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ネクトルヴォイの領主の娘
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「ユーレイリア様、王太子殿下の使者の方が、ご面会をと願っておられます」
慌てる侍女に、ユーレイリアはまあ、と頬を押さえた。どうも城に入る時から特別扱いをされているという感覚はあったが、ここまでとは。
父は森からの大切な客があると言うので、ユーレイリアだけが城にいる。だが、それは城に入るときに申告済みであるから、使者が会いたいのは領主の父ではなく、ユーレイリアなのであろう。
その理由までは深く考えることなく、ネクトルヴォイ領の姫として傅かれ慣れたユーレイリアは、鷹揚に頷いて見せた。
「寛いでいたので部屋着ですけれど、よろしければと、ご案内して」
「かしこまりました」
東屋につながる露台から部屋に戻り、長椅子の横に立って待てば、間も無く、柔らかな物腰の青年使者が数人の供を引き連れ優雅に入ってきて、ユーレイリアの手の甲に挨拶をした。
「お美しい姫君にご挨拶申し上げます」
使者はいくつかの珍しい菓子を贈り物に持ってきた。誰からとは言わない。言わなくても明らかだからだろう。その過剰なほどに慎ましく秘めた様子に、ユーレイリアは内心首を傾げたが。
妃選定の始まる前から一人だけをあからさまに優遇しては、いろいろと差し障りがあるのだろう。それでもあえて好印象を植え付けたい相手の一人に数えられたのではないか、と思えば、自尊心がくすぐられた。
ゆえにユーレイリアは、素直に心楽しく使者と歓談した。
ユーレイリアの好む遊び、領地の都にも王都の流行が伝わっていること……父のこと領地のこと、聞かれるがままに話せば、使者はすべてを受け入れるように頷き、褒め、感心してみせた。
もてなしたつもりのユーレイリアは浮かれ、その問いかけに答える時まで、積み重なっていた違和感にはまるで気がつかなかった。
「ご領地の美しい森には豊かな恵みがあるとうかがっております」
「ええ、領地の屋敷の周りには、美しい森の庭が」
「……ああ、さぞ見事なことでしょう。ですが、人の領域にあらざるという神秘のルヴォイの森の噂も、殊に耳にいたしておりますが」
「ああ」
つまらなそうに、ユーレイリアは顎をあげた。思えばこの時までに、使者の声は徐々に不審げに低くなってきていた。
「確かに木の実はよく実っておりますけれど。父と領民は古臭い祭りをいまだに執り行っているようですが、お恥ずかしいほど代わり映えのしない、古い森ですわ」
その返答は、ユーレイリアの中では何もおかしな返しではない。ユーレイリアと母にとって、あの森は、陰鬱なただの森なのだ。森の機嫌をうかがったり、祭りをしたり、森を粗末にすることを戒めたりする素朴な領民たちだって、騙されているのだ。父が森に隠した秘密こそが、それを示している。
けれどさすがに、そこまでを口にするつもりはない。
「……古いことは、確かでしょうね」
使者の返答に、間が空いた。その後の質問が途絶えて、部屋に沈黙が落ちた。使者たちから、ユーレイリアに対する興味が失せたことが、ありありとわかった。
どうして。
ぽつりとユーレイリアがつぶやいたのは心の中だったので、部屋の中は沈黙のまま。
「……彼は?」
その言葉を発したのは、部屋の隅に控えていた使者の供の一人だ。しんとした部屋に息を吹き込むように声が通ったので、何者とも知れぬ者の問いだったにもかかわらず、ユーレイリアはその視線を追って、部屋から東屋が視界に入ることに気づき、そして慌ててそっぽを向いた。
茶会の跡をきれいに片付けられた東屋では、ひとりのんびりと寛ぐ青年が一人。ケールトナは、使者の訪れを意に介することもなく、部屋に背を向けてだらりと腰掛けたまま、柵に肘をついて空を眺めていた。外套は脱いでいるものの、改めて見れば衣服も靴も旅装のまま。
ただ、風に揺れる真っ直ぐで長い一括りにされた金銀の煌めく髪と、背中の線が美しい。
さきほどまではその美を愉しんでいたものだが、今はその姿が目を引くほどに、その無礼と違和感も際立った。
ユーレイリアは眉間に寄りそうになる皺を意地で消し去り、つんと澄まし顔を心がけた。
「縁あって、仕方なく領地から同伴した者ですけれど、あまり人との暮らしに慣れていないようでして。私も困っておりますの」
自分に非はないと主張しておく。間違いではない。彼らは父の古い知己の縁者であると名乗った。それを聞いて、ユーレイリアはぴんときた。彼らは、父が森に隠している秘密に繋がっているに違いない。
同行させるなど不快だし腹立たしいが、かといって、追い払えば父の元へ行くのだろう。それも許せなかったので、王都への一行に加わることを許したのだ。
だが彼らときたらまるきり田舎者で、自分に対しても身分差というものを意識しない。ケールトナはどことなく品を感じるところがあるが、あの目障りな小娘は、煩わしいというほかはない。
父の目の届かない道中で、何度も放置して来ようと思ったのに。躊躇わずに、どこかで蹴り出しておけばよかった、とユーレイリアは煮える思いだ。
「王城への立ち入りは、事前に申請のあった限られた人員しか許されないはずですが……」
「まあ、入城の際には特段の改めもございませんでしたけれど」
「殿下の特別許可が出たのでしょう。……彼と話をしても?」
使者との会話を、その使者の供でしかない者が遮ったので、ユーレイリアが反射的に厳しく反応しかけたが。ここは王城だ。貴族の子息ということもあると考え、自分を宥めた。そう思ってよく見れば、凡庸な色合いと印象ながら、顔立ちや体つきは整っている。
その供者が東屋へ続く露台に足を向けようとしたので、ユーレイリアははっとして、先を制する様に声を出した。
「ケールトナ、王太子殿下のお使いの方がそなたに話したいことがおありだそうよ。こちらへ入る許可を与えるわ。何でもお答えしなさい」
供の男が何者かはわからないが、ここでは丁重に扱っておく方がよいと、咄嗟に判断したのだ。さきほどの奇妙で不愉快だった冷淡な空気を一掃するための小細工として、堂々と命じて見せた。それに、王太子妃選定の場で男と同じ席に着いていたと思われてしまえば、外聞が悪い。ゆえに、男とは対等の立場ではないと印象付ける目的も兼ねていた。
辺境領主の娘といえど、母に伴われ貴婦人の社交にも顔出しをしている。これくらいは、母から学んで、お手の物である。
ところが。
ケールトナは名を呼ばれたことに気がついただけ、という体で肩越しに視線を僅かに寄越したが、まるで動こうとしなかった。
「ケールトナ! なんて礼儀知らずなの!」
苛立ちのまま叫んでから、向けられた使者の目線があまりに冷えていたので、思わず口を噤んだ。慌てて表情を取り繕って、ただ視線だけは、きりきりと睨みつけてやった。
その視線を背に受けながら、はは、とケールトナが笑って、煽った。
「お嬢さん、おかしなことを言いますね。私は、礼儀は知ってますよ。使い所もね」
「なっ」
ユーレイリアの目が燃え上がらんばかりに釣り上がった。この男は、自分「は」礼儀を知っているが、お前は知らないのだろう、と当てこすっているように思えてならない。そんなはずはないだろうに。ユーレイリアが、ふたりの不快な田舎者に、どれほど寛容を保って来たことか!
「失礼、神聖なる森から来られた方とお見受けする。少し話を聞かせて欲しい」
真っ赤な顔で憤るユーレイリアを一瞥もせず、露台に踏み出した供者が平坦な声を掛けると、ケールトナは再び、今度はいささかまともに振り返った。
その白皙に、使者たちも動揺した。ほぼ無表情で静かにこちらを見つめる様子は、石膏像の傑作と言われても違和感のない眩い美しさだ。性別の枠を超え、神々しくさえある。
人型の神はかつてその全員が地上に降りて人間を助けたために、今はもう天から人型の神は失われたのだとされている。その人型の神々の地上の末裔と言われれば、信じてしまいそうだった。
「……ふむ。要望はわかったが、悪いが、今手が離せないのだ」
神の姿を模した男は、さらりと言って立ち上がり、東屋から直接庭へ降りる階段に向かった。
そこへ、庭の端から茶色い丸い塊がダッと近づいたと思いきや、そのままの勢いで、上背のある男の腹目掛けて突っ込んできた。
「ぐっ」
苦悶の声を漏らしながらも、男はその塊をしっかり受け止め、柔らかく腕に抱きこんだ。
「どうした、ユ……ジュメ?」
声をあげて笑いながら、茶色い毛をかき混ぜている。
あまりに抱え込んでいるので、室内の誰からも、それが犬なのか狐なのかも見ることができない。そのまま、彼はその何かを小脇に抱えて、庭の奥の方へと歩いて行った。
至極粗雑な扱いに見えたが、それでもその場の皆にわかったこと。その腕の中の存在は、おそらくは彼の至上の宝なのだ。
慌てる侍女に、ユーレイリアはまあ、と頬を押さえた。どうも城に入る時から特別扱いをされているという感覚はあったが、ここまでとは。
父は森からの大切な客があると言うので、ユーレイリアだけが城にいる。だが、それは城に入るときに申告済みであるから、使者が会いたいのは領主の父ではなく、ユーレイリアなのであろう。
その理由までは深く考えることなく、ネクトルヴォイ領の姫として傅かれ慣れたユーレイリアは、鷹揚に頷いて見せた。
「寛いでいたので部屋着ですけれど、よろしければと、ご案内して」
「かしこまりました」
東屋につながる露台から部屋に戻り、長椅子の横に立って待てば、間も無く、柔らかな物腰の青年使者が数人の供を引き連れ優雅に入ってきて、ユーレイリアの手の甲に挨拶をした。
「お美しい姫君にご挨拶申し上げます」
使者はいくつかの珍しい菓子を贈り物に持ってきた。誰からとは言わない。言わなくても明らかだからだろう。その過剰なほどに慎ましく秘めた様子に、ユーレイリアは内心首を傾げたが。
妃選定の始まる前から一人だけをあからさまに優遇しては、いろいろと差し障りがあるのだろう。それでもあえて好印象を植え付けたい相手の一人に数えられたのではないか、と思えば、自尊心がくすぐられた。
ゆえにユーレイリアは、素直に心楽しく使者と歓談した。
ユーレイリアの好む遊び、領地の都にも王都の流行が伝わっていること……父のこと領地のこと、聞かれるがままに話せば、使者はすべてを受け入れるように頷き、褒め、感心してみせた。
もてなしたつもりのユーレイリアは浮かれ、その問いかけに答える時まで、積み重なっていた違和感にはまるで気がつかなかった。
「ご領地の美しい森には豊かな恵みがあるとうかがっております」
「ええ、領地の屋敷の周りには、美しい森の庭が」
「……ああ、さぞ見事なことでしょう。ですが、人の領域にあらざるという神秘のルヴォイの森の噂も、殊に耳にいたしておりますが」
「ああ」
つまらなそうに、ユーレイリアは顎をあげた。思えばこの時までに、使者の声は徐々に不審げに低くなってきていた。
「確かに木の実はよく実っておりますけれど。父と領民は古臭い祭りをいまだに執り行っているようですが、お恥ずかしいほど代わり映えのしない、古い森ですわ」
その返答は、ユーレイリアの中では何もおかしな返しではない。ユーレイリアと母にとって、あの森は、陰鬱なただの森なのだ。森の機嫌をうかがったり、祭りをしたり、森を粗末にすることを戒めたりする素朴な領民たちだって、騙されているのだ。父が森に隠した秘密こそが、それを示している。
けれどさすがに、そこまでを口にするつもりはない。
「……古いことは、確かでしょうね」
使者の返答に、間が空いた。その後の質問が途絶えて、部屋に沈黙が落ちた。使者たちから、ユーレイリアに対する興味が失せたことが、ありありとわかった。
どうして。
ぽつりとユーレイリアがつぶやいたのは心の中だったので、部屋の中は沈黙のまま。
「……彼は?」
その言葉を発したのは、部屋の隅に控えていた使者の供の一人だ。しんとした部屋に息を吹き込むように声が通ったので、何者とも知れぬ者の問いだったにもかかわらず、ユーレイリアはその視線を追って、部屋から東屋が視界に入ることに気づき、そして慌ててそっぽを向いた。
茶会の跡をきれいに片付けられた東屋では、ひとりのんびりと寛ぐ青年が一人。ケールトナは、使者の訪れを意に介することもなく、部屋に背を向けてだらりと腰掛けたまま、柵に肘をついて空を眺めていた。外套は脱いでいるものの、改めて見れば衣服も靴も旅装のまま。
ただ、風に揺れる真っ直ぐで長い一括りにされた金銀の煌めく髪と、背中の線が美しい。
さきほどまではその美を愉しんでいたものだが、今はその姿が目を引くほどに、その無礼と違和感も際立った。
ユーレイリアは眉間に寄りそうになる皺を意地で消し去り、つんと澄まし顔を心がけた。
「縁あって、仕方なく領地から同伴した者ですけれど、あまり人との暮らしに慣れていないようでして。私も困っておりますの」
自分に非はないと主張しておく。間違いではない。彼らは父の古い知己の縁者であると名乗った。それを聞いて、ユーレイリアはぴんときた。彼らは、父が森に隠している秘密に繋がっているに違いない。
同行させるなど不快だし腹立たしいが、かといって、追い払えば父の元へ行くのだろう。それも許せなかったので、王都への一行に加わることを許したのだ。
だが彼らときたらまるきり田舎者で、自分に対しても身分差というものを意識しない。ケールトナはどことなく品を感じるところがあるが、あの目障りな小娘は、煩わしいというほかはない。
父の目の届かない道中で、何度も放置して来ようと思ったのに。躊躇わずに、どこかで蹴り出しておけばよかった、とユーレイリアは煮える思いだ。
「王城への立ち入りは、事前に申請のあった限られた人員しか許されないはずですが……」
「まあ、入城の際には特段の改めもございませんでしたけれど」
「殿下の特別許可が出たのでしょう。……彼と話をしても?」
使者との会話を、その使者の供でしかない者が遮ったので、ユーレイリアが反射的に厳しく反応しかけたが。ここは王城だ。貴族の子息ということもあると考え、自分を宥めた。そう思ってよく見れば、凡庸な色合いと印象ながら、顔立ちや体つきは整っている。
その供者が東屋へ続く露台に足を向けようとしたので、ユーレイリアははっとして、先を制する様に声を出した。
「ケールトナ、王太子殿下のお使いの方がそなたに話したいことがおありだそうよ。こちらへ入る許可を与えるわ。何でもお答えしなさい」
供の男が何者かはわからないが、ここでは丁重に扱っておく方がよいと、咄嗟に判断したのだ。さきほどの奇妙で不愉快だった冷淡な空気を一掃するための小細工として、堂々と命じて見せた。それに、王太子妃選定の場で男と同じ席に着いていたと思われてしまえば、外聞が悪い。ゆえに、男とは対等の立場ではないと印象付ける目的も兼ねていた。
辺境領主の娘といえど、母に伴われ貴婦人の社交にも顔出しをしている。これくらいは、母から学んで、お手の物である。
ところが。
ケールトナは名を呼ばれたことに気がついただけ、という体で肩越しに視線を僅かに寄越したが、まるで動こうとしなかった。
「ケールトナ! なんて礼儀知らずなの!」
苛立ちのまま叫んでから、向けられた使者の目線があまりに冷えていたので、思わず口を噤んだ。慌てて表情を取り繕って、ただ視線だけは、きりきりと睨みつけてやった。
その視線を背に受けながら、はは、とケールトナが笑って、煽った。
「お嬢さん、おかしなことを言いますね。私は、礼儀は知ってますよ。使い所もね」
「なっ」
ユーレイリアの目が燃え上がらんばかりに釣り上がった。この男は、自分「は」礼儀を知っているが、お前は知らないのだろう、と当てこすっているように思えてならない。そんなはずはないだろうに。ユーレイリアが、ふたりの不快な田舎者に、どれほど寛容を保って来たことか!
「失礼、神聖なる森から来られた方とお見受けする。少し話を聞かせて欲しい」
真っ赤な顔で憤るユーレイリアを一瞥もせず、露台に踏み出した供者が平坦な声を掛けると、ケールトナは再び、今度はいささかまともに振り返った。
その白皙に、使者たちも動揺した。ほぼ無表情で静かにこちらを見つめる様子は、石膏像の傑作と言われても違和感のない眩い美しさだ。性別の枠を超え、神々しくさえある。
人型の神はかつてその全員が地上に降りて人間を助けたために、今はもう天から人型の神は失われたのだとされている。その人型の神々の地上の末裔と言われれば、信じてしまいそうだった。
「……ふむ。要望はわかったが、悪いが、今手が離せないのだ」
神の姿を模した男は、さらりと言って立ち上がり、東屋から直接庭へ降りる階段に向かった。
そこへ、庭の端から茶色い丸い塊がダッと近づいたと思いきや、そのままの勢いで、上背のある男の腹目掛けて突っ込んできた。
「ぐっ」
苦悶の声を漏らしながらも、男はその塊をしっかり受け止め、柔らかく腕に抱きこんだ。
「どうした、ユ……ジュメ?」
声をあげて笑いながら、茶色い毛をかき混ぜている。
あまりに抱え込んでいるので、室内の誰からも、それが犬なのか狐なのかも見ることができない。そのまま、彼はその何かを小脇に抱えて、庭の奥の方へと歩いて行った。
至極粗雑な扱いに見えたが、それでもその場の皆にわかったこと。その腕の中の存在は、おそらくは彼の至上の宝なのだ。
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