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母思う娘

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「た、食べられるかと思ったわ……」

 なんとか隙を見て逃げ出したメイベルは、やっと人の姿に戻り、よろよろと自室に戻った。
 昨夜着ていた寝間着とガウンを身につけたままだったのはよかったが、王の部屋のある方向からその格好で戻ってきたために、目撃した召使いたちが目を見張っていたのには、気がつくことができなかった。

 侍女のいない静かな自室で、メイベルは寝台にうつ伏せに倒れ込んだ。
 子豚、もとい魔キノコを舐めまわし、丸齧りにする夫など、ごめんである。人の姿に戻る前に逃げ出せて、本当によかった。

「でも、本当に部屋に女っ気はなかったわね……」

 それだけで、浮気がなかったとは断定できない。部屋に何かを残すことを許さないだけかもしれない。
 だが、今まで自分がまるで夫と息子を見ていなかったのは確かだろう。特に夫は、あんなに変態だっただろうか……。
 ともあれ、これからは違うのだ。少なくともリューセドルクに関しては。

 王妃は手紙を書き、召使いに、ネクトルヴォイの領主へと届けるように指示をした。
 侍女たちはまだ解放されていない。おそらく、昼ごろには何人かは帰ってくるだろう。リューセドルクは妃選定の宴を取りやめるとは言わなかったからだ。すでに城に招き入れてしまっている客たちを、今更追い返すわけにはいかないと判断したのだろう。そして、侍女がいないと王妃の身支度など、召使いだけでは整えられない。

 メイベルが押し付けてしまった催しだ。これ幸いと、メイベルのせいにして中止にすることもできるはず。そうしないのは、この不甲斐ない王妃を、慮ってくれたのからだろう。
 それは、メイベルが今までまったく見ようとしなかった、リューセドルクの別な優しさなのだ。
 以前だったら、花火如きで王妃を謹慎にするなんて、と怒り、誰かがリューセドルクを追い込んでそうさせたのではと疑っていただろうが。今回は、おとなしく待つことにした。
 やましいことはない。侍女たちだって、うっかりしていただけだろう。疑いもすぐに完全に晴れるはず。

 私が騒いだら、またあの子が大変になるもの。

 メイベルはうろうろと部屋を歩き回りながら、のぼせそうな程にあれこれと考えた。





 召使いは、侍女ではなく、そもそも手紙を届けるというのは職分ではない。もちろん指導も受けていないし、やったこともない。ただ、王妃に反論などできずに断れないまま受け取っただけだった。
 ネクトルヴォイという名すら初めて耳にしたくらいだったが、なんとか考えて客棟に向かい、だがその入り口で勝手がわからずにうろうろとしていた。宴の準備に忙しいのか、そこらに人影はない。
 すると、明らかに上流貴族の高貴な女性が、侍女を引き連れてやってきた。そして、召使いの持つ品の良い手紙に気がついたのだろう。侍女を介して、用向きを尋ねてきた。
 まともな侍女であれば、第三者にうかうかと手紙について話したりはしなかったろう。
 だが召使いは、これで指示がもらえると安堵して、ネクトルヴォイの方へと王妃さまから手紙を預かっております、と返事をした。

「ネクトルヴォイは、わたくしです」
「さ、さようでしたか。では、これを……」

 召使いから手紙を受け取ったネクトルヴォイ領主の妻、ヘネは客棟に入ると、声高に侍女に話しかけながら廊下を進んだ。

「まあ、王妃さま直々に娘にお手紙をいただくなんて。光栄ですこと。でも、こうして妃選定の前に結果が出てしまうなんて、なんだか皆様には申し訳ないことだわ」

 その発言は、速やかに客棟に広がり、ある令嬢は「竜を殊更慈しむという王太子殿下ですもの。竜の森と親しむ領土には思い入れがおありなのでしょう」と理解を示し、ある令嬢は「そういえば殿下は、最初にネクトルヴォイの方に使者を送られたそうよ。贈り物までなさったとか。やはりね、そういうこと。ではむしろその令嬢に、誼を通じておかなければ」とほくそ笑み、そして王太子の面談から帰ったばかりの令嬢は、「だからお会いできるのも義務のように短い時間だったのね」と悲しんだ。





 一方で、ユーレイリアは、王妃の手紙に首を傾げた。

「それでユーラ、王妃さまは、何とおっしゃっているの?」
「お母様、王妃さまは、私と王太子殿下との恋を応援する、と。今夜の宴でも公表しましょう、と書いておられますが……」
「……もしや、身に覚えがないの?」
「ええ、まったく。私のところには一番初めに使者を送ってくださいましたが、王太子殿下ご本人は来られていないし、その後は他のご令嬢のように面談する予定すら知らされておりません」

 ヘネは細い顎に扇をとんとんと当てながら、思案した。

「王妃さまの、お思い違い……?」
「そうではないかしら」

 それでもヘネは納得し難いようで、使者との会話の内容を事細かに確認した。

「森について尋ねられたわ。あの古い暗い森よ。お父様が大好きな」
「まあ、王城でもその話がでるなんて。いやね」
「本当に。お父様はあの森に、愛人とその子供を住まわせてるんじゃないか、って初めて疑った時のこと、私今でも悲しく思い出せるわ」

 ユーレイリアが自分の悲しみに俯いた時、ヘネが鼻の頭に皺を寄せてさも恐ろしい顔をしたが、それも一瞬のことだった。

「そうだったわね。うかつにも、子供の描いた絵など書斎に飾っているから、ばれるのだわ。夫として、最低よ」
「お母様……」
「私は、傷ついてはいないわ。貴族の家だもの。結婚して嫡子を設けたら、夫婦それぞれ好きにしてよいのよ。私には、貴女という嫡子が産まれたのだし。……ただ、私を蔑ろになさるのなら、私も自由にしてよいはずでしょう? ただそれだけよ」

 そういいながら、ヘネがもうずっと怒っている。ユーレイリアには、まだ、夫となる人にはずっと愛し愛されたいという希望があったが、それをここで言い募ることはできなかった。ユーレイリアとは離れ離れで暮らしていたが、いつも娘のことを思い遣ってくれる母は、大好きなのだ。悲しませたくはない。
 そんな母を裏切った父は、許し難い。
 そしてユーレイリアは、今回の旅路で、ある疑いを持っていた。

「ねえお母様、実は今回出立の時に、こんなことがあってね……」

 森から来たと合流した、若く麗しい男と、その妹分。男はぞんざいな扱いをしているようでいて妹分を大事にしていたから、きっと本当の兄妹ではない。実の兄は妹を、あんな宝石を見るような目では見ない、はずだ。そして、彼らを待つから出立を見送れ、などと聞いたことのない厳しいことを言った父。さらには、彼らを同伴していると手紙を送れば、あの父が、ぼろぼろになるほど無理をして、馬を駆って来たというのだ!

「男は見た目からしてお父様とは関係がなさそうだけど、あの子は、もしかして、私の異母妹、だったり……? 名前だって、ユーラと呼ばれ」

 ユーレイリアは言葉を止めた。ヘネの顔が、どす黒くなったように見えたからだ。
 目の錯覚か、それは一瞬のことで、ユーレイリアはぱちぱちと瞬きをした。

「そう、そういうこと。ではこの手紙は、そちらの娘のことなのね」

 母の呟きは小さすぎて、ユーレイリアには聞き取れなかった。
 けれど、いつもは優しくこちらを見てくれる母と、目が合わない。王妃からの手紙の真意もわからず、奇妙に不安が募ってきた。

「私の可愛いユーレイリア」
「お母様、いつもみたいにユーラと呼んでよ」
「もう大人なのだから、美しい響きのユーレイリア、でよいではないの」
「……」
「王妃さまの勘違いであろうと、構わないわ。公の宴の場で、王太子殿下と貴女との恋が発表されてしまえば。王家は責任をとって、貴女を妃に迎えるでしょう」

 でもそれは、すぐに露見する間違いだ。その場には、王太子本人だっているのだから。

「いいこと、ユーレイリア。愛は何をしてもいつか枯れる。でも権力は、失わない努力ができて、かつそれが正しく報われるわ。だから、その手で、掴み取るのよ」

 いいわね、ユーレイリア。
 ネクトルヴォイの跡取り娘としては、王太子への輿入れはできない。ユーレイリアの気持ちも、王太子にはまだ向いていない。愛があろうがなかろうが、そもそも恐ろしいことや難しいことがネクトルヴォイよりもはるかに多そうな王城では、暮らしたくはない。
 言いたいことが渦を巻いたが、それがすべて、喉に詰まって言葉を奪う。
 王太子妃になるつもりなどまるでないのに、この宴に来ることを強硬に父親にねだったのは、父への意地悪もあるが、とにかく母に一瞬でも笑顔になって欲しかったからだ。
 だから、やっぱりユーレイリアは、母に何も言うことができなかった。
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