介さずとも、癒しを求める王妃ご自身がその娘を娶ればよろしい。
 ——ああ、なるほど、王妃はご令嬢と会ったこともないまま、理想の娘と思い込んだご様子だ。自分に都合の良い妄想に巻き込むのは、息子くらいにしておかれよ。それも、以降はお断りしますがね」

 王妃が息を飲んだのは、面と向かって王妃と呼んだからだろうか、それとも自分勝手な妄想を当の息子に知られていたからだろうか、そしてそれを、嘲笑され、拒絶されたからだろうか。……多少は、独りよがりな振る舞いであったことを自覚し後悔してくれたのだろうか。
 だとしても、今更だ。
 ずっと、その期待に応えたいと思ってきた。
 けれど、その期待に応える努力をすることこそ、本当は何より辛かった。自分では、到底かなえられなそうな崇高な理想だから。当たり前だ。王太子はそんなに優しくばかりもいられないし、そんなに暢気にもいられない。王妃の望む王太子でいようとすれば、必ずその隙をつかれるし従わない者が出てくることは、何度も実際に味わい苦しんだ現実だ。理想を体現できないのは、自分が不出来で足りないせいだろうかと、どこまでも落ち込む時も多く。

 ああだが、何もせずとも皆が愛して従ってくれる人間などいるものか。そう喚けば、抱き締めて、いつかなれるわ大丈夫、と慰められ。男女区別なく罪は裁かねばならないのですと説いても、そうよね貴方だってしたくない冷たい判断をして辛いわよね、と慰められ。
 いつかなりたくもないし、冷たい判断だとも思わない自分は、きっと欠陥があるのだと真剣に悩んでガゼオの足元で泣いたものだ。

 それでも、いつかわかってくれるかもしれないと、待っていた。母の理想とは違うこの自分こそが、母の子なのだと、認めてくれないかと。根気強く努力をして、同時に自分を見てと訴えて、いつまでも待っていた。
 小さな子供のように。
 もうどこにもいない、小さな子供だ。



 侍従が王妃へ客の訪れを報せに来た。いつにない親子の空気に青褪めてつつも、客を簡単に軽く扱うわけにはいかないはずだからと、あえて声をかけた判断は正しい。
 だが震えて立っている王妃が返事をしないので、リューセドルクは侍従に客を通すように言いつけ、王妃の手を取って長椅子に座らせた。

「リューセドルク」

 呼ばれたのには、反応しない。怒りや反抗のためというよりは、雑音にしか聞こえなかった。
 しんと静まった部屋にやがて入ってきたのは、下手をすれば王妃よりも着飾った細身の女だった。その後ろに、見覚えのあるネクトルヴォイの領主の娘が続いたところを見れば、領主夫人だろう。あのカンタスと夫婦とは思えない、いかにも貴族らしい貴族の婦人だ。
 だが、リューセドルクには関係がない。
 二人をここに招いたのは王妃であり、リューセドルクではない。応対する必要を感じられず、なんなら途中ででも立ち去るべく、腕を組んで窓際に立った。
 戸惑ったように王妃がこちらをうかがっている。
 昨夜までは、どれほど追い詰められていても王妃の前では穏やかな態度を心がけていたので、こうした素気ない対応は初めて見せたかもしれない。忙殺される王太子にとっては普段通りなのだが。
 そんなことも、もはや一切、興味がなかった。
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