25 / 35
母の子
しおりを挟む
期待など、何度して、何度裏切られてきたことか。もう、期待しなければいいと、わかっているのに。
母というものは。
呪いのようだ。
「だから、貴方のお相手にネクトルヴォイの」
王妃が言葉を止め、そしてだんだんと表情を強張らせた。
さすがに、王妃も何か間違えたことを悟ったのだろう。思い込みをさらに固く信じ込む性質の王妃が、こうして途中で過ちに気づくのは、滅多にないことだ。
やはり、ほんのわずかながら人が変わったのだろうか。いや、それだけ自分がひどい顔をしているのかもしれない。修行が足りないな、とリューセドルクは笑ったつもりだったが、ピクリとも顔が動くことはなかった。
「なぜ、私がその方をエスコートするのでしょう? 元々、今日の会はあくまで候補者との顔合わせであり、最終決定は私に一任すると、お約束いただいていたはず。ですが、会場入りでエスコートすれば、エスコートの相手を妃に選ぶに等しい。
——私の、今後の人生まで、決めつけてしまうおつもりか」
「リュ、リューセドルク、だって貴方は彼女と」
「ネクトルヴォイのご令嬢には、一度使者を送っただけです。私は個人的に親しくなりたいと思ったことはありませんが」
「そ、そんな」
事情は察することができる。ユーラという名だけで、浅慮を働かせて的外れなことをしたのだろう。だが、経緯も事情も、どうでもよい。結局は、よいと思い込んだそのままに、リューセドルクの意志など確認する必要も感じずに、信じるまま押し通してしまうその心根が、吐き気がするほどにおぞましく、許せなかった。
「そのご令嬢は、王妃から見て、優しい気性を無理に押し殺し政務に疲弊した王太子を癒してくれる田舎者の娘として、完璧でしたか? それほど優しい娘なら、姑の王妃をも、温かく癒してくれることでしょうね。では、王太子を介さずとも、癒しを求める王妃ご自身がその娘を娶ればよろしい。
——ああ、なるほど、王妃はご令嬢と会ったこともないまま、理想の娘と思い込んだご様子だ。自分に都合の良い妄想に巻き込むのは、息子くらいにしておかれよ。それも、以降はお断りしますがね」
王妃が息を飲んだのは、面と向かって王妃と呼んだからだろうか、それとも自分勝手な妄想を当の息子に知られていたからだろうか、そしてそれを、嘲笑され、拒絶されたからだろうか。……多少は、独りよがりな振る舞いであったことを自覚し後悔してくれたのだろうか。
だとしても、今更だ。
ずっと、その期待に応えたいと思ってきた。
けれど、その期待に応える努力をすることこそ、本当は何より辛かった。自分では、到底かなえられなそうな崇高な理想だから。当たり前だ。王太子はそんなに優しくばかりもいられないし、そんなに暢気にもいられない。王妃の望む王太子でいようとすれば、必ずその隙をつかれるし従わない者が出てくることは、何度も実際に味わい苦しんだ現実だ。理想を体現できないのは、自分が不出来で足りないせいだろうかと、どこまでも落ち込む時も多く。
ああだが、何もせずとも皆が愛して従ってくれる人間などいるものか。そう喚けば、抱き締めて、いつかなれるわ大丈夫、と慰められ。男女区別なく罪は裁かねばならないのですと説いても、そうよね貴方だってしたくない冷たい判断をして辛いわよね、と慰められ。
いつかなりたくもないし、冷たい判断だとも思わない自分は、きっと欠陥があるのだと真剣に悩んでガゼオの足元で泣いたものだ。
それでも、いつかわかってくれるかもしれないと、待っていた。母の理想とは違うこの自分こそが、母の子なのだと、認めてくれないかと。根気強く努力をして、同時に自分を見てと訴えて、いつまでも待っていた。
小さな子供のように。
もうどこにもいない、小さな子供だ。
侍従が王妃へ客の訪れを報せに来た。いつにない親子の空気に青褪めてつつも、客を簡単に軽く扱うわけにはいかないはずだからと、あえて声をかけた判断は正しい。
だが震えて立っている王妃が返事をしないので、リューセドルクは侍従に客を通すように言いつけ、王妃の手を取って長椅子に座らせた。
「リューセドルク」
呼ばれたのには、反応しない。怒りや反抗のためというよりは、雑音にしか聞こえなかった。
しんと静まった部屋にやがて入ってきたのは、下手をすれば王妃よりも着飾った細身の女だった。その後ろに、見覚えのあるネクトルヴォイの領主の娘が続いたところを見れば、領主夫人だろう。あのカンタスと夫婦とは思えない、いかにも貴族らしい貴族の婦人だ。
だが、リューセドルクには関係がない。
二人をここに招いたのは王妃であり、リューセドルクではない。応対する必要を感じられず、なんなら途中ででも立ち去るべく、腕を組んで窓際に立った。
戸惑ったように王妃がこちらをうかがっている。
昨夜までは、どれほど追い詰められていても王妃の前では穏やかな態度を心がけていたので、こうした素気ない対応は初めて見せたかもしれない。忙殺される王太子にとっては普段通りなのだが。
そんなことも、もはや一切、興味がなかった。
母というものは。
呪いのようだ。
「だから、貴方のお相手にネクトルヴォイの」
王妃が言葉を止め、そしてだんだんと表情を強張らせた。
さすがに、王妃も何か間違えたことを悟ったのだろう。思い込みをさらに固く信じ込む性質の王妃が、こうして途中で過ちに気づくのは、滅多にないことだ。
やはり、ほんのわずかながら人が変わったのだろうか。いや、それだけ自分がひどい顔をしているのかもしれない。修行が足りないな、とリューセドルクは笑ったつもりだったが、ピクリとも顔が動くことはなかった。
「なぜ、私がその方をエスコートするのでしょう? 元々、今日の会はあくまで候補者との顔合わせであり、最終決定は私に一任すると、お約束いただいていたはず。ですが、会場入りでエスコートすれば、エスコートの相手を妃に選ぶに等しい。
——私の、今後の人生まで、決めつけてしまうおつもりか」
「リュ、リューセドルク、だって貴方は彼女と」
「ネクトルヴォイのご令嬢には、一度使者を送っただけです。私は個人的に親しくなりたいと思ったことはありませんが」
「そ、そんな」
事情は察することができる。ユーラという名だけで、浅慮を働かせて的外れなことをしたのだろう。だが、経緯も事情も、どうでもよい。結局は、よいと思い込んだそのままに、リューセドルクの意志など確認する必要も感じずに、信じるまま押し通してしまうその心根が、吐き気がするほどにおぞましく、許せなかった。
「そのご令嬢は、王妃から見て、優しい気性を無理に押し殺し政務に疲弊した王太子を癒してくれる田舎者の娘として、完璧でしたか? それほど優しい娘なら、姑の王妃をも、温かく癒してくれることでしょうね。では、王太子を介さずとも、癒しを求める王妃ご自身がその娘を娶ればよろしい。
——ああ、なるほど、王妃はご令嬢と会ったこともないまま、理想の娘と思い込んだご様子だ。自分に都合の良い妄想に巻き込むのは、息子くらいにしておかれよ。それも、以降はお断りしますがね」
王妃が息を飲んだのは、面と向かって王妃と呼んだからだろうか、それとも自分勝手な妄想を当の息子に知られていたからだろうか、そしてそれを、嘲笑され、拒絶されたからだろうか。……多少は、独りよがりな振る舞いであったことを自覚し後悔してくれたのだろうか。
だとしても、今更だ。
ずっと、その期待に応えたいと思ってきた。
けれど、その期待に応える努力をすることこそ、本当は何より辛かった。自分では、到底かなえられなそうな崇高な理想だから。当たり前だ。王太子はそんなに優しくばかりもいられないし、そんなに暢気にもいられない。王妃の望む王太子でいようとすれば、必ずその隙をつかれるし従わない者が出てくることは、何度も実際に味わい苦しんだ現実だ。理想を体現できないのは、自分が不出来で足りないせいだろうかと、どこまでも落ち込む時も多く。
ああだが、何もせずとも皆が愛して従ってくれる人間などいるものか。そう喚けば、抱き締めて、いつかなれるわ大丈夫、と慰められ。男女区別なく罪は裁かねばならないのですと説いても、そうよね貴方だってしたくない冷たい判断をして辛いわよね、と慰められ。
いつかなりたくもないし、冷たい判断だとも思わない自分は、きっと欠陥があるのだと真剣に悩んでガゼオの足元で泣いたものだ。
それでも、いつかわかってくれるかもしれないと、待っていた。母の理想とは違うこの自分こそが、母の子なのだと、認めてくれないかと。根気強く努力をして、同時に自分を見てと訴えて、いつまでも待っていた。
小さな子供のように。
もうどこにもいない、小さな子供だ。
侍従が王妃へ客の訪れを報せに来た。いつにない親子の空気に青褪めてつつも、客を簡単に軽く扱うわけにはいかないはずだからと、あえて声をかけた判断は正しい。
だが震えて立っている王妃が返事をしないので、リューセドルクは侍従に客を通すように言いつけ、王妃の手を取って長椅子に座らせた。
「リューセドルク」
呼ばれたのには、反応しない。怒りや反抗のためというよりは、雑音にしか聞こえなかった。
しんと静まった部屋にやがて入ってきたのは、下手をすれば王妃よりも着飾った細身の女だった。その後ろに、見覚えのあるネクトルヴォイの領主の娘が続いたところを見れば、領主夫人だろう。あのカンタスと夫婦とは思えない、いかにも貴族らしい貴族の婦人だ。
だが、リューセドルクには関係がない。
二人をここに招いたのは王妃であり、リューセドルクではない。応対する必要を感じられず、なんなら途中ででも立ち去るべく、腕を組んで窓際に立った。
戸惑ったように王妃がこちらをうかがっている。
昨夜までは、どれほど追い詰められていても王妃の前では穏やかな態度を心がけていたので、こうした素気ない対応は初めて見せたかもしれない。忙殺される王太子にとっては普段通りなのだが。
そんなことも、もはや一切、興味がなかった。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。
真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。
そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが…
7万文字くらいのお話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
拝啓、私を追い出した皆様 いかがお過ごしですか?私はとても幸せです。
香木あかり
恋愛
拝啓、懐かしのお父様、お母様、妹のアニー
私を追い出してから、一年が経ちましたね。いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
治癒の能力を持つローザは、家業に全く役に立たないという理由で家族に疎まれていた。妹アニーの占いで、ローザを追い出せば家業が上手くいくという結果が出たため、家族に家から追い出されてしまう。
隣国で暮らし始めたローザは、実家の商売敵であるフランツの病気を治癒し、それがきっかけで結婚する。フランツに溺愛されながら幸せに暮らすローザは、実家にある手紙を送るのだった。
※複数サイトにて掲載中です
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
あなたが望んだ、ただそれだけ
cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。
国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。
カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。
王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。
失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。
公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。
逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。
心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした
カレイ
恋愛
「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」
それが両親の口癖でした。
ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。
ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。
ですから私決めました!
王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。
(完結)ギャラット王太子様、私を捨てて下さってありがとうございます!
青空一夏
恋愛
王太子妃候補者3人のうちの一人が私、マリアン・ハワード。王太子妃になりたくて必死で努力してきた私には、幼い頃から遊ぶ暇もなかった。けれど王太子ギャラット様は優しく私を励ましてくださった。
「マリアンが一番王太子妃に相応しいと思う。君だけを愛しているよ。未来永劫、俺の愛は変わらない」と。
ところが私は隣国で蔓延していた流行病になぜか感染してしまう。途端にギャラット・ステビア王太子殿下の様子が変わり、
「お前は追放だ、追放! さっさと俺の国から出て行け! おぞましい病原菌を抱えた汚物め! お前など王太子妃になるどころかステビア王国にいることすら汚らわしい!」
一転して私にそう言い放ち、病ですっかり憔悴している私を隣国との国境近くに文字通り投げ捨てさせたのである。
あとから他の王太子妃候補の女性達にも同じような甘い言葉を囁いていたこともわかって・・・・・・ギャラット・ステビア王太子は八方美人の浮気者だったことに気がついたのだった。
ハワード公爵であるお父様は庇ってもくれずに、私をばい菌扱い。
そんな私を救ってくれたのは隣国のロラン・マスカレード王太子殿下。隣国では流行病に対応する特効薬がすでにできていて・・・・・・
※ざまぁ・ゆるふわ設定・異世界
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる